【宝珠の作品に遺された】モーリス・デュリュフレのオルガニスト魂【オルガンの可能性】

2018/04/09
人物

モーリス・デュリュフレは、1902年生まれ、1986年死去。20世紀の音楽史とともに歩んできた音楽家です。

ドビュッシーやラヴェルの「印象主義」の伝統と、フォーレのグレゴリオ聖歌にならったスタイルの2つを統合した音楽語法を使い、つねに自分自身を客観的に批判しながら作曲をしていました。

デュリュフレは比較的遅咲きの音楽家です。地元のルーアン大聖堂の附属音楽学校でピアノとオルガンを学んだ後、パリ音楽院に入学したのは18歳の時。作曲科、ピアノ伴奏、和声法、オルガン科で表彰されましたが、それも26歳までの間、マイペースで学んでいます。音楽院に籍を置きながら、ノートルダム大聖堂のオルガニストであるヴィエルヌの助手になったのも1927年、25歳の時でした。また、1939年に、プーランクが『オルガン協奏曲』の作曲をする過程で、デュリュフレはオルガンのレジストレーションに関するアドバイスを行っています。その初演には、オルガン独奏者として参加しました。

代表曲として『レクイエム』(1947、作品9)があげられます。この楽曲では、定常文の選び方がほとんどフォーレと同一。グレゴリオ聖歌やルネサンス音楽の影響は、フォーレよりもむしろ強いかもしれません。グレゴリオ聖歌の『レクイエム』からの旋律が引用されており、フランス独特の和声や対位法を駆使して、奥行きのある音の世界が練り上げられています。

 

デュリュフレのオルガン独奏曲

さきに述べたように、彼のキャリアはオルガン奏者として始まりました。現在に至るまで、オルガニストのための重要なレパートリーになっている組曲を2つ、ご紹介します。

『オルガンのための組曲』(作品5)

1933年作曲。パリ音楽院での恩師、ポール・デュカスに献呈されています。

前奏曲、シシリエンヌ、トッカータの3曲からなる組曲です。

増4度の響きがもたらす緊張感のある前奏曲、美しい旋律とフランス和声が印象的なシシリエンヌ、「ラヴェルっぽい」と評されフラメンコを想起させるトッカータ。特にシシリエンヌとトッカータはそれぞれ1曲だけピックアップされて演奏されることもあります。

(組曲 作品5)

前奏曲

シシリエンヌ

トッカータ

 

『アランの名による前奏曲とフーガ』(作品7)

1940年作曲、パリ音楽院で、自ら初演しました。デュリュフレはオルガン独奏曲を8曲作曲しています(うち1曲は遺作として作品番号がありません)。全曲が1枚のCDにおさまっていたので、全部を聴くことができました。筆者がその中でいちばん共感できたのがこの楽曲です。

作品名にも冠されているジャン・アランは1910年生まれ、作曲家でオルガニスト、という共通点を持った後輩でした。才能に恵まれながら戦死してしまったアランのための追悼曲として『アランの名による前奏曲とフーガ』が作曲されたのです。

「~の名による」作曲の手法は「Bachの名による」がルーツと思われます。バッハ(Bach)という姓の綴りを使って、いわゆるBACH主題「変ロ-イ-ハ-ロ」(英語音名:B♭-A-C-B)の4音の連続を動機として作曲された楽曲は少なくありません。この4音の主題(モチーフ)は、バッハ自身が『フーガの技法』の中で使っており、その後、バッハへの敬意の表明として、たくさんの作曲家が使ってきました。シューマン、リストといった大物作曲家、フランスでは、オネゲルやプーランクも使っています。

しかし、これはたまたま大バッハの名前のアルファベットがすべて音名に当てはまったゆえの技法で、「Alainの名による」となると、「Lはどうなる?」「Nは何を使う?」こんなふうに、何も知らなければわけがわかりません。でも実は、この種類の楽曲を創作する際の「テーブル」と呼ばれる暗号表が存在しているのです。しかも、この暗号表によるアルファベットの読み替えは、フランス生まれ。

