今回はエストニア出身の作曲家アルヴォ・ペルトの余りに有名な楽曲「鏡の中の鏡」〈Spiegel in Spiegel〉(1978年)を取り上げます。

アルヴォ・ペルトとは?

アルヴォ・ペルト

引用:YouTube「Arvo Pärt/Spiegel in Spiegel(鏡の中の鏡) 2006年」より

アルヴォ・ペルトはバルト三国の一つ、現エストニアのイェルヴァ県パイデ出身です。

1935年9月11日生まれの82歳。

ペルトの音楽教育は7歳には始まっていて、14,15歳頃には既に作曲をしていました。その後ダリン音楽院(現エストニア音楽アカデミー)で本格的に作曲を勉強します。当時から才気煥発で次々と手からこぼれるように作曲をしていたようです。

当時のエストニアはソヴィエト連邦に所属していたために社会主義国以外の外部とは遮断されていて、社会主義国の音楽以外の影響を受けることは全くなく、ペルトはショスタコーヴィチやプロコフィエフ、そしてバルトークの影響下にありました。

1968年までダリン音楽院で作曲の勉強をする傍らエストニア放送のレコーディングエンジニアとして働いていました。1961年にはオラトリオ「世界の歩み」によりモスクワ開催の全ソ連青少年作曲コンクールで優勝しています。

1979年に家族とともにオーストリアのウィーンに移住、市民権を獲得しています。その後1982年にはドイツのベルリンを拠点に活動しています。

「鏡の中の鏡」〈Spiegel in Spiegel〉のレビュー

 沈潜する静謐な音楽

ペルトの「鏡の中の鏡」はピアノとバイオリン版とピアノとチェロ版が存在しますが、ここではピアノとチェロ版を前提に従来の批評とは一口も二口も違ったレビューを試みたいと思います。

まず、「鏡の中の鏡」のピアノの一音を聞いた瞬間にパッと広がる心象風景に沈潜する意識の有り様を、この「鏡の中の鏡」は仔細に描くことに成功はしています。ペルトは出だしのこのピアノの一音で聴くものの心を鷲掴みにしてしまうのです。

そして、次の一音を聞いて、聴くものは皆「出だしの一音で意識に広がった心象風景」が間違いではなかったとの安堵の中に連れて行かれて、もう「鏡の中の鏡」の音世界に夢中になるのです。

ペルトは「鏡の中の鏡」で沈潜する意識の有り様を最小限度の音で紡ぎ上げてゆきます。ペルト自身の意識に寄り添う形で、余りにも単純なテーマを弾くピアノと、宙を舞っているかのような、長く尾を引くチェロの響きによって、最早ペルトが思い描いている音楽世界の虜になってしまうのです。

「鏡の中の鏡」の魅力は聴くものの意識を映すこと

なぜそんなことが可能なのでしょうか。

最小限度の音で紡ぎ出されるペルト・ワールドにおいて、ペルト自身が自らの意識の深淵に沈降すればするほどに、リスナーの意識をも忘我の境へ連れて行ってしまうのです。

そぎ落としてそぎ落として残った音のみで構成されるこの「鏡の中の鏡」は、とことん静謐で瞑想の中で意識がゆったりと揺れ動くそんな有り様を見事に捉えていて、それはまるで魔法のようなものなのです。

また、「鏡の中の鏡」という題名が指し示すように余りにも静謐な旋律が繰り返されることで、「無限」を意識しないわけにはいきません。「鏡の中の鏡」と言うことは鏡の中に鏡が無限に映っている様を象徴していて、それは無限への階梯なのです。

無限に繰り返されるかのようなピアノの三音と一区切りを表わしていると思われる四音の繰り返し。チェロの長く尾を引き、静かに響く音とで紡ぎ出されるその音世界は、余りにも静謐なために、意識のほんの少しの揺れ動きすら知覚してしまいます。この「鏡の中の鏡」は聴くものの意識の「鏡」にもなっているのです。

そして、「鏡の中の鏡」は聴くものの意識を縛りはしません。自由に放っておかれるのです。それがまた非常に心地よく、リスナーの意識はペルトが紡ぎ出す静寂の中で自由に遊ぶのです。これがこの「鏡の中の鏡」の醍醐味の一つです。

