【二人のメンデルスゾーン】天才女性作曲家、ファニー・ヘンゼルが遺した優美な歌曲

2018/09/06
人物

19世紀ドイツ、女性は職業に就かず家庭を守ることが一般的であるとされる時代でした。弟フェリックス・メンデルスゾーンにも劣らぬ音楽の才能に恵まれながらも、華やかな表舞台に現れずひっそりとその生涯を終えた天才女性作曲家、ファニー・ヘンゼル (Fanny Hensel)。今日ではジェンダー社会学の対象として注目を浴びるだけでなく、その豊かな音楽的才能にも研究者たちの熱い関心が寄せられています。

 

フェリックス・メンデルスゾーンの陰で咲く花、ファニー・ヘンゼル

フェリックス・メンデルスゾーン(1809年2月3日- 1847年11月4日)の5つ上の実姉であるファニー・メンデルスゾーン(1805年11月14日- 1847年5月14日)は、宮廷画家であるヴィルヘルム・ヘンゼルと結婚した後、ファニー・ヘンゼルとして知られるようになります。41歳の短い生涯の間に600曲近い作品を遺したと推定されており、その大半が歌曲でした。なんと、彼女のいくつかの作品は弟の名の元に出版されたということがわかっています。

フェリックス・メンデルスゾーン(ファニー・ヘンゼル作曲、Op.8より『イタリア』Italien

フェリックス・メンデルスゾーン(ファニー・ヘンゼル作曲、Op.9より『あこがれ』Sehnsucht

 

なぜ、彼女自身の名前で作品を出版することができなかったのでしょう?大きな理由として、そこには当時の社会通念と父の反対がありました。上流家庭に生まれたファニーは弟フェリックスと共に高度な音楽教育を受け、二人はまるで双子のように互いの音楽性を理解し分かち合うようになります。特に、フェリックスはファニーを音楽の手本として仰ぎ、彼の作品に対する彼女からの助言を大いに尊重していました。早い段階から作曲の才能を開花させたファニーでしたが、父から厳しく音楽家としての活動を諌められ、こう言われます。
「音楽はフェリクスにとっては職業になり得るが、おまえには音楽は教養という名の花飾りにしかならない。(*1)
「若い女性の唯一の天職である一家の主婦になるために努めなければならない。」(*2)
音楽の才能に溢れ音楽家としてのキャリアを切望していたにもかかわらず、父の意向に逆らうことを選ばず、ファニーは亡くなる一年前までアマチュアとして活動することになります。

 

ファニー・ヘンゼルの人物像

息子ゼバステイアンが母ファニーについてこのように語っています。
「母は小柄で、モーゼス・メンデスルゾーンから受け継いだ形質で、片方の肩が傾いでいたが、 しかしそれはほとんど目立たなかった。母の 最も美しかったところは、大きくて、黒くて、とても表情豊かな目で、 近眼だとは誰も思わなかった。鼻と口はかなり大きく、きれいな白い歯をしていた。(中略)母の表情にはあらゆる気分がそこに反映しており、心に嘘をつくことはできなかった。あらゆる美しいものを母ほど徹底的に楽しむことができる者はほとんどいなかった。 母は新鮮な空気を深く吸い込み、このことを最大の喜びの一つだと説明した。」(*3)
なんだか生き生きとして可愛らしい、小妖精のようなイメージが浮かんできますね。しかしながら、不誠実で曲がった事が大嫌いな、とてもきっぱりとした性格だったようです。
 

メランコリックで洗練された詩へのこだわり

アマチュアの音楽愛好家の集うサロンでの活動が中心だったファニーは、小さな編成の室内楽を好んで作曲し、とりわけ歌曲への創作にその情熱を注ぎました。
恵まれた家庭環境のおかげで、幼い頃から多くの詩人と交流がありましたが、生涯を通じてゲーテ(1749-1832)やハイネ(1797-1856)を愛好し、晩年ではアイヒェンドルフ(1788 -1857)やレーナウ(1802-1850)の詩にも多く付曲しました。
また、ファニーは語学も堪能で、ドイツ語に限らず、フランス語、イタリア語、英語の詞にも親しんでいました。彼女の詩の読解力は深く鋭く、音楽を通じて詩の微妙なニュアンスを表現する能力に長けていました。その内容は「あこがれ」や「喪失」を扱うことが多く、まるで彼女自身の社会との断絶や、悲しみ、孤独がそのまま投影されているようです。
 

エモーショナルで優美な歌曲

初期の作品には、師匠ツェルター氏の影響からシンプルな有節形式(ひとつの旋律を何度も繰り返す形式)やバッハを連想させる通奏低音、対位法、フーガ技法、コラール技法などが見られます。

Op.9-4,『早すぎる墓』1828 Die fruhen Graber

 
中期になる頃にはメロディーの振幅がより大きく、さらに感情表現が豊になってゆきます。ピアノ伴奏も独創的で、ボーカルラインを引き立てつつも時折同じ旋律を重ねて歌ったり、はたまた独奏曲のように自由に動いてみたり。もはや伴奏の域を超えており、ピアノの名手だった彼女の匠の技が感じられます。

Op.1-3,『なぜバラの花は白いの? 』1837 Warum sind denn die Rosen so blass

 
後期ではファニーのオリジナリティーが磨かれ、音楽的にも成熟していきます。通作歌曲形式(歌詞が進むごとに異なる旋律を付けてゆく形式)で書かれ、曖昧で両義的なmajor/minor間の揺れ動きや、いくつもの転調によって歌詞の微妙な移ろいやすい感情を表現しています。複雑で微妙な陰影に富んだハーモニーは、日々感じていたであろう葛藤を映しているかのようです。

op.7-1,『夜のさすらいびと』1843 Nachtwanderer

 

彼女の生涯最後の作品となった、『山の喜び』はアイヒェンドルフの詩による、自然の美しさを賛美した歌。メロディーにはオクターブの跳躍、上昇音型が多く用いられ、広々とした青い空に向かって叫び出したいような高揚感が見事に表現されています。詞の最後の二行、「思いと歌は天上へと届く」が、まさに天国へ旅たつ彼女自身を暗示しています。

Op.10,『山の喜び』1847 Bergeslust

 

まとめ

豊かな才能を持ちながらも、音楽家としてアマチュアに止まらざるを得なかった、ファニー・ヘンゼル。しかし、粛々と活動を続け、音楽の中で彼女の世界を構築し続けました。自身の求める美しいものを徹底的に探求した情熱が、まるで楽譜に収まりきれず溢れ出てくるようです。

参考文献
*1、Hensel,Sebastian: Die Familie Mendelssohn 1729-1847
*2)Hensel, a.a.O.,S.126.
*3)Hensel,Sebastian:DieFamilieMendelssohnlI,Berlinl”8,S.446

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