【冬に聴きたい】「ほっこり」クラシック【愛らしいディーリアスの佳作】

2018/12/01
クラシック

クリスマスシーズンになると抑うつ症状を訴える職業の人がいる、ということを先日、知りました。それはクリスマス音楽(いや「音(おん)が苦(く)」?)を、仕事のあいだじゅうずっと聴かされるショップの店員さんだそうです。『ジングルベル』とか『赤鼻のトナカイ』といったクリスマスソングがいくら好きでも、あれをえんえんと聴かされればさすがに大脳が疲労してしまうというもの。

というわけで今回は超偏向・リピート聴きしても疲れず、心もほっこりできそうな、「冬こそ聴きたい」クラシック音楽のお話です。

 

クリスマス気分をアゲてくれる! 『前奏曲とフーガ ハ長調 BWV547』

バッハでクリスマス、とくると『クリスマス・オラトリオ BWV 248』…と言いたいところですが、新共同訳『聖書』をはじめ、『中世キリスト教の典礼と音楽』だの、『キリスト教史』だのといった関連文献は持っているものの、だからと言って信仰者でもなんでもない門外漢がそういう教会音楽について書くのはおこがましい…と思いますので、気分を変えまして自由オルガン曲の『前奏曲とフーガ』から、BWV547なんかどうでしょう?

この作品は、バッハ晩年のライプツィヒ時代に作曲されたもの。上へ下へと跳躍を繰り返す特徴的な足鍵盤のベースラインに乗って、すこぶる快活な前奏曲が開始されます。つづくフーガ主題はたったの1小節ながら、ここから5声部の巨大なフーガが展開されるというのはさすが。まさにバッハの面目躍如、といった感じの作品です。個人的にはクリスマスシーズンになると決まってこの曲と、天使の軍勢がいっせいに舞い降りるかのようなキラキラ感満載で、しかも対位法の奥義を尽くした『クリスマスコラール<高き天よりわれは来たれり>によるカノン風変奏曲 BWV769(1748)』が無性に聴きたくなります。

バッハ『前奏曲とフーガ ハ長調 BWV 547(1744)』[演奏:冨田一樹]

 

ひとり静かに聴くならクープランの『修道院のミサ』はいかが?

今年(2018年)はフランス古典期の作曲家、フランソワ・クープラン、通称「大クープラン」の生誕350年に当たります……が、NHK-FM「古楽の楽しみ」以外ではあまり聴かず、バッハ没後250年の2000年のときのようにクープラン尽くしで盛り上がった、などという印象も個人的にはまったくなし。

それでもときおり、この『修道院のミサ』と『教区のミサ』の2曲の『オルガン小品集』を聴くと、同時代のバッハとはまるで異なる感動に包まれる思いがします。このふたつのミサ曲は、グレゴリオ聖歌の斉唱と交互に演奏するために作曲されたもの。クラヴサン(チェンバロ / ハープシコード)作品は約240曲もある大クープランですが、オルガン曲となるとこのふたつしか残っていません。

個人的にいちばん好きなのは『修道院のミサ』に収められた「聖体奉挙」。副題に「ティエルスをテノールに」とあり、これはフランスバロックのオルガン曲特有の断り書きで、意味は「テノールの鍵盤で3度管ストップを使って演奏するように」ということです。3度管というのは「ミューテーションストップ」というオルガンストップの一種で、太めの「フルート族」と呼ばれる金属パイプ列からなる、おもにサウンドの色付けに使用される音列。ほかにも「ディアローグ」と題された曲もあり、こちらは異なる音色の手鍵盤どうしであたかも「対話(ディアローグ)」しているかのような掛け合いが聴きどころになります。

クープランは『クラヴサン奏法(1716)』という教本も出版しており、ここで彼はクラヴサン演奏に親指を使うよう提案しています。ちょうどおなじころ、おとなりドイツのバッハもまた親指をもっと活用する演奏法を推奨していますが、これは少年時代にクープランの『クラヴサン奏法』で学習していたからだと言われています。鍵盤楽器演奏における「親指活用法」はクープラン譲りだった、と言えそうです。

