武満徹はいかにして「世界のタケミツ」になったのか。
本記事では、今年で没後25周年を向かえる彼の人生と音楽を振り返りながら、あらためて彼の魅力を考えていきます。
案内人
- 野坂公紀(作曲家)1984年、青森県十和田市出身。 青森県立七戸高校卒業。 2006年にいわき明星大学人文学部現代社会学科を卒業。作曲は独学後、作曲を飯島俊成氏、後藤望友氏に師事…
目次
武満徹の人生と経歴、エピソード
まずは武満徹の人生や経歴、エピソードをたどっていきましょう。
誕生~音楽との出会い
1930年、武満徹は東京に生まれました。生後1ヶ月すると父親の仕事の関係で、満州・大連に転居。当時、彼の家は音楽的環境に恵まれてはいませんでした。
旧制中学校に入学した頃、日本は太平洋戦争の真っ只中。戦争末期には武満も陸軍食料基地に勤労動員されます。彼はその勤労動員された場所で、運命を変える音楽と出会うのです。
ある晩「良いもの聴かせてやる」と、兵隊が持っていた手回し蓄音機で、シャンソン『聴かせてよ、愛の言葉を』を聴きました。武満は衝撃を受けて「戦争が終わったら音楽をやろう」と思い立ちます。
リュシエンヌ・ボワイエ「聞かせてよ愛の言葉をParlez-moi d’amour」
ピアノの送り主は…
終戦後、武満は横浜のアメリカ軍キャンプで働きながらジャズに接し、やがて音楽家になる決意を固めます。
しかし、当時貧しかった彼はピアノを買うことができません。近所でピアノの音が聴こえてくると、その家に行き「すいません。3分でいいのでピアノを弾かせてもらえませんか?」とお願いし、実際にピアノを弾いて自身の音楽イメージを膨らませていったのでした。
そんなある日、武満に嬉しい事件が起きます。
なんと武満の家に突然、ピアノが届いたのです。送り主は著名な作曲家であった黛敏郎。武満がピアノを弾かせてほしいと家々を回っているという噂を聞き、黛は使っていないピアノを面識もない武満に無償で送ったのでした。
このことを武満は、こう語っています。「私は音楽という仕事の正体に一歩近づいたように直感した。もういい加減の仕事はしてはならないのだと思った」
黛から送ってもらったピアノを、武満は終生大事にしたそうです。
ピアノを得た彼は本格的に作曲をはじめます。そして完成したのが、デビュー曲であるピアノ曲「2つのレント」でした。しかし、この曲の評価は武満にとって決して喜ばしいものとはなりませんでした。
Toru Takemitsu: “Lento in Due Movimenti” (1950) for piano
『2つのレント』初演
1950年に「2つのレント」の初演を迎えたものの、当時の音楽評論家から「武満徹は音楽以前である」と酷評されます。それを知った武満は傷つき、映画館の暗闇で一人、泣いたというエピソードも。
さらに不幸が重なり、武満は重い結核にかかってしまったのです。
そんな中、以前から親交のあった作曲家・早坂文雄が、彼と同じく結核にかかり、この世を去ります。早坂の死に衝撃を受けた武満は、ある曲を作曲します。
それが出世作となった「弦楽のためのレクイエム」です。
弦楽のためのレクイエムRequiem for Strings Orchestra(1957)
弦楽のためのレクイエムは1957年6月、東京交響楽団の演奏で日比谷公会堂にて初演されます。初演当初の評判は一部を除き冷ややかなもので、聴衆の反応もあまり良くはありませんでした。しかしこの曲を、とある作曲家が評価したことにより武満の人生は大きな転機を向かえます。
『弦楽のためのレクイエム』
「早坂さんへのレクイエムであると同時に、自分自身のレクイエムである」と、この曲に関して武満は後年語っています。貧困、酷評、病気。この三重苦の中で死をはっきり意識し、病室で1日1日、少しずつ作曲を進めて完成させました。
001_弦楽のためのレクイエムRequiem for Strings Orchestra(1957)7:49
「弦楽のためのレクイエム」は1957年6月、東京交響楽団の演奏で日比谷公会堂にて初演。当初の評判は一部を除き冷ややかなもので、聴衆の反応もあまり良くありませんでした。
しかし、とある作曲家が高く評価したことにより、武満の人生は大きな転機を迎えます。
ノヴェンバー・ステップス~世界のタケミツへ~
この音楽は実にきびしい。全くきびしい。このようなきびしい音楽が、あんな、ひどく小柄な男から生まれるとは――。
「弦楽のためのレクイエム」を聴いた世界的作曲家・ストラヴィンスキーのコメントです。これが「武満の音楽をストラヴィンスキーが激賞した!」と世間に伝わり、武満に対する評価が一転したのです。
以降、彼は作曲家としての階段を急速に上っていきます。「地平線のドーリア」「テクスチュア」といった前期の傑作のほか、映画音楽においても数々の名曲と功績を残しました。
