バッハ『音楽の捧げもの』をめぐるミステリー

2019/01/25
コラム(雑学)

J.S.バッハの『音楽の捧げもの BWV1079』は、『フーガの技法 BWV1080』や『ゴルトベルク変奏曲 BWV988』とならんで、最晩年のバッハが到達した対位法芸術の最高峰として知られています。が、『フーガの技法』と引けを取らないくらい未解明のナゾが多く、作品じたいもまた難易度の高い音楽クイズみたいな様式で書かれているため、食わず嫌いの向きも多いのではないでしょうか。

しかしじっさいに聴いてみると、対位法のお勉強的な『フーガの技法』より、こちらのほうがけっこう「聴いて楽しい」音楽だったりします。今回は『音楽の捧げもの』にまつわる数々のミステリーをご紹介。

 

作曲の動機は「恥をかかされたこと」への復讐?!

1747年5月7日の日曜日の夕方、バッハと長男フリーデマンの乗った馬車がベルリン市郊外のポツダムに到着。バッハとフリーデマンはひと息つく間もなく、次男坊カール・フィリップ・エマヌエルの仕える王宮のあるじ、プロイセン国王フリードリヒ2世(フリードリヒ大王)に呼び出されます。正装に着替える時間さえなく、そのままの出で立ちで宮殿にはせ参じると、挨拶もそこそこに大王から宮殿中のフォルテピアノを試奏するよう命じられます。あるフォルテピアノの前に来ると、大王みずから「王の主題」を弾いて聴かせ、この主題を3声フーガに展開してみよ、と老バッハに命じます。即興演奏の大家でもあったバッハ、この課題を難なくこなして居合わせた宮廷楽団の音楽家や王侯貴族からやんやの喝采を受けます。ところがそれで満足しなかったのか、フリードリヒ大王は、「じゃ、これを6声のフーガとして即興演奏してみて!」と言い出した。この無理難題のムチャ振りにはさすがのバッハも白旗を揚げるしかなく、自分の用意した主題にもとづいて6声フーガを即興演奏してその場を切り抜けた。とはいえ、「かくもすぐれた主題にふさわしい展開はとうていむりだった」ため、バッハは大急ぎでさまざまなタイプのカノンも含む「完成版」として仕上げて銅板印刷させ、『音楽の捧げもの』と題してフリードリヒ大王に献呈した … どの解説やライナーノーツを見てもだいたいこのような経緯が書かれていると思われます。

 

しかし近年出版された関連書籍によると、どうもバッハは心から恭順の意を表してフリードリヒ大王に『音楽の捧げもの』を献呈したというわけではない、ということが書かれてあったりします。かんたんに言えば、これはバッハの復讐に近い、と。

たとえば耳にとても心地よい「トリオソナタ」の最終楽章。通奏低音上をフルートとヴァイオリンが「王の主題」もからめて小気味よく進行するのですが、このフルートパートがとんでもなくむずかしい。フリードリヒ大王は大のフルート好きで、宮廷楽団ではみずからフルート奏者として演奏したりする人でしたが、果たしてこのスコアを見て大王が大喜びで演奏したのかどうか。当時の記録を見ても大王がこの難解な作品を仕上げたバッハに褒美を与えたとか、演奏したとかの記述は皆無。しかも大王は教会嫌いでもあり、この「トリオソナタ」じたいがいわゆる「教会ソナタ形式」で書かれてあることから、やんごとなき人びとの前で恥をかかされたことに対するバッハなりの「仕返し」だったと考えたほうがしっくりくる、というリクツです。もっとも復讐の意図が込められていたかどうかは、本人に訊くしかない話ですし、訊いたところでテキトーにはぐらかされておしまいでしょう。

バッハ『音楽の捧げもの』から「トリオソナタ」[演奏:エリン・レッサー(フルート)、エミリ・デュプレ(ヴァイオリン)、マーク・デュプレ(チェロ)、マイケル・ミズラヒ(チェンバロ)]

 

「大王の主題」の真の作者は次男坊?!

