世界中の芸術活動が、新型コロナウイルスにより制限されて二度目の秋。安全性を重視しながらのコンサート開催は見かけますが、満員の聴衆の熱気を感じる演奏会の実現は、まだ先になりそうです。

昨年、2020年はベートーヴェン生誕250周年にもかかわらず、世界中で予定されていた記念のコンサートやイベントは、コロナの影響で、延期や縮小などの変更を余儀なくされました。非常に残念で寂しく思うなか、ふと、コンサート会場で体験する臨場感と同等と言えるほど、心を揺さぶられるベートーヴェンの漫画を、昔に読んだことを思い出しました。漫画の巨匠、手塚治虫の【ルードウィヒ・B】です。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの伝記漫画のようでもありますが、なにしろ手塚治虫の描く歴史上の偉人です。ただ素直に生涯をなぞるわけではありません。強い個性のオリジナル・キャラクターをもう一人の主人公にしてみたり、手塚ワールド全開の自由で大胆なストーリー展開にどんどん引き込まれてしまいます。

もし、演奏会に行きたいけれど難しいという状況でしたら、おうち時間に、ベートーヴェンによるピアノの即興演奏を「視覚」から鑑賞してみてはいかがでしょうか?

ベートーヴェンではない方の主人公、不遇の幼年時代

ウィーンのとある公爵邸で男の子が誕生するところから物語が始まりますが、この子はベートーヴェンではありません。冒頭からオリジナル・キャラクターの登場で、ベートーヴェンはどこ?と戸惑いながら読み進めることになります。このフランツ・フォン・クロイツシュタインは、生誕時の不幸なアクシデントにより母を失いますが、父クロイツシュタイン公爵から、母の死の原因は屋敷で飼っていた孔雀の「ルードウィヒ」のせいだと教え込まれて育ちます(実際の原因はこの父親ですが)。

理不尽な父のもと屈折した少年に育ったフランツは、「ルードウィヒ」と名のつくものには、人間であろうと動物であろうと、並々ならぬ恨みを募らせ、破滅させてやろうと身勝手な誓いを立てます。鬱陶しいほどこじらせたキャラクターです。

貧しい境遇の中、音楽の猛特訓で才能を開花させる少年ベートーヴェン

1770年12月17日、フランツの誕生から8年後、ドイツの田舎町ボンでルードウィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは生まれます(漫画の通り、ルートヴィヒではなくルードウィヒと記述します)。立派な音楽家になるよう、幼少期より父からピアノの猛特訓を受けさせられます。父ヨハンは一応宮廷楽士ではありますが、飲んだくれのだらしない性格。長男のルードウィヒを悩ます生活破綻者ですが、息子には「貴族の奴隷にならず、苦しんでもえらい演奏家になれ」と願い、彼なりに一本筋の通った信念を持っています。貧しいながらも「ルイ」の愛称で家族や近所から目をかけられ、ベートーヴェンは音楽家としての道を歩き始めます。

二人の主人公、唯一の接点は「ルードウィヒ」

フランツ・フォン・クロイツシュタインとルードウィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。全く無関係のはずだった二人ですが、フランツが「ルードウィヒ」という名前を一方的に恨んでいるという理由だけで、互いの人生に影響を与え合うことになります。

ウィーンで傷害沙汰を起こしたフランツは、勘当され親戚を頼りボンに移り住みます。容姿端麗なサイコパスに成長した彼は、同じ町に住む「ルードウィヒ」、ベートーヴェンの存在に気付いてしまいます。そして通り魔のように、まだ幼いベートーヴェンの顔を殴り、音楽家の命である耳に致命的な傷を負わせ、その後の人生を狂わせるという、とんでもない行動に出てしまいます。

※実際、ベートーヴェンの耳の不調は成人してからのことなので、あくまでも漫画の世界、フィクションです。

ベートーヴェンと並行してフランツの人生も進んで行きますが、参加した戦争で拾った赤ん坊を養子に迎えたことで、屈折した彼の心情に変化が現れていきます。フランツの人生が良い方へ向かうのか、残酷な結末を迎えるのか、オリジナル・キャラクターゆえ、手塚漫画ならではの容赦ない描写によるフランツの生涯も興味が尽きません。

