クリーム色の表紙にオレンジのアルファベットで書かれた「CHOPIN」の文字…さてこれは何でしょう?そう、ショパン作品の有名楽譜、通称「パデレフスキ版」です。ショパンの作品を弾くなら、まずはこの版、というくらい有名な楽譜ですね。

しかしながら、ピアノ界に偉大な楽譜をのこしたパデレフスキが、なんと、ポーランドの初代首相を務めた人物でもあった、と認識されている方は、意外と少ないのではないでしょうか?

イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(1860-1941)は、ピアノを学ぶ人々の間では、ショパン全集の編さんにあたったピアニスト・作曲家として知られ、一般的な世界史を学ぶ学生ならば、ポーランド共和国の初代首相として学校で習うという、時の大人気アイドルピアニストでありながら、国を動かすリーダーだった人物なのです!

ピアニストとしての活躍ぶりは、決してセミプロのレベルではありません。フランス、ドイツ、ニューヨークと、芸術都市を股にかけ、驚くべきことに、南米、オーストラリア、南アフリカに渡ってまで演奏活動をしていたというのです。

一回の演奏活動で用意されたギャランティは、当時のアメリカ大統領の年棒の3~5倍にもあたるというほどの、大人気ピアニストでした。

ちょっと想像してみてください。

安倍首相が「プロ」として雅楽を奏でている…

プーチン大統領が、プロ指揮者としてオケピットでバレエ音楽を振っている…

メルケル首相が、プロピアニストとしてベートーヴェンピアノソナタに魂を込めている…

現在ではとても考えられないことですね。クラシック音楽家というと、日常と切り離された精神世界に住む人の職業のようにとらえられることが多いものです。

音楽家であり政治家であるパデレフスキの存在は、19世紀後半から20世紀にかけての当時、ロマン派や古典のクラシック音楽が、いかに有機的な力を持って、人々の中に息づいていたかを物語っているかのようです。

一度は聞いたことがある、クラシック界のあの言葉。

また、パデレフスキは首相を務めたくらいですから、弁論に長けていて、かの有名な「練習を一日休むと自分にわかる。二日休むと批評家にわかる。三日休むと聴衆にわかる。」の言葉を残した人物でもあります。

ピアノ演奏者を苦しめるこの言葉(笑)

拡大解釈した現代のわたしたちは、「ブランクがあるともう演奏活動はできない」「休めば休むほど、取り返すのに非常な時間がかかる」といった呪縛にとらわれがちです。

しかし、パデレフスキ自身、首相を務めた政治家時代の数年は、まったくピアノに向かっていないのです。そうでありながら、首相を辞め、またピアニストとして舞台に戻ったときには

「以前よりずっと良い演奏が出来たと思う」と述べているのです。

このようにさまざまな視点から興味深い、パデレフスキ本人へのインタビュー形式による自伝(上下)が、2016年に新訳刊行されました。

戦うピアニスト パデレフスキ自伝(上・下)

著書の中では、パデレフスキの生い立ちから、ピアノの演奏活動を通して、のちの政治的な基盤を支える広い人脈を得ていく青年期までがつづられています。

非常に巧みな語り口で、まるで冒険物語のようにも読むことができる本なので、世界史に興味を持ち始めたティーンエイジャーにもお勧めです。読み物のとしてのおもしろみは、ぜひ手に取って味わっていただくとしまして…。

「プロピアニストがどうやって政治家になったのだろうか?」

筆者の興味は、終始そこに注がれていました。

世界的ピアニストという職業のダイナミズム

パデレフスキは、ピアニストとして大成するために、さまざまな困難に立ち向かいます。演奏旅行をすれば、社会のきびしさを幾度となく体験しましたし、自営業であるピアニストという職業につくと、人間のやさしさや親切、狡さ、表と裏の顔などを見抜く目も養われていく様子が語られています。

そして、当時のピアノ音楽を演奏する場面には、各界の著名人が大勢訪れたこと、ピアノを演奏されるサロンなどでは、有識者が顔を合わせて社会を語らっていたことなども、臨場感たっぷりにつづられています。

そのような場でピアニストとして愛されながら、今世界で起きていること、起きようとしていることを皆とともに考えた、青年パデレフスキ。彼が政治の道を進んだ理由には、生来の気質、父親が政治的思想を理由に投獄されたことなどが、もちろん関係していますが、当時のピアニストという職業のもつダイナミズムが、彼に特別な人脈を与えたことは、疑う余地がありません。

もう一点、わたしが知りたいことがあります。それは、「彼のピアノにおける【芸術性】は、彼の政治的思想と関係しているのだろうか?」ということなのです。

パデレフスキはどんな演奏をしたの?

