【20世紀アメリカの作曲家インタビュー】第1回 ジョーン・タワー(後編)

2018/08/09
インタビュー

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ジョーン・タワーの作曲作法

BD:作曲の依頼を受けた場合、何を受けて何を断るかどうやって決めるんですか?

JT:わたしの書く楽曲を演奏したいと心から思う人たち、何か新しいものと出会いたいと思っている人たち、そういう人々のために書きたいわね。それからわたしのよく知る人たち。知らない人のために書くことはとても難しい。演奏者と一緒に仕事するのが好きなの。わたし自身、長いこと演奏家(ピアニスト)だったから、彼らの抱える問題はよく知ってる。一つの楽曲というのは、二車線の道路と同じ。作曲家と演奏家が一緒に走る道よ、両者は音楽の創造において協力し合わなくちゃならないの。だから、そういう感覚をもっている人たちからの依頼は受けるし、一緒に音楽を作りあげたいという人たちもね。わたしが曲を書いてそれを演奏家に渡して、はい、じゃあ今度はそちらの番ね、というんじゃなくて。オーケストラの場合は、そうやって進めることもある。それは100人もの演奏家とそうするのは難しいから。でもセントルイスでは、その垣根を越えようと努力した。そのときわたしは作品制作のための招聘音楽家(コンポーザー・イン・レジデンス)のような感じで、演奏家たちと暮らしていたからね。『Silver Ladders』は、実際のところ彼らのために書いた作品だった。四つのソロパートがあって、それはセントルイス交響楽団の4人の演奏家のために書かれた。その他の部分はシンフォニーに向けて書かれたわけだけど。とても個人的な体験だと思う。

BD:じゃあ、ここシカゴにそれをもってきたら問題はないんでしょうか?

JT:いいえ、どこにもっていっても問題はないですよ。でもセントルイスの彼らとは一緒に作りあげたし、彼らは助けてくれた。ソロの部分を作るときは、ソリストたちに声をかけたし。わたしにとって、あれは本物の共同事業だったわね。

BD:じゃあ、もしその楽曲をシカゴ交響楽団のために書いたとしたら、違ったものになった?

JT:それはシカゴ交響楽団がただわたしに依頼してきて、こちらは彼らのことを全く知らないという場合? そうね、あまり面白みのない作品を書くということではなくて、個人的なつながりがない作品になるということ。だってシカゴのことは知らないわけで。だけどセントルイスでは、演奏者たちの隣りに座って、練習をともにしたのだから。

BD:演奏家の評判を知ってるだけじゃ不充分ということ?

JT:シカゴ交響楽団はアメリカで最高のオーケストラの一つだし、誰にとっても彼らのために書くことは誇りだと思う。今わたしが言ってるのはちょっと違うこと。それは人が一緒に、協力して成し遂げることを言ってるの。それはわたしが作曲家たちよりも、演奏者たちのことをいつも気にかけてるから。わたしの場合、作曲家というものを重要視し過ぎることはないの。演奏家は作曲家のようには全く考えない人たちね。

BD:演奏家は作曲家のように考えるよう学んだ方がいいとか?

JT:そう、このクラシック業界がもつ大きな問題ね。今の人間はそれをどうやるのか、忘れてしまったの。19世紀には、作曲家と演奏家が同じ人間だということがもっとあって、それによって創造的な関係性を両者にもたらすことができた。演奏家は、曲をつくる作曲家以上に曲ができる道筋に意識的だったし、その逆も真。だけど今は演奏家はずっと向こうの方にいる、何キロも先にね。彼らは全く別の問題にかかわってる。それは傾向への関心と高度な技術。わたしは彼らをオリンピック選手と呼んでるの、素晴らしいことだけどね。わたしたちは歴史の中で、かつてなかったほどの優秀な演奏家を手にしている。そうであっても、演奏家たちはいつも音楽的な選択をしているわけではないの。彼らがしているのは楽器に関わる選択。彼ら自身のせいではなくて、楽曲づくりに関する訓練を、キャリアの中で一度も経験したことがないからなの。作曲をする演奏家たちは、しない演奏家と比べて、とても違う演奏をしていると思う。

