国民的人気ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズの全楽曲を手掛けたことでも有名な作曲家・すぎやまこういち。

2021年にご逝去された後も、すぎやま氏の作品はオーケストラで演奏されたり、テレビCMに使用されたりと、私たちの身近に存在し続けています。

今なお世界中で愛されているすぎやまこういちは、いったいどんな人生を送ってきたのでしょうか?今回は、すぎやま氏の音楽制作のルーツから、ジャンルを超えて活躍した音楽活動の軌跡までたっぷりご紹介します。

案内人

  • 笹木さき音楽大学の短期大学部で作曲とジャズピアノを専攻。現在は芸術専門図書館で司書として働く傍ら、ライターとして活動中。

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ゲーム音楽×クラシック音楽

すぎやま氏がゲーム『ドラゴンクエスト』の音楽制作について語るとき、よく口にしていたのが「聴き減りのしない音楽」という表現でした。

ゲームは長い時間をかけてプレイするものだから付随する音楽は「いくら聴いても聞き飽きないもの」がいい。そのような観点から、すぎやま氏は幼い頃から親しんだクラシックオーケストラの音楽を思い浮かべたそうです。

何百年経っても聴き継がれるクラシックのように普遍的な魅力のある音楽を添えることで、ドラゴンクエストシリーズは発売から30年以上たっても続編が制作される人気ゲームとなりました。

【追悼】すぎやまこういち氏死去 ゲームを愛した「生涯現役の巨匠」https://t.co/FEUN8ITmdZ

心がけたのは「聴き減り」のしない曲を作ること。「ゲーム音楽は同じ曲を繰り返し、長時間聴くことになる。地味でもいいから、何回聴いても飽きない曲でないといけない」と語っていた。 pic.twitter.com/ze9x1czksm

— ライブドアニュース (@livedoornews) October 7, 2021

すぎやまこういちの音楽人生

© Wikimedia Commons|Photo by Boljoa

すぎやま氏はゲーム音楽だけでなく、歌謡曲やCM音楽、アニメソングなどさまざまなジャンルで名曲を生み出しています。

2016年には「世界最高齢のゲーム音楽作曲家」としてギネスに認定されたすぎやま氏ですが、2021年9月30日に惜しくも長逝されました。享年90歳、死因は敗血症性ショックでした。

長きにわたって作曲家として活躍し続けたすぎやま氏は、どのようなきっかけで音楽に関わり、作曲家になったのか。その音楽人生を振り返ります。

音楽に溢れた環境で育つ

生前、すぎやま氏は自身のバックグラウンドにあるのは「クラシック音楽」だと繰り返し語っていました。ご両親は音楽好きで、家族3人で合唱を楽しみながら譜面を覚えるなどして音楽の素養を身につけたようです。

初めて手に入れたレコードは、ベートーヴェンの『交響曲第6番「田園」』『交響曲第7番』『クロイツェルソナタ』の3曲。すぎやま氏は当時から無類の音楽好きで、幼少期について語ったインタビューでは「おもちゃよりもレコードを買ってもらうほうが嬉しかった」と話しています。

作曲は独学

幼少期からクラシックに夢中になっていたすぎやま氏ですが、旧制中学時代には友人の影響でポップスの魅力にも気付きはじめます。

さまざまな音楽に触れる中で自然と作曲を始めるようになり、高校では戦争で休止していた学内オーケストラを復活させて指揮や編曲を担当するなど才能を発揮しました。

すぎやま氏はその後も誰かに師事して作曲を学ぶことはなく、完全な独学で楽曲を生み出していきます。

高校3年生の頃に作曲した谷桃子バレエ団児童部の委嘱作品『子どものためのバレエ<迷子の青虫さん>』は、初めて“すぎやまこういち”名義で発表された記念すべき作品です。

発表から数十年経った今もなお上演されており、すぎやま氏の音楽の色あせない魅力が感じられますね。

大学卒業後、働きながら音楽を学ぶ

音楽大学への進学を考えはしたものの、「入試にパスするほどピアノが弾けない」という理由で断念したすぎやま氏。ちなみに、音大進学を辞めて進んだのは東京大学でした。

大学在学中も音楽への熱意を持ち続けたすぎやま氏は、卒業後に文化放送に入社。その後、開局1年前のフジテレビへ移り、放送界の草創期にディレクターとして活躍しました。

すぎやま氏曰く、放送の仕事についた理由は「現場で音楽を学びながらお金がもらえるから」とのこと。独学で作曲理論を学び、さらに現場の仕事を通して感受性を養う…すぎやま氏の音楽に対する探究心の強さが窺えます。

