2015年のショパン国際コンクールからはや2年。情感と風格を兼ね備えた演奏で第1位となったチョ・ソンジンは、日本でのリサイタルをこなし、DGデビューも果たすなど、人気・実力ともに一流のピアニストとして活躍の場を広げています。
 
ところで、第2位となったピアニストの名前をご記憶でしょうか。その名もシャルル・リシャール=アムラン(Charles Richard-Hamelin)。カナダのピアニストです。20代前半の若き天才ピアニストたちがひしめき合うショパンコンクールに紛れ込んだ、やや貫禄のある体躯に、もさもさのヒゲ、どこかnerdっぽい風貌をした、やや「おじさん」っぽいピアニスト、それが私の抱いたアムランの第一印象でした。
 
そう、彼はコンクール時、すでに26歳。ショパンコンクールの世界ではかなりの「おじさん」です。コンクールの優勝経験もなし。そんな彼はショパンコンクールで第2位となり、さらにはソナタ賞を受賞することとなるのです。
 
自らを「大器晩成型 (a late bloomer)」と語るアムラン。彼の圭角のとれた暖かく落ち着きある音楽と謙虚な人柄を思うとき、まもなくアムランが大輪の花を咲かせることは間違いありません。そして今、彼についての情報をまとめておくことは決して無駄ではないと思うのです。

というわけで、これからが楽しみなシャルル・リシャール=アムランを紹介します。付録として、YouTubeにある彼の演奏映像や、インターネット上のインタビュー、ディスコグラフィー等をまとめておきました。
 
ショパンコンクール予選(全曲)

Nocturne in B major, Op. 62 No. 1 (コンクールで何度も弾くことになる運命の一曲)
Etude in E minor, Op. 25 No. 5
Etude in A minor, Op. 25 No. 11
Etude in C minor, Op. 10 No. 12 (いわゆる「革命」です。)
Mazurka in G sharp minor, Op. 33 No. 1
Ballade in A flat major, Op. 47 (名演!)

アムランの修行時代 〜師パウル・スルドゥレスクの薫陶〜

アムランはカナダのケベック州ラノディエールで生まれました。ケベック州はフランス語が公用語であることで有名ですが、アムランの名前もフランス語読み。Charlesは「チャールズ」ではなく「シャルル」、Richardは「リチャード」でも「リヒャルト」でもなく、「リシャール」と日本語表記されます。
 
アムランがピアノを学び始めたのは4歳半のとき。最初の先生は父親でしたが、5歳になるとパウル・スルドゥレスクPaul Surdulescuに師事します。スルドゥレスクの指導法は、技巧練習のための練習曲は用いず、曲のなかで必要な技術を身につける、というものだったそうです。アムランはスルドゥレスクに18歳まで師事し、基礎を学びました。スルドゥレクの教室には子供の生徒も多く、エリート養成教室のような雰囲気ではなかったようです。ちなみに習い始めのころは、楽譜に漫画を描いて遊んだりしたそうです(笑)
 
その後、モントリオール音楽院ではアンドレ・ラプラントAndré Laplanteのもとで、アムランの魅力である自然なフレージングと暖かい音色を学びました。ラプラントの名はあまり知られていませんが、リストのロ短調ソナタの名録音があります。
 
2013年、アムランはYale School of Musicで修士号(master)を授与されています。
このようにアムランはカナダでピアノを学び、スルドゥレスクに13年間師事するなど、地味ながら着実に才能を育んでいきました。「技巧を感じさせない自然な技巧」はアムランの大きな美点の一つですが、スルドゥレスクの指導法の賜物なのかもしれません。
 
また、彼は早くから室内楽曲を数多くレパートリーにしています。室内楽の豊富な経験はアムランにとって、ピアノ以外の弦楽器、管楽器の歌い方を学び、アンサブルのバランス感覚を磨く、またとない機会だったことでしょう。バラード3番冒頭におけるアムランの中低音の自然な歌い方は、まさにチェロのようです。幼い頃から英才教育を受け、世界中で有名ピアニストのマスター・クラスを受ける、といった天才ピアニストたちと比べると、アムランのピアノ人生のスタートは地味ではありますが、ゆっくり着実とした歩みは、詩情豊かでバランスのとれた音楽性として結実します。
 
ショパンコンクール1stステージ

Etude in C minor Op. 10 No. 12

Etude in E minor Op. 25 No. 5

Nocturne in B major Op. 62 No. 1

2位でよかったショパンコンクール

ショパンコンクールで第2位とソナタ賞に輝いたアムランですが、本人は最高の結果だったと言います。ファイナルステージを弾き終え「もうこれで充分。ここまで来たのは夢みたい」と思ったアムランは、ガールフレンドと電話し、もしこれ以上望むなら第2位とソナタ賞だね、と話したと言います。そして見事その通りになった、というわけです。
 
このエピソードからもわかるとおり、アムランは飾らない謙虚な人柄の持ち主で、インタビューには自分を客観的にみた視野の広い洞察が並び、ときに達観したような言葉をも語ります。アムランのこの謙虚さと冷静さは、音楽に没入しながらも楽譜を見失わないバランスのよい音楽作りにも十全に活かされています。また、ショパンコンクールの結果に驕ることは一切なく、むしろ多忙で孤独な生活を送るよりも、仕事、プラベート、人間関係など、バランスの良い人生を送りたい、と語っています。(※1)こういうどこか「ゆとり世代」っぽいメンタリティー、好きですねぇ。

