「個性がない」、「自分らしさをもっと出して」、「自分の持ち味を見つける」・・・読者の皆さんもこういった言葉を言われた経験があると思います。
筆者自身も会社員時代に「自分探しの旅を続けてください」と上司に言われ、深く考えさせられたことがありました。
誰しもが一度は悩む「個性」や「自分らしさ」というテーマ、それに真正面から向き合い、それを最大の武器とした作曲家がいます。
それは、伊福部昭(1914~2006)です。
今回のコラムでは伊福部昭がどのようにして個性を作曲に活かし、自身の最大の武器としていったのかに迫っていきます。
伊福部ファンのみならず、「個性」について悩んでいる皆さんにも読んで頂ければ幸いです。

案内人

  • 野坂公紀
  • 野坂公紀(作曲家)1984年、青森県十和田市出身。 青森県立七戸高校卒業。 2006年にいわき明星大学人文学部現代社会学科を卒業。作曲は独学後、作曲を飯島俊成氏、後藤望友氏に師事…

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個性の正体

『作曲家は氏・素性を音楽で語らねば駄目だ』
伊福部昭は上記の言葉を遺したように、自分の生い立ちや、その環境、人間性を自分の中で明確にしなければならないという考えを持っていました。
つまり、「自分と他者との違いをはっきりと自覚する」というものです。
伊福部昭はその「他者との違い」を強く前面に押し出した作曲家ですが、伊福部昭にとっての「他者」というのは「国家」や「民族」の違いというものでした。
しかし、「他者との違い」は国家や民族の違いだけではありません。
個人においても、「自分」と「友達」、「Aさん」と「Bさん」、「夫」と「妻」など育ってきた環境や文化が違えば、仮に同じ空間を過ごしている人間でも感性や思考なども違ってきます。

つまり、個性の正体とは、「他者との違い」に他なりません。

さて、読者の皆さんの中には「伊福部昭って誰?」という人もいるかと思います。
しかし、この音楽を聴けば「あ!この音楽を作曲した人なんだ!」と気づくでしょう。

作曲:伊福部昭「SF交響ファンタジー第1番」

伊福部昭について

先ほど聴いて頂いたゴジラの音楽、それを作曲したのが伊福部昭です。
伊福部昭は大正3年、北海道に生まれました。
伊福部昭が生まれた頃の北海道ではアイヌ民族との交流が深くあり、少年・伊福部昭もアイヌ民族との交流を通してアイヌ民族の文化や音楽に親しんでいきます。
このアイヌ民族との交流が、今後の伊福部昭の音楽や思想の個性として深く根付いていきます。後に札幌へ移り住んだ伊福部昭は評論家として活躍する三浦淳史や、作曲家として活躍する早坂文雄と出会います。その三浦淳史から「音楽やるには作曲やらないと意味がない」とそそのかされ、本格的に作曲も始め、海外から書籍を取り寄せ、なんと独学で作曲を学んでいきます。
北海道帝国大学(現・北海道大学)を卒業後、林務官として厚岸町に移り住み、働き始めますがこのとき作曲した「日本狂詩曲」がチェレプニン賞を受賞します。
このチェレプニン賞は、ロシアの作曲家アレクサンドル・チェレプニンがアジアの作曲家を発掘しようとした主催した作曲賞で、チェレプニン本人やジャック・イベール、アルベール・ルーセルなどそうそうたる顔ぶれの作曲家が審査を行いました。
この受賞は誰しもが予想しなかったもので、伊福部昭の事実上の出世作となりました。

作曲:伊福部昭「日本狂詩曲」より第2楽章「祭」

戦後は東京へ移り住み、映画音楽はもちろんのこと、管弦楽などの純音楽でも多くの傑作を作曲していきます。
さらに、東京芸術大学や東京音楽大学で作曲を教えるなど教育の方面でも活躍し、伊福部昭門下からは矢代秋雄、黛敏郎、芥川也寸志、松村禎三、和田薫など優秀な作曲家が輩出しています。
先ほどの日本狂詩曲を聴いて頂いて分かるように、伊福部昭の音楽は「日本的なもの」や「民族的なもの」、そして「アジアや大陸的なもの」の要素や雰囲気が強い「音楽の個性」として出てきています。

これは伊福部昭が生まれ育った北海道の風土と、アイヌ民族との交流で育まれた「個性」が根底にあるかと思います。
そして何より、自由な取捨選択ができる「独学」というスタイルで作曲を学んだのも伊福部昭の強い個性を形成した1つの要因でしょう。

また、伊福部昭は「当時はバタ臭いという言葉がありましたが、ヨーロッパの匂いのしないもので、自分たちの伝統的なもので何かできないかということでやった」と語っています。

これは至極当たり前なことです。
例えば、私たち日本人がドイツやオーストリアのロマン派の作曲家のような曲を作曲するためには山のような勉強が必要ですし、何より「ドイツやオーストリアらしさ」とは何なのかということを深く考え、そして身に付けなければなりません。
「日本人であるならば、日本人が兼ね備えている感覚や文化を活かす」というのは最大の強みであり、最大の個性です。
伊福部昭は若き日からそのことに気づいており、試行錯誤を重ね、そして数々の映画音楽や「日本狂詩曲」や「シンフォニア・タプカーラ」という傑作に結びつけていくのです。

