街を歩いていたら、リズムを刻むスネアドラムの音が聞こえてきた。ん、なんだ、と思って音のする方を見れば、バイオリン、チェロ、クラリネットなど、手に手に楽器をたずさえた人々が集まってくる。ナンなんだ、これは???

この不思議な人の集合体「モブ(群がる人々)」、ひと呼んでflashmob(フラッシュモブ)。flashはパッと現れてさっと消えていく、一瞬の点滅の意味。mobはときに「暴徒」の意味でも使われるように、バラバラの個人がある目的のために集まってくる、殺到するイメージがあります。
flashmob (classical music) はインターネットのSNSやメールを通じて参加者を募り、ある日時にどこかに集まって、音楽を1曲奏でるというハプニング(surprise)イベントです。

世界各地で2010年前後から盛り上がりを見せたイベントのようですが、今回VimeoやYouTubeからセレクトした映像は、結果的にヨーロッパを中心に南米、香港のものになりました。アメリカや日本でもflashmobは行なわれていますが(発祥の地はNYで、2003年に雑誌のエディターが企画)、ダンスだったり、ウェディングイベント、プロポーズ作戦などのサプライズイベントが多く、クラシック音楽のモブは適当なものが見つかりませんでした(もし、これはという映像をご存知でしたら教えてください)。さて、ではさっそくベスト映像を紹介していきます。ベスト映像を選ぶ基準ですが、いくつかのポイントがありました。

1.ロケーションや街の人々の表情が、映像の中で紹介されていること
2.映像と音声のクォリティが高く、ショートフィルムのような仕上がりになっていること
3.演奏される音楽とハプニングのマッチ度

「1」は何でもないことのようで、案外重要だと思いました。モニターで動画を見る人に、flashmobがどういうものかを伝えるのに、どんな場所で、どんな人々がそこにいたかのストーリー
は欠かせないからです。flashmobは演奏者だけでは成り立たないイベント、そこに立ち会った人々こそが「主役」という側面もあります。
たとえばニュルンベルクの聖ローレンツ教会前の広場で行なわれたflashmobを見てみましょう。

1.『歓喜の歌』(6:31)
2014年6月14日午後2時 ニュルンベルク

中世に建てられた、観光名所にもなっている古い教会。前振り映像は、その教会の鐘の音が鳴り響く街を俯瞰で捉えています。この動画の投稿者はEvenord Bankというニュルンベルクにある投
資銀行でした。ニュルンベルク・フィルハーモニック・オーケストラとハンス・ザックス合唱団のメンバーに感謝の言葉が述べられているので、銀行が発案者、呼びかけ人と思われます。

2.『歓喜の歌』(3:50)
2015年2月8日午前11時28分 ハイデルベルク

ベートーベン『歓喜の歌』もう一ついきましょうか。flashmobクラシックにおいて、ベートーベンは一番人気。世界中の人々がこの曲、歌にシンパシーを感じているようです。紹介するのはハ
イデルベルク大学のカフェテリアでのハプニング演奏。「2.ショートフィルムのような仕上がり」という点でも及第点です。ドイツ最古の大学のツォイクハウス・カフェテリアで、学生たちがお昼を食べたり、寛いでいるところにいきなり歌声が聞こえてきます。

3.『カルミナ・ブラーナ』(4:11)
日時不明 ウィーン

『カルミナ・ブラーナ』もヨーロッパでは人気があるようです。詩歌集『カルミナ・ブラーナ』に基づいて、カール・オルフが作曲したカンタータです。ウィーン西駅で行なわれたハプニング演奏から。駅構内を行く人々の怪伬な顔、どうしてか笑ってしまう人などの表情が見ものです。

4.『カルミナ・ブラーナ』(5:46)
2014年6月5日午後1時 オラデア

もう一つ、オラデア(ルーマニア)で演奏された『カルミナ・ブラーナ』を聴いて見ましょう。
州立交響楽団と地元のコミュニティの協力で行なわれたもののようです。あまり文化的に馴染みのない東ヨーロッパの国ですが、孫を連れたおじいさん、散策する若者たち、と街の風景は西ヨーロッパの国とさほど違いはありません。そこにバイオリンケースを抱えた一人の若者がやってきて、おもむろに演奏をはじめます。

5.『ベネズエラの歌』(7:46)
2013年3月 マラカイボ

ヨーロッパがつづいたので、ここで南米のベネズエラのflashmobを覗いてみましょう。場所はベネズエラ第2の都市マラカイボのダウンタウン。南米っぽい物売りや街ゆく人々の中を、背中に楽器を背負った若者が歩いていきます。軽快な音を奏でる弦楽器は、ベネズエラの民族楽器クアトロでしょうか。ひとしきり弾いたあと、ベネズエラ国旗のパーカーを着た青年がやってきて、クアトロ君に一緒にやらないかと提案。いいよと彼が応えると、チューバやトランペットを抱えた仲間たちがやってきて演奏をはじめます。曲は『ベネズエラの歌』(パブロ・エレーロ、ホセ・ルイス・アルメンテロの作詞作曲によるベネズエラでよく知られる歌)。とても親しみやすい曲で、途中から入る子どもたちの歌声に心洗われます。

