人気ピアニストとして、60年を超える華々しい演奏キャリアを送ったクララ・シューマン(1819年〜1896年)は、ロベルト・シューマンの妻として良き家庭を築き、8人の子どもを産み育て、その上優れた作曲家でもありました。

しかしその作品は、1970年代に再評価されるまでは、ほぼ忘れ去られた存在でした。近年、作品が再認識されるとともに、演奏機会や録音も増えています。

本記事では、クララの代表的な作品の中からとくに注目したい曲を紹介していきます。

▼クララ・シューマンの生涯や作曲技法などに関する情報は下記記事をご覧ください。

案内人

  • だいこくかずえ小さな頃からピアノとバレエを学び、20歳までクラシックのバレエ団に所属。のちに作曲家の岡利次郎氏に師事し、ピアノと作曲を10年間学ぶ。職業としてはエディター、コピーライターを経て、日英、英日の翻訳を始め、2000年4月に非営利のWeb出版社を立ち上げる。

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『3つのロマンス 』Trois romances Op.11

19世紀のヨーロッパ音楽における「ロマンス」とは、抒情的な旋律や甘美な内容をもつ器楽曲の一つのジャンルのことでした。「ロマンス」と名のついた作品は数多く、クララの夫ロベルトは、1839年にオーボエとピアノのための『3つのロマンス』を作曲しています。そして同じ年に、当時20歳だったクララも同名のピアノ曲を作っています(作品11)。

さらにクララは1853年に同名のピアノ曲を再度作り、その第1曲を誕生日のプレゼントとして、ロベルトに贈りました。そして第1曲から第3曲までを『3つのロマンス』(作品21)としてまとめ、後に友人のブラームスに献呈しています。この曲はクララのピアノ曲として演奏される機会が多いのではないでしょうか。藤田真央も2022年1月に、ピアノリサイタルでこの曲を演奏しています。

作品22の『3つのロマンス 』は、作品21と同じ年に作られたバイオリンとピアノのための曲です。三つの中で最も知られ、よく演奏されている作品かもしれません。この曲は旧知のバイオリン奏者ヨーゼフ・ヨアヒムに献呈され、二人で作品披露のツアーを行なっています。

ヨアヒムは14歳のとき、クララと出会い「一つ一つの音に魂が込められている、こんなバイオリンは聴いたことがない」と称賛された逸材。以来二人の親交は続き、演奏家キャリアの間に、ヨアヒムとクララはドイツ、イギリスなど238回のツアーを行いました。

ピアノ協奏曲イ短調 Konzert für Klavier und Orchester a-moll Op.7

クララは生涯に二つのピアノ協奏曲を書いています。作品7と作品18。しかし1847年に書いた作品18の方は、第1楽章のみで完成には至っていません。1833年~1835年に書かれた作品7が、唯一の完成作品になります。このイ短調の協奏曲はクララが13歳のときに書き始められ、第1楽章のみが1833年11月に完成。その翌年、未来の夫であるロベルトがオーケストレーションの一部を修正し、クララは複数のコンサートで演奏を果たします。

1834年6月にはその楽章を最終楽章に据え、新たな第1楽章を加え、その翌年にチェロとピアノによる緩徐楽章(第2楽章)を書いて全体を完成させています。その際、ロベルトが手を加えたオーケストレーションをクララは元に戻し、新たなピアノ協奏曲として仕上げています。クララの16歳の誕生日直前のことでした。1835年11月、ライプツィヒにて、クララのピアノ独奏、メンデルスゾーン指揮でこの曲は初演されました。

切れ目なく第1楽章につづく第2楽章は、オーケストラの入らない「チェロとピアノのみによる演奏」と、一風変わっています。これにはちょっとしたエピソードがあり、当時クララはチェリストのアウグスト・テオドール・ミュラー(1802~1875年)に恋をしていて、それでチェロとピアノだけの楽章を書いたと言われています。ピアノとチェロ、二つの楽器がまるで恋人たちが抱き合って踊るように書かれています。この章が「ロマンス」の名で呼ばれるのもそんな理由からでしょうか。

