私が考えるに、武満徹(1930~1996)の人生は「音楽と真摯に向き合った人生」であったと言えます。今年で没後25周年を向かえる武満徹の人生と音楽を振り替えり、改めて彼の魅力を究明していきましょう。

案内人

  • 野坂公紀
  • 野坂公紀(作曲家)1984年、青森県十和田市出身。 青森県立七戸高校卒業。 2006年にいわき明星大学人文学部現代社会学科を卒業。作曲は独学後、作曲を飯島俊成氏、後藤望友氏に師事…

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武満徹の人生~聴かせてよ、愛の言葉を~

1930年、東京に生まれ、生後1ヶ月で父親の仕事の関係で満洲の大連に転居。彼の家は音楽的環境に恵まれてはいませんでした。

旧制中学校に入学した頃、日本は太平洋戦争の真っ只中。戦争末期には武満も陸軍食料基地に勤労動員されました。武満徹はその勤労動員された場所で運命を変える音楽と出会います。

ある晩「良いもの聴かせてやる」と、兵隊が持っていた手回し蓄音機で、隠れながらシャンソン『聴かせてよ、愛の言葉を』を聴くこととなります。それを聴いた武満は衝撃を受け、「戦争が終わったら僕は音楽をやろう」と思い立ちました。

リュシエンヌ・ボワイエ「聞かせてよ愛の言葉をParlez-moi d’amour」

武満徹とピアノ

終戦後、横浜のアメリカ軍キャンプで働きながらジャズに接し、やがて「音楽家になろうと」決意を固めます。
しかし、当時貧しかった武満はピアノを買うことができません。近所でピアノの音が聴こえてくると、その家に行き「すいません。3分でも良いのでピアノを弾かせてもらえませんか?」とお願いし、実際にピアノを弾いて自身の音楽イメージを膨らませていきました。

そんなある日、武満に嬉しい事件が起きます。
なんと武満の家に突然、ピアノが届いたのです。送り主は当時既に著名な作曲家であった黛敏郎からでした。黛は武満がピアノを弾かせてほしいと各家々を回っているという噂を聞き、使っていないピアノを面識もない武満に無償で送ったのでした。
このことを武満は、こう語っています。
「私は音楽という仕事の正体に一歩近づいたように直感した。もういい加減の仕事はしてはならないのだと思った。」
武満は黛から送ってもらったピアノは終生大事にしたようです。

ピアノを得た武満は本格的に作曲を始めます。
そして完成したのがデビュー曲となったピアノ曲「2つのレント」でした。しかし、この曲の評価は武満にとって決して喜ばしいものとはなりませんでした。

Toru Takemitsu: “Lento in Due Movimenti” (1950) for piano

武満徹は音楽以前

出典:Wikipedia(武満徹)

1950年に「2つのレント」は初演されましたが、当時の音楽評論家から「武満徹は音楽以前である」と酷評されます。それ知った武満は傷つき、映画館の暗闇で一人、泣いたというエピソードが残っています。

さらに不幸が重なります。武満は重い結核にかかってしまったのです。そんななか、以前から親交があった作曲家・早坂文雄が武満と同じ結核でこの世を去ります。その死に衝撃を受けた彼はある曲を作曲します。それが武満の出世作となった「弦楽のためのレクイエム」です。

この曲に関して武満は、「早坂さんへのレクイエムであると同時に、自分自身のレクイエムである」と後年語っています。
貧困、酷評、病気、この三重苦のなかで死をはっきり意識し、病室で1日1日、少しずつ作曲を進めてこの曲を完成させました。

弦楽のためのレクイエムRequiem for Strings Orchestra(1957)

弦楽のためのレクイエムは1957年6月、東京交響楽団の演奏で日比谷公会堂にて初演されます。初演当初の評判は一部を除き冷ややかなもので、聴衆の反応もあまり良くはありませんでした。しかしこの曲を、とある作曲家が評価したことにより武満の人生は大きな転機を向かえます。

世界のタケミツへ


『この音楽は実にきびしい。全くきびしい。このような、きびしい音楽が、あんな、ひどく小柄な男から、生まれるとは。』
これは「弦楽のためのレクイエム」を聴いた世界的作曲家・ストラヴィンスキーのコメントです。このコメントが「武満の音楽をストラヴィンスキーが激賞した!」と世間に伝わり、武満に対する世間の評価は一転します。

