卑見ですが、クラシック音楽の歴史は、そのまま「編曲の歴史」と言えると思います。絵画の世界でも、たとえばラファエロが巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチから制作途中の『ラ・ジョコンダ』すなわち『モナ・リザ』を見せられておおいに感銘を受け、一連の「聖母子像」作品を生み出すきっかけとなったように、偉大な先達から新しい様式なり発想なりを吸収するもっとも確実でかんたんな方法が、「他人の作品を書き写すこと」、そして「編曲すること」。ちなみに編曲は英語でtranscriptionと言い、このプロセスは言語の変換作業である「翻訳(translation)」とよく似ています。今回は、原曲の可能性を最大限に引き出した編曲(音楽的翻訳)や、変わり種の編曲作品など、有名作曲家たちによる華麗な編曲作品の競演をどうぞ。

編曲の天才でもあった大バッハ

まず編曲の天才、ということでは筆者の好きなヨハン・ゼバスティアン・バッハを外すわけにはいきません。バッハは少年時代から他人の作品の筆写を生涯、熱心につづけていたことでも知られる勉強家。20代にしてヴァイマール宮廷教会のオルガン奏者という地位に就いてからも、当時流行していたイタリア楽派の合奏協奏曲スタイルを習得しようとヴィヴァルディ作品を筆写し、彼の一連の合奏協奏曲をオルガン奏者がひとりで弾く、「ひとりオーケストラ」の先駆けのような作品を残しています。

バッハが編曲、あるいは自作フーガ主題などに転用したのは、イタリア人作曲家ではヴィヴァルディのほかにトレッリ、アルビノーニ、コレッリ、レグレンツィ。フランス人作曲家ではグリニー、デュパール、ダングルベール、レゾン、同郷ドイツではヘンデル、テレマン、カイザー、シュミット、ペーツなど。また最晩年の『ミサ曲 ロ短調 BWV232』作曲時期にはカルダーラ、ロッティ、ドゥランテらのミサ楽曲を多く筆写しています。バッハが他人の作品の筆写と編曲、転用(パロディ)にいかに熱心だったかがうかがえる話です。原曲とバッハ版をじっくり聴きくらべると、バッハが曲作りでどのような点を重視していたのかがわかったりで、興味は尽きません。そしてバッハはなんと、ペルゴレージの『悲しみの聖母(1736)』まで、ドイツ語の教会カンタータとして転用しています(『消し去りたまえわが罪を、いと高き神よ BWV1083』)。

バッハ編曲『協奏曲 ニ短調 BWV974(1715頃、原曲:アレッサンドロ・マルチェッロ『オーボエと弦楽合奏のための協奏曲 ニ短調』)』[チェンバロ独奏:オルガ・パスチェンコ]

モーツァルト版『メサイア』と、ブラームスがクララに捧げた『シャコンヌ』

バッハと同い年のヘンデルの代表作として知られる『メサイア』。じつはあのモーツァルトもこの大作をドイツ語歌詞版として編曲しています。

1780年代のモーツァルトは、ウィーン宮廷図書館長だったスヴィーテン男爵を訪問して、男爵の所有するヘンデルやバッハ作品の筆写譜などを直接研究する機会がありました。このときの作品研究がのちに、対位法を駆使した最終楽章で有名な『交響曲第41番 ハ長調 K. 551』といった最晩年の傑作を生むことになります。モーツァルト版『メサイア』では原曲にはないフルートやクラリネット、トロンボーンが追加されたり、合唱および独唱部分が細かく変更されていることから、バッハの編曲作法とおなじく、実用面を第一に考えた変更および書き換えを優先した、と言えそうです。

モーツァルト編曲(1789) / ヘンデル『メサイア KV572』から「ハレルヤ・コーラス」[演奏:アンサンブル・ネレイダス]

つづくロマン派でも、現代のような著作権意識が高くなかった、ということもあってか、他者の作品の筆写と編曲は盛んに行われました。バッハ大好きだったブラームスもそんなひとり。恩師シューマン亡きあと、ピアニストの妻クララ・シューマンが右手をケガしたとき、左手だけで弾けるように編曲して献呈したバッハ作品があります。それが、ブゾーニの編曲でも知られる「シャコンヌ」でした。

バッハの「シャコンヌ」には、ブゾーニのほかにもエルンスト・パウアーなどのピアノ版、さらにはクララの夫シューマンやメンデルスゾーンによってピアノ伴奏が追加された版など、編曲者の個性が発揮された編曲がつぎつぎと生まれましたが、ブラームスはこれをピアニストの左手だけに託す、という表現方法を選びました。そこにはブゾーニのような派手さ、ケバケバしさはなく、「原曲に最大限の敬意を払い、聴き手の想像力に訴える」ブラームスのたしかな腕の冴えが感じられるすばらしい編曲に仕上がっています。

ブラームス編曲 / バッハ『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ ニ短調 BWV1004(1877)』から「シャコンヌ」[ピアノ:リュディガー・ディポルト]

マーラー編曲『管弦楽組曲』と、レーガーの変わり種アレンジ『美しく青きドナウ』

編曲、とくると、グスタフ・マーラーもけっこうな「編曲、改作好き」。たとえばシューベルトの弦楽四重奏曲『死と乙女』を弦楽合奏版に、そして長大なブルックナーの『交響曲第3番』をピアノ4手版に編曲してもいます。

さてそんなマーラーですが、編曲の天才の偉大な先達バッハの作品の編曲も手がけています。それが『管弦楽組曲』。原曲は同組曲の「2番」と「3番」から、有名な「エアー(ヴィルヘルミ編曲による「G線上のアリア」の楽章)」を含む楽章を抜粋して自由に構成したもの。マーラーの編曲と改作の作法は、主題やリズムを際立たせ、フレージングもじっさいの演奏に即して変えてあることで、これはマーラー自身も明確に述べています。『管弦楽組曲』の場合、マーラーはすでに過去の遺物だった通奏低音まで復活させていますが、そこはやはりロマン派のこと、バッハ時代の演奏習慣から遠く離れた、かなり自由な即興と言ってよいくらいのリアリゼーションが行われています。

マーラー編曲 / バッハ『管弦楽組曲(1909)』[演奏:リッカルド・シャイー指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団]

最後は、マックス・レーガー編曲によるワルツ『美しく青きドナウ』を。レーガーもバッハに傾倒した作曲家で、とくに『B-A-C-Hによる幻想曲とフーガ Op.46』が有名ですが、『きよしこの夜』のメロディーを引用した『クリスマス Op.145-3』なるオルガン作品や、少年合唱団のレパートリーとして取り上げられることの多い『マリアの子守歌 Op.76-52』といった小品もあります。バッハ作品の編曲としては『オルガン小曲集』の有名な「おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け BWV622」を管弦楽作品にアレンジしたものや、『ブランデンブルク協奏曲』のピアノ4手版編曲などがありますが、あまり知られていない変わり種として、シュトラウス2世の超有名な作品の自由なピアノアレンジ版を選んでみました。

マックス・レーガー編曲 / ヨハン・シュトラウス2世原曲『「美しく青きドナウ」による即興曲(1898)』

【楽器は?配列は?】バッハ『フーガの技法』を聴く”技法” 【わかんないことだらけ】