フォーレの歌の澄んだ優雅さが、モーツァルトの最も美しいアリアを思い起こさせるとするなら、その叙情性はシューマンのリートに匹敵するだろう。

こう表現したのはフランスの作曲家、モーリス・ラヴェル(1875ー1937年)です。パリ国立高等音楽院時代の師であったこともあり、ラヴェルはフォーレ(1845ー1925年)の歌曲を高く評価していました。

ところで日本のクラシック音楽シーンの中で、フランス音楽というのは、どのような受けとめ方をされているのでしょうか。ドイツ系の音楽については、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンなど、さほど音楽に馴染みのない人でも名前くらい知っています。ブラームス、シューマン、ワーグナーあたりの音楽家も、それなりに知られているでしょう。

ではグノー、サン=サーンス、ドビュッシー、あるいはラヴェルやサティはどうなのか。フランス近代音楽の巨匠たちです。そしてガブリエル・フォーレは? それほど知られていないかもしれません。もちろん音楽に詳しい人は知っているでしょうけれど。

おそらく日本ではドイツ音楽=クラシック音楽、というくらいドイツ・オーストリア系の音楽家の存在が大きいのだと思います。ピアニストの花房晴美さんが、日経新聞ウェブ版のインタビューで、ドイツ音楽優勢の日本で、サティなどのフランス音楽をもっと広めたい、と語っていたことがありました。

フランス音楽はドイツ・オーストリア音楽と比べると、どこか柔らかでちょっと気まぐれ、そして軽やかな印象があるように思います。またエスプリや品のいい官能も感じられます。ドイツ音楽が規律ただしく重量感のある四角いイメージだとすると、フランス音楽は捉えどころのないフワリとした曲線のような感じでしょうか。ライ麦入りの黒くてずっしりしたパンがドイツ音楽とするなら、サクッと軽く香ばしいクロワッサンがフランス音楽。もちろんすべての楽曲にこれが当てはまるわけではありませんが。

そんなフランス音楽の中でも歌曲は、ドイツのリートやイタリア歌曲とともに、魅力あふれる聴く楽しみの多いジャンルかもしれません。

フランスにおける歌曲の真の創始者はシャルル・グノーである。

ラヴェルは『ラ・ルーブ・ミュジカール(La Revue musicale)』というフランスの音楽誌の中で、このように書いています(『ガブリエル・フォーレの歌曲』1920年10月)。さらに17、18世紀フランスのクラブサン音楽の「ハーモニーの神秘」を再発見したのもグノーである、と位置づけています。グノーのあとそれを引き継いだのが、ガブリエル・フォーレとエマニュエル・シャブリエ(1841ー1941年)であり、さらにはビゼー、ラロ、マネス、そしてクロード・ドビュッシーとつづいていく、これがラヴェルのフランス近代音楽に対する見解です。ラヴェルによれば、「どの作曲家も多かれ少なかれ、グノーの恩恵を受けている」とのこと。*シャルル・グノー(1818ー1893年)

ラヴェルによるフォーレの歌曲解説

ラヴェルから見たフォーレに対する世の中の評価は「このフランスの偉大な作曲家に対して、およそ釣り合っていない」という思いがあったようです。中でも歌曲に対するラヴェルの評価は高く、以下のように書いています。

フォーレの歌曲を研究することなしに、この作曲家の真価を理解することは不可能である。彼の歌曲は、ドイツのリートが支配していたヨーロッパの歌曲に、フランス音楽の価値を示すものだった。

この時代、つまり普仏戦争(1870ー1871年)でプロイセン(ドイツ)に敗れたあとのフランスは、ナショナリズムの影響下で自国音楽の普及につとめていた時期でした。ラヴェルは、フォーレの音楽的特徴について、次のように書いています。

サン=サーンス(1835−1921年)の元で学んだフォーレは、師が重視する形式に対する尊重より、グノー風の色彩の方に惹きつけられたようだ。フォーレの歌には、サン=サーンスが生み出した真に新しいテクニック、ごく短い曲にも見られるような構造の追求といったものはほとんど見られない。フォーレの作品では、構造が熟考されることはなく、もっと自然発生的である。それにより柔軟性を生んでいる。

フォーレは1896年よりパリ国立高等音楽院で作曲科の教授を務め、ラヴェルは1898年からフォーレのクラスで学びはじめます。フーガの試験に2度失敗したラヴェルは、1900年にクラスから除名されますが、その後の3年間、聴講生として授業を受けることをフォーレから許されたといいます。

『秘密/Le Secret』聴き比べ

『ガブリエル・フォーレの歌曲』の中で、ラヴェルはフォーレの歌曲のいくつかを取り上げ、それぞれに論評を加えています。その中から『秘密(Le Secret)』を紹介しましょう。

