第11回 スティーヴ・ライヒ(part2:後編)【20世紀アメリカの作曲家インタビュー】

2019/07/04
インタビュー

第11回 スティーヴ・ライヒ(part2:前編)

イ短調がひびく場所

BD:つくっている曲を見ているとき、あなたは全体を見ているんでしょうか? それともやっている部分だけを見ているのか。

SR:『The Cave』については、そうすることが必要になったし、非常に面白い発見があった。長くて、増長していく曲を書いているときは、ハーモニーに対する耳をつかって作ることになる。わたしは十二音技法やセリエルの作曲家ではない。どのように和声的に統一するかは非常に重要な問題だ。ここでは他の作品にあるような、あらかじめ存在する和声的構造をもつことができなかった。

『18人の音楽家のための音楽』は連なるコードで出来ていて、『六重奏曲』と『砂漠の音楽』では和声的骨組みがあった。いわば古典やバロックの楽曲と同じようなやり方だ。パッサカリアなどで使われているね。いずれにしても、ここでは使えなかった。それでわたしは、どこで和声的に進むめばいいか、考え始めた。その問いを解決するものは、ドキュメンタリー素材の中にあった。

わたしたちがフィールドワークに行ったとき、最終的にエルサレムからヘブロンに行き着いた。簡単ではなかったよ。非常に難しい場所なんだ、そこに行くのは。旅そのものがではなく、イスラエル軍といい関係をもたねばならず、同時にムスリムの聖職者ともそうする必要があった。それをやるのはとても難しいことだったよ!(両者、笑)

最終的にヘブロンに入り、そこで1時間半過ごした。実際に洞窟の真上にあるモスクに入ることが許された。歴史的にいうと、洞窟は4000年前にアブラハムが、妻のサラを埋めるために、ヒッタイト人から買った土地であると言われている。最後にはアブラハム自身もそこに埋められ、息子のイサク、その妻のリベカ、そして孫息子のヤコブ、その最初の妻リアも埋められた。

ユダヤ人の神話では、そこはエデンの園への入り口の一つと言われている。またアダムとイヴもそこに埋められているとね。わたしは神話や宗教的な背景をもつ場所についての神秘的な話をたくさん知っている。アブラハムの時代から2000年後、キリストの時代に、ヘロデがすでに著名だったこの史跡のまわりに、巨大な石の壁をつくった。その壁は今もある。唯一のヘロデ朝の建造物だ。エルサレムの西の壁はただ一つ残された壁なんだ。この外壁は四方が無傷のまま残っている。8世紀になって*、十字軍がやって来てビザンチン教会をヘロデの壁の上に建てた。12世紀にはイスラム教徒がやって来て、洞穴の上の、ヘロデの上にある十字軍のものの上にモスクを建てた。それは中東の建築物の典型といえるものだった! この石の中には歴史の重層が見えると思う。

*8世紀になって:「第1回十字軍は、1095年にローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけにより、キリスト教の聖地エルサレムの回復のために始められた軍事行動」(Wikipedia 日本語版)とされているので、「11世紀になって」の間違いと思われる。

そしてついにその空間にたどり着くわけだ。わたしたちは洞窟の上に建つ大きなモスクの中にいた。大きなカテドラルと同じように、あるいはその他の宗教的な場と同じように、あるいは列車の駅のように、固く非常に大きな壁面のため、反響がすごいんだ。そこは音調に満ちる場所。音調は、ユダヤの正統派が祈るつぶやきから来ている。ムスリムたちは床にすわって、コーランを読んでいる。イスラエル兵がその間で、おしゃべりをしている。この音の波のすべてに注目すると、このつぶやきの声は、部屋の共鳴によって増幅されているのがわかる。そしてこれがイ短調であるとわかった。それでわたしは自分に言い聞かせた。第一幕はこの部屋の場面で終わるとね。CDで聞くと、この美しいつぶやき声はイ短調だとわかるだろう。わたしはこれを弦楽器とバスクラリネットで増強している。

