レクイエム、よく耳にする言葉ではありますが、正しくはどんな意味なのか、そしてどんな曲をさすのかご存知ですか?
 
こちらではレクイエムの意味、そして鎮魂歌との違いを解説。さらに、三大レクイエム全てをご紹介の上、動画も掲載して詳細を分かりやすくまとめました。
 

三大レクイエム紹介

モーツァルトのレクイエム

三大レクイエムと呼ばれるものの一つ、モーツァルトのレクイエム。
 
モーツァルトのレクイエムは「モツレク」とも呼ばれ、クラシックファンでなくともその存在は馴染みがあるものです。
 
なんといっても、この曲は天才・モーツァルトの遺作となったことでも有名だからです。
 
モーツァルトが「レクイエム」の作曲に取り掛かったのは1791年のこと。
 
その時モーツァルトは既に人気を失っており、彼の生活は大変苦しいものでした。
 
そのさなかに作曲された「レクイエム」、実は未完成のまま、彼は亡くなっています。
 
曲はその後、彼の弟子たちによって補作され、なんとか完成されました。かのベートーヴェンの葬儀で演奏された曲でもあります。
 
モーツァルトのレクイエムには興味深いエピソードがあります。
 
この曲は彼が「魔笛」を作曲中の1971年8月に、匿名の人物からの依頼によって作曲されました。
 
さらには報酬も前払いであった、ということで、モーツァルトは急いでレクイエムの作曲に取り掛かりました。
 
しかし11月も下旬になると彼は病によってほとんどベッドから起き上がれない状態になってしまいます。
 
それでも彼は死の直前までレクイエムを書き続けていたといいますから、これではまるで、自分のためのレクイエムを書いていたようにも思えてしまいますね。
 
神に愛されし天才・モーツァルトの遺作となったレクイエムはこちらで聴けます。
 

 

フォーレのレクイエム

ガブリエル・フォーレによるレクイエムは1888年に作曲されました。
 
彼は「特定の誰かのためのレクイエムではない」としていましたが、1885年に彼の父親が亡くなっていること、そして彼が作曲に着手したのが1887年だったことを思うと、父親の死が全くの無関係、とは言い切れないと思います。
 
フォーレのレクイエムは彼の数々の名曲の中でも「傑作」とされ、代表作の1つとして挙げられますが、初演されたときは、「死の恐ろしさが表せていない」「斬新すぎる」などと批判されていました。
 
また、死者を弔うミサになくてはならない「怒りの日」が欠けているなど、ミサに使用出来ない形式をとっていて、当時としてはかなり特異なものでした。
 
しかしフォーレは「自分にとって死とは恐怖ではなく永遠の喜びに満ちた開放感である」とし、あくまで自分のスタイルを通しました。
 
フォーレの独特の世界観をもったレクイエムはこちらで聴くことができます。
 

 

ヴェルディのレクイエム

ジュゼッペ・ヴェルディによるレクイエム(原題は「マンゾーニの命日を記念するためのレクイエム」)は、彼が尊敬してやまない、イタリアの有名な小説家であるマンゾーニが1873年に亡くなったことをうけて書かれたものです。
 
そしてマンゾーニの一周忌にあたる1874年に、このレクイエムは初演されました。
 
ヴェルディのレクイエムは、最も華麗なレクイエムとして評価も高い反面、オペラの影響を受けすぎている、教会音楽という感じがしない、劇場向け、など批判も多くありました。
 
しかしヴェルディのレクイエムは現在でも多くの人々から愛される曲であり、三大レクイエムの一つとして数えられるようになったのです。
 
ヴェルディのレクイエムはこちらで聴けます。
 

 

レクイエムの意味は?

レクイエム(requiemと書きます)とは、ラテン語で「安息を」という意味になり、キリスト教で、死者の安息を願うためのミサのことを指します。
または、そのミサにおいて使われる曲のこともレクイエムと呼びます。
 
レクイエム、というと「曲」のイメージが強いと思います。
 
モーツァルトやフォーレ、ヴェルディのレクイエムは「三大レクイエム」と呼ばれ有名ですが、彼らが著名なクラシック作曲家であることからも、やはり「レクイエム」=「曲」のことである、と思う方も多いでしょう。
 
しかしレクイエムという言葉の持つ意味合いは色々と様変わりしているのです。
 
本来「ミサ」はキリスト教の儀式を指し、キリストの体と血を表すパンと葡萄酒を、信者たちが口にすることでキリストと一体となる、という意味合いを持ちます。
 
しかし9世紀ごろにヨーロッパでまん延したコレラによって死者が増え、人々の間で不安が大きくなっていったことを境に、ミサとは亡くなった人々が安らかに天国にいけるようにと願うためのものへと変化していきました。
 
その儀式そのものを「レクイエム」とする風潮になったのです。
 
その後、16世紀になると「聖書への回帰」を求める動きが大きくなりました。
 
それによって本来の「ミサ」の在り方に戻そう、とする宗教改革が起きます。最終的には1962年から1965年にかけて行われたヴァチカン会議によって、死者への弔いの儀式としてのミサは廃止されました。
 
それによってミサ=レクイエム、ではなくなり、レクイエムとは「死者の安息を願うための儀式で使用する曲」という意味合いをもつものへと変化したのです。
 

レクイエムと鎮魂歌との違いは?

さて、レクイエムを「鎮魂歌」と訳す、あるいはそう呼ぶ場面が多いですね。
 
しかし上記のことを踏まえると、レクイエムは鎮魂の曲ではない、と考えられます。
 
鎮魂、とは、文字通り、「魂を鎮める」という意味です。しかしレクイエムが本来、「死者が安らかに天国へ行けるように願う礼拝」で使用される曲だとすれば、鎮魂の歌ではない、ということが分かります。
 
「鎮魂」の「鎮」、「鎮める」は、そこにとどまらせる、という意味も持ちます。
 
しかしレクイエムは天へ昇っていく、「上昇」のイメージです。全く逆の意味合いになりますね。
 
しかし、実際1960年代くらいまではレコードタイトルなどでもレクイエムを鎮魂歌と訳すものが多かったことは確かです。
 
さらに、追悼ミサで使われる曲、となると鎮魂歌結び付けられてしまうのも無理はないように思います。
 
近年ではまた解釈の仕方も変わってきているようで、一概に「レクイエムは鎮魂歌ではない」とも言い切れない、と分析する方もいます。
 
例えばブラームスのレクイエムは典礼文を引用せず自ら聖書から言葉を選択して演奏会用に作曲されたものです。
 
このレクイエムでは「母が子を慰めるように、私はあなたたちを慰めましょう」と歌われる部分があります。
 
この場合、「私」とは「神」のことであり、「あなたたち」というのは亡くなられた方々を指す、と解釈できますが、そうするとブラームスのレクイエムには「鎮める」「慰める」という意味合いがある、と考えられます。
 
時代や作品ごとにレクイエムの語義的解釈は変わる、と柔軟な考えを持ってもいいかもしれません。
 

まとめ

こちらでは、レクイエムについて、そしてレクイエムと鎮魂歌の違いや、三大レクイエムについてまとめました。
 
レクイエムは作曲者それぞれの解釈によってさまざまな曲調があります。作者ごとの違いなど聴き比べるのも面白いかもしれませんね。