小林正樹監督の「怪談」、NHK大河ドラマ「源義経」において邦楽器(琵琶と尺八)を使い、それが1966年に作曲した琵琶と尺八のための作品「蝕(エクリプス)」につながります。さらに、これらは「世界のタケミツ」へ押し上げた名曲「ノヴェンバー・ステップス」へと発展していくのです。
武満徹 - ノヴェンバー・ステップス~尺八・琵琶とオーケストラのための 小澤征爾 サイトウ・キネン・オーケストラ
作風の転換
1960年代に吹き荒れた前衛音楽の嵐は、1980年代には時代遅れとなっていました。それと同じくして、1979年に武満のブレーン的存在であった詩人・瀧口修三が逝去。このあたりから、武満の作風が変わりはじめます。
1980年に作曲された「遠い呼び声の彼方へ!」では、冒頭から調性的な響きが聴こえてきます。完全なる調性音楽ではないものの、武満の作風の転換がよく分かる作品です。
その後も傑作といわれる作品を作っていきますが、前衛音楽・現代音楽の象徴でもあった武満の作風の転換へ届くのは、必ずしも好評の声ばかりではありませんでした。しかし、武満は「調性」と「歌」を意識した作品を出し続けます。
そして1992年、全編調性音楽ともとれる「系図ー若い人たちのための音楽詩ー」を作曲します。
晩年
晩年の武満は、自身初のオペラ楽曲に取り組もうとします。オペラのタイトルは「マドルガータ(夜明け前)」で、すでに台本も完成していました。
が、武満の曲は完成しなかったのです。
1995年、彼はガンに冒されます。遺作となったのは、病室で書き上げたフルートソロのための作品「エア」となりました。
亡くなる前日、武満が聴いた最期の音楽は、たまたまFMラジオから流れたバッハの「マタイ受難曲」だったそうです。武満はそれを聴き終えた後「心身ともに癒されたよ」と言葉を残しました。
翌日、1996年2月20日、武満は帰らぬ人となります。享年65歳でした。
武満徹の音楽的特徴
波乱万丈の人生を送った武満徹。彼の音楽的特徴としては、主に次の2つがあります。
「個性の強さ」と「分かりやすさ」
「作曲家はみんな個性が強いけど、武満さんはちょっと聴いただけでも『あ!これは武満さんの曲だな』と分かるぐらい個性が強い」
武満の盟友でもある指揮者・小澤征爾が、彼の音楽に対して述べた言葉です。
たしかに彼の作品はすべて、一聴しただけで ”武満作品” だと分かります。そして、そのサウンドが多くの人を魅了してきました。
なぜ、彼の作品は多くの人を魅了し、世界的に認められたのでしょうか。
筆者が考えるに、それは「音楽としての分かりやすさ」なのだと思います。
映画音楽や歌曲、一部のオーケストラ作品をのぞき、武満作品は「現代音楽」に分類されます。はっきりとした歌謡旋律的なメロディ、快活なリズムは、そこにはありません。
しかしながら、武満の音楽は「分かりやすい」のです。
分かりやすさの正体
武満の楽譜は、驚くほど緻密に書かれており、なおかつドラマチックです。
また、7thや9thといった、ジャズやポップスで使われるテンションコードにこだわりがあり、多くの作品で頻繁に用いられています。それらの響きは私たちが普段耳にするポップスと近く、鋭い響きの中にもどこか温かさがあるのです。一部の曲以外、演奏時間は十数分といった長さで、聴く側にも考慮がなされているのもポイント。
そして最大の魅力は、武満が愛したジャズから影響を受けたと思われる、曲中にちりばめられた甘美なメロディーです。歌謡旋律的なメロディーはなくとも、武満の音楽には「歌」があります。
これらは武満が持っている「ポピュラリティ」であり、それが「分かりやすさ」につながっているのだと筆者は考えます。
武満徹が与えた影響
武満は現代にどんな影響を与えたのか。筆者の考えを2点述べていきます。
誰もが憧れる武満サウンド
1つめは「コレが武満だ!」と一聴して分かる”武満サウンド”。筆者が考えるに、武満サウンドを一言で表すならば「洗練された音響の音楽」です。
「音響の音楽」とは、ハーモニーが主軸となる音楽。この作曲技法は簡単ではありません。音の響かせ方、重ね方、そしてなにより「どの音を選ぶか」において、非凡なセンスを必要とされます。
武満は、この点で抜群に秀でていました。彼によって生み出された作品は多くの作曲家を魅了し「武満のような作品を作りたい」と思わせるほど、後世に影響を与え続けてます。
その中の1人として筆者が紹介したいのは、吹奏楽の世界で活躍している作曲家・鈴木英史です。鈴木氏のオリジナル作品は、どれもハーモニーが重要視されており、作曲時に彼は音の選び方を慎重に行ったであろうと思えるものばかりです。
この姿勢が特に顕著に出ている楽曲が「モーニングスターズ」。武満の影響を受けているであろう部分と、鈴木氏のオリジナリティが見事に融合されている傑作です。
【ダイジェスト音源】モーニング・スターズ/鈴木英史 Morning Starts by Eiji Suzuki COMS-85134