パリの音楽雑誌『音楽批評(レヴュー・ミュジカル)』が、1909年、ハイドンの没後100年を記念して、「ハイドンの名による」動機を使った作曲を当時の有名作曲家に依頼しました。この動機を作った暗号表では、「HAYDN」は「haddg(ロイニニト)」にあてはめられます。その動機を使って作曲に応じたのが、ドビュッシー、ラヴェル、デュカス、アーン、ダンディ、ヴィドールの6人、当代きっての作曲家たちです。

しかし、デュリュフレは、別の暗号表を使いました。というより、ハイドン用の暗号表ではうまくあてはまらず、暗号表を変えて作ってみたのかもしれません。別に作られた暗号表で、「ALAIN」は「adaaf(イニイイヘ)」に置きかえられました。

前奏曲の後半では、ジャン・アランのオルガン曲『リタニ』が引用されています。

 

ジャン・アラン『リタニ』(JA119、1937)

前奏曲はひたすら早いパッセージに始まり、『リタニ』の旋律が出てきたときにそのパッセージが止まります。アランはデュリュフレと違って多作の人で、作曲活動は18歳から従軍して亡くなるまでに、140曲近く作曲しています。アランの短い一生を早いパッセージで表現し、追悼の意を動きの止まった『リタニ』の引用で表現したのではないかと感じました。フーガでは、アランを表す「adaaf」の主題は、全編を貫いています。動画には足鍵盤も映っていますが、足の動きもダイナミックで、オルガンの力を100%出し切っている楽曲だと思います。

 

アランの名による前奏曲とフーガ

 

デュリュフレにとってオルガンとは?

デュリュフレは1947年に、『レクイエム』作品9を作曲しましたが、混声四部合唱に3パターンの伴奏をつけています。オーケストラ伴奏版、小オーケストラ伴奏版、オブリガート・チェロ独奏つきオルガン伴奏版の3つです。オルガン伴奏版は第2版であり、チェロは省略可能です。教会で演奏されることが多いと想定される『レクイエム』にオルガン伴奏版を作るのはある意味自然なことです。しかし、デュリュフレは、オルガンの可能性をアピールしたかったのではないでしょうか。「管弦楽と同じような表現が、オルガンにだってできるのだ」と。

デュリュフレは、同じオルガニストだった夫人とともに1975年に自動車事故に遭い、夫妻ともにオルガンの演奏活動ができなくなるほどの重傷を負いました。それ以来、デュリュフレは合唱曲を1曲作っただけで、1986年に亡くなりました。

デュリュフレがもし「作曲家」ならば、演奏活動ができなくても、楽譜を書くことはできたのではないでしょうか。事故の直後に、自伝のような文章を書いています。晩年には、雑誌のインタビューにも答えています。もし、彼に、ベートーヴェンのような作曲に対する執着があったとすれば、まだまだ作曲をしたかもしれません。事故に遭ったのが1975年ですから、やりようによっては電子機器などの利用もできたはずです。

しかし、彼はそうしませんでした。おそらく、デュリュフレは、生粋のオルガニストであり、オルガンの音の延長として声の響き、管弦楽の響きが、彼のイマジネーションの中に次々と浮かんできたのでしょう。『レクイエム』の合唱は、グレゴリオ聖歌にならって、あまりヴィブラートをきかせない発声法で歌われます。この唱法はオルガンによく似ています。この演奏はオルガンも入った管弦楽ですが、なんとも心地よい…。

 

『レクイエム』より1.Introit & 2.Kyrie Eleison

オルガンを弾くことができなくなった時に第一線を退いたのは、彼が自らを「オルガニスト」だと強く認識していたゆえのこと。そんな気がします。彼が珠玉の15曲に刻み込んだのは、オルガニストの魂でした。曲数は少なくても、21世紀のオルガニストに手渡されたメッセージは、「オルガンという楽器のすばらしさ、大きな可能性」だったのです。

 

参考文献
ヘンリー・フェアーズ『デュリュフレ/オルガン全曲集 ライナーノーツ』(ナクソスジャパン)
椎名雄一郎『パイプオルガン入門 見て聴いて触って楽しむガイド』(春秋社、2015)

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