チャイコフスキーはロシアを代表する作曲家として華々しい経歴を持っていますが、その裏では人間関係で大変苦労していました。とくに女性とのコミュニケーションに難があり、愛無き結婚生活を苦に自殺未遂をしたほどです。

そんな彼がいかにして世界的な音楽家になったのか?今回はその軌跡をたどっていきます。

あなたが本記事を読み終わる頃には、よりチャイコフスキーの音楽が味わい深いものになるでしょう。

案内人

  • 林和香東京都出身。某楽譜出版社で働く編集者。
    3歳からクラシックピアノ、15歳から声楽を始める。国立音楽大学(歌曲ソリストコース)卒業、二期会オペラ研修所本科修了、桐朋学園大学大学院(歌曲)修了。

    詳しくはこちら

繊細で内気だったチャイコフスキー

出典:Wikimedia Commons

ピョートル・チャイコフスキー(1840〜1893)は19世紀後半に活躍したロシア最大の作曲家です。評価は惜しくも没後に高まりましたが、今では世界的に有名な作曲家として知られています。そんな彼は、実は内気な性格で、人との積極的な交流は控えめでした。

チャイコフスキーの生涯

チャイコフスキーはごく一般的な家庭で育ちました。彼はそこからいかにして国を代表する音楽家になったのか?その興味深い生涯を辿ってみましょう。

法律家から音楽家へ

モスクワから遠く離れた町ヴォトキンスクで生まれたチャイコフスキー。鉱山技師の次男として、それなりに教養のある家庭で育ち音楽にも親しみます。

楽才をあらわすものの、両親の希望で法律家への道に進みます。卒業後は法務省で働いていましたが、演奏や作曲を楽しむうちに音楽家になることを決心。23歳でロシア初の音楽院であるペテルブルグ音楽院に入り、法務省を退職して本格的な音楽修行を始めました。

音楽院の初代院長A.ルビンシテインは、パリやベルリンで音楽を学んだ人物であったため、作風の基礎には西欧の理論が影響してきます。

モスクワ音楽院で教職

新設されたばかりのモスクワ音楽院に26歳で赴任し、12年ほどモスクワを拠点とします。

指導しながら創作できる環境は彼の才能を開花させていき、「ピアノ協奏曲第一番」、バレエ音楽「白鳥の湖」などの名曲が誕生しました。

名曲が生み出された晩年期

36歳頃から約14年間、フォン・メック夫人による金銭的援助を受けて創作活動をした後、38歳でモスクワ音楽院を退職してヨーロッパ各地を巡る生活を7年近く続けました。ハンガリーの作曲家リストとの出会いや、バイロイトではヴァーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の初演を鑑賞しています。

その後45歳でモスクワに戻り、晩年まで傑作を多く生み出します。「交響曲第5番」、「交響曲第6番 悲愴」、バレエ音楽「くるみ割り人形」など人気の高い作品が完成しました。53歳で生涯を閉じ、葬式は国葬とされました。

チャイコフスキーの人間関係

チャイコフスキーは引っ込み思案の面があり、人間関係に苦労していました。しかし、周囲の人間に支えられたおかげで創作に没頭することができ、傑作が生まれたと言っても過言ではありません。

フォン・メック夫人との不思議な関係

出典:wikiwand

チャイコフスキーには、パトロンと言われる活動を支援してくれる人物がいました。鉄道経営者の未亡人、フォン・メック夫人です。夫人は彼の音楽の素晴らしさを理解していたため、創作に集中できる環境を提供したかったのです。

36歳の時に夫人から資金援助の申し出を受けたチャイコフスキー。音楽院時代の初任給が数十ルーブル程度のなか、支援されたのは年額6000ルーブルという大金でした。この支援のおかげで音楽院を辞めて専業作曲家へと転身します。

夫人は長年面会を求めていたのですが、彼が応じることは一度もありませんでした。その間、1200通を超える親密な手紙のやりとりはあったものの、二人は生涯会うことのないまま不思議な関係が続いたのです。

その後、夫人の経済状況の変化によって、約14年に及んだ支援は打ち切りとなりました。

元教え子ミリューコヴァとの結婚生活

出典:Wikimedia Commons(新婚旅行中のチャイコフスキーとミリューコヴァ)

チャイコフスキー37歳の時に元教え子ミリューコヴァから求婚され、スピード結婚します。結婚に至った理由は諸説ありますが、愛なき結婚生活は大失敗。妻から逃げるようになり精神的に追い込まれた末に彼は自殺未遂します。その後二人は会うことはなく事実上の離婚となりました。

知られざるチャイコフスキーの苦悩と謎

出典:Wikimedia Commons(左から4番目に座っているのがチャイコフスキー)

名曲誕生の裏にあった悲しい現実と、諸説ある死因についてご紹介します。

酷評を浴びた白鳥の湖

ロシアバレエの歴史は18世紀初頭から本格的に始まりましたが、バレエ音楽には専門の作曲家がいてジャンルが分けられていました。そんななか、チャイコフスキーは1875年にボリショイ劇場から「白鳥の湖」の作曲依頼を受けます。