伊福部昭の音楽には、日本人の心を惹きつけるものがどこかしらあるはずです。

しかし、伊福部昭の音楽は長い間、日本の音楽界(特に純音楽の分野)からは、ほとんど無視に近いほどの低い評価をされてきました。

伊福部昭が貫いた個性

先ほど、伊福部昭は独学で作曲を学んだと書きましたが、アカデミックな作曲家でなかったかと言えば、決してそうではありません。
むしろ、伊福部昭は若き日にラヴェルのボレロに衝撃を受け、チェレプニン賞に応募した理由もラヴェルが審査員に入っていたからでした(しかし病気のためラヴェルは審査からは外れてしまいました)。
そのことからも分かるように伊福部昭はフランスの作曲家から影響を受けており、作風もフランス風な部分が見受けられます。
また、北海道帝国大学・農学部林学実科を卒業した伊福部昭は、数学的・物理的な側面からも作曲を捉えており、デビュー作である日本狂詩曲の時点から物理的なオーケストレーション(管弦楽法)で作曲されています。
そしてその方法論は伊福部昭が執筆した名著「管弦楽法」に集約されており、現在では作曲家を志す者は必携の1冊となっています(もちろん筆者もこの本で学びました)。

そこまでの技法と数々の実績がある伊福部昭がなぜ、日本の純音楽の過半から無視され、評価を得られなかったのか。
それは「強すぎる個性」が理由です。

「ちょっと待ってよ、作曲家はみんな個性が強いんじゃないの?」と思われるでしょう。
確かにその通りです。
例えば、伊福部昭と同じ独学系の作曲家で「武満徹(1930~1996)」も作品を聴いた瞬間に「あ!武満徹の曲だ!」と分かるぐらいの強い個性を持っています。
武満徹はデビュー当初は低い評価を受けながらも、早い段階で日本の音楽界から高く評価され世界的な作曲家となりました。
しかし、伊福部昭が好意的に受け入れられるまでは、かなりの時間がかかりました。

「大楽必易」(すぐれた音楽は平易なもの)を座右の銘とする伊福部昭の音楽は、トーンクラスターなどの特殊技法を使いながらも、かなり分かりやすい音楽でした。
その分かりやすさは12音技法を初めとする当時の前衛音楽・現代音楽の嵐が吹き荒れる日本の音楽界からは「稚拙なもの」という見方をされてきました。
そしてなにより、「日本的・民族的・アジア的」な強い個性を持つ作風も「誰でも書ける安易なもの」として扱われ、シリアスな現代音楽が隆盛を誇った時代は伊福部昭にとっては、まさに暗黒の時代となったのです。

しかし、伊福部昭はその強い個性を持った作風を変えることはありませんでした。

伊福部昭はゆるぎない信念を基に自分の信じる音楽を書き続けました。
さらにその作風は映画音楽の世界から高い評価を得て、伊福部昭のパーソナリティは映画音楽の分野にて活かされました。

そして、彼は確固たる流儀を基に、研鑽と実績を重ね、ついに最高傑作を生み出します。
それは伊福部昭の唯一の交響曲である「シンフォニア・タプカーラ」(タプカーラ交響曲)です。

曲名の「タプカーラ」とはアイヌ語で「立って踊る」(自発的に踊る)という意味であり、演奏時間は30分弱の3楽章形式の作品です。
この曲は先ほど書いた、伊福部昭の暗黒時代に作曲された作品であり、初演当初は「無意味な30分間であった」と辛辣な評価を受けました。
しかしこの曲は、伊福部昭の探求してきた技法はもちろんのこと、幼少期に触れ合ったアイヌの文化、強い個性を持った作風・・・全てが集約されています。
1・3楽章のストラヴィンスキーやファリャ、プロコフィエフも圧倒するほどのアレグロが展開され、2楽章のアダージョはシベリウスやフォーレも真っ青になるぐらいの美しさと叙情性を持っています。
この曲を聴くだけでも伊福部昭の魅力が必ず伝わるはずです、是非聴いてみてください!

伊福部昭が私たちに伝えたこと

現在では、伊福部昭の音楽は高い評価を得ており、伊福部昭の作品を収録したCDも多くの売り上げ枚数を出しています。
また、映画「シン・ゴジラ」のヒットもあり伊福部昭の音楽は再び人気を呼んでいます。

孤高の作曲家であり、真にローカルであり、真にインターナショナルな作曲家であった伊福部昭。
それらは全ておもねらない自己規範と強い個性が根本にあります。

伊福部昭の暗黒時代には辛辣な酷評を受けました。
普通であれば「やっぱり考え方や路線を変えようかな」と思うでしょう。

しかし、再度書きますが、伊福部昭は自らの信念や強い個性を持った作風、方向性を変えることは生涯ありませんでした。

そこから見える「個性」というもの、そして伊福部昭が私たちに伝えたこと。
それは、「己の生まれ育った環境、文化を明確に自覚すること」。
そして、「それを個性だと認めたら研鑽を重ね、決して曲げない強さもつこと」。
この2つに限ると思います。

もし、個性について悩んでいる方がいましたら一度、「自分の今までの生い立ち」を振り返ってみてください。
そして、そこから見えてきた「大切なもの」を涵養させ、刻苦勉励を重ね、ゆるぎないものへと成長させてみてください。
きっとそれはあなたにとって、まごうことなき最大の武器となるでしょう。
その証拠に、伊福部昭に影響を受け、私淑し、希望を持った作曲家が多くいます。
筆者もその1人なのです。