連弾にはもともと余興(entertainment)的な面白さや、二人の人間の掛け合いから生まれる即興性が備わっているのかもしれません。

以下に紹介する4曲はどれも「余興」ではなく、真面目な演奏ですが、それでも連弾というのはどこかツッコミどころがあるように思います。たとえば椅子。食堂から持ってきたようなパイプ椅子に一人ずつ座っていたり、二人座るには無理がありそうなスツールに、お尻を窮屈そうに乗せていたり。使っていないときの片手の置き所も、前で宙に浮かせたり、背後で椅子に置いたりとどこか不自然。譜めくりがいないときのページめくりは、手の空いてる方がめくるといった感じで、これも芸のうちだろうか、などなど。

音響の点からは、88の鍵盤を二人がいっぱいに使って弾くと、ガチャガチャしたやや騒がしいものになりはしないか、といった懸念もあります。ロバート・ヘルプスという作曲家は、「よほど気をつけてないと、自動ピアノの演奏みたいになってしまう」と言っていました。

とりわけ連弾に興味があったわけではなく、あまり聞いたこともなかったのですが、ある日、作曲家のジェルジュ・クルターグが、バッハのカンタータを自分で編曲したものを、妻のマルタと弾いているのを聞いて、おっ、これはと目覚めました。連弾って、美しい。弾いてるその場で音楽が生まれてる!

こうして連弾を聴く日々がはじまりました。意外に多くの作曲家が優れた連弾曲を書いていますし、オーケストラ作品などからの編曲ものもあります。そしてその多くは、ガチャガチャもしていないし、とてもうまく4つの手に音を分配させて、美しい、あるいは面白い音響作品に仕上げています。

その連弾探検の日々の成果を、楽曲と演奏者の組み合わせにも配慮して、ここで紹介したいと思います。以下、4曲+α(番外)を選んでみました。

1.ファジル・サイ「イスタンブールの冬の朝」(2012年)

演奏:カタリナ & エリアナ・ノーイ
トルコの作曲家ファジル・サイ(1970年〜)は、「Night」という短い曲を聞いたことがあって、なんか面白そうな人だなと思っていました。この「イスタンブールの冬の朝」は、たまたまYouTubeで見つけたのですが、これがなかなかユニークで、出だしで中東風(?)の特徴あるテーマが繰り返され、耳に残ります。この冒頭の何小節かは、第一奏者が、共鳴が起こらないよう、グランドピアノの弦を両手で押さえています。その状態で、低音部を担当する第二奏者が、テーマを弾くわけです。その音色は、詰まったような弦の音、弦楽器の爪弾きに似た音です。

紹介する弾き手は、旧東ドイツ出身の作曲家カタリナ・ノーイとその娘のエリアナ。エリアナはローティーンでしょうか。こういった現代曲で、鬼気迫る演奏ぶりの母親との連弾を懸命にこなしている姿が好ましく、他にも候補はあったのですが、これを選びました。

「イスタンブールの冬の朝」は一種の標題音楽なのか、効果音のように挟まれる不協和音が、街の風物を表しているようにも聞こえます。全体としてはロマン派的(演歌の香りも)な曲だと思うのですが、音響的に「調子っぱずれな」ところが多々あったりして、そこが非常に新鮮で、耳に気持ちいいのです。

2.シューベルト「ファンタジー へ短調」(1828年)

演奏:ニキータ & アレクサンドル・ナヤンテス
シューベルトは「軍隊行進曲」という有名な連弾曲があり、弾き手によっては非常に面白い演奏になるのですが、この「ファンタジー へ短調」は、曲調がまったく違い、深く、悲しく、崇高で、シューベルトのピアノ曲として、ひょっとして最高傑作なのでは、と思わされるようなところがあります。1828年5月、死の半年前に、シューベルト自身によって初演されています。

冒頭、第二奏者の単純な伴奏(ド、ミ、ソの和音・基本形)が4小節つづくのですが、へ短調という調性のせいもあって、もうそれだけで悲しみの波が押し寄せてくるようなムードが醸し出されます。その伴奏のさなか(2小節目の途中)、第一奏者の右手のみのメロディーが、急くような、こみあげるようなリズムで入ってきます。これがこの曲の第一主題です。ウィキペディア英語版によると、ハンガリーのリズム様式に似た、とありますが、この突っかかるようなリズムは、胸の内の破裂しそうな想い、苦しい感情の吐露にも聞こえます。というのは、シューベルトはこの時期、夏にピアノを教えていた貴族の娘、カロリーネに報われない恋をしていて、この曲を彼女に捧げているのです。

「ファンタジー へ短調」は著名ピアニストを含めた多くの録音があり、またYouTubeにもたくさんの動画があげられています。どれもそれぞれ良い演奏なのですが、ここではロシア人の音楽家親子の公開演奏を紹介します。ニキータ・ナヤンテス(ピアニスト、作曲家)は演奏当時20代半ば、父親のアレクサンドルは、モスクワ音楽院で長く教鞭をとるピアニストです。派手なアピールや思わせぶりなところがなく、率直にして端正、二人のコンビネーションも素晴らしく、気持ちのいい演奏で、何度聴いても飽きることがありません。

2014年、フランスのアルザスで行なわれた音楽祭での演奏(18:07)

3.ストラヴィンスキー「春の祭典」(1913年)