ところでこの21の音からなる「王の主題」、たしかに堂々として、いかにもフリードリヒ大王の威厳にふさわしい響きがあります。が、対位法的にはまるで向いてなくて、これを3声や6声のフーガとして展開するなんて芸当はバッハ以外の音楽家にはとうていかなわないウルトラC級の超絶高難度な要求だったでしょう。たとえば主題後半、半音ずつ下がってゆく部分はパッセージどうしを畳みかけるストレットと呼ばれる処理には不向きであることも指摘されています。

バッハがフリードリヒ大王の前で即興演奏してみせた約200年後、「真の作者は次男カール・フィリップ・エマヌエルではないか?」とする自説を発表した作曲家が現れます。それが、なんと「12音技法」で有名なアルノルト・シェーンベルク。彼はこの主題が対位法展開に不向きで、悪意さえ感じられる、とまで書いています。もともと根暗でサディスティックな性癖があったと伝えられるフリードリヒ大王は、バッハがもっとも得意とする分野でひとアワ吹かせてやろうと、次男坊カールと結託してこの主題を編み出したのではないか、と推理をめぐらせていますが、このへんも永遠に解けないナゾで終わりそうです。

ただしこの王の主題、『フーガの技法』のメイン主題ともよく似ていることから、次男坊の関与がたしかに疑われるところではあります。クロに近いグレーといったところでしょうか。

マルセル・ビッチ / ジャン・ボンフィス著、池内友次郎 監修、余田安広 訳『フーガ』[白水社、1986]から

 

『音楽の捧げもの』は「バロック音楽の終焉」を告げる作品?

クラシック音楽では、バッハの亡くなった1750年ごろをバロック音楽からロココ音楽 / 前期古典派への区切りとするのが一般的。そしてこの『音楽の捧げもの』こそ、ひとつの時代の終わりを象徴する作品にはからずもなってしまった、という印象があります。

作品を献呈されたフリードリヒ大王はカルヴァン派に属してはいるものの、概して宗教には無関心。バッハのポツダム訪問後に落成した新宮殿を「サンスーシ[Sans Souci、「憂いなし」の意]」と命名するところからしてもフランス語好きで、ドイツ語など話したことがないと公言するような人物(だから、ドイツ語で表記された『音楽の捧げもの』というタイトルと献辞も気に入らなかったはず)。音楽の趣味も当然のことながらカノンだのフーガだのにはまるで興味がなく、ギャラント様式に代表される流行の最先端をゆく音楽が大好き。そしてなにより、啓蒙主義的改革を強力に推進したことでも知られる進歩派でした。

対するバッハはルター派に属する対位法芸術の大家。かつての教え子アドルフ・シャイベのような若い世代の音楽家から、「あんたの音楽は古い!」と言われても頑として自分の信念を貫き通した頑固一徹オヤジ。かたや父王の跡を継いで即位して7年のイケイケな35歳、かたや老いの一徹62歳、どう考えたって共通項らしきものは見当たりません。

フランス革命が勃発した18世紀後半、ゲーテやシラーといったドイツの若い文学者を中心に、フランスかぶれな悟性万能主義を否定する文化運動が起きます。「疾風怒濤」と呼ばれるこの運動は、のちにドイツロマン主義へと発展する大きな要因になりました。プロイセン国王でありながらドイツ語を毛嫌いしていたフリードリヒ大王は自身の死後、プロイセン国王を頂点とする統一ドイツが誕生し、統一されたドイツ国民の精神をもっとも体現する芸術として古めかしいバッハの音楽が復活するとは、ユメにも思わなかったにちがいありません。

バッハがフリードリヒ大王に献呈した印刷楽譜はやがて妹のアンナ・アマリアへと渡り、彼女の楽譜コレクションに加わります。アンナ・アマリア公妃の図書館からは2005年、若き日のバッハ作品の楽譜も発見されていますが、その曲名が『すべては神とともにあり、神なきものはなし』。なにやら因縁めいていると感じるのは筆者だけでしょうか。

アンナ・アマリア図書館で発見された頌歌『すべては神とともにあり、神なきものはなし BWV1127(1713)』[演奏:リサ・ラーソン(ソプラノ)/ トン・コープマン指揮、アムステルダム・バロック管弦楽団]

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