「鏡の中の鏡」がもたらす至福の時間

「鏡の中の鏡」の構造は非常に単純で、単純だからこその自由が得られ、そして静寂を音で構築したかのようなこの「鏡の中の鏡」は、どこまで行っても静寂の中に波紋がゆらゆらと広がってゆくような「しじま」の中でこそ、内的自由は確保されることを自覚させられるのです。ペルトのその手捌きはそれは見事と言うほかにありません。

また、旋律が音階を一歩一歩と上ってゆく「鏡の中の鏡」の構造は鏡の中の鏡が次第に小さくなって行く様を上手く捉えていて、その旋律が一歩一歩と上ってゆくことで聴くものはこの余りにも静謐な音楽に興奮するのです。

興奮するとは「鏡の中の鏡」の対極にある感情と言えますが、しかし、高揚せずにはいられないのです。そして、ボンと静かに打ち下ろされて鳴り響くピアノの低音が意識を余りにも興奮することを抑制させるに十分な効果をもたらし、そして、羽化登仙しそうな意識を大地へと引き戻すのです。

そのような無限のスパイラルがこの「鏡の中の鏡」で行われていて、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズが『差異と反復』によって看過したように、無限の、常同症的な反復のうちには、その反復自体のための小さな変容が存在していることを、「鏡の中の鏡」は体現しています。「永劫」を夢見ながらそれが泡沫の夢に過ぎなかったという濃密な11分弱の「鏡の中の鏡」の演奏時間は、聴くものに至福の時間をもたらすのです。

「鏡の中の鏡」は、静寂に包まれながら、瞑想する意識が自由闊達に頭蓋内の闇を闊歩する内省的な音楽でありながら、意識を解放する音楽であり、また、それは外部に開かれている音楽なのです。

まとめ

アルヴォ・ベルトの初期の作品群はショスタコーヴィチなどの影響下にある厳格なまでの新古典主義の様式からシェーンへルクの十二音技法など、先達の音楽の様式を借りたものでしかありませんでした。

しかしながら、それでも当時のソヴィエト政府の怒りを買ったのです。その上、ペルト自身、先達の様式の借り物でしかないと言うことを自覚していて、「壁」にぶつかっていました。当時のペルトは絶望の淵にあったようで、「交響曲第3番」はこのペルトの苦しい時代に作曲された作品として知られています。

これを打開すべく、ペルトは古楽に没頭します。それは藁にも縋る思いだったと思われます。原点回帰をするというのは何も音楽に限った話ではなく、あらゆる場面で当てはまる「壁」の打破の方法なのです。

単旋聖歌、グレゴリオ聖歌、また、ルネサンス期の多声音楽の研究、そしてそれと並行して宗教の研究や正教会への入信など、ペルトがその当時陥っていたのは単なる作曲だけの問題ではなく、人生の岐路に立たされていて、全身全霊でそれに立ち向かうしかなかったようです。

その甲斐あって、ペルトの音楽はこれ以降変化します。それはとても独創的で、その様式をペルト自身はテインティナブル(鈴の声)の様式と呼んでいます。その様式の特徴は簡素な和声です。単純なリズムもその特徴の一つです。「鏡の中の鏡」は、それが結実し、ペルトが到達した傑作の一つです。

その他にも宗教色の濃い多声音楽の、荘厳でいて平安に満ちた音楽も花開き、ペルト音楽といえば多声音楽を指す場合が多いです。

私個人がペルトを知ったのは「アルボス」(1977年)で、まだ、インターネットが産声を上げ始める前のことでした。既にペルトが「壁」を打破して独創的な音楽を精力的に作り始めていたときに出会いました。

一聴するや、その音楽が持つ清澄さと荘厳さに圧倒されたのでした。ペルトが絶望の深淵を見てきたことを直感的に感じられ、その楽想に魅了されてしまったのです。

今の今まで、ペルトの音楽は数多く聴いてきましたが、飽きることが全くないのです。何度聴いても新しい発見があり、また、その荘厳さは色褪せるばかりか更に深みが増し、自己との対話を促されるばかりなのです。