『秘密』はフォーレの歌曲の中でも最も美しい「リート」の一つである。この曲では、魅力あふれるメロディーラインと繊細なハーモニーがうまくマッチしている。曖昧模糊とした、耳にしたことのない和声の解決(協和音への移行)、遠隔調(遠い調性)への転調、予測のつかない道筋による主音への回帰。これらはフォーレが巧みな技量で、ごく初期からつかってきた危険なテクニックの一つである。シャブリエもこれに似たテクニックをつかっているが、フォーレ、シャブリエどちらにも、それぞれの手法がある。シャブリエはよりくっきりと直接的な形で、フォーレは控えめに品良く。シャブリエがその効果を強調してみせるのに対し、フォーレは尖ったところを削り、さらにその先をいく。

ラヴェルはなぜ、この曲に対して、括弧付きで「リート」という言葉をつかったのでしょう。ドイツ歌曲に匹敵する、ということを強調する意図なのか。

さて、ここで『秘密』がどんな歌なのか、3人の歌い手による歌唱で聴き比べてみましょう。

まずは20世紀後半に活躍したフランスを代表するソプラノ歌手、レジーヌ・クレスパン(1927ー2007年)の歌唱から。クレスパンはワーグナーのオペラを得意とするなど、ドラマティックな歌いぶりで知られていますが、フォーレの歌曲はどれも、優しくやわらかな声で控えめに歌っています。

https://youtu.be/sN-Ra5OhBi8

次に紹介するのはアンネ・ソフィー・フォン・オッター(1955年ー)。スウェーデンのメゾソプラノ歌手で、オペラから宗教曲、歌曲とレパートリーは広く、バッハ以前のバロックや世紀末ウィーンの作曲家にも取り組んでいます。美しく、知的で、自然な歌いぶりです。

https://youtu.be/6L7zRQc9o8s

3人目はNGATARIのヴォーカリスト、Jessicaによる歌唱です。日本のクラシカルレーベル(good umbrella record)から去年11月にリリースされたフォーレ歌曲集『RE-FAURÉ』より。Jessicaのボーイッシュな歌声が、中川瑞葉のほどよい現代感覚のピアノでサポートされ、エレガントなフォーレの楽曲に清新な風を吹き込んでいます。

『秘密(Le Secret)』はフランスの作家、アルマン・シルヴェストル(1837ー1901年)の詩による歌です。その詩を日本語訳で紹介します。

秘密

わたしは 朝に 知られたくない
夜に告げた その名前を
夜明けの風のなか しずかに
涙が乾くように 消えてほしい

わたしは 昼に 言いふらしてほしい
朝に隠した 愛のことを
そして わたしの放たれた心に身をよせて
お香のように 燃えたたせてほしい

わたしは 夕べに 忘れてほしい
昼に話した 秘密を
わたしの愛とともに 持ち去ってほしい
暮れなずむ淡いローブにつつんで

(詩:アルマン・シルヴェストル 訳:だいこくかずえ)

『夢のあとに/Après un rêve』

もう1曲聴き比べをしてみたいと思います。1865年、フォーレ20歳のときの作品です。ラヴェルは「フォーレの個性は初期の作品によりはっきりと現れている」と書き、この歌曲が非常に若いときに書かれたことに驚いています。

まず最初はポーリン・ルトレの歌で聴いてみましょう。どのような歌い手か、資料がなくわかりませんが、速めのテンポで淡々と歌い現代的なフォーレです。SoundCloudのレビューでは「完璧な歌声」「夢の中でうっとりさせられる」など18のコメントが寄せられていました。

次は再度フォーレ歌曲集『RE-FAURÉ』からJessicaの歌声で。ドラマティックな詩の世界(夢の中で恋人と空へ飛びたつが、夢が覚めて激しい嘆きに変わる)をほどよい情熱の込め方で、美しく感動的に歌い上げています。

フレデリカ・フォン・シュターデはドイツ系アメリカ人のメゾソプラノ歌手。自然な発声法で、この歌を伸びやかに美しく歌っています。かなり遅めのゆったりとしたテンポが印象的です。

https://youtu.be/nIito3Te4aY

『夢のあとに』の詩は、19世紀フランスの詩人ロマン・ビュシーヌによるもの。トスカーナ地方の古い歌を元に、ビュシーヌが作品化したとも言われています。ビュシーヌはパリ音楽院声楽科の教授で、フォーレとは同僚でした。フォーレはこの歌以外にもビュシーヌの詩に曲をつけています。

Jessicaのフォーレ、矢野顕子のラヴェル

『秘密』『夢のあとに』で紹介したフォーレ歌曲集『RE-FAURÉ』は2017年のアルバムですが、同じようなクラシカルの企画に、1985年の矢野顕子の『BROOCH』があります。こちらはラヴェル、ドビュッシーといったフランス歌曲だけでなく、ウェーベルンやストラビンスキー、高橋悠治作曲による作品も選ばれています。Jessicaがすべてオリジナルのフランス語で歌っているのに対し、矢野顕子はフランス歌曲については英語版の歌詞をつかっています。

