『魔王』や『野ばら』と聞くと、音楽の授業を思い出す人も多いのではないでしょうか。今回は「歌曲王」シューベルトの生涯と代表的な作品をみていきましょう。

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案内人

  • 林和香東京都出身。某楽譜出版社で働く編集者。
    3歳からクラシックピアノ、15歳から声楽を始める。国立音楽大学(歌曲ソリストコース)卒業、二期会オペラ研修所本科修了、桐朋学園大学大学院(歌曲)修了。

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シューベルトの人生はわずか31年と短かった

© Wikimedia Commons|Photo by Cecil Watson Quinnell

フランツ・シューベルト(1797〜1828年)はクラシック音楽史のロマン派初期を代表する作曲家です。その短い生涯から多くの傑作が生み出されました。はじめに、シューベルトの生涯をたどります。

シューベルトの生涯

当時の音楽都市であるオーストリアのウィーンで活動しました。さまざまなジャンルの作品を1000曲近く残しましたが、特に600曲におよぶ歌曲作品の素晴らしさは後世にも影響を与え「歌曲王」とも呼ばれています。

幼少期から少年時代

音楽教育の始まりは家族の影響で、父は小さな学校を経営しながらアマチュア音楽家としてチェロを、ふたりの兄はヴァイオリンを弾く音楽一家に育ちます。11歳で宮廷礼拝堂少年合唱隊員となり、コンヴィクト(全寮制神学校)で教育を受けました。教師にはイタリアの作曲家サリエーリがいて、イタリア歌曲の作曲を教わったようです。こうした恵まれた環境の下で少年時代から室内楽や交響曲を書き始めます。

全盛期

コンヴィクト卒業後は教師をしながら創作を続けます。1815年には140曲を超える歌曲が書かれ、有名な『魔王』や『野ばら』も作曲されました。「リート」と呼ばれるロマン派の芸術歌曲(歌とピアノ伴奏の両方に詩の背景を表現させる表現様式)の時代はシューベルトの登場によって確立し、クラシック音楽の歴史上に大きな影響を与えました。
歌曲や交響曲のほかオペラなどにも意欲を示し、演奏会や楽譜出版で精力的に活動する一方、健康面では25歳の頃に罹った梅毒の影響などで晩年まで病に苦しむこととなります。

晩年

晩年は成熟期を迎え、傑作といわれる作品が次々と生まれます。1824年には弦楽四重奏曲ニ短調『死と乙女』、27年には連作歌曲『冬の旅』を書き上げました。28年には交響曲ハ長調『グレイト』やピアノ・ソナタ三部作を完成させるなど創作意欲は衰えぬまま、その年の11月に31歳の若さで生涯を閉じました。

シューベルトに関するエピソード

©Wikimedia Commons|SCHUBERTcommons – Own work, CC BY-SA 3.0

次に、シューベルトをより詳しく知るためのエピソードをご紹介します。

私的な夜会「シューベルティアーデ」

決して裕福ではなかったシューベルトですが、その創作活動には支援者からの心強い援助もありました。その代表的なイベントとして「シューベルティアーデ」と呼ばれる夜会があります。
仲間内で集まり、作品を披露したり音楽について語り合うこの夜会は、シューベルトの精神的な支えとなっていました。このことからも、音楽的才能だけではなく、彼には人を惹きつける魅力があったことが窺えます。

ベートーヴェンへの憧れ

ベートーヴェンは1792年からウィーンを拠点としており、シューベルトにとっては最も近くて遠い存在だったといえます。なにより、シューベルトの音楽に与えた影響は計り知れません。ベートーヴェンを尊敬し変奏曲を献呈したり、最晩年には見舞いに訪れています。同じ地で活躍しほぼ同時期に亡くなったふたりは、ちょうど古典派とロマン派の移行期に位置しているのです。

シューベルトの死因

直接の死因についてはいくつかの説がありますが、20代後半から病に悩まされ続けていたことは確かとされています。1828年の11月に入ると病状はさらに悪化し、兄の家で最期を迎えました。遺体は兄の尽力によりベートーヴェンの墓の隣に埋葬され、その後墓地が移りましたが今でも隣同士で眠っています。