この著書は、いよいよ第1次世界大戦が始まることをパデレフスキの仲間たちと予感する場面で終わっています。

補遺章として加えられている説明によりますと、その後パデレフスキは、周辺国に翻弄されるポーランド民族のために政治の道を進み、ポーランドの独立のために尽力しました。そして、ポーランド共和国初代首相・外相としてヴェルサイユ条約に署名をするという形で、歴史のターニングポイントに立ち会うことになるのです。

その数年間において、パデレフスキは完全に演奏活動を中止しているのですが、再び、カーネギーホールで復活リサイタルが行われた際は、「以前よりずっと良い演奏が出来たと思う」と述べているのです。聴衆も演奏に感動し、スタンディングオーベーションが巻き起こったといいます。

なぜ、この非常に興味深い逸話が、自伝のなかに収められていないのでしょう?首相を務めるまでの人物がいったいどんな芸術をもって演奏をしていたのか、政治活動のブランクの前と後では演奏に変化があるのか、彼の言葉で、聞いてみたいところではないでしょうか。

しかし、これには理由がありました。

第一次世界大戦勃発以降(パデレフスキ54歳以降)の回想録については、インタビュアーの聴き取りをひとまずまとめた形になってはいるものの、パデレフスキ本人の最終稿チェックを終える前に本人が亡くなってしまったので、原著が出版に至っていないということなのです。

そこでおすすめ音源のご紹介!

しかし、最近になって筆者は、政治家になる前と後の録音、という時系列を追った形で、ダイレクトにパデレフスキの音楽を聴くことが出来るとわかりました。

この録音では、1917年までの演奏が、政治活動に専念する以前、1922年以降が、首相を辞任してピアニスト復帰後の演奏、と考えることができます。こちらのCDは、Amazon musicで音源を聴くことができます!(会員ではない方は30日間のおためし試聴を利用してみるのも、おすすめです。)

実際に録音を聴いてみると、パデレフスキのピアノ演奏は、心情の機微をとらえた大変秀逸なもので驚きました。ルバートの感覚などは、政治家というイメージから想像していた演奏とはまったく違い、決して雄弁になることなく、内に秘めた美しさと、恋のような歌心を繊細に表現しています。

なるほど、このようなピアノ演奏で、ポーランドの愛国心の象徴である「クラコヴィアク」や「マズルカ」を奏でられれば、人々の心を掴むのに何にも勝る方法かもしれない…と感じるほどですので、ぜひご一聴をおすすめいたします。

肝心の、首相を務めた後の演奏では、非常に遊び心ある円熟したショパンのマズルカなどを聴くことができます。年月を経た生きざまの現れた演奏には、なるほどと腑に落ちる思いがしました。パデレフスキ自身の作曲作品も、大変洒脱な演奏で、必聴です。

彼の音楽の持つ繊細な芸術性に触れると、彼の政治的な思想はけして雄弁なだけではなく、深い愛や人格的な深みを持って展開していたのだろうということを感じさせてくれるのです。

音楽を奏でることは、生きていることと同義なのかもしれませんね。

よく奏で、よく生きて、そしてまた、よく奏でる…。

古典やロマン派のクラシック音楽が、社会に直接の力を及ぼす熱源を持っていた19世紀の音楽家の生きざまは、クラシック芸術音楽と日常生活が乖離しがちな現代のわたしたちに、音楽の根源的なことを教えてくれている気がします。

「練習を一日休むと自分にわかる。二日休むと批評家にわかる。三日休むと聴衆にわかる。」

―はたして、この言葉は、音楽に生きている者を、音楽の世界にしばりつける言葉なのでしょうか?

パデレフスキは首相を退いた後、5年ぶりにピアノを弾いたとき、自身の感覚の鋭敏さとピアノへの親近感に驚き、12時間も練習をしたと言います。それから、復帰に向けての演奏会準備を毎日猛烈に進めたとのことなのです。

かの言葉は、音楽に自分の人生を投影するためのアドバイス、という意味にも捉えられるのかもしれませんね。伝えるべき音楽が見つかったのなら、集中して音楽に集約することで、自分の人生を音楽に投影することができる、と。

パデレフスキの音楽とのかかわり方は、例の言葉の真の意味を、逆説的に教えてくれているようにも思えてくるのです。

人の人生には、多かれ少なかれターニングポイントがあります。私たちは、ときに日常から抜けだし、見知らぬ世界へと踏み出し、他者と出会い、苦悩し、それから再び自らのホームへと戻ってきたときに、見慣れたはずの風景が違った色彩を持っていることに気づきます。そうした豊かな経験を経て、人は深く成長してゆくことをパデレフスキの生き方は教えてくれるようです。