日々移り変わる現代社会。画期的な新技術も、気づけば当たり前。スマホがなかった時代を、もう思い出せないという方も多いはず。

そんな変化の荒波は、クラシック音楽の世界にも押し寄せています。クラシック音楽といえば、今も昔もバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン。最も変化と無縁な世界と思われるかもしれません。

しかし、実際は変化と革新、「温故知新」に溢れた世界。新進的な作曲家と演奏家によって常に新風が吹きこまれることで、クラシック音楽は伝統を築いてきたのです。※1

その変化の伝統を継ぎ、21世紀のクラシック音楽界にも数多の綺羅星が続々と現れています。その一人が、香港出身のピアニスト、ティファニー・プーン(Tiffany Poon)。

早くから神童として名を馳せ、世界から将来を嘱望されている彼女の大志は、ソーシャル・メディアを通じ、現代の老若男女にクラシック音楽の魅力を伝えること。

とはいえ、彼女もまた、ピアノを離れれば21歳(※2)の普通の大学生。おいしい食べ物、押し寄せる課題の山、そしてたくさんの自撮りが彼女のSNSを彩ります。

Twitter、Facebook, InstagramにYouTubeを駆使し、21世紀におけるクラシック音楽のカタチを追い求める、新時代のピアニストTiffany Poon。彼女の挑戦の旅を紹介します。

夢のはじまりはトイピアノ

My Dream

香港生まれのディファニー・プーン(Tiffany Poon)がピアノを始めたのは、本人曰く4歳のころ。

※3きっかけは一台のトイピアノ。「ド・ミ・ソ・ド」の4つしかない鍵盤を、まだ2歳だったTiffanyは2時間、3時間と夢中で叩いていたといいます。

それを見た両親がやがてピアノを購入、Tiffanyの旅が始まりました。

Tiffany Poon (10) plays Mozart Piano Concerto No.19 K.459 (Part 1)

Tiffanyはすぐに才能を開花させ、8歳で名門ジュリアード音楽院プレカレッジに合格、10歳でコンチェルトを弾くという神童の道を歩みます。

早くから世界各地でリサイタルを開き、16歳にして 「Natural beauty」でCDデビュー。

ソーシャル・メディアの活用にも積極的で、13歳の時に演奏されたベートーヴェンの月光ソナタは、400万回を超える再生回数を誇ります。

Tiffany Poon plays Beethoven Moonlight Sonata

 コンクールでの受賞も多く、2012年にはモスクワで開かれた17歳以下のショパン青少年国際コンクールで優勝しています。

2015年にはショパン国際コンクールにも出場するも、一次予選敗退。その時の演奏はYouTubeに上がっていますが、コメント欄には審査に対する抗議・不満が数多く寄せられています。

Moscow International Frederick Chopin Competition for Young Pianists in 2012

Tiffany Poon – Nocturne in C minor Op. 48 No. 1 (first stage)

※1 そもそも「クラシック音楽」という概念自体が、時代のなかで変化し続けています。渡辺裕『聴衆の誕生―ポスト・モダン時代の音楽文化』(中公文庫 2012年 初版1989年)や宮本直美『コンサートという文化装置―交響曲とオペラのヨーロッパ近代』(岩波現代全書 2016年)などを参照。
※2 2018/05/01現在。
※3 https://www.instagram.com/p/BWcyIF2guZN/?taken-by=tiffanypianist

音楽と哲学の学生生活 〜ジュリアード音楽院とコロンビア大学〜

First Vlog, First Snow, Juilliard, NYC!! | Tiffany Vlogs #01

LAZY Practice at Columbia | Tiffany Vlogs #02

 ピアニストTiffany Poonのもう一つの顔は大学生。

ジュリアード音楽院で音楽を学ぶかたわら、奨学金を得てコロンビア大学で哲学も学んでいます。学位は音楽ではなく哲学で取るとのこと。

大学生活の様子はvlogで紹介されています。レポートに追われ、おいしい物を食べ、よい芸術に触れ、ピアノを弾く、とても忙しい大学生活を送っているようです。

音楽の才能に恵まれた彼女が、なぜ哲学を学ぶのか。次の動画で自ら説明しています。

Why I Study Philosophy?!? | Tiffany Vlogs #04

このvlogによれば、彼女ははじめ、音楽の理解につながると思い英文学を専攻するつもりでしたが、ヴァイオリニストの教授による講義をきっかけに哲学に目覚め、哲学を専攻するに至ったとのこと。

