クラシック音楽の楽譜は、今や世界各国で出版されています。でも、同じ曲の楽譜がいくつも販売されていて、どれを購入すべきか迷った経験はありませんか?

  • なんで同じ曲なのに楽譜が違うの?
  • 原典版と校訂版の違いは?
  • どうやって選んだらいいの?

これらの疑問に、芸術専門図書館の司書である筆者が回答します!

クラシックの楽譜にまつわる知識や主な出版社の特徴についても解説するので、ぜひ参考にしてくださいね。

案内人

  • 笹木さき4歳でピアノを習いはじめ、中学・高校の吹奏楽部ではトランペットとトロンボーンを担当。高校卒業後は音楽大学の短期大学部で作曲とジャズピアノを専攻。

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同じ曲の楽譜がいくつも出版される理由

現在流通しているクラシックの楽譜は、さまざまな理由で枝分かれした過去の譜面の中から「作曲家自身が書き残した内容」を選び取って制作しています。

出版社によって資料検証の内容が異なるため、同じ曲なのに一部の音程が違ったり、装飾音が違ったりする譜面が多数出版されているのです。

ここでは、クラシックの楽譜が時代と共に枝分かれしてしまった要因を3つ紹介します。

写譜の間違い

印刷技術が発達する以前、音楽の勉強や演奏のために楽譜を複製するときは、作曲家の弟子や写譜師と呼ばれる人が譜面を手書きで写していました。そのため、写し間違いや記譜の曖昧な楽譜が生まれ、同じ曲なのに内容の違う楽譜が流通してしまったのです。

また、書き写した人物の情報が欠けていると、後世に残った譜面が作曲家本人のものと混同されてしまうこともあったようです。

作曲家自身による改訂・改稿

作曲家自身が曲の改訂を繰り返した場合、後世に残った譜面の中から「最も作曲家の意図に沿ったものを選ぶ」という作業が非常に難しくなります。

出版社によって見解が分かれた結果、細部の異なるさまざまな楽譜が流通する現状につながったと言えるでしょう。

シューベルト、リスト、ブルックナーなどは、作品にこだわりを持ち、曲の改訂を繰り返し行っていたことで有名です。

ちなみに大幅な改稿の場合は「第〇稿」(英語では「Version」、ドイツ語では「Fassung」)などの表記で区別した楽譜が出版されています。

第三者による加筆・改変

19世紀以降、作曲当時と演奏する時代の状況の違いを考慮した上で音楽を表現しようとする演奏者が現れました。著名な演奏家たちによって改変を加えられた楽譜は、作曲者の死後、さまざまな会社から出版されることになります。

この手の話題で取り上げられる楽譜に、ショパンの「コルトー版」があります。ピアニストであり、教育者でもあったアルフレッド・コルトーによる譜面の魅力は、工夫された独自の運指。しかし、演奏のしやすさを追求するあまり、「エチュード Op.10-5『黒鍵』」では、左手で弾くべき音を右手に書き換えるといった改変を行っています。

原典版と校訂版の違い

クラシックの楽譜は、その成り立ちの違いによって「原典版」と「校訂版」に分類することができます。より良い演奏を実現するためには、原典版と校訂版それぞれの特徴を理解して、必要に応じた楽譜を使い分けることが大切です。

ここでは、原典版と校訂版の定義と使いどころを紹介します。

原典版とは?

原典版とは、作曲家が意図した内容をできる限り再現した楽譜のことです。数々の資料批判を繰り返して第三者による改変を取り除くことから、「批判校訂版」とも呼ばれています。

特に18世紀のクラシック音楽の作品は、演奏家による改変が加わった楽譜の出版が多く、作曲された当時と内容が大きく異なる作品も少なくありません。専門家が検証を重ねて作り上げた原典版は、作曲者の意図を理解するのに役立つため、曲を忠実に演奏したい人におすすめです。

ただし、作曲当時の楽器で演奏する前提で書かれた楽譜なので、ダイナミクスやペダル記号などが極端に少ないという特徴もあります。
原典版の楽譜を使って演奏するには、「譜面を読み解く力」と「適切な演奏を組み立てる知識・技術」が必要です。そのため、原典版はやや上級者向きの楽譜と言えるでしょう。

校訂版とは?