放送局の仕事と並行して作曲活動を行っていたすぎやま氏は、1965年にフジテレビを退社して専業作曲家の道を歩み始めました。

あらゆるジャンルでヒットを飛ばすメロディメーカー

Amazon|帰ってきたウルトラマンミュージックファイル

作曲家・すぎやまこういちの活動は多岐にわたります。

1960年代はCM音楽やポップスを手掛け、放送局時代の音楽番組で知り合ったザ・タイガースや、ザ・ピーナッツなどの音楽グループに楽曲を提供し、ポップスの作曲家として有名になりました。

こうして世間に広く知られたポピュラーソングの中にも、伴奏に弦楽四重奏を使った曲や、クラシック音楽的な技法を取り入れた曲があります。

1970年代には『帰ってきたウルトラマン』をはじめとする特撮音楽やアニメ音楽へと活躍の場を広げ、すぎやまこういちの名前はさらに広く知られることとなりました。

どのジャンルの音楽を聴いても感じるのは、リズムも音程もシンプルなのに不思議と耳に残る曲が多いということ。すぎやま氏のメロディメーカーとしての圧倒的なセンスを感じます。

ゲーム音楽の世界へ

すぎやまこういちがゲーム音楽の制作に携わるきっかけとなったのは、1枚のアンケートはがきでした。

当時プレイしていたゲームのアンケートはがきに感想を書いて送ったすぎやま氏。そのはがきを受け取ったゲーム会社の人々が「作曲家のすぎやまこういち氏では…?」と気が付き、ゲーム音楽の制作をオファーしたのです。

若い頃からゲーム好きだったすぎやま氏は、突然のオファーを快諾。ゲーム音楽のフィールドに踏み出し、『ドラゴンクエスト』をはじめとするゲーム音楽の作曲を手掛けるようになりました。

今でこそオーケストラを使ったゲーム音楽は珍しくありませんが、1980年代のゲームソフトの仕様では「同時に鳴らせる音は3つまで」といった厳しい制約があったようです。

限られた音数でゲーム開発者を納得させる音楽を作ることも難しい中、すぎやま氏は自身が理想とする「聴き減りのしない音楽」を体現した豊かな楽曲を作り上げることに成功します。

1作目から大ヒットした『ドラゴンクエスト』は長寿シリーズとなり、すぎやま氏はゲームデザイナーの堀井雄二、キャラクターデザインの鳥山明と共に「ドラクエ御三家」と称されるようになりました。

生前のすぎやま氏について、鳥山氏は追悼コメントの中で「永遠の命を持つ魔法使いのように思っていました」と語っています。何年たっても音楽作りへの情熱を絶やさず、年齢を感じさせないバイタリティに溢れていたすぎやま氏の人柄が想像できますね。

オーケストラの魅力を伝える音楽活動

1986年にゲーム『ドラゴンクエストⅠ』が発売されると、その人気とともにゲーム音楽の作曲家としてすぎやま氏は広く認知され、ゲーム音楽を作曲活動の主軸に置くようになります。

1987年以降はクラシックをベースとしたドラゴンクエストの音楽を演奏するコンサートを開催し、時には自ら指揮者となってオーケストラの魅力を伝え続けました。

すぎやま氏は、コンサートのステージやインタビューの中で「オーケストラは音楽のごちそう」という言葉を何度も口にしています。本当にオーケストラが好きで、ただその良さを知って欲しいという純粋な気持ちが感じられますね。

ドラゴンクエストシリーズの楽曲は、NHK交響楽団、東京都交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー交響楽団による演奏CDが販売されています。クラシック音楽が好きな人も機会があればぜひ聴いてみてくださいね。

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競馬ファンの間で有名なファンファーレも作曲

すぎやま氏は作曲家として活動する傍ら、ゲームやカメラ、食べ歩きなど多数の趣味に情熱を注いでいました。

競馬ファンであったこともあり、過去にはJRA日本中央競馬会の依頼を受けて競馬場で流れるファンファーレ(レースの発走前などに流れる音楽)を作曲しています。

通常は競馬場やレースの条件によって使用されるファンファーレが決まっているのですが、すぎやま氏が亡くなられた後、追悼の意を込めてファンファーレを例外的に使用した場面が話題になりました。