第二幕はまたこの場で始まる。ここはユダヤ人とムスリムが大きなあつれきを共にもつ地上で唯一の場所、それでもなお、同じ屋根の下でともに祈りを捧げている。だからストーリーにおいて、この場所に行くのは正しかった。この部屋には両者のつぶやき声がある。そしてアル=アクサー・モスクのムクリ(弟子の前でコーランを詠む人)を録画した。第二幕は彼のコーラン朗唱ではじまる。わたしたちは仲介者をとおしてこれをアレンジした。そして彼が物語を語れるよう、スーラ(コーランの中身)のリストをつくった。彼は朗唱をはじめた。聞けばわかるけど、驚くべき声の持ち主だ。そしてなんとそれはイ短調だったんだ。こう思ったよ、わたしはここで何かお告げを受けている、とね。(笑)

で、わたしは物語を告げるスピーチの断片を見つけることになった。それはメロディーとして生き生きしていて、イ短調へと向かうか、イ短調で語られるものだ。第一幕ではこれがはっきりと聞き取れる。イスラエルの学者ノウリ・サイモンのスピーチで、イ短調でイシュマエル*について話している。素晴らしい話ぶりで、また音調的にも美しく、アーチを描くものだ。イシュマエルは作品の冒頭で紹介され、もう一度そこに戻り、そしてアブラハムの死の朗唱へとイ短調で導かれる。このイ短調のつぶやきは長いトニック(主和音)のカデンツ(終止形)を生み出す。この長い楽曲の終わりにこれが必要になる。

*イシュマエル(アラビア語ではイスマーイール):アブラハムの長男。

だからあなたの質問への答えは、イエスだ。わたしがいつもやっている方法とは違うものを見つけなければならなかった。いつもは何かする前にピアノにすわってこう言う、「そうだな、ここから始めよう、それであっちに行って、それからここに戻ってくると」 わたしは通常、アーチの連続をつくるのが好きで、それは和声的に構成される。だけど『The Cave』ではドキュメンタリーの素材が、わたしにこう告げるわけだ。「いいかな、いまイ短調にいるだろ」 第3幕に入れば、アメリカにはCave(洞窟)はない。洞窟はあの恐ろしい虐殺*が起きるまで、知られていなかった。わたしたちが行った1年あとに起きた事件なんだ。アメリカでは誰もあの洞窟のことは聞いたことがなかった。だから第3幕をイ短調で終わらせるのは、不適当だった。スピーチの多くのカデンツが、ハ短調に向かっていた。この関係性は面白いものだ。曲はハ短調に行ったんだ、そして『The Cave』の終わりはハ短調で終わった。

*あの恐ろしい虐殺:1994年にマクペラの洞穴で起きた大量殺人事件。ユダヤ教徒とイスラム教徒の祭日が重なった時期に、入植地に住むアメリカ出身の極右思想の医師により、パレスチナ人のイスラム教徒が29名殺害された。

BD:あの場所のすべての響きがイ短調だったとは!

SR:あー、それは場所のせいだよ。間違いなく場所なんだ。建築物によるもので、ある空間でホコリをたてて音波を見ると、音波はまっすぐ進んで壁に当たる、そして次の壁に跳ね返る。壁と壁の距離によって、そして床に対する天井の形によるもので、すべて建築的な原理なんだ。その音響特性が、ある周波数を促進する。均等に当たって増強されることで、音波はあるべき長さになる。もし均一に当たらなかったら減衰して、反響しない。

BD:場所だけのことなんでしょうか。

SR:何か神秘性を感じたいなら、それも結構、わたしはそういう思いも演出したいね。ただわたしは音響を提供しているだけだ。物理的な実体を提供しているわけで。実際のところ、物理的構造によって、マクペラの洞穴、ヘブロンのあの場所の上にあるモスクの共鳴振動数はイ短調になっている。誰もがあの場所で何か話したり、言ったりすることができて、それはイ短調にいつもなるんだ。永遠にね、あの建物が崩れ落ちるまでは。それは壁であり、空間であり、建物の物理構造によるものだからだ。