モーツァルトとの出会い、ウィーンでの音楽修行

1787年4月、ベートーヴェンは憧れのモーツァルトに会うためオーストリア・ウィーンへ旅立ちます。そして幸運にも、音楽修行のためモーツァルト家へ通う日々が始まります(史実とは違うらしいのですが)。
手塚先生の描くモーツァルトは映画「アマデウス」の世界を彷彿させます。華があって軽やかで下品な話が好きで、そして比類なき天才。ベートーヴェンは彼の天才ぶりに驚愕しますが、互いの作曲に対する考え方に相容れない部分があることにも気付きます。ベートーヴェンもまた、タイプの違う唯一無二の天才なのです。

そして貴族との関わり方も、モーツァルトやそれ以前の音楽家たちとは違う考えを持っていました。

当時、音楽家は宮廷に仕えることで生活が成り立っていました。一見、自由気ままなようでいるモーツァルトさえも例外ではありません。自分の作りたいオペラを差し置いても、貴族の書いた(おそらく取るに足らない)台本を優先しなければなりません。
そんな貴族に頭の上がらないモーツァルトの姿を見たベートーヴェンは、ショックを受け憤慨します。

「音楽は人間みんなのもんです」モーツァルト相手にタンカを切るベートーヴェン。「貴族だけのものじゃありません 音楽家も貴族の召し使いじゃありませんーーーッ」

ベートーヴェンの音楽家としての生き方を象徴するシーンです。

頑固者だけど愛される、魅力的な青年音楽家

最愛の母危篤の知らせを受け、ボンに帰ったベートーヴェンは、弟達を養うためピアノ教師などで身を立てます。偏屈で頑固な性格で周囲に当たり散らしたりもしますが、ピアノの生徒で上流階級の令嬢エレオノーレには尊敬され、ベートーヴェンの才能に惚れ込んだワルトシュタイン伯爵は何かと世話を焼いてくれます。

貴族には仕えないと誓っていても、友人としてなら対等に付き合うベートーヴェン。頑固者ですが、どこか愛嬌があり憎めない天才音楽家の周りには、彼を応援する人達が集います。

紙面から音が飛び出してくる、圧巻の表現と描写

音楽を絵で表す…さぞ難しいことなのでは、と思いますが、手塚先生の手にかかれば、音符も五線譜もピアノの鍵盤も、躍動し、波打ち、優雅な弧を描き、圧倒的な勢いで眼前に迫ってきます。漫画ならではの音の表現は無限の可能性を秘め、目だけではなく、耳に鳴り響いてくるような魔法をかけてくれます。

バッハの対位法は、レゴブロックか積木細工のような立体的で緻密な構築物で描かれ、ベートーヴェンお得意の即興演奏は、小鳥は華麗な孔雀に変身し、花は咲き誇り、山の頂を目指すような迫力の変奏曲となり、大作曲家ハイドンの心も掴みます。

目で楽しめる自由奔放な音の描写に、素晴らしい演奏会に足を運んだような満足感を覚えます。

永遠に読み終わることのない「未完」の傑作

「ルードウィヒ・B」という作品に本当に感動したにも関わらず、これまで誰にも「この漫画面白いよ」とすすめたことはありませんでした。連載途中で手塚先生が亡くなられ、絶筆となってしまったからです。夢中で読み進めても、永遠に最後までたどり着けないフラストレーションが募り、人にすすめることを躊躇していました。

漫画の中のベートーヴェンは20代前半、まだまだ序曲の段階です。ピアノソナタ、交響曲、歌劇「フィデリオ」と、これからおびただしいほどの名曲が生まれるはずだったのに、「ハイリゲンシュタットの遺書」もまだ書いていないのに、これらのエピソードを読むことは叶いません。きっとクライマックスは交響曲第9番の「歓喜の歌」で締め括られるのではないか、と想像します。
そこまで手塚先生の絵で読みたかった、と何十年経っても心から思います。