芸術分野では「何かを欠いた」状態は、その完成の姿を夢想させ浪漫を感じさせてくれる。ことクラシック音楽というジャンルに関しても「未完成」というのが大きな魅力になり得ます。

本記事ではクラシック音楽の主要ジャンルの一つ「交響曲」と「未完成」という2つのキーワードを紐解いていきます。

案内人

  • 板谷祐輝大学では作曲・音響デザインを専攻し、CDショップ・エンタメ小売業界でマーケティングに就く。仕事の傍らピアノ演奏・劇伴作曲も手掛け、CD評等のライター業も行う。

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シューベルトと未完成交響曲

2022年は生誕225周年ということもあり、ナントでのラ・フォル・ジュルネでも特集されたフランツ・シューベルト。彼の作品の中でとりわけ有名なものといえば、交響曲第7番ロ短調《未完成》ではないでしょうか?

彼は作曲途中でその楽曲を放棄することが多く、実は他にも完成されなかった交響曲やその断片がいくつも存在します。そんなシューベルトの未完成交響曲の世界を、後世の研究で補完された録音と共に見ていきましょう。

交響曲第7番ロ短調《未完成》D759

言わずと知れたシューベルトのロ短調交響曲は、クラシック音楽の中でも屈指の人気を誇る名曲です。ほとんどのCDやレコードでは2楽章まで録音されていますが、この時代の交響曲は4楽章を擁するのが一般的です。

実は第3楽章以降はピアノスケッチや若干のオケ譜が残されただけで、この交響曲は途中で破棄された作品でした。ところが第2楽章までは完全に残っていたのでそこまで演奏するのが慣例となっていました。その後ブライアン・ニューボールト、ニコラ・サマーレなどの研究家たちが4楽章制の交響曲への復元を試みてきました。

こちらはスイスの指揮者:マリオ・ヴェンツァーゴによる補筆完成版の録音です。ロ短調という同じ調性であることや、同時期に作曲されたことから劇音楽《ロザムンデ》D797のバレエ音楽第1番が関係あると過去の研究でも言及されていました。

ヴェンツァーゴは「ロザムンデはむしろ未完成交響曲から転用されたのでは」という仮説のもと未完楽章を補完しました。

交響曲ホ長調D729

かつて旧シューベルト全集ではこのホ長調交響曲は完成された作品として、第7番と呼ばれていました。しかし残っているのはピアノスケッチのみでオーケストラ作品からは程遠い状態であることから、新シューベルト全集編纂時に未完扱いとなったのです。

ですが一部だけ残っている断章等と比べれば完成に近いため、オーケストレーションを施す研究がされ録音も聴けるようになりました。

こちらはブライアン・ニューボールトによる補完版を収録した盤です。

交響曲(第10番)ニ長調D936A

シューベルトが最後に着手した交響曲とされている交響曲です。イタリアの現代作曲家:ルチアーノ・ベリオが《レンダリング》という作品で、この曲を再作曲するという手法で取り上げています。

先にも述べた通り通常4楽章制が一般的ですが、この曲に関しては第3楽章がスケルツォ・フィナーレの両要素を兼ね揃えていることから全3楽章構成なのではと考えられています。

幻の「グムンデン=ガスタイン交響曲」

シューベルト研究の中で混乱を招いている一曲です。グムンデン、ガスタインはそれぞれオーストリアの地名で、書簡などから作曲家がこの地に滞在中に交響曲を書いていたことはわかっていたが、それがどの曲なのかが不明なままでした。

「連弾曲《グラン・デュオ》D812はこの交響曲をピアノ連弾に編曲したもの」という説もあり、ヴァイオリニスト:ヨーゼフ・ヨアヒムはこの説に則り逆にオーケストレーションを施しました。

また1973年にこの交響曲として前述のD729とは別のホ長調の交響曲が発見されるということがありました。しかし後にこの曲はグンター・エルショルツが散乱した断片を再構成し作曲した偽作であることが判明します。

現在ではその正体は交響曲第8番ハ長調《ザ・グレート》D944ではないかと考えられ研究が進められていますが、未だに解明はされていないのです。

他の作曲家の「未完成交響曲」

シューベルト以外にも、交響曲を志し半ばで未完にする作曲家は多数います。録音を交えながらそれらをご紹介します。

ベートーヴェンの交響曲第10番

ベートーヴェンの9曲の交響曲はクラシック音楽の金字塔ですが、実は第10番を書こうとした痕跡が残っています。

残念ながら、使用するであろうフレーズのスケッチが幾つかあるだけで楽曲構成は明確には残されていません。そのため作品として省みられることが殆どありませんでしたが、1983年にベートーヴェン研究の第一人者であるバリー・クーパーによって交響曲第10番の第1楽章が復元・発表されました。

さらにその後、生誕250周年である2020年に向け交響曲第10番をAIで補完を試みるプロジェクトが発足しました。この年にボンで初演される予定でしたが世界的なコロナ禍の影響で延期され、翌年に第3楽章と第4楽章が演奏され録音も残されました。

筆者個人としては第3楽章スケルツォのスケッチに記された旋律が好きだったので、完成された音楽になったことが非常に感慨深く感じます。残念ながら未だ第2楽章の補完は行われておりませんが、「補完」という手法が進歩していくことがわかる非常に興味深い試みです。

チャイコフスキーの交響曲第7番

第6番《悲愴》をはじめとする後期3大がとりわけ有名なチャイコフスキーですが、これら以外にもう一曲、「人生」をテーマとした変ホ長調の交響曲を作曲していました。しかしこの構想は放棄され、その第1楽章は後にチャイコフスキー自身によって「ピアノ協奏曲第3番op.75」として書き換えられ、残りの楽章は弟子のタネーエフにより「アンダンテとフィナーレop.79」としてまとめられました。

チャイコフスキーの死後、これらの曲を元に、当初の構想であった交響曲へ復元する研究が進められたというわけです。その一つの成果として、ソビエト連邦の音楽理論家で作曲家のセミヨン・ボガティレフは「交響曲第7番変ホ長調」という4楽章制の交響曲を作成しました。

この他にもピョートル・クリモフは3楽章制の「未完成交響曲『ジーズニ(人生)』」として復元し、女性指揮者の西本智実による2006年の演奏が大きな話題になりました。

ブルックナーの交響曲第9番

後期ロマン派最後のシンフォニストとして名高いブルックナーの第9番も偉大なる未完成交響曲です。彼は死の間際まで最終楽章を書き続けていました。

シューベルト同様完成された第3楽章までを演奏するのが慣例になってしまいましたが、未完の第4楽章自体もほとんどブルックナー自身によって書かれ手を加える余地が少なくて済むため、さまざまな研究家によって補完が試みられてきました。

こちらの録音は4名の研究家による最新の補完「SMPC完成版」をさらに2011年に改訂したもので、ラトル&ベルリンフィルの黄金タッグということもあり非常に話題になりました。

マーラーの交響曲第10番

マーラーの第10番は、補完された未完成交響曲の中でも聴く機会が比較的多いのではないでしょうか。

第1楽章はオーケストレーションも済ませた完全な形で残ったためこの楽章のみを演奏することもありますが、デリック・クックによる全5楽章の補完版の録音も多数存在します。

こちらは前述の元ベルリンフィル主席指揮者のサイモン・ラトルのデビュー盤となった1980年の録音です。

結びに

未完成交響曲の補完は、聴き手一人一人の想像力が膨らみます。

「もし生きていたら」「こう書いていたら」、そんな自分の中の「ifの音楽史」を楽しむ手引きになれば幸いです。