校訂版とは、より良い演奏ができるように著名な演奏家や学者などの専門家によって書き換えられた楽譜のことです。校訂者の解釈によるアーティキュレーションやダイナミクス、運指などが盛り込まれているため、「解釈版」とも呼ばれています。

楽譜の指示通りに演奏すれば一定の演奏効果が得られるので、基礎的な表現力を高めたい学習者に向いている楽譜と言えるでしょう。

ただし、校訂者の個人的な解釈が反映されているため、1つの楽譜だけを盲信するのはおすすめできません。原典版と併用したり、他社の校訂版と見比べたりして楽譜の特徴を理解した上で活用しましょう。

楽譜を選ぶときのポイント

クラシックの楽譜を選ぶときは、次の5つのポイントに注目してみましょう!

楽譜ごとの違いが分かりやすく、自分にとってベストな楽譜を見つける手がかりになります。

  1. 出版社
  2. 校訂者
  3. 運指やボーイングの有無
  4. 曲の解説、注釈の言語
  5. 譜めくりのしやすさ

作曲家の意図に沿った原典版は資料的価値が高いと言えますが、演奏に使うなら実用性のチェックも忘れてはいけません。

大きい楽器店などではさまざまな出版社の楽譜が販売されているので、購入前にいくつか見比べてみてくださいね。

人気の楽譜出版社5選

ここでは、国内外の数ある楽譜出版社の中から人気の出版社・広く親しまれている出版社を5つ紹介します。

ベーレンライター

モーツァルト/ピアノ・ソナタ第1番 ハ長調 K.279(189d)

1920年代にドイツ・カッセルで創業。音楽学に根ざした信頼できる原典版を出版しています。また、新バッハ全集をはじめとする、多数の作曲家の作品全集を制作し、プロの演奏家や専門家から高い評価を得ています。

ヘンレ

モーツァルト/ピアノ・ソナタ第1番 ハ長調 K.279(189d)

1948年にドイツ・ミュンヘンで創業された原典版の出版社。学術的な裏付けのある信頼性の高い楽譜が人気です。近年は電子ファイル形式の楽譜も提供するなど、時代に合わせたサービスを展開しています。

ペータース

1800年にドイツ・ライプツィヒで創業された歴史ある出版社です。原典版をこの世に送り出したのはペータースが最初だと言われています。

原典版以外の楽譜も編集者の書き込みを括弧で区別するなど、演奏者が見やすいように工夫されています。

音楽之友社

モーツァルト/ピアノ・ソナタ第1番 ハ長調 K.279(189d)

創業は1940年代。楽譜の他、雑誌や書籍を扱っている日本でおなじみの音楽出版社です。

ユニヴァーサル社・ショット社と提携して、1973年からウィーン原典版の日本語版を刊行。ウィーン原典版は確実な出典に基づいて校訂された原典版であると同時に、世界的な演奏家による運指や解説付きで演奏にも適した楽譜です。

全音楽譜出版社

1931年に創業された出版社で、ピアノ曲集やピアノピースを多く刊行しています。

安価で手に入れやすい楽譜が多いことから、音楽之友社と並んで日本中で広く親しまれている人気の出版社です。

【作曲家別】おすすめ楽譜

楽譜には、特定の作曲家の作品において有名な版がいくつかあります。

ここでは、ショパンとベートーヴェンのピアノ作品で特に重要視されている楽譜をピックアップして紹介します。

ショパン

ショパンのピアノ作品を演奏するとき、重要視されることの多い版は次の3つです。
それぞれ校訂者の名を冠して呼ばれています。

  • エキエル版(ポーランド音楽出版社/全音楽譜出版社)
  • パデレフスキ版(ポーランド音楽出版社/ヤマハ)
  • コルトー版(サラベール)

ショパンのピアノ作品は、楽譜ごとに演奏指示が大きく異なるため、奏者によって好みが分かれるでしょう。中には、曲の一部で音の高さが違っている版もあります。

ショパンの楽譜を選ぶときは、運指、ペダル、ダイナミクスなどの特徴を見極めて、自分に合ったものを選んでくださいね。

ちなみにエキエル版はポーランドの国家事業として制作された原典版で、その信頼性の高さからショパンコンクールの推奨楽譜に採用されています。

ベートーヴェン

次の2つはベートーヴェンのピアノソナタの参考としておすすめできる版で、どちらも有名ピアニストが校訂を担当しています。

シュナーベル版(クルチ)

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第1番 ヘ短調 Op.2-1

アラウ版(ペータース)

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第1番 ヘ短調 Op.2-1

どちらの譜面も運指、ペダル、ダイナミクスなどに校訂者の個性が出ていて、根強い人気があります。

まとめ

原典版と校訂版は異なる特徴を持っていますが、どちらが良い・悪いというものではありません。
大切なのは、自分の求める機能が備わっている楽譜を見極めること。

今回紹介した楽譜選びのポイントを踏まえて、演奏や学習に役立つ楽譜を選んでくださいね。