今では名曲として知られている曲ですが、発表当時は酷評の嵐でした。彼はこのことに深く傷つき、存命中に再び上演されることはありませんでした。

没後に再評価され、現代では「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」の三大バレエ音楽として世界中の人々を魅了し続けています。

他にも、代表作のひとつ「ピアノ協奏曲第一番」はN.ルビンシテインに献呈するために作曲しますが、「音楽が薄っぺらいし難易度が高すぎる」と本人から指摘され書き直すことを求められています。

「ヴァイオリン協奏曲」の初演も厳しいものでした。依頼したヴァイオリニストには演奏不可能という理由で断られ、別の奏者で初演を行うも評論家からは「悪臭を放つ音楽」と酷評されました。

チャイコフスキーの音楽は、クラシックファンのみならず多くの人に愛されていますが、実は発表当時から高い評価を得ていた作品は多くはなかったのです。

同性愛者だった?謎に包まれた死因

1893年、有名な「交響曲第6番 悲愴」の初演から9日後、チャイコフスキーは53歳で急逝します。死因は生水を飲んだことによる病死(コレラ)が定説となっているものの、自死だったのではないかという説もあります。

諸説や憶測がある理由のひとつが、彼が同性愛者だったと言われていることです。同性愛を否定する皇帝に自死を命じられたとか、同性愛が公表されることを恐れたためとか、叶わぬ恋のもつれに悩んだためなどという説もあり、研究家たちの間では長く議論をよんでいるのです。

チャイコフスキーの作曲技法

あらゆるジャンルにおいて多作ですが、特に交響曲の巧みな響きの設計とメロディの美しさはチャイコフスキー最大の特徴と言えるでしょう。

ドラマティックなメロディの宝庫

チャイコフスキーの作品には流麗で印象的なメロディが多く登場します。時に力強く、時に優美に、そして甘く、切なく…音楽はドラマティックに展開され、聴き手の心を深く揺さぶります。

その感動的な音楽の根本にはユニゾンによる大きな効果があります。ユニゾンとは、同一または異なる楽器が同じメロディを奏でることです。つまり、一本のメロディを豊かな音色で補強し、厚みをもたせます。こうして存在感が増したメロディーは印象深いものとなり、聴く者の心を捕らえて離さないのです。

チャイコフスキー作品の特徴

彼の作品にはどのような特徴があるのでしょうか。

ロシア五人組との違いは?

出典:wikiwand

19世紀半ば以降、独立運動を時代背景として国民楽派の動きが盛んでした。国民楽派とは、自国の民族音楽を源流とする国民的な特色を音楽に取り入れることを目指した流派です。ロシアではグリンカやロシア五人組の活動がありました。

ロシア五人組とは、チャイコフスキーと同時代に民族色の濃い音楽創作を目指していた集団です。中心人物である作曲家バラキエフはチャイコフスキーを高く評価していました。しかし、お互いに影響を受けあってはいたものの、純ロシア音楽を模索したロシア五人組と、西欧の理論を基礎としながらロシアの要素を取り込んでいったチャイコフスキーでは目指す方向性が異なりました。チャイコフスキーの音楽の方が世界で広く愛され続けているのはこうした理由からかもしれません。

チャイコフスキー作品をより楽しむコツ

チャイコフスキー音楽をより深く味わうためのおすすめの聴き方をご紹介します。

ロシア語の魅力を味わおう

交響曲やバレエ音楽が有名なチャイコフスキーですが、オペラや歌曲も作曲しています。なかでも、歌曲は100曲以上が残されている重要なジャンルです。

美しいメロディとロシア語が合わさる歌曲は新鮮に聴こえるかもしれません。繊細でロマンティックな作品が多く、深い魅力に浸ることができます。

名曲のひとつ「ただ憧れを知る者だけが」の原詩はドイツ語でゲーテにより書かれたものです。チャイコフスキーはロシア語訳に作曲をしたあとでドイツ語版にもしていますので、聴き比べてみると雰囲気の違いを発見できるでしょう。


初めてでも楽しめる、バレエ鑑賞

チャイコフスキーの音楽と聞けば多くの人が「白鳥の湖」を思い浮かべるでしょう。しかし、メロディは聴いたことがあっても、バレエで観たことがある人は多くないかもしれません。

あの有名なメロディがどのようなシーンで登場するのか知りたくなりませんか?テレビや動画でも楽しめますが、機会があればぜひ一度は劇場でバレエ鑑賞を体験してみましょう。


まとめ

繊細な心をもつチャイコフスキーが創り上げた音楽は、ドラマティックな大胆さを感じさせつつも、その根底には私たちを感動させる繊麗さが満ち溢れています。それが、私たちの耳と心を惹きつけて止まない理由かもしれません。