作曲賞のあり方
通常、作曲賞では複数人の作曲家が作品を審査します。仮に3人の作曲家が審査をするとして、うち2人の意見や美意識により推薦された作品が、多数決により受賞となるのです。
しかし武満は、この審査方法に「もう1人の作曲家の意見や美意識は尊重されないのか。また、多数決のような方式で受賞作品を決めて良いのか」という疑問を抱いていました。
そこで作られたのが、現在も続いている「武満徹作曲賞」。毎年1人の作曲家が審査員を務め、その作曲家の観点や判断で受賞作品と賞金額を決定します。審査員の感性や価値観が大きく尊重され、また大きな責任も課されることとなるのが特徴です。
さらには審査される作曲家も、多数決ではない公平な審査を受けられます。まさに「作曲家による作曲家のため審査システム」であると筆者は考えます。
このシステムはほかに例はありません。既存のシステムに一石を投じた武満徹作曲賞からは、長生淳、藤倉大、坂井健治といった、今も活躍する音楽家が生まれています。
武満徹の代表曲&おすすめ曲
前述の「ノヴェンバー・ステップス」や「弦楽のためのレクイエム」以外にも、武満の代表曲は数多くあります。
小さな空
【高音質】武満 徹:小さな空 ソプラノ:石橋栄実 ピアノ:關口康祐
武満が作詞も手がけた歌曲。1962年に、子ども向けラジオドラマ「ガン・キング」の主題歌として作曲されました。
現在でも音楽の授業や合唱コンクール等で歌われています。武満は「近所の小学生が自分の曲を歌ってくれるのは楽しい」と語っています。
翼
翼 - 曲:武満徹、歌:石川セリ : WING – TOURU TAKEMITSU
この曲も武満が、作詞まで手掛けた作品。もともとは器楽曲でしたが、東京混声合唱団の委嘱により作詞と編曲がされました。しかし、同合唱団よりも先に、歌手・石川セリのアルバム収録曲としてポップスアレンジされたものが発表……と、少し複雑な過程が。
この曲からは、武満のメロディーメーカーとしての才能、そしてポップスへの造詣と理解の深さを感じ取ることができます。
テクスチュアズ
**♪武満徹:テクスチュアズ / 岩城宏之指揮NHK交響楽団
武満の前期の傑作です。トーンクラスター等の鋭い響きを主とした現代音楽の作曲技法を使いながらも、最後に漂う甘美なメロディーの断片は彼らしいといえます。
シグナルズ・フロム・ヘヴン
Takemitsu: Day Signal (1987) – Signals from Heaven I – Antiphonal Fanfare for two brass groups
映画音楽や管弦楽曲の印象が強い武満ですが、少数ながら管楽器のための作品も残しています。
その貴重な作品の中でオススメしたいのが、金管合奏のために作曲された「シグナルズ・フロム・ヘヴン」です。「Ⅰデイ・シグナル」と「Ⅱナイト・シグナル」の2曲から構成されており、短い演奏時間の中でも武満らしいサウンドをはっきり聴くことができます。
こちらの演奏も、あわせて聴いてみてください。
akemitsu: Night Signal (1987) – Signals from Heaven II – Antiphonal Fanfare for two brass groups
虹へ向かって、パルマ
Toru Takemitsu(武満徹) – Double Concerto for Oboe d’Amore & Acoustic Guitar “Vers, lArc en Ciel, Palma”
1984年に作曲されたオーボエ・ダモーレ、ギター、オーケストラのための作品。武満らしいサウンドでありながらも、上記のテクスチュアズと比べるとかなり調性的。カタロニアの民謡が使われていることもあり、とても聴きやすい作品です。
波の盆
武満徹:波の盆
テレビドラマ「波の盆」の音楽を演奏会用に編集したもので、武満の晩年(1996年)に作曲されました。はっきりとしたメロディーがある作品で、メロディーメーカーとしての武満の一面を垣間見ることができます。
まとめ
「作曲家は1番最初の聴衆でなければいけない。すなわち作曲家にとって大事なことであり、大変なことは『聴く』ということなんです。」
生前、こう語っていた武満徹ですが、この言葉は彼の音楽に対する姿勢でもありました。
武満の作品はサウンドやスタイルは一貫しています。それは傍から見ればマンネリズムなのかもしれません。しかし、これは武満が自分自身の音楽と真摯に向き合った結果であり、決してブレることのなかった、言わば「偉大なるマンネリズム」なんだと考えます。
「自分自身の音を聴き、向き合っているか」…武満の音楽は時代とジャンルの壁を越え、現代に生きるさまざまな音楽家に、決して欠かしてはいけない何かを常に訴えかけているような気がしてなりません。