バッハは生涯最後の数年間、自身の作曲技法の集大成ともいうべき傑作・名曲をつぎつぎと生み出しています。ある人は『マタイ受難曲 BWV 244』を思い浮かべるかもしれませんし、鍵盤音楽好きなら『ゴルトベルク変奏曲 BWV 988』を挙げるかも。そしてこの時期のバッハ作品の特徴として挙げられるのは、音楽パズルのようなとっつきにくい曲が多い、ということ。

『フーガの技法 ニ短調 BWV 1080』もそんな「とっつきにくい」作品のひとつ。今回は、演奏する側にとっても聴く側にとっても「難曲」の『フーガの技法』にまつわるナゾ、またナゾのお話。

バッハがこの作品を書いた目的は? 演奏楽器は?

晩年のバッハは、シンプルな「単一主題」からいかに豊かな音楽が創造できるか、その可能性を極限まで探求することに並々ならぬ関心がありました。息子たち世代の「ギャラントな」最新の音楽様式にももちろん関心はあったのですが、パレストリーナにまでさかのぼる古様式(スティレ・アンティコ)と呼ばれる「対位法技法の保存」のほうにより強く惹かれていたようで、そんな姿勢が、ときに若い世代から反発を買ったことも。なかでも有名なのが、ヨハン・アドルフ・シャイベという若い音楽家から「あなたの音楽の書き方は大げさすぎ、作品から自然な響きを奪っている」と酷評された事件でしょう。

シャイベの主張はハズキルーペのCMふうに変換すると、「あんたの音楽はゴチャゴチャしすぎて、肝心のメロディーラインがちっとも聞き取れなーい!」というもの。モーツァルトへとつながる世代、とくに啓蒙思想の影響をモロに受けた世代からは、絶対王政の宮仕え音楽家のあんたたちのスタイルは時代遅れださっさと引退しろ、みたいにケムたがれていたことも垣間見える批判でした。

こんなふうに若造に叩かれた老バッハ、ハイそうですか、と時代に流されることはまるでなくて、自分の目指す高みに向かって、音楽という時間芸術の持つ可能性をとことん追求する道を選びました。バッハ研究者によれば『フーガの技法』には先例があり、それはラテン語の対話文体で書かれたヨハン・ヨーゼフ・フックスの対位法教本『パルナッソス山の階梯(1725)』だと言われています。

ただしなによりも「音楽の実践」を最重要視したバッハのことなので、無味乾燥ないかにも対位法のテキストでござい、という教本ではなく、あくまで演奏を前提にした作品に仕上げた、ということは忘れてはならない点でしょう。

ところでこの作品のバッハ直筆楽譜[ベルリン自筆譜]、および銅板印刷の初版楽譜には、どこにも演奏楽器の指示がありません。さらにこの作品は最後の「未完フーガ」以外はすべて4声の「総譜」形式で書かれているため、バッハがどのような楽器編成を考えていたのかも大きなナゾでした。

演奏楽器については、音楽学者のハインリヒ・リーチュや鍵盤楽器奏者のグスタフ・レオンハルトらがそれぞれ独自に、「これはチェンバロ独奏作品として書かれたもの」という結論に達しています。その根拠となったのが、17世紀の記譜の慣習。当時、とくに複雑な対位法技法を駆使するような鍵盤楽曲では総譜というかたちでもよく書かれており、フレスコバルディにも先例がある、というもの。たしかにこちらのほうがパッと見てどんな構造なのかはわかりやすい。バッハは演奏という実践だけでなく、「楽譜も見て対位法の奥義を体感してね」という思いも込めて、あえて古い時代の記譜方式を採用したのかもしれません。

直筆譜と初版楽譜が食い違っているのはナゼ?

『フーガの技法』は「ベルリン自筆譜」と、バッハの死後に銅板印刷されて出版された「初版[オリジナル・エディション]」とでは楽曲配列や記譜法、コーダの付け方、曲数にかなりの違いがあり、この原因をめぐってバッハ研究者たちは長年、頭を悩ませてきました。

楽曲配列については現在、「1-13番目までは自筆譜も初版譜も楽曲配列はおなじ」ということで大方の意見が一致しています。その後の曲順の混乱については諸説ありますが、総じて「バッハの息子や弟子たちが、作曲者の意図を正しく理解していなかった」ために生じた、ということのようです。たとえば、曲全体が鏡で映したように反転するという驚異的な技法が凝らされている「鏡像フーガ」の2曲は「正立形」と「倒置形」の順序が逆になっていたり、ほんらい関係のない「2台のクラヴィーア編曲版鏡像フーガ」が紛れて入っていたり。このへんの経緯については、はやいとこ出版して経済的に苦しかった母アンナ・マグダレーナを助けようと奔走した次男坊カール・フィリップ・エマヌエル・バッハやヨハン・フリードリヒ・アグリコラなどの弟子たちの姿がちらつきます。

初版楽譜出版のさい、弟子たちは直筆譜にはなかった「コントラプンクトゥス」なる表題を各曲に追加しています。楽曲をただ羅列しただけでは見苦しいし売れない、という配慮もあったと思われますが、この「コントラプンクトゥス」という言い方はフックスの教本でも対位法で作られた楽曲一般を指す呼称として使われていたもの。出版作業を進めたエマヌエル・バッハたちは、偉大な父バッハの最後の出版作品、しかも死後出版ということもあり、すこしでも見てくれをよくして部数をさばこうとこのようなタイトルを付したのかもしれません。

しかし彼らの奮闘むなしく、『フーガの技法』初版楽譜の売れ行きはさっぱりで、出版後の5年で売れたのはたったの30部ほど。でものちの古典派に属する音楽家たちのあいだではかなり知られた存在となり、シューマンなど、この作品の真価を「再発見」した音楽家たちは多大な影響を受けることになります。

『フーガの技法』はバッハ最後の作品?