ここから急速に武満徹は作曲家としての階段を上り始める。「地平線のドーリア」、「テクスチュア」といった武満の前期の傑作、そして映画音楽において数々の名曲と功績を残していきます。とくに1965年に武満が音楽を担当した小林正樹監督の「怪談」、1966年のNHK大河ドラマ「源義経」において邦楽器(琵琶と尺八)を使い、それが1966年に作曲した琵琶と尺八のための作品「蝕(エクリプス)」に繋がります。さらにそれが「世界のタケミツ」へ押し上げた名曲「ノヴェンバー・ステップス」へと繋がっていくのです。

武満徹 - ノヴェンバー・ステップス~尺八・琵琶とオーケストラのための  小澤征爾 サイトウ・キネン・オーケストラ

武満サウンドの魅力

「作曲家はみんな個性が強いけど、武満さんはちょっと聴いただけでも『あ!これは武満さんの曲だな』と分かるぐらい個性が強い」

これは武満の盟友でもある指揮者・小澤征爾さんが、彼の音楽に対して言ったコメントです。
確かに彼の作品は全て、一聴しただけで武満徹の作品だと分かります。そしてそのサウンドが多くの人を魅了してきました。なぜ武満サウンドは多くの人を魅了し、世界的に認められてきたのでしょうか。
筆者が考えるにそれは「音楽の分かりやすさ」なのだと思います。

武満作品は映画音楽や歌曲、一部のオーケストラ作品を除き、全て「現代音楽」として分類されるものです。はっきりとした歌謡旋律的なメロディ、快活なリズムはそこにはありません。しかしながら武満の音楽は「分かりやすい」のです。

武満の楽譜を見ると驚くほど緻密に書かれており、それでいて且つ、ドラマチックです。さらに武満は7thや9thといったジャズやポップスで使われるテンションコードにこだわりがあり、多くの武満作品にて多用されています。それらの響きは私たちが普段耳にするポップスと近いものがあり、鋭い響きの中にもどこか温かさがあるのです。

さらに一部の曲を除いて、演奏時間は十数分といった長さで、聴く側にも考慮されています。そして最大の魅力は、武満が愛したジャズから影響を受けたと思われる、曲中にちりばめられた甘美なメロディー。歌謡旋律的なメロディーは無くとも、武満の音楽には「歌」があるのです。これらは武満が持っている「ポピュラリティ」であり、それが「分かりやすさ」に繋がっているのだと筆者は考えます。

おすすめ武満作品

ここで、前述した曲以外のおすすめ武満作品をご紹介します。

テクスチュアズ

武満の前期の傑作です。トーンクラスター等の鋭い響きを主とした現代音楽の作曲技法を使いながらも、最後に漂う甘美なメロディーの断片は武満らしい作風です。

武満 徹:テクスチュアズ

虹へ向かって、パルマ

1984年に作曲されたオーボエ・ダモーレ、ギター、オーケストラのための作品。武満らしいサウンドでありながらも、上記のテクスチュアズと比べるとかなり調性的。カタロニアの民謡が使われていることもあり、とても聴きやすい作品です。

Toru Takemitsu(武満徹) – Double Concerto for Oboe d’Amore & Acoustic Guitar “Vers, lArc en Ciel, Palma”

波の盆

テレビドラマ「波の盆」の音楽を演奏会用に編集したもので、武満の晩年(1996年)に作曲されました。はっきりとしたメロディーがある作品で、メロディーメーカーとしての武満の一面を垣間見ることができます。

武満徹:波の盆

私たちの耳は聞こえているか

「作曲家は1番最初の聴衆でなければいけない。すなわち作曲家にとって大事なことであり、大変なことは『聴く』ということなんです。」

生前、こう語っていた武満徹ですが、この言葉は彼の音楽に対する姿勢でもありました。
武満の作品はサウンドやスタイルは一貫しています。それは傍から見ればマンネリズムなのかもしれません。しかし、これは武満が自分自身の音楽と真摯に向き合った結果であり、決してブレることのなかった、言わば「偉大なるマンネリズム」なんだと考えます。

「自分自身の音を聴き、向き合っているか」…武満の音楽は時代とジャンルの壁を越え、現代に生きるさまざまな音楽家に、決して欠かしてはいけない何かを常に訴えかけているような気がしてなりません。