ショパンコンクール 2ndステージ

Polonaise-fantasy in A flat major Op. 61

Rondo in E flat major Op. 16

Waltz in A flat major Op. 64 No. 3

ケベック州生まれもあってか、フランスっぽいオシャレな演奏。

Polonaise in F sharp minor Op. 44

ショパンの難敵ポロネーズのリズムは、ルービンシュタインの往年の名演奏などを聞いて身に付けたといいます。

ヤマハを選んだアムラン

2015年のショパン国際コンクールでは、チョ・ソンジンをはじめ多くのコンテスタントがスタインウェイ・アンド・サンズのピアノを選択しました。殊にチョ・ソンジンが奏でるスタインウェイの高音は、録音で聴いてもキラッキラッで「王者スタインウェイ」を印象づけたショパコンであったわけですが、アムランはファイナルステージまで、一貫してヤマハのピアノを選択しました。コンクール中、アムランはヤマハのピアノのおかげで、平常心で演奏ができたと語っています。
 
アムランがヤマハを選んだのは、モダンピアノのなかで、ショパンの作品を演奏するのにヤマハが最も適したピアノだったから。「やわらかい表現がちゃんと伝わるピアノ」(※2)とも言っています。なかでもアムランが高く評価するのがヤマハのソフトペダル。残念ながら、ショパンコンクールの映像からはアムランがどういうペダリングをしているのかはわかりませんが、あの繊細で芯のあるアムランの弱音を、ヤマハのソフトペダルは影ながら支えていたに違いありません。青柳いづみこ氏のブログでは、次のように述べられています。
 
ペダリングもアムランの演奏を間近で聴いていた調律師が舌を巻いた。右のペダルはみな微妙に上げ下げするが、アムランは左のペダルも同じように操作していたという。具体的にどうしたのかときいてみたところ、ワルシャワのホールは大変響きがよいので、無理して大きな音を出す必要はない、むしろ弱音でいろいろ表現すべきだと思ったとのこと。使用したヤマハのCFXはペダルの実にデリケートな操作を可能にしてくれたので、とりわけ『ソナタ第3番』の緩徐楽章で細かく踏んだとのこと。
アムランがショパン・コンクールで「ソナタ賞」を得たひとつの要因は、この微細なペダリングから生まれる色彩の綾だったにちがいない。(http://ondine-i.net/column/2859
 
アムランの弱音へのこだわりが「ソナタ賞」をもたらしたことは、間違いないでしょう。
私が思うに、アムランは弱音を基礎にして、音の強弱を音色として弾き分けているようです。たとえば、「フォルテ」は、大きな音を出すことによってのみならず、「重みのある音」、「鋭い音」といったカラーの変化によっても表現し得ます。(オーケストラの演奏を思い浮かべるとわかりやすいでしょう。)ソナタ3番の名演を聞くと、アムランは、そういったカラーの変化に音の強弱を弾き分けている、と感じずにはいられません。彼がソフトペダルを重視するのは、小さな音を出すことはもちろんですが、様々な音色を実現するためではないかと私は思います。音色重視のアムランにとって、ヤマハはむしろ当然の選択だったのでしょう。
 
ところでショパンコンクールは、ピアノ作りに携わる者にとっても戦いの場であります。NHKで「もうひとつのショパンコンクール」というドキュメンタリー番組が放映されたように、ショパンコンクールという場は、ヤマハのピアノを世界に認めてもらうチャンスでもあるのです。そして、ヤマハのピアノは2015年のコンクールにおいて、ファイナリストの過半数に選ばれるという躍進を遂げます。しかし、協奏曲を演奏するファイナルステージでは、より華のあるスタインウェイに変更するファイナリストが現れ、結局10人中5人がヤマハ、あとの5人がスタインウェイを選択。そして、アムランはただ一人ピアノ協奏曲第2番をヤマハで弾き、第2位の栄冠を手にします。「ソナタ賞」を受賞した第3ステージにおける、アムラン渾身のピアノソナタ第3番は、ヤマハのピアノのポテンシャルを世界に知らしめるに十分でした。

ショパンコンクール3rdステージ(全曲)
https://youtu.be/8yHwLBxZlrs(16:40~1:14:30)
曲別

Prelude in C sharp minor Op. 45

Barcarolle in F sharp major Op. 60

舟歌。均整がとれています。
 

Mazurka in G sharp minor Op. 33 No. 1

Mazurka in C major Op. 33 No. 2

Mazurka in D major Op. 33 No. 3

Mazurka in B minor Op. 33 No. 4

Nocturne in E major Op. 62 No. 2

Op. 62の二曲目。アムランはおそらくOp.62が好きなんだと思います。そんな思いを抱かせる演奏。

Sonata in B minor Op. 58(ソナタ第3番)

クリスチャン・ツィメルマン賞(ソナタ賞)を受賞した超名演。アムラン自身、この作品を「19世紀のロマン派のソナタの最高傑作
1と評価し、様々なコンクールで弾いてきた得意の一曲。各楽章ともクオリティーが高く、全コンクールのハイライトといっても過言のない出来。

※1
http://www.piano.or.jp/report/02soc/chopin_con2015/2015/10/27_20375.html

※2
http://www.piano-planet.com/?p=1634