ピアノ三重奏 Piano Trio in G minor Op.17

作品17、ト短調のこの曲は、クララがドレスデンに滞在中の1845年~1846年に書かれました。クララの最高傑作とも言われる作品です。しかしこの間、クララとロベルトは、非常に厳しい時期を過ごしていました。一つにはロベルトの健康状態が思わしくなく、少しでもそれを向上させようと、1846年の夏、二人は北海に位置するノルダーナイ島へ休養に出かけます。そこでクララは流産という悲劇に見舞われます。『ピアノ三重奏』はそんな苦しみの中、そのノルダーナイ島滞在中に完成させられました。

面白いことに、その1年後、夫のロベルトも最初の『ピアノ三重奏』(作品63)を完成させます。二人の三重奏曲は似たところが随所に見られ、ロベルトはクララの影響を受けて書いたのでは、とも言われています。この二つの作品は、しばしばコンサートでペアで演奏されたそうです。クララ26歳、ピアノ、声以外の初めての作品で、結婚6周年の記念にロベルトに贈られました。

3つの前奏曲(プレリュード)とフーガ 3 Praludien und Fugen Op.16

クララとロベルトは1845年ごろ、対位法とフーガの研究に夢中になっていました。フーガと言うとバッハを筆頭とするバロック期のイメージがありますが、古典派、ロマン派、さらには近代の作曲家もフーガの形式による楽曲をたくさん書いています。モーツァルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、R.シューマン、ショスタコーヴィッチなどです。

フーガとは、最初に一つのテーマが提示され、それが二つ以上の声部によって違う調性で何度も繰り返される、対位法を主体とした楽曲形式の一つ。同じ旋律が同じ調で繰り返されるカノンに対し、フーガは旋律が違う調性で各声部に現れるため、複雑で高度な音楽効果をあげることができます。

この『3つの前奏曲とフーガ』(作品16、1845年頃)は、シューマン夫妻がフーガの研究をしていた頃に書かれた作品です。さらにクララは同じ年に、『J.S.バッハの主題による3つのフーガ』も書いています。

『3つの前奏曲とフーガ』の 第1曲、2曲(特に前奏曲)は、クララらしい香りたつようなロマンが感じられる作品。そして前奏曲とフーガが対になっているのが第3曲です。同じリズムと音型の主題が両者で使われており、バロック的な趣きのある非常に美しく深みのある作品です。

前奏曲(プレリュード)
フーガ

歌曲ほか

クララは生涯で約20曲の歌曲を書いていますが、その内、作品番号がついているものは三曲のみ。ロベルトとの共同による歌曲集『愛の春』(作品12、1840年/ ロベルトの歌曲集としては作品37)、『6つの歌曲』(作品13、1842 – 43年)、『ヘルマン・ロレットの「ユクンデ」による6つの歌』(作品23、1853年)で、これ以外に出版されたものは二曲のみです。この中から『6つの歌曲』の演奏を紹介します。

最後に、これは代表曲ではありませんが、クララ(11歳)にとって初めて出版された記念すべき作品「4つのポロネーズ」(作品1、1831年)を、 BBC Radio 3で録音されたピアニスト小川典子の演奏でお聴きください。

まとめ

過去の時代の芸術が再評価される場合、何かきっかけが必要になります。忘れられた存在だったクララ・シューマンが、20世紀半ばをすぎて「再発見された」のは、ひょっとしたら当時のフェミニズムの機運の中でのことだったのでしょうか。

そして2019年の生誕200年を機に、いま再び演奏される機会が増えているとしたら、このような記念日の役割というものが、社会に対してどう作用するのかが見えてきます。もちろん、クララ・シューマンの楽曲が、単なる「きっかけ」に終わらないだけの高い作品性があってのことなのですが。

主な参考文献:Get to Know: Clara Schumann、FemiBio、Thea Derks、ピティナ・ピアノ曲事典、Wikipedia(日・英)、Sounds and Sweet Airs: The Forgotten Women of Classic Music(Anna Beer)、Clara Schumann : the artist and the woman(Nancy B. Reich)