フランソワ・クープラン『修道院のミサ(1690)』から「聖体奉挙 / ティエルスをテノールで」[演奏:ピーター・トンプソン]

 

アンダーソンだけじゃない、ディーリアスの愛すべき『そりすべり』

さてクリスマスシーズンの定番曲として、米国人作曲家ルロイ・アンダーソン(1908-1975)の小品『そりすべり(1948)』があります。でも筆者はこっちのにぎにぎしい『そりすべり』ではなく、英国の作曲家フレデリック・ディーリアスによる同名作品のほうをダンゼンお勧めしたいと思います。

ディーリアス(1862-1934)はドイツ移民の子として生まれたので、英国人の血は流れていません。しかしながら彼のほかの作品、たとえば『春初めてのカッコウの声を聴いて(1912、初演 1914)』、『幻想序曲 <丘を越えてはるかに>(1895-97)』などを聴くと、ヴォーン・ウィリアムズやジェラルド・フィンジといった生粋の英国人が書いたかのような牧歌的で、どこか郷愁を誘う音楽世界が広がります。

ディーリアスの『そりすべり』は副題の『冬の夜』でも知られており、1887年のクリスマス・イヴに、ドイツのライプツィヒでグリーグらとのパーティーで披露するために作曲されたもの。ディーリアスにとって気の置けない作曲家仲間との語らいはよほど楽しかったのか、各自が事前に準備し、この日の夜にお披露目してたがいに批評しあう計画だったのがけっきょくお流れになってしまった、という逸話が残っています。

冒頭、そりの鈴の音がシャンシャンシャン…と、ふかふかの雪の積もった丘を滑ってこちらに向かってくるかのような、そんなイメージが瞬時に浮かぶ愛らしい小品です。筆者はオルガン独奏版として演奏したバージョンがとくに好きで、演奏者によっては「ツィンベルシュテルン[ドイツ語で「シンバルの星」の意味。ドイツのオルガンに多く見られる自動演奏装置で、ストップを引き出すと前面パイプ列に取り付けられた星がくるくると回転し、ハンマーが内部のチャイムを打ち鳴らす仕掛け]」を効果的に使い、クリスマスの夜の楽しさを表現しています。

フレデリック・ディーリアス『そりすべり / 冬の夜(1888)』[演奏:デイヴィッド・ロイド=ジョーンズ指揮、ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団]

同『そりすべり / 冬の夜』オルガン独奏版[演奏:アラム・バスモディエン]

 

「ながら」聴きにもピッタリな、ジョン・ラターの『古風な組曲』

こんどは現代英国を代表する作曲家のひとり、ジョン・ラター(1945-)の合奏曲『古風な組曲』をご紹介しましょう。

この作品は、1979年に開催された「クッカム音楽祭」で初演されたもの。このときのプログラムにバッハの『ブランデンブルク協奏曲』が含まれており、ラターは「バッハへのオマージュ」として作曲したとか。しかしじっさいに聴いてみるとフルートが哀愁を帯びた旋律を奏でたり、つづく楽章は打って変わってジャジーでノリノリな曲想になったりと、この作曲家のお茶目な一面が垣間見える、そんな洒落た一曲に仕上がっています。フルートが主役にも思えますが、フルートとハープシコードが活躍するバッハの『ブランデンブルク協奏曲 第5番 BWV1050』を意識したのか、ハープシコードが引き立て役として活躍。全曲通じてのフルートとハープシコードの掛け合いがとても斬新で、リクツ抜きで楽しめる作品です。

ここまで器楽曲ばかりご紹介してきたので、最後におなじラターの合唱曲はどうでしょうか。ラターは合唱音楽好きにとっては外せない作曲家でもあります。冬は、欧州の少年合唱団の来日公演も多くなったりする季節。そこで筆者の独断で、『地上の美のために』をセレクトしてみました。

ジョン・ラター『古風な組曲(1979)』[演奏:アンドリュー・ニコルソン(フルート)/ ジョン・バーチ(ハープシコード)/ ジョン・ラター指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団]

ラター『地上の美のために(1980)』[演奏:セントポール大聖堂聖歌隊]

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