今年、2019年のゴールデンウィークはなんと10連休?! らしいですが、クラシック音楽好きにとって5月の連休、とくれば、「ラ・フォル・ジュルネ」。「ラ・フォル・ジュルネ(La Folle Journée)」とは、直訳すれば「狂った日[The Mad Day]」。発祥の地はフランス南西部のロワール川河畔の港町ナント。意味はわからなくても世界史の試験勉強で必死に「ナントの勅令」、と記憶した向きもきっと多かろうと思われる、あのナントです。「ラ・フォル・ジュルネ」はクラシックコンサートに対する世間一般の見方をひっくり返そうとする野心的試みとしてはじまり、2005年からは東京・丸の内周辺をメイン会場に日本でも開催。バッハやベートーヴェンといった作曲家だけでなく、「魂と心の情熱」、「新しい世界」のようなジャンル横断型のテーマでも話題を呼んできました。

クラシックコンサートの旧来の価値観をひっくり返す、と書きましたが、「クラシック=お固い」なるイメージが先行するようになったのはいつからなのでしょう? 厳かな礼拝のために書かれた教会音楽ならいざ知らず、中世のミンストレルとかジョングルールと呼ばれる遍歴楽師たちはたとえば「お針歌」や「恋愛歌」を演奏したり、酒宴を盛り上げるために道化師と組んで寸劇を上演したりして、領主や貴族を楽しませるのが仕事でした。今回は「ラ・フォル・ジュルネ」に便乗して、ちっともカタくない、ある意味ぞんぶんに「はっちゃけて」いる古い時代の舞曲をご紹介。

中世ヨーロッパのおおらかな無礼講、「愚者の祭り」

ヨーロッパ版「無礼講」の起源がいつ、どこではじまったかについては寡聞にして知らないのですが、古代ローマの農耕の神サトゥルヌスの祭り「サトゥルナリア」が最古の例かもしれません。「サトゥルナリア」は年の瀬、12月15日前後に奉納されていたことがわかっています。キリスト教がローマ帝国の国教となったあとは、当然のことながらこの時期はクリスマスに取って代わられるのですが、じつはその名残りは中世になってもなお生きていたのではないか、と思わせる祭礼がありました。それが、都市部の大聖堂で盛んに行われていた「愚者の祭り」と呼ばれるものです。

「愚者の祭り」が行われていた時期は日本で言えば年末年始、つまりクリスマス期間中であり、とくにクリスマス後に来る祝日、あるいは年明け1月6日の「主の公現」と呼ばれる祝日を中心に開催されていたようです。祭りの内容はまさしく無礼講そのもの。助祭や「ミサ答え」、少年聖歌隊員などから「道化の大司教(または「少年司教」)」を選び出し、彼を担ぎ出しては街なかを練り歩き、あろうことか大聖堂の中でもミサを茶化す茶番劇やら酒の神バッカスを称える歌を唱和し、はてはロバを祭壇に連れてくるといった戯れ事をえんえん繰り広げる、ということを毎年のように行っていたというからオドロき。ホンモノの大司教がたびたび禁止令を出さなければならないほど盛り上がっていたそうです。

「愚者の祭り」についてはいろいろな解釈ができるかとは思いますが、この中世の祝祭をテーマとしたアルバムのライナーで見かけた「新年に催された古代の復興と再生の祝典の名残りであり、すべての価値を一時的に覆すという意味を含んでいた」という解釈が、もっとも説得力があるような気がします。日本の「ハレとケ」の発想と、あまり変わりないかもしれません。

「望みたりし光が輝きぬ」[演奏:フィリップ・ピケット指揮 / ニュー・ロンドン・コンソート]

その名のとおり「イカれた」ダンス音楽、「フォリア」

中世のばか騒ぎ音楽がヨーロッパ大陸で演奏されていたころ、大陸の西の端イベリア半島の最西端、北大西洋を望むポルトガルに起源を持つとされる一風変わった舞曲、つまりダンス音楽があります。それが「フォリア」と呼ばれる形式です。