この作品は長らくバッハ最後の作品だと考えられてきました。直筆譜とはべつの用紙に記されていた未完の「新主題による三重フーガ」が239小節目でぷっつり途切れて、その余白にエマヌエル・バッハの手で「作曲者はここで対位主題にBACHの名前が出たところで亡くなった」という衝撃的な一文で終わっているためです(ちなみに数象徴的に解釈すればこの小節数は2+3+9=14で、BACHとなるのはたんなる偶然? さらにこのあと、最初の基本主題と組み合わされて四重フーガとして構想されていたということも判明しています)。

しかしながら用紙の年代や「透かし模様」についての科学的分析が進展するにつれ、『フーガの技法』がバッハの文字どおりの絶筆というわけではないこともわかってきました。またエマヌエル・バッハによる注記については、バッハが死去して30年ほど経過したころに記入されていることも明らかにされています。

近年の研究によれば、バッハはすくなくとも『ゴルトベルク』とほぼ同時期の1740年代初めには『フーガの技法』作曲に取りかかり、そのほとんどが完成していた、という点で意見が一致しています。バッハは作品の大半を仕上げたものの、1749年以降は目の病気のために続行できなくなり、けっきょく放置してそのままになってしまった、というのが真相のようです。また初版印刷準備に関してもバッハ自身は版下作成に途中まで関与しているのみで、亡くなる1750年ごろにはほとんどタッチできない状態だったと推測されています。完成された作品としては、『ミサ曲 ロ短調』がバッハ最後の作品になると言われています。

ちなみに筆者はこの作品を『ゴルトベルク』につづく一連の練習曲集ものの掉尾を飾る作品とみなし、勝手に「クラヴィーア練習曲集 第五部」と呼んでおります。

リコーダー四重奏版「未完の三重[四重]フーガ」
[演奏:アムステルダム・ルッキ・スターダスト・カルテット]

ではどうやって聴けばよいのか?

『フーガの技法』はただでさえ構造が複雑、しかも楽曲配列や直筆譜と初版譜に相違点が多い、演奏楽器の指定さえない、というわけでこの作品を敬遠する向きも多いかと思いますが、それはそれでなんとももったいない話。そこで「こうすればとっつきやすくなるかも」という聴き方のコツ(?)を挙げてみます。

1)おおまかなグループのまとまりを知る:『フーガの技法』は、やはり「フーガのお勉強のための作品」という性格が強いため、基本的事項はやはり知っておいたほうが深く楽しめると思います(気にしなくてももちろん可)。各フーガのグループ分けは、つぎのようになります。

a.「主要主題の基本形と転回形による単純フーガ」[4曲]、 b.「変形主要主題による反行フーガ」, c.「変形主要主題の縮小形・拡大形による反行フーガ」[2曲]、d.「変形主要主題と新主題による転回対位二重フーガ」[2曲]、e.「変形主要主題と新主題による三重フーガ」[2曲]、f.「変形主要主題の鏡像フーガ」[2曲]、g.「3つの新主題[と主要主題の四重]の三重フーガ」、h.4つのカノン

2)いろいろなタイプの演奏の音源を聴いてみる:筆者も『フーガの技法』のアルバムはいくつか持っていますが、楽器指定のない作品はとにかくいろいろな演奏形態で聴いてみて、自分だけのお気に入りを見つける、というのが近道のような気がします。市販されているアルバムには弦楽四重奏版、オルガン独奏版、ピアノ独奏版、クラヴィコード独奏版、金管合奏版…といろいろありますが、毛色の変わったところでは「ヴィオール合奏版」を発表している英国のフレットワークによる演奏などどうでしょうか。

3)「全曲」にこだわらない、自分でも弾いてみる:この作品は、おそらく公開の演奏会で「全曲」演奏しなければならないものとして作られたわけではなく、「対位法技法の集大成」として後世に残そうとの意図が強く働いた、でも演奏して楽しい作品として書かれたものと思われます。なのでお気に入りのフーガのみ聴くというスタイルもあり。最後の「未完フーガ」が好きならばそれをひたすら聴きこむのもよいでしょう。たとえばグレン・グールドがピアノで演奏した音源とか、ヘルムート・ヴァルヒャがみずからの補筆完成版を用いてオルガンで演奏した音源でもよし。また、多少なりとも鍵盤楽器を弾いた経験があれば、ポケットスコアとしてもかんたんに手に入るので一部買って作品を聴きながら眺めてみる、あるいはもっと積極的に自分でも音を出してみる、というのも一興。べつに発表会ではないのだから、上手いとか下手とか関係なし。じっさいに指を動かしてみて、メインの主題だけでもいいからじっさいに弾いてみることでこの作品をより身近に感じられるようになるのではないかと思います。

つまり、楽しみ方はいろいろ、聴き方も人それぞれでどうぞという、なんとも懐の深い作品が、この『フーガの技法』。とくにグレン・グールドがオルガンで「コントラプンクトゥス9」を弾いた音源は一聴の価値あり! 活発に走り出す新主題とコラールの定旋律のように入ってくる基本主題がそれぞれ12度移調して上になったり下になったり、文字どおりの追いかけっこ、プログレッシヴロックかと錯覚するほど聴いているほうまで気分が乗ってじつに爽快(フーガの語源は「遁走、逃げること」)。お試しあれ。

初音ミク版「未完の三重[四重]フーガ」