6.『歓喜の歌』(8:30)
2013年7月28日 香港

南米を見たので、アジアはどんな風か、香港のflashmobにいきます。「快閃」は中国語のflashmob。曲はまたしても『歓喜の歌』。タキシードTシャツを着た青年がコントラバスを抱えてやってきます。そして参加者が楽器を手に電車に乗ってやってくる様子がいくつかのショットで映し出されます。香港は長い間「文化的な砂漠地帯」と呼ばれていたため、それを変えようという試みの一つだそうです。題して「Ode to Change」(『歓喜の歌』は『Ode to Joy』)。香港節慶管弦樂團(香港フェスティバル・オーケストラ)の2013年シーズンのプロジェクトとして企画されたものです。香港ニュータウンプラザ(新城市広場)にて。

7.『ペール・ギュント』(2:24)
2012年4月17日 コペンハーゲン

さてここまでは街中での演奏でしたが、次は地下鉄の車内です。場所はコペンハーゲン。曲はグリーグの『ペール・ギュント』から『朝』。女性のフルート奏者が最初の主題を奏でると、クラリネットがそれにつづきます。そして乗客が次々にバイオリンを取り出し‥‥。結構な満員電車なので、怒り出す人がいないかと心配になります。

8.『歓喜の歌』(5:44)
2009年11月8日 ライプツィヒ

2009年11月8日、ベルリンの壁崩壊の20周年を祝って、ライプツィヒ中央駅(旧東ドイツ)でflashmobが行なわれました。たくさんの人が行き交う駅の構内に男性テノールが響きわたります。
「壁のない合唱」イベントで歌われたのは、ベートーベンの『歓喜の歌』。「この世の習わしで別々になっていた人々を、汝の魔力が再統合させる。汝の優しい翼のもと、すべての人は兄弟となる」(あれ、歓喜の歌って原語ではこんな歌詞だったんですね)群集はびっくりしながらも、主導する歌い手のあとにつづいて声を合わせます。合唱という声のパワーが、歴史的事件を共有する人々の間で最大限に生かされたイベントといっていいでしょうか。「3.演奏される音楽とハプニングのマッチ度」という点で高得点をつけたいflashmobです。

9.『歓喜の歌』(5:41)
2012年5月19日午後6時 サバデイ

次はスペインはカタルーニャ地方サバデイから。ラテン語圏の国でも、曲はやっぱり、、、『歓喜の歌』!!! そして先頭をきるのはここでもコントラバス。冒頭にこの楽器があるflashmobのなんと多いことか。プラサ・デ・サントローク(サバデイ中心区)にて。

10.『ボレロ』(12:55)
2013年9月14日午後12時15分 サンパウロ

最後はラヴェルの『ボレロ』をサンパウロ(ブラジル)から。2013年の8月から9月にかけての3週間、パリ音楽院の学生がサンパウロに滞在し、その成果として、地元音楽院Tom Jobim EMSP and Guriの先生や生徒たちとflashmobを企画しました。『ボレロ』も『歓喜の歌』と同じように、flashmobの人気演目の一つ。単一のリズムに、たった二つのメロディーライン、それを違う楽器がそれぞれの音色で次々に奏でていく曲の構造が、flashmobと同調しやすいのかもしれません。また、たった2小節の圧倒的なエンディング(コーダ)も、モブたちの最後の歓声のようで興奮を呼びます。美術館中庭(ピナコテカ)にて。


いかがでしたでしょうか。ヨーロッパで、南米で、アジアで、音楽による突発的な共有体験をもくろむ人々が、楽器を手に街に出て、サプライズコンサートを開いています。それを映像班が何
台ものカメラで効果的に記録し、街の風景や人々の表情をひろって編集し、1本の音楽ドキュメンタリーに仕立てます。ハプニングを企画するのは個人の場合も、学校、町や市、あるいは企業
の場合もあるでしょう。すべてが呼びかけ人の意図で固められるのではなく、聞きつけて集まってきた不特定多数の人々や、現場にたまたま居合わせた人々も「モブ」の一員になっていく様子
が映像から汲み取れます。何かがいま起きつつあるワクワク感、演奏する側と聴く側の境界が揺れ動き、あいまいになり、混ざり合う、それこそが flashmobの魅力かもしれません。

インターネットで呼びかけて人を集め、ハプニングを起こしたらそれを記録し、インターネットで公開する。スタートも完結もインターネット。flashmobはネット時代の音楽の一つのあり方を
示しているのかもしれません。