誰もが一度は名前を聞いたことがあるヨハン・セバスティアン・バッハ。
バッハは、バロック時代の作曲様式を確立させ、彼の作った音楽は400年以上経った現代でも演奏され続けています。

真面目で勉強家であったといわれるバッハですが、実は周りとの対立が多かったり、アクティブに動き回ったりと、人間らしい部分が多いんです。

今回は、そんなバッハの意外な一面を、驚きのエピソードとともに紹介します。偉大なる作曲家バッハの生涯を追っていきましょう。

バッハの生涯には意外な一面が隠されている

音楽の父と呼ばれるバッハは、真面目で音楽に熱い情熱を注ぐイメージがあります。実際、その勤勉な性格のおかげで宮廷の楽長を務めるなど、音楽家として大成功を収めました。

しかし、バッハは演奏者と喧嘩をするほど感情的な人間であり、コンサートのために何kmも歩くほどアクティブであったりと、意外な一面が多くあったのです。

今回は、バッハの厳格な音楽からは考えつかないような、彼の人間らしい一面を紹介します。

音楽の父バッハの性格とは

バッハは、「非常に真面目で勤勉」でした。バッハを研究する学者の中には、「勤勉が洋服を着て歩いているような人物」と表す人もいます。

幼少期には、作詞家の兄の楽譜集をこっそり持ち出し、一人で音符を書き写しながら独学で音楽を学んでいたそうです。

また、一途な愛妻家でもあり、子供は20人もいたといわれています。作曲家として大忙しであったバッハですが、その合間に子供や妻のために練習曲を作曲しており、家族への愛情が深かったことが分かります。

このように、真面目で誠実な性格の持ち主であったバッハ。しかし、音楽に対しての情熱がありすぎたため、演奏家や宮廷関係者との衝突が絶えませんでした。バッハは、合唱団の指導で演奏者の批判をし、後日殴り合いの喧嘩をすることもあったそうです。

一途で勉強家であったがゆえに、人間関係はなかなか上手くいかなかったようです。

バッハの意外なエピソード

次に、音楽の父バッハからは考えられない意外なエピソードを3つ紹介します。ここでは、バッハの人間らしい一面に触れることができるでしょう。

コーヒー・カンタータを作るほどのコーヒー好き

音楽以外には、まるで興味が無さそうなバッハですが、実は無類のコーヒー好き。バッハの遺産リストの中には、5つのコーヒーポットやカップが入っていたようです。

また、バッハは、コーヒー依存症が社会問題となっていたライプツィヒを題材として「コーヒー・カンタータ」という曲を作っていました。

ピカンダーが作詞を行い、作曲をバッハが担当しており、コーヒーハウスで行われた初演では、大学生主体の演奏団体と一緒にバッハ自身も出演していたそうです。初演に参加するほど、コーヒーカンタータへの思い入れが深かったことが分かります。

Bach (1685-1750) Kaffeekantate BWV 211 – Harnoncourt 

コンサートのために450km歩くほどアクティブ

バッハは、当時一流オルガニストであったブクステフーデのコンサートを聴くために、アルンシュタットからリューベックまで歩いて向かったことがあります。その距離なんと、450km!

時間にすると、約93時間になるので、3日以上歩いてコンサートに行っていたことになります。さらに、帰りも同じ距離を歩いて帰ったとされており、合計で900kmも歩いたことになります。

音楽家は身体を動かすイメージがない職業ですが、バッハは、コンサートのために途方もない距離を歩くようなアクティブな作曲家でした。
はっきりとした理由が書かれている文献はなかったのですが、この演奏会でブクステフーデの演奏に感銘を受けて、4週間の休暇の予定を16週間まで伸ばしています。さらに、その後大きな影響を受け、作曲技法にも変化があったため、ブクステフーデに興味があり、演奏会に赴いたと考えられます。

実は刑務所に収容されていた

真面目で勤勉なバッハですが、実は刑務所に収容されていたことがありました。音楽の父と呼ばれる偉大な作曲家がなぜ刑務所に入れられたのでしょうか?

当時ワイマールの宮廷楽団で演奏していた頃、宮廷楽長が亡くなり、後任を決めることになりました。ところが、バッハよりも能力の低い人が楽長の後継者に選ばれ、バッハは腹を立てます。

バッハは、怒りに任せて辞表を提出し、自分が後継者として適任であると公爵に主張し続けたため、逮捕されてしまうのです。現代では、中々考えにくい逮捕劇ですが、当時は上司の命令が絶対であったため、仕方がありません。

結局、バッハは4週間もの間、刑務所で過ごすことになりました。

バッハは人間味あふれる作曲家

バッハは、厳格な作曲法で後世に語り継がれる素晴らしい曲を作ってきました。そんな真面目で堅実なバッハですが、頑固な性格がゆえに周りの人と衝突することが多く、数々の問題を起こしていたことが分かりましたね。

そのほか、コーヒー好きや家族愛に溢れていたことから、バッハから好きなものをとことん愛する人間性を感じることができます。バッハは、真面目に作曲ばかり行っていたわけではなく、人間関係に悩みながら激動の人生を送っていたようです。

このように人生や性格を知ることで、曲を聴いただけでは分からない、作曲家の意外な一面を垣間見ることができるでしょう。

まとめ

今回は、音楽の父バッハの意外なエピソードを紹介しました。バッハは、愛情深く、好きなもののためなら努力を惜しまないような性格でした。人間関係は不器用でしたが、その音楽に対する情熱があったからこそ、現代まで名を残しているのでしょう。

他にも、バッハの意外なエピソードとして女性関係にまつわる逸話があります。下記記事もぜひご覧ください。

意外なエピソードを通じて、これからも人間らしいバッハの音楽を聴いていきましょう!