 

バッハから、西洋の外から学んだこと

BD:音楽の目的とはなんでしょう。

SR:そういう質問には答えられないよ。あなたがわからないのなら、自分の今いる業界にいるべきじゃないよ!(笑)

BD:自分にとって何かはわかってますよ。ただあなたにとってどうなのか、興味があるんです。

SR:わたしはそういう風に考えたりしない。こんな風に考えてみよう、もしわたしが作曲家でなかったら、何をしていいいかわからないよ。生きることにおいて、作曲が意味するのと同じようなことは、他にないんだ。J.S.バッハの言葉に置き換えてみよう。彼は音楽の目的は神の栄光のため、そして音楽を愛する人々の精神を活気づけるもの、と言った。とてもいいと思うね。わたしもそう思うよ。

BD:すごくいい手本ですね、J.S.バッハとは。

SR:いや、それがわたしが好きな彼の発言だということ。

BD:他にバッハを手本にすることはあるんでしょうか。

SR:先人から学ぶことはできるし、バッハはそのリストのトップにいると思うよ。わたしの『テヒリーム』のとき、『キリストは死の縄目につながれたり』をたくさん聴いたし、その特質に注意を向けた。バッハはトロンバ(バロックの時代の木管ブラス楽器)を重ねて、曲に重厚感を与えている。それでわたしは『テヒリーム』の第一部でクラリネットを重ね、第二部に入ったところでオーボエのダブルに切り替え、さらにイングリッシュ・ホルンを声に重ねている。そうすることで声の性格が変わるんだ。同じ歌い手であってもね。

BD:音楽が一周するということでしょうか、音楽のスタートした地点へと。

SR:そうね、音楽はJ.S.バッハよりずっと前に始まっているよ、グレゴリオ聖歌よりずっと前、シナゴーグ聖歌よりずっと前にね。どこから始まったのか、わたしにはわからない。その時代にいなかったからね。でも西洋で音楽史に記録されている限りでは、信じられないくらい音楽の宝庫といえる。西洋の外においても同様にね。わたしは運よくアフリカで研究することができたし、アメリカでバリの音楽を学ぶこともできた。ヘブライの聖歌をニューヨークとエルサレムでもね。自らの研究をつづけ、自分の愛するものを追求することは、年を重ねていくのに素晴らしい道だと思うね。自分の仕事をうまく進めるにもいいことだと思うよ。

BD:これからの若い作曲家に何かアドバイスはありますか。

SR:何を言うことができるかな。自分の音楽の演奏にかかわること。実質的にかかわることが大切だと思う。大変なことだけどね。彼らはわたしとはかなり違う時代を生きている。わたしが1950年代末から60年代にかけて学校に行っていたときは、音楽を書く方法として、一つのやり方があった。セリエル*による作曲法だ。わたしやわたしと同世代の者をとおって、今は良くも悪くも、とても多元的になっている。おそらくいい方じゃないかな。「新ロマン主義」と呼ばれるものをみんなはやっている。いくらかはセリエルの人も残ってるね。初期のミニマリスト的な人もたくさんいる。当然ながらロックンロールやジャズの影響を受けている人もいっぱいいるね。若い作曲家が、ポピュラー音楽に強い関心を寄せていないのを見つけるのは難しい。それは、非常に簡単に手に入るからだよ。だけどわたしから彼らに言えるアドバイスはないと思う。一対一で、面と向かっての方がいいんじゃないかな。

*セリエル:音列主義とも呼ばれ、戦後に十二音技法から発展した。一連の音高、リズム、ダイナミクス、音色、その他の音楽要素によって秩序づけられる作曲法。(Wkipedea 日本語版、英語版)

BD:一対一で、こうしてわたしとまた会っていただいて、ありがとうございます。

SR:ありがとう。

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