哲学は複数の視点、たとえば、ある議論に対して、賛成と反対、双方の立場から考える力を養います。他者の考えを、相手の視点に立ち、最も説得力ある形で提示するという点で、哲学と音楽は共通するとTiffanyは言います。

ちなみに動画にはカントの『純粋理性批判』の英訳本がチラッと見えますが、ベートーヴェンの会話帳には「われらがうちの道徳律とわれらが上の星の輝やける天空!カント!!!」(※4)という記述があります。

ベートーヴェンがカントを読んでいた可能性は低いですが、当時の通俗的なカント理解には通じていたようです。

Tiffany Poon – Beethoven Sonata Op.10 No.3

*2018年にTiffanyはジュリアード音楽院を卒業しますが、修士課程(Master)には進学しないことを明かしました。(2018年5月9日時点)

I’m Leaving Juilliard

普段着のピアニスト ~SNSでクラシックをもっと身近に~

表舞台でバシッと超人的な演奏を決めるのがコンサート・ピアニストというもの。ゆえにピアニストはカッコ悪い練習風景を見せないのが普通です。

しかし、Tiffanyの考えは違います。彼女の信念はクラシック音楽の垣根をなくすこと。私たちが普段コンサートやCDで見聞きするのは、いわば「完成品」(“the finished product of musician’s journey.”(※6))。

クラシック音楽を身近にするためには、華やかな表舞台だけではなく、そこに到るまでの旅の過程、音楽家の人間臭い日常を見せることが必要だと、Tiffanyは考えます。

たとえば、TiffanyはYouTubeで初見演奏を披露しています。かのフランツ・リストは初見でグリーグのピアノ協奏曲を弾いたと伝えられていますが、Tiffanyはどれほど弾けるのでしょうか。

視聴者のリクエスト曲を初見で弾いた、次の動画を見てみましょう。
Tiffany Talks/SIGHT-READS YOUR CHOICES

本人曰く、初見は苦手ということですが、やはり上手いですね。とはいえ、バッハのトッカータ(11:02~)やスクリャービンのエチュード(12:31~)という無茶振りには、さすがに随分とつっかえています。

プロのピアニストが、アマチュアのように苦闘するこの動画は反響も大きく、本人は「最も人間的な動画」だったと言っています。(※7)

ピアノ奏者にとって最大の悪夢「暗譜飛び」についても、自身の経験を混じ得てアドバイスしています。次の動画は、彼女がまさに「暗譜飛び」をやらかした直後の動画。

「十分な睡眠が大切」というのが彼女の結論。このように自分の弱さ(vulnerability)を包まずシェアできるのが彼女の強みでもあります。

しかし、こうした「人間的な」楽屋裏を公開するのは勇気の要るもの。

Tiffanyも、練習風景を公開することにはやはり抵抗があると告白しています。そのためPatreon(クラウドファンディング型の支援サイト)の支援者限定で公開されている動画もあります。

それでもあえて人間的な部分を伝えようとするのは、クラシック音楽の敷居を低くするとともに、舞台上のピアニストもまた、一人の生身の人間であることを示したいという彼女の願いあってこそ。

Tiffany Poon (2018) – Liszt Liebestraum No.3

Recording Liszt Liebestraum, Bloopers! | Tiffany Vlogs #06

※4 『ベートーヴェン 音楽ノート』小松雄一郎訳編 岩波文庫1957年 p.90
※5 Maynard Solomon, Beethoven, Revised Edition, Schirmer Trade Books,
2001 p.53.
※6 http://tiffanypoon.com/mission/
※7 https://youtu.be/mnKy6eFRN6w