BD:で、あなたははるか彼方から、そういう人たちに目をつけてる。

JT:まあそうですね。でも作曲の才覚がありながら、全く曲を作ったことがない演奏家もいる。つまりその人たちは、演奏している曲の水面下に何があるのかについて、創造的な洞察力を充分に備えているっていうこと。でも音楽大学では、演奏家に作曲は求められていないし、作曲家が楽器の演奏を求められることもない。わたしたちはこの二つを再び一つにする必要がある。今のところ、アメリカではこの両者は、同じ学校にいながら、何十キロも離れたところで別々に教育を受けてるってこと。

 

女性作曲家と言われることについて

BD:あなたは女性作曲家と言われたいか、それとも単に作曲家と言われたいか、どっちです?

JT:自分の行くコンサートには、女性の作曲家がいないことに気づいてない人たちもいると思う。そいうことがあるから、わたしは「女性作曲家です」と紹介されるのがいいと思ってる。「女性の作曲家がいるって聞いたことある? そうだな、考えてみればないね」 これって人々の認識にとって大切だと思う。そのことを除けば、音楽は音楽そのもの、自分が女であることは音楽に何も影響しないわね。

BD:女性作曲家であることで、差別があったことは?

JT:いいえ、ないと思う。一般論としては、作曲家に対する差別はいっぱいある。女性であることは、その中では一番下にある問題かな。その位置においても小さなものよ。

BD:ルイーズ・タルマやミリアム・ギディオンのような女性の作曲家に対して、恩義とか感謝の気持ちはお持ちで?(両者とも1906年10月生まれ)

JT:ええもちろん。ルイーズもミリアムもよく知ってる。彼らの音楽はよく演奏してる(注:タワー自身の演奏グループ「ダ・カーポ・チェンバー・プレイヤーズ」で)。それは彼らが優れた作曲家だからということと、彼らには励みが必要だからね。今も活動してるでしょ。ダ・カーポが演奏したレコードがあるのだけど、とても誇りに思ってる。わたしたちの演奏グループのための二つの依頼作品があって、一つはルイーズの作品、もう一つはミリアムの作品なの。それぞれのLPの裏面には(著名な)コープランドとカウエルの短いささやかな「小品」が収まってる。(両者、笑) とても光栄に思ってる。わたしはコープランドの信望者なの。『Fanfare for the Uncommon Woman(非凡な女のためのファンファーレ)』をわたしは書いたけど、それは彼の『Fanfare for the Common Man(平凡な男のためのファンファーレ)』からの発想なの。ルイーズとミリアムはコープランドと同世代で、作曲家仲間なんだけど、二人が彼ほどの扱いを受けてるとは思えない。コープランドは彼女たちを大きく超えた才能の持ち主ではあるけれど。でも彼女たちと同じくらいのレベルの(男性)作曲家たちの中に、もっと注目度の高い人はいるのよね。だから彼女たちの曲をレコードにしたり、たくさん演奏したりしてることに誇りをもってる。彼女たち年長の作曲家たちは、とても苦労してきたんだから。

ルイーズ・タルマ(​1906 – 1996)Photograph by Bernice B. Perry (from the book “Modern Music-Makers” by Madeleine Goss)

BD:なるほど。ギディオンやタルマがあなたの先鞭をつけてくれたように、あなたも未来の女性たちの先導役になるんでしょうか?

JT:エレン・ツウィリッヒとわたしは、その道を築いていると思う。中でも交響曲においてね。

BD:あなたとエレンは、いわばあなたの世代の「ミリアムとルイーズ」ってことかな。

JT:そうね、おそらく。そう言っていいと思う。エレンとわたしは今も新たな道筋を築きつづけている。とてもいいことよ。女性たちにいくつもの道を開くことになるから。作曲をする女性たちがいるんですよ、これが彼女たちの作品、レコードを手にすることもできますよ、と人々に伝えることができる。こういうことはとても大切なの。偉そうに聞こえたらこまるけど、他の女性たちのために何かすることに幸せを感じてるの。わたしのできる範囲のことで、女性たちを手助けしていきたい。

BD:で、それはうまく進んでいるんですか?