「ラ・フォル・ジュルネ」の「フォル」は形容詞で、その名詞型のポルトガル語版が「フォリア(folia)」。なぜこんなけったいな呼び名がついたのかはよくわかりませんが、最初にこの語が登場するのは15世紀末のこと。1600年ごろに編纂されたスペインの文献に、「ポルトガル起源の騒々しい踊り」なる記述があり、「愚者の祭り」同様、チャンチャカかまびすしいダンス音楽だったことがうかがわれます。

「騒々しいダンス音楽」も、やがて他のイベリア半島起源の舞曲形式とおなじく踊るための楽曲という当初の役割はすたれ、こんどは鍵盤楽器奏者が名人芸を誇示する「変奏曲」として発展します。それどころか鍵盤楽器の独奏用だけでなく弦楽合奏版も多く作られるようになって、一種の「流行音楽」に。コレッリ、ダングルベール、マラン・マレー、アレッサンドロ・スカルラッティ、そしてバッハ、その息子C.P.E.バッハといった有名どころがこぞって「フォリアにもとづく変奏曲」あるいは「フォリア」主題を借用した作品を書いている事実からしても、当時の「フォリア」の人気ぶりが感じられます。

アレッサンドロ・スカルラッティ『スペインのフォリア(1723)』[チェンバロ独奏:エルンスト・シュトルツ]

「冗談」ではすまない、バッハの「バディヌリ」

ベートーヴェン以降の交響曲で、レギュラー楽章入りした「スケルツォ(scherzo)」。語源はイタリア語で「冗談」の意味。ショパンはこのスケルツォを独立したピアノ作品として作曲するなど、スケルツォはクラシック音楽史にその名を残したわけですが、そんなスケルツォにお株を奪われたかっこうの「冗談」音楽がもうひとつあります。それが「バディヌリ」あるいは「バディナージュ」です。

筆者も含め、「バディヌリ」と聞くと条件反射的にバッハの『管弦楽組曲 第2番 ロ短調』の終曲を思い浮かべる向きはきっと多いと思いますが、同時代人のテレマンも『ターフェルムジーク』で2分の2拍子の快速電車的な「バディナージュ」を書いています。もっともバディヌリは「ジョーク」ではなく、むしろ「余興」的な小品を指す言い方だったようです。バッハの場合、技巧の冴えを要求する難曲であり、演奏する側からすれば「冗談」どころではないでしょう。

テレマン『ターフェルムジーク 第3部 / 序曲(組曲)変ロ長調 TWV55:B1』[演奏:ピーター=ヤン・ベルダー指揮、ムジカ・アンフィオン]

バッハ『管弦楽組曲第2番 ロ短調 BWV1067(1738−39)』から「バディヌリ」[演奏 フルート:アン・ベニク、指揮 / クロアチア・バロック・アンサンブル]

語源の話ついでに、英語のmusicはギリシャ語の「ムーサの芸術(μουσική)」から来ていますが、日本語ではこのmusicに「音を楽しむ」ということばを当てています。「音楽」ということばの起源はたいへん古く、紀元前中国の『呂氏春秋』にすでに登場しているとか。「ラ・フォル・ジュルネ」というプロジェクトも、「音を楽しむ」という原点に立ち返るにはまさにうってつけ。筆者もかつて「バッハとヨーロッパ」をテーマに開催された「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO」を聴きに行き、おおいに楽しんだことを思い出します。有料公演以外に無料で楽しめる公演もありますし、さまざまなフード類の移動販売に、ここでしか買えないグッズの販売もあります。なんとかテーマパークやなんとかランドもいいけれど、まるまる一日「クラシック音楽の生演奏」にどっぷり浸る、というのもステキな連休の過ごし方かと思います。

「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2019」おすすめの公演3選