ベルカントのようなクラシックの歌唱法ではない歌い方で、クラシック界以外の歌い手が19〜20世紀の歌曲をうたい、いまの時代に問うという点で、この二つのアルバムには共通項があります。普段ポップスを聴いている人々にとって、クラシックのビブラートがかかった歌声は馴染みにくいもの。しかし楽曲そのものは、楽譜に特定の歌唱法が指定されているわけではなく、自由度があります。とはいえ違うジャンルの音楽に取り組む場合、歌い手にとって、その音楽への理解度や、「歌」や「声」に対する主体性といったものが、自分のジャンルのものを歌うとき以上に強く意識されるかもしれません。

Chanson Francaise (French Song) (作詞:トラディショナル、作曲:モーリス・ラヴェル)
ヴォーカル:矢野顕子、ピアノ:高橋悠治

『RE-FAURÉ』のコンセプトムービー
ヴォーカル:Jessica、ピアノ:中川瑞葉、リミックス及び間奏曲:Prefuse73

矢野顕子の『BROOCH』から30年以上の時を経て、フォーレの歌曲を21世紀によみがえらせたヴォーカリスト、Jessica。コンセプトムービーの最後で歌われる『ピエ・イェズ(Pie Jesu)』は、フォーレの『レクイエム』(モーツァルト、ヴェルディとともに「三大レクイエム」に数えられる)の中の1曲です。

死者のためのミサ曲でありながら、「死は苦しみというより、永遠の至福の喜びに満ちた開放感である」とフォーレが語っているように、レクイエムらしい崇高さに加えて、明るさや希望に満ちた楽曲で、これを歌うJessicaの真っすぐな歌唱は感動を呼びます。このアルバムでは、各歌の間にPrefuse73によるエレクトロニック・ミュージックが挟まれ、その浮遊感がフォーレの歌曲を今の時代にぐっと引き寄せる役割を果たしています。

フォーレの歌曲の詩人たち

フォーレの歌曲に詩を提供している詩人や作家として、上にあげたシルヴェストルやビュシーヌ以外に、ポール・ヴェルレーヌ(1844ー1896年)、ヴィクトル・ユーゴー(1802ー1885年)などがいます。ラヴェルは『ガブリエル・フォーレの歌曲』の中で、ヴェルレーヌの『月の光』について次のように書いています。

多くの音楽家たちがヴェルレーヌの素晴らしい詩に魅了されてきた。その中でフォーレはただ一人、それを音楽に変える方法を知っていた。この名曲は、努力の必要などなく、溢れるひらめきに導かれて書かれたように見える。詩が差し出すさまざまなイメージを無視し、メロディーは「そして噴水の水を恍惚の嘆きにみちびく」の1行のみに誘発されて生まれている。(詩の中に登場する)仮装したリュート弾きや踊り手に乱されることなく歌は流れ、その穏やかな流れの連なりは見事だ。

フォーレが優しく、うぬぼれのない人物であったことはマドレーヌ・ ゴスによるラヴェルの評伝の中の『フォーレ:ラヴェルへの影響』の章でも語られています。ラヴェル自身、フォーレの歌曲について、その人柄と絡めて「個人的な発露や情熱の表出において控えめ」「最もつつましい心の故郷への接近」「静かで出しゃばらず」「穏やかで微妙な表情やふるまいのため、あきさせることがない」「思慮深さが強みになっている」などの言葉で賞賛しています。

フォーレは1905年頃から聴覚を失いつつあったといいます。特に高音部、低音部の音が正確に聞き取れなかったようです。最初は周囲に隠していましたが、当時スイスから妻に送った手紙には「自分の最も大事なものを失いつつあることに打ちのめされている」と心の内を訴えています。

しかしフォーレはベートヴェンがそうであったように、聴覚が悪化していく中、新たな音楽の地平に行き着き、そこで作品世界をさらなる深みに導いた、とも言われています。そういった中でつくられた、フォーレ晩年の歌曲を最後に紹介します。『幻影(Mirages)』(全4曲)は1919年7月から8月にかけて1ヵ月足らずの間に作曲されました。ソプラノのマドレーヌ・グレーに献呈され、その年の12月27日に、国民音楽協会で(歌曲の初演でいつもするように)フォーレのピアノ伴奏により、グレーの歌唱で初演されました。そしてこのときが、フォーレの協会での演奏の最後のものとなったと言われています。

『水の中の影(Reflets dans l’eau)』(1919年、『幻影(Mirages)』より)
メゾソプラノ:ハンナ・ヒップ、コヴェントガーデン(ロイヤル・オペラ・ハウス)のランチタイPム・リサイタルより

主な参考文献:
“A Ravel Reader: Correspondence, Articles, Interviews” (Arbie Orenstein, 1990)
“Maurice Ravel : A Life” (Benjamin Ivry, 2000)
“Bolero – The Life Of Maurice Ravel” (Madeleine Goss, 1940)
ウィキペディア:ガブリエル・フォーレ、Gabriel Fauré(English)
ウィキペディア:レクイエム (フォーレ)