レジェンド指導者・石田修一先生からバトンタッチを受けた卒業生の緑川裕先生。東関東大会を突破し、ついに未知の全国大会で指揮者デビュー。ともに苦しい状況を乗り越えてきた部員たちとつくり上げた音楽は、なぜ感動を呼んだのだろう? 緑川先生に全国大会の秘話を語っていただいた。
取材・文
- オザワ部長世界でただひとりの吹奏楽作家。神奈川県立横須賀高等学校を経て、早稲田大学第一文学部文芸専修卒。在学中は芥川賞作家・三田誠広に師事。 現役時代はサックスを担当。現在はソプラノサックス「ヤマ和(やまお)」(元SKE48の古畑奈和が命名)とアルトサックス「セル夫」を所有。好きな吹奏楽曲は《吹奏楽のためのインヴェンション第1番》(内藤淳一)。
目次
「東関東の御三家」イチカシの新指揮者の初舞台はゴールド金賞!
2023年10月22日、「吹奏楽の甲子園」と呼ばれる全日本吹奏楽コンクール・高等学校の部が「吹奏楽の聖地」名古屋国際会議場センチュリーホールにて開催された。
出場したのは、55名以下のA部門に参加した全1197校のうちから選ばれし30校。全後半15校ずつに分かれ、磨き上げた音楽と青春の思いを夢のステージで思う存分に輝かせた。
今年は大きな変化を感じる全国大会だった。
全国大会常連バンドで「東関東の御三家」と呼ばれた千葉県の市立柏高校吹奏楽部(通称・イチカシ)は、創部から指導にあたっていた石田修一先生から、同部OBの緑川裕先生に指揮者が変わった。部員数も数年前の最盛期には270人以上という日本一のマンモス部活だったのが、今年はその半分以下の110人。主力となる3年生は29人しかいない。
創部以来の大ピンチを迎えたイチカシだったが、緑川先生の指揮で東関東大会を突破し、33回目の出場となる全国大会で課題曲《レトロ》(天野正道)、自由曲《とこしえの声~いまここに立つ母の姿~》(樽屋雅徳)を演奏。例年の透徹したイチカシサウンドとはまた少し違う、豊かな表現力とエモーショナルな歌い込み方で感動を呼び、見事金賞に輝いた。
「全国大会の先には、世界大会も、宇宙大会もない!」
全国大会デビューとなった緑川先生はその裏側をこう語る。
緑川先生
「僕はイチカシの部員だったときに普門館(かつての全国大会の会場)で全国大会に出たことはありますけど、センチュリーホールはまったくの未体験。生徒のほうは、中学時代に全国大会を経験している子もいるので、『どこまで音を鳴らしたらいいかな?』と生徒に聞いたら苦笑されました(笑)」
今回、第二次世界大戦における特攻隊をテーマにした《とこしえの声》を選んだのは、気持ちを込めて演奏する曲が好きな先生自身と今年のコンクールメンバーのカラーを考えてのことだった。が、この選曲は諸刃の剣でもあった。
緑川先生
「演奏が一定しないんです。そのときの気分によって歌い方が変わるし、演奏時間も延びたり縮んだりする。表現がオーバーになりすぎることもあれば、あっさりしてしまうこともある。どうすればいいのか、というところをかなり迷いながら練習してきました」
全国大会では舞台袖で出番を待つ瞬間がもっとも緊張すると言われているが、「僕も生徒たちも、東関東大会に比べるとかなりリラックスしていた」と緑川先生は言う。先生は部員たちにこんな声かけをし、本番へのモチベーションを高めた。
「全国大会の先には、世界大会も、宇宙大会もない。失敗しても死ぬことはないから、思い切ってやろう!」
ステージで演奏直前にアナウンスが流れ、『指揮は緑川裕です』と自分の名前がホールに響いたときは、「いつかは全国大会で、と思っていましたが、まさか母校でそれが叶うとは思ってもいませんでした」と感慨深かったという。
成長した部員たちの演奏に涙が……
本番の演奏は、緑川先生が想像していた以上にクオリティの高いものになった。
緑川先生
「課題曲は本当にのびのびと演奏していましたし、ソリストも良かったと思います。自由曲もそうで、『よくもまぁ、ここまで気持ちよさそうに演奏できるな』と呆れるくらいでした。懸念していた、気分によって演奏が変わってしまうところも、気持ちを込めながら冷静さが残っていて、きちんとコントロールされたものになっていたと思います。きっと県大会からの経験で大人になれたんでしょうね」
演奏が終わった後、客席からは盛大な拍手が送られた。緑川先生はステージを出ていく部員たちを一人ひとり待ち受け、声をかけた。
緑川先生
「『よかったね』『気持ちよかったね』『楽しかったね』と言っていたんですが、クラリネットの男子がウルウルしながら僕の目を見てきたので、僕のほうもつい泣けてしまいました」
自分たちがやってきたことは間違っていなかった
審査結果は、部員代表とともにステージ上で聞いた。「ゴールド金賞!」とコールされた瞬間、先生はパニックになったという。
緑川先生
「『え、どうしよう。もらっちゃったよ』という感じでしたね。その後、写真撮影があったんですけど、『いろいろ大変なこともいっぱいあったし、怖かったけど、よかったよな!』と言いながら僕は泣きました(笑)。生徒たちも号泣していて、こんなイチカシは何十年もなかったかもしれませんね」
緑川先生自身、恩師であり名指導者である石田修一先生の後を継ぐというのは想像を絶するプレッシャーがあったのだろう。吹奏楽界では一部にイチカシの今後を危ぶむ声も聞かれる中、先生は冗談好きで飾りっ気のない明るい性格で部員たちを引っ張った。そして、すべての困難をはねのけ、壁を突き破り、扉をこじ開け、頂点をつかんだ。
緑川先生
「生徒たちは、指導者が僕に変わって不安だったろうし、悲しい顔をしていたときもあります。でも、温かい言葉に支えられながら、こうして全国大会で結果を出せたことで、とても表情が柔らかくなりましたね。自分たちがやってきたことが間違っていなかった、とようやく自負することができたのでしょう」
33回目の出場なのに、まるで初出場のような初々しさがあったイチカシ。名門の第2章が輝かしく幕を開けた全国大会だった。
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