演奏:ルーカス & アルトゥール・ユッセン
「春の祭典」はユッセン兄弟の演奏を聴くまで、全曲とおして聞いた経験がありませんでした。以前聞いた(見た)のはバレエの舞台で、演奏はオーケストラ、それはそれで迫力がありましたが、この連弾版はまた別の激しさ、集中、興奮がありました。

この曲はディアギレフがロシアバレエ団のためにストラヴィンスキーに依頼したもので、振り付けは当時新進のニジンスキーが担当しました。不協和音や変拍子などの複雑なリズムに、聴衆が驚き騒いだことは知られていますが、振り付けも、1913年初演当時のものを復活させたマリンスキー劇場版を見ると、ダンサーは内股で膝を曲げ腰を落として踊るなど、バレエの基本から大きく外れる奇異さです。

ピアノ連弾版の「春の祭典」は、ストラヴィンスキー自身によって作曲の年に書かれ、楽譜も出版されました。初演の1年前にストラヴィンスキーは、友人宅でドビュッシーと連弾したという証言もあるようです。ドビュッシーはセコンドを弾いたとか。

紹介する映像は、オランダの若手人気デュオによるもの。ルーカスとアルトゥールのユッセン兄弟は、二人がローティーンの頃、マリア・ジョアン・ピレシュのワークショップで見て知っていました。NHKの「スーパーピアノレッスン」でのことです。ピレシュが才能を認めている兄弟ということで、当時から注目を集めていました。

ユッセン兄弟のその後の活躍は知らなかったので、久々にYouTubeで見た二人の演奏には非常に驚きました。兄のルーカスが第一ピアノを担当、「序曲」冒頭のファゴットによる民謡風のメロディーを右手で弾きはじめると、そこに第二ピアノのアルトゥールが、ホルンのパートの合いの手を入れます。その奇妙に静かな始まりからは予想もできない展開が、次の「春の兆し」の同和音による激しい連打(第二ピアノ)へとつづき、曲は一気に嵐の中に突入していきます。演奏する方は当然ながらエネルギーと集中力の塊ですが、聴く方も竜巻にでも巻き込まれたように、息をつめて最後まで聴き通すことになります。

YouTubeのレビューには「4本の手をもつ1匹の生きもののようだ」という高評価も見られました。兄のルーカスは覚醒型、弟のアルトゥールは陶酔型に見えますが、この曲の演奏では、二人揃ってストラヴィンスキーの音楽に激しく揺さぶられ、翻弄され、それでも何とか正気を保っているところが多々見られました。一人用の椅子に身を寄せ合って座り、時に相手にのしかかり、激しく互いの手を交差させながらリズムを刻み、ほとんど踊っているみたいでした。

マルメ室内楽音楽祭(2017年)での演奏(34:39)

4.バッハ – クルターグ編曲 「カンタータ BWV106」他

演奏:ジェルジュ & マルタ・クルターグ
ハンガリー出身の作曲家クルターグは、子ども時代に母親とピアノでオペラのアリアなどを連弾したことをある本の中で語っています。40歳という若さで亡くなった母親とのデュエットは、クルターグにとってかけがえのない思い出のようです。

クルターグはピアニストの妻マルタと、40年にわたって連弾のコンサートを続けています。2012年にパリで行なわれたコンサートの模様は、DVDにもなっています。その内容は、クルターグ自身の作品『遊び』シリーズとバッハのピアノ連弾用編曲で構成されています。

ビデオで紹介するのは、2015年、ブタペスト・ミュージック・センターでの録音で、クルターグの好みであるアップライトピアノによる演奏。バッハ(クルターグ編曲)を3曲、マルタと弾いています。3曲目の「神の時こそいと良き時」(6:00〜)は、多くのピアニストによって演奏され続けている人気曲です。

(8:20)

連弾といえば普通4手ですが、1台のピアノを二人以上で弾く楽曲や試みも結構あります。6手、8手、それ以上(グランドピアノのまわりに、たくさんの人が群がって演奏している映像を見たことがあります)。ラフマニノフには、6手のオリジナル連弾曲がありますが、大人が3人、4人とピアノの前に座っている姿は、それだけで笑えますね。

ピアノ協奏曲がプログラムにある場合、ソリストと指揮者がアンコールで連弾する、というケースは割にあるようです。これは「余興」に近いでしょうか。ラン・ランとエッシェンバッハのドビュッシー「小組曲」は、そのケースだと思います。2曲を、二人が第一、第二を入れ替えて演奏しています。おそらく少ない回数リハーサルしての演奏で、即興的なところもあって、客席からも舞台の上の楽団員からも笑いがこぼれていました。

(10:05)

最後に紹介するのは、作曲家・ピアニストの高橋悠治とピアニストの青柳いづみこの連弾で、「春の祭典」のPVです。高橋の誘いで、この二人は2014年から連弾をつづけていますが、アンサンブルに対する考え方はほぼ真逆だとか。「ぴったり合わない方が音楽的に立体感が増す」「微妙にずれて絡み合っているのが理想」これが高橋側の連弾の考え方のようです。「春の祭典」では、セコンドを高橋が弾き、プリモを青柳が弾いています。青柳いわく「わたしはドビュッシー屋だし、あんな暴力的な曲!みたいな」。高橋がもっと歌えと言いつつ、ポキポキと機械的にセコンドを弾くので、青柳が「そんなゲーム音楽みたいな伴奏だと、息長く弾けない!」と返したとか。

(3:26)