《第一号機 パチスロ「バッハ」列伝》

ヨハン・セバスティアン・バッハはパチスロに置き換えると「ジャグラー」だ。

ジャグラーっていったい何?といわれる人もおられるだろうことを想定して、ざっくりと紹介すると、「ジャグラー」というのはパチスロ史上不滅の名機であり、これまでに幾つものシリーズが出ていて、ジャグラーだけの専門店があるくらい。

中にはジャグラーしか打たないという仙人のようなご老人などもおり、年金の入る偶数月の15日などになると、年金を持ったご老人と、暇と鋭気を持て余した若者とが男女問わずに列となり、ジャグラーの台へ向かって必死にコインを入れている。その様子をみると、私などは感動のために若干、泣きそうになる。

その幅広い層からの圧倒的な人気は日本のスロット史上では孤高の存在である。

それが「ジャグラー」シリーズ。

勝った負けたの二元論ではない、そういうものを超えたものを皆で追い求めているような気が私はする。これは世代の垣根を超えた讃歌ではないのかと・・・。いや、でも、やっぱり勝った負けたなのであろう。それはそうだ。そりゃあ、勝ちたい。

失礼。

このジャグラー機、何が面白いのかといえば、まったく面白くない。スロットというものは基本的にコイン(3枚)を投入口へ入れて、レバーを下げる。するとスロットの中央にあるリールが回りだすので、3つのボタンを押して止めるという作業である。

スロットの打ち手がコインを投入するたびに、画面上にはいろいろな演出がスタートし、「大当たり」の予感というのが映像や音や振動、さらには風などを利用して巧妙に工夫されている。それが今の時代のスロットだ。

ところが、このジャグラーに関してはそういうものがない。

過剰な演出もなければ、大当たりの予感すらない。大当たりの予感がないのだから、惜しくもハズレたよ、という概念もないのである。人の射幸心を煽るようなアクションもない。ジャグラーを打つ人はコインを入れて、レバーを下げ、ボタンを押して、ただただ禅の修行をする僧のように、「当たり」が来るのを待ち続けるのである。

鎌倉の禅僧が厳しい修行の最中、冬の寒い時分に寺の庭に咲く小さな梅一輪をみて、「あいつもよくやっているな。拙僧も精進せねば。」と感じ入ったのだそうだが、それとよく似ている。

平均して、レバーを下げれば120回~140回に一度は「当たり」が引けるという計算になってはいるが、運が良ければ1回で当たりが来るときもあれば、逆に1000回ほどレバーを下げても当たりが来ないこともある。

抽選箱の中に120個のボールがあり、その中のひとつだけ色が違うとイメージしていただければいいだろう。抽選箱の中へ手を突っ込んで、ぐるぐるボールをかき混ぜて、これはと感得したボールを引き上げる。残念、白のハズレを引いてしまった・・・。

プロ野球のドラフトの抽選と違うところは、その白のボールは取り出されたままではなく、また箱の中に戻されて次回の抽選が開始されるということである。

なので当たらないときは、ホントに当たらない。そして、このジャグラーの当たり判別であるが、いたって簡単。

「GOGO」と書かれた部分が光るのである。1000円で当たっても「GOGO」、100万円費やして、やっとの思いで当たっても「GOGO」。この前向きさには頭が下がる。人生、前向きでなくてはいけない、GOGO!。

「GOGO」というランプがこっそり光り、神の啓示のような効果音が一度鳴る。これが通称で「ペカる」と呼ばれるジャグラー特有の現象である。

この「ペカる」がバッハと共通する大切な部分なのだ。

ジャグラーとバッハの「ペカる」における大きな違いは、ジャグラーはスロット機がペカるのだが、バッハの場合は聞き手(スロットの打ち手)自身がペカるのである。

バッハの音楽を聴いたとき、1回目でペカる人もいれば、「どれも同じ曲に聴こえて退屈だ」とすぐにはペカらない人もいる。私自身も随分とペカりが来ずにハマったもので、これが本物のスロットならば財産すべてを失っていただろう。何度も何度もレバーを下げてもペカらない。バッハのどんな曲を聴いてもジャグラーの演出と同じで、何らの面白さも見いだせず、右から左へスルーしていた。

たまに、「おっ、この曲はいいね」と思えるものがあっても、それは曲の導入部だけであったり、他の作曲家(モンテベルディ、etc)などであったりすることが続いた。

「もう、バッハなんてどうでもいいや」と諦め顔で冷笑していた私、そのときである!

『GOGO!』

なんと、バッハを聴いて私がペカった。その刹那、バッハの作品のおそろしいまでの美しさや、荘厳な響きに畏敬の念を感じることとなったのである。

諦めかけていた自分を戒めるかのように、いきなり私の身に「ペカり」が起きた。一体、何が起きたのか突然のことで自己分析できなかったが、これまでバッハの音のすべてが無意味だった私にとって、その無意味がひっくり返り、すべての音が生きていることに気付いたのだった。

禅には即座に悟りの境地をひらく「頓悟」と、徐々に段階を経て悟りをひらく「漸悟」というのがあるといわれているが、禅問答のようなバッハの音の繋がりに、「美」を感じられるようになった私は、後者の類なのだろう。

パチスロ「バッハ」、恐るべし・・・。ペカりはある日、突然にやって来た。

スロットには設定(確率)というのが6段階あり、「設定6」が最も当たりの可能性が大きく、世の中のスロット好きは設定6を探し求めて、朝からパチンコ屋に並んだりする。ご苦労さまです。

私にとっての設定6はグレン・グールドの演奏する「ゴールドベルク変奏曲」。寝るために聴いていたが、眠気なんて一気に吹き飛んでしまい、ペカった興奮のまま寝室にヘッドホンを持ち出して聞くことになってしまった。あのときの私の油汗は自身の低血糖症からきたものではなさそうだ。

5月5日は「こどもの日」として世間一般的には認知されているが、その裏ではジャグラーの当たりを示す「GOGO(55)」にかけてジャグラーの日とされており、こどもではなくなった大人たちの記念日ともなっている。

バッハでペカったことのない人がいれば何かの参考になればと、ここに記してはみたものの、私の轍を踏むも踏まないも、それは自由。

【ヨハン・セバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685年-1750年)】