シューベルトの作曲技法

数々の美しいメロディや豊かなハーモニーはどのように作曲されているのでしょうか。

シューベルトと詩

シューベルトはベテランから若手まで幅広い詩人の作品に曲をつけました。なかでも強く関心を寄せていたのがゲーテやシラーの詩です。歌のメロディの美しさもさることながら、詩の内容を表現するピアノパートとのかけ合いも絶妙です。

芸術歌曲「リート」

かつては単に歌曲のことを意味していた「リート」ということばは、シューベルトによって芸術性が高められひとつの表現様式を表すようになりました。それまでの歌曲との大きなちがいはピアノパートの扱い方にあります。歌の伴奏にすぎなかったピアノパートに、シューベルトは詩の内容を表現するための音楽をつけたのです。例えば『魔王』では馬が駆ける様子を絶え間ない音の連打で表現しています。

古典的な語法とロマン派の響きの融合

シューベルトはクラシック音楽の歴史においてロマン派に入れられることが多いものの、古典派からの影響を強く受けています。交響曲や弦楽四重奏などの古典派で流行した形式にもとづきながらも、叙情性をそなえた旋律や時折見られる大胆な転調からはロマン派の響きを感じさせます。

シューベルト作品の特徴

小品から交響曲までさまざまな作品を書き上げてきたシューベルト。ここでは歌曲、交響曲、ピアノ曲の特徴を挙げてみます。

600曲におよぶ歌曲作品

31年の生涯はつねに歌曲の創作と向き合っていました。作品数は600曲にもおよび、今では埋もれてしまった作品もありますが、初期の『野ばら』『魔王』をはじめ、『アヴェ・マリア』、連作歌曲《美しき水車小屋の娘》《冬の旅》(なかでも『菩提樹』は人気があります)などの傑作は現在でも演奏会でよく演奏されています。

新たな音楽表現の模索

シューベルトは歌曲以外のジャンルにも意欲的で、8曲の交響曲を完成させました。楽譜としては14曲数えられますが、実は6曲が未完成に終わっており、シューベルトが新たな音楽表現や様式を求め模索していたことがうかがえます。「未完成」というニックネームで呼ばれる交響曲第7番は第2楽章までと第3楽章のスケッチのみ残しています。

さまざまなピアノ曲

ピアノ・ソナタ、幻想曲、変奏曲などのピアノ曲も多く書きました。随所に歌曲のような美しい旋律が現れます。『さすらい人幻想曲』のような高度なテクニックが求められる長大な作品もあれば、『楽興の時第3番』のような短くてロマンティックな曲も愛されています。

シューベルト作品をより楽しむコツ

美しい曲はただ聴くだけでもとても心地良いですが、歌詞や曲の背景を知るとますます味わい深いものになります。

歌曲のピアノパートに注目!

歌曲の特徴として、ピアノパートが詩の内容を表現する音楽になっています。ゲーテの詩を用いた『糸を紡ぐグレートヒェン』では、紡ぎ車を回している様子がピアノの音の繰り返しで表されています。詩の和訳を読みながら聴いてみると、より楽しめます!

「ます」の聴きくらべ

「ます」のメロディを聴いたことがある方は多いのではないでしょうか。美しい川の中で泳ぐ鱒が最後には釣り人に捕らえられてしまう、というストーリーです。実はこの「ます」、歌曲とピアノ五重奏のふたつのバージョンがあります。聴きくらべてみるのも面白いですね。


未完成作品を楽しもう

シューベルトの作品には未完成の作品も多く、後世の研究者たちが解読してきた結果、さまざまな解釈が生まれました。特に交響曲第7番『未完成』は演奏会でよく取り上げられる人気の作品で、ロマン派の香りが漂うメロディが特徴です。未完成の理由を調べたり補筆版を聴き比べるのは、ツウな楽しみ方かもしれませんね。

まとめ

美しいシューベルトの音楽からは、モーツァルトやベートーヴェンの音楽に続く新しい時代を切り拓こうとする貪欲さも感じ取れます。ぜひお気に入りの一曲を探してみてください。