JT:やろうと努力してるけど、受け身になってる女性もたくさんいるから。「誰が私の作品なんか聴いてくれる? そこまで私は才能ないし」という風に言う人たちもいる。作曲家たちの会議や集まりで、そういう人たちがたくさんいることに気づいたの。

BD:男性作曲家たちは気づいてない?

JT:そうね、彼らはこういうことを言って広めたりしない。もし感じてたとしても、それについて触れないわね。でも女性の方にも問題がある。お手本になるような人を彼女たちはもってないからね。もう死んだ作曲家の中に女性がいないのも問題。そして自分たちが属する社会の中に充分な支援の仕組がない。「ちょっと、これをやってよ。あなたにこれをやって欲しいんだ」そう言ってくれる人がいないの。だからみんな自分で道を築かなくちゃいけない。それをやるだけの強さをもたない人たちもいるし。

BD:作曲家になるには、相当な粘り強さや執着心が必要では?

JT:それはそう。それに加えて「頼む、わたしのために一つ曲を書いてくれないか」と言ってくれる人がいなかったら、それは気落ちするよね。

BD:でもあなたはそういう問題がなかったのでは?

JT:そうね、わたしに関しては、ちょっと事情が違うの。わたしは演奏家として仕事をしてたから。そして自分の演奏グループをつくってた。演奏家をどう扱ったらいいか学んでいたし、知り合った演奏家たちとの関係を発展させて、ネットワークができていた。だから自分のスコアを手にどこかに行って「わたしの曲を演奏していただけないですか」と頼まなければならないことがなかった。かなり違う道筋ね。演奏家たちがやってきて「曲を書いてもらえないだろうか」と言ってくれる。わたしはグループで演奏することを追求してきたの。それは自分の曲を聴きたいからだし、自分でも演奏したいから。演奏と作曲、その両方をしたかった。

BD:グループというのは、あなたが学校を卒業したあとにつくったものなのか、音大時代にできたものなのか。

JT:ベニントン大学を出てから、ニューヨークに行って、セツルメント・ハウスで教えてたの。わたしは現代音楽のシリーズ・コンサートを企画して、ニューヨークで一緒にやれる最高の演奏者と活動することができた。資金を調達して、そういう演奏家たちによってダ・カーポを結成した。ダ・カーポは独立した室内楽演奏集団になったの。

BD:どうやって始まったのかな、と思ったんですよ。スティーブ・ライヒも同じようなことをしてるけど、彼の場合は学校で始めてるから。彼はそのグループを続けてきた。

JT:そうそのとおり。わたしたちは彼の作品の初演もしてるの。スティーブにこう言ったわ。「あなたは今も自分のグループと一緒なのね」 そうしたら彼はこう返してきた。「ああ、そうだよ、車椅子に乗るようになるまで一緒にやるんだよ」 わたしは2年前にグループから離れた。でも彼のグループとは大きな違いがあるの。わたしの演奏グループの人たちは名人芸揃い、すごく演奏に長けてる。で、もっともっと大きな楽曲に挑戦したくなったわけ。わたしの方は、ピアニストとして、もっと小さな、小さな小さな楽曲がやりたくなった。で、冗談みたいなことが起きた。「あのさ、ぼくらあの曲はできないよ、ジョーンがすべての音を弾きたがるからさ」(両者、笑)で、彼らにこう言ったわ。「よくわかったわ、ピアニストを見つけてきた方がいいわね」

BD:それであなたはグループを離れて、彼らは新しいピアニストを連れてきた。

JT:そのとおり。彼らは技能の高いピアニストを連れてきた、早弾きもできる人よ。でもスティーブの場合はまた別。彼の技能はグループに影響しないの。違う種類の音楽だからね、いわゆる技能を必要としないの。彼の演奏をみくびってるわけじゃない、違う種類の技術が求められているから。彼のやっていることにも、たくさんの技術が必要とされている。だけどハノンを毎日1時間やらなくちゃいけないような技術じゃないの、わかるよね。(両者、笑)

BD:あなたが作曲家でいてくれて、感謝してますよ。

JT:あら、わたしもあなたの質問に感謝するわ。なかなか面白い質問だったからね。

Joan Tower – Purple Rhapsody from EASE @ UAP on Vimeo.

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