ゲーム音楽という文化を育てたすぎやまこういち

すぎやまこういちは日本のゲーム音楽のパイオニアと言っても過言ではありません。

それまでのゲームにおける音楽はおまけのようなもので、プロの作曲家に音楽制作を依頼することは一般的ではありませんでした。

すぎやま氏の手掛けるドラゴンクエストの音楽がゲームファンの心を掴み、オーケストラの裾野を広げ、「ゲームの世界を飛び出して愛されるゲーム音楽」となったこと。これは、日本のゲーム音楽史に残る大きな功績です。

すぎやま氏が作曲した交響組曲『ドラゴンクエストⅢ』、『ドラゴンクエストⅣ』は日本ゴールドディスク大賞企画部門を受賞、文化庁メディア芸術祭では音楽を含めたゲーム『ドラゴンクエストⅦ』がデジタルアートインタラクティブ部門を受賞しています。

また、2020東京オリンピックではドラゴンクエストの「序曲 : ロトのテーマ」が開会式の入場曲として使用され、日本を代表するゲーム音楽としてすぎやま氏の曲が高く評価されていることが感じられました。

もう一度聴きたい!すぎやまこういちのおすすめ名曲

ここでは、すぎやま氏の代名詞とも言えるドラゴンクエストシリーズの楽曲と、アーティストに提供してヒットを飛ばした歌謡曲の中からおすすめの楽曲をピックアップして紹介します。

すぎやま氏の楽曲に共通するのは、シンプルで洗練されたメロディ。

子どもから大人まで誰が聴いてもわかりやすく、楽器の音色や歌詞まで「音楽」をまるごと楽しむことができる楽曲の魅力をぜひ感じてみてください。

ドラゴンクエスト序曲

たった5分でメロディを作曲したという驚きのエピソードを持つ楽曲。すぎやま氏本人は、それまでの人生を含めた「54年と5分で出来た曲」と表現しています。

序曲はシリーズ全作に共通するテーマ曲ですが、ゲーム音源ではナンバリングごとに前奏部分や全体のアレンジが異なるので、違いを聞き比べるのもおすすめ。

冒頭で高らかに鳴る金管楽器や華やかなトリルの木管楽器など、さまざまな聴きどころが鏤められた不朽の名曲です。

レクイエム

タイトルの通り、キリスト教会で死者を弔うために歌われる聖歌の雰囲気を引き継いだクラシック寄りの楽曲です。

ゲーム内でパーティが全滅した時に流れるため、曲の最初から最後まで重く沈んだようなメロディが続きます。ゲーム中にはあまり聴きたくないかもしれませんが…名曲です。

動画は、すぎやま氏の訃報を受けて東京都交響楽団が行った追悼演奏です。

恋のフーガ

動画は2003年の小柳ゆき歌唱のカバー版。双子の女性デュオ、ザ・ピーナッツが1967年に発表した楽曲がオリジナルです。

同時代に作られたザ・ピーナッツの楽曲に複数あった「恋の〇〇」というタイトルシリーズの一曲で、西洋音楽における「フーガ」は主題を繰り返し反復して展開する楽曲を指します。

厳密に言うとフーガ形式の曲ではありませんが、シンプルなメロディの繰り返しと掛け合いでこんなにも耳に残る曲ができるのか、と驚くばかりです。

学生街の喫茶店

1970年代に活動したフォークグループ、GAROの楽曲。シングルB面の扱いで発売された曲ですが、その後ラジオや有線放送で多く取り上げられるようになり、最終的にはグループ最大のヒット曲となりました。

男性ヴォーカル特有の低い音域で淡々と歌い上げるパートと、サビで伸び上がる高音の対比が印象的です。

弦楽器やイングリッシュ・ホルンのしっとりとした音色が、歌詞の世界観とリンクしているように感じられます。

さいごに

独学で作曲を学び、日本を代表するゲーム音楽の作曲家となったすぎやまこういち。その音楽を支えていたのは、幼い頃に聴き込んだクラシック音楽でした。

さまざまなジャンルでヒット曲を生み出し、生涯現役を貫いたことは「すごい」としか言いようがなく、尊敬の念に堪えません。

すぎやま氏が愛情を持って作った楽曲は、今後も長きにわたって演奏され続け、私たちの耳を楽しませてくれることでしょう。