あるブラックジョークによると「クラシックの世界で価値があるのは、ほとんどがユダヤ人、残りは性的マイノリティーか、変人。それ以外は凡人なので束にして捨ててしまった方がいい」というのがあります。本当かどうか分かりませんが、普通の世界の常識では推し量れないのがクラシックの音楽家たち。今回はキャンセル魔として有名なミケランジェリ、グールド、クライバーのエピソードを紹介します。

来日4度もまともな演奏はごくわずか!完璧主義者のヴィルトゥオーソ

そのあまりに完璧すぎる演奏で、「まるでレコードを再生したようでつまらない」と少々無茶な論評をされることも多かったミケランジェリ。しかし、その完璧さは数多くのキャンセルの上に成り立っていたことはよく知られています。

ミケランジェリ当人の調子はもちろんのこと、ピアノのコンディションでも気に食わない些細な点があればキャンセル、指揮者やオケと意見が合わなかったらキャンセル、コンサートホールの音の響きが気に食わないからキャンセルと、理由には事欠きませんでした。

おそらく、現代の世知辛い世界に生まれたならば、ミケランジェリはたちまち仕事を干されてしまったことでしょう。某有名女優ならずとも、たった一言その場にそぐわない発言をしたとされるだけで、たちまち炎上してしまうのですから。

しかし、ミケランジェリの時代は、まだ天才に対する敬意が失われてはいませんでした。芸術のためにあらゆるわがままを押し通すことができたことは幸せといえるでしょう。

さて、ミケランジェリの初来日は1965年。この時は、スケジュール通りに演奏をこなすという、今思えば信じられない偉業を成し遂げます。そして次の来日は1973年。このときはコンディションが優れないとのことで、公演中止、会場・日程の変更を繰り返しました。

1980年はピアノのコンディションが気に食わなかったようで、YAMAHAのピアノを使ってなんとか1公演こなすとさっさと帰国。

1992年の来日では、チェリビダッケとの演奏を行うものの、その後のリサイタルはまたしても、公演中止、会場・日程の変更と、やりたい放題のグダグダになってしまいました。

ちなみに、長年の盟友であったこのチェリビダッケは、ミケランジェリの私生活について、ほんの些細なジョークを言ったことにより絶交され、以降、一切の関わりを持つことができませんでした。

「安心してください。彼は来ています」とバーンスタインに言わせた男

キャンセル魔ミケランジェリから干支を一回りさせた後に、新たなキャンセル魔がこの世に生を受けています。

しかし、若き頃のグールドは、どちらかというとクラッシック業界の中ではせっせと働くタイプ。レベルの低いオケとの共演も引き受けたので、時には、例の身振り手振りを繰り返しているうちに、オケがグールドの方を見て演奏するようになることもあったといいます。

また、演奏ツアーではろくに調律も出来ていないピアノで弾くことも多かったので、耳から入る一切の音をシャットアウトし、想像上の世界で奏でるという裏ワザを編み出したとか。(※1)

 

グールドが聴衆に対して牙を剥きはじめたのは名声を築いたのちのことです。もともと、クラシック音楽のコンサートに聴きに来る人のことを、闘牛士が突き刺されることを暗に期待して集まってくる連中、と批判的に見ていたグールドにしてみれば、キャンセルは正当防衛だったのでしょうか。

確かに、現在では想像しにくいですが、当時、クラシックはメジャーな娯楽。このため、例えば、ホロヴィッツが来日したときには、NHKのコンサートの休憩時間では「解説」コーナーが挿入されたほど。

「あそこがまずかった」とボクシングさながらに品評をLIVEで入れる有様でしたから、当時のピアニストは水槽に閉じ込められた熱帯魚のような窒息感があったことでしょう。

キャンセルが多かったグールドは現れるまで聴衆をやきもきさせることも多く、ある演奏会でバースタインが一人登場してアナウンスを始めたときには、聴衆の脳裏にはグールドがキャンセルしたのだと覚悟したことでしょう。

しかし、第一声は「安心してください。グールド氏は来ています」。実は、「グールドの解釈でブラームスのピアノコンチェルトを演奏することに納得していないが、今回はグールドの言う通り演奏する」というバーンスタインのエクスキューズだったのです。

ちなみに、前述のミケランジェリのキャンセルを、後年コンサート活動からドロップアウトしていたグールドが代役で穴を埋めるというミラクルが起きています。

曲はベートーヴェンの「皇帝」。このときグールドは「二流の代役が一流なんて、聞いたことがないよね?」と周囲に語ったとか。DVDにもなっているので、興味のある方はご覧になってください。

※グールドは、演奏・音楽とは肉体や現実を超えたところにある「エクスタシー体験」であるという音楽理論を説明するひとつとして、この若き頃のエピソードを好んで語ったといいます。

世界中のクラシックファンのニューイヤーを不安にさせたコンダクター

限られたレパートリーと、気に入った仕事しか受けないというスタイルを貫き通したクライバー。にもかかわらず、彼はキャンセル魔であることでも知られています。もし、レパートリーを増やすなどしていたら、彼のマネージャーの主な仕事は謝罪になっていたことでしょう。

キャンセルで最も有名なのは、「テレーズ事件」。1982年とのウィーンフィルとのベートーヴェンの「交響曲4番」のリハーサル中に難解な指示(※2)を飛ばし、思い通りにならないオケに激昂、指揮棒を叩き折ってその仕事を去りました。

こんな彼なので1989年と1992年に行われたウィーン・ニューイヤーコンサートにおける、スタッフ達の心労は思いやられます。本当に彼は仕事を完了させてくれるだろうかと、気が気でなかったことでしょう。

それは全世界のクラシックファンも同じでしたが、無事コンサートは終了。ダンスを踊るかのように指揮をするクライバーの流麗な指揮姿が映像に記録されています。

しかし、もしクライバーの気難しさの一端を見たいならば、DVD化されているベートーヴェンの「交響曲7番」の映像を見てください。

気に食わないトランペット演奏者に対して、睨んだり、首をかしげたり、指で耳を叩いたりとご立腹です。もし、これがリハーサルだったら、ひょっとしたら帰っていたのかもしれません。

そんな彼のモットーは、「庭の野菜のように太陽を浴びて成長し、食べて、飲み、愛し合いたいだけ」。しかし、なかなかそうはいかないのが、人間の世界と言えるでしょう。

※クライバーは「そこはマリーじゃない、テレーズだ!」と怒鳴りましたが、テレーズ、マリーが何のことか分からないオケは困惑。ちなみに、テレーズはベートーヴェンが敬愛した女性ではないかと言われています。

まとめ

いかがだったでしょうか。変人・奇人ばかりなのクラシック音楽の世界。だからこそ、日常をはるかに超えた聴体験をさせてくれる名演奏、名盤が誕生するのでしょう。しかし、実際問題としては、隣人となったり、仕事場で出会ったりするのは御免蒙りたいものです。ただ、彼らの至上の芸術に耳を傾けましょう。