【20世紀アメリカの作曲家インタビュー】第7回 ロバート・ヘルプス

2019/03/08
インタビュー

ピアニストで作曲家という人はけっこういますが、作曲家で自分の曲ではない作品を数多く弾く人は、それほど多くはないかもしれません。ロバート・ヘルプスは、この二つをかなりイーブンに行なってきた音楽家のように見えます。ピアノという楽器が自分にとって身近で親しいものであることが、作曲活動やその内容に深く関係し、大きな影響を与えたとも語っています。

インタビュアーは、シカゴのブロードキャスター、ブルース・ダフィー。クラシック音楽専門ラジオ局Classical 97で、1975年から2001年まで、1600人を超える音楽家のインタビューを行ない、1991年に米国作曲家作詞家出版者協会のディームズ・テイラー・ブロードキャスト賞を受賞しています。インタビューの日本語版は、ブルース・ダフィー本人の許可を得て翻訳したものです。

ロバート・ヘルプス
Photo by Dennis Kendall Hall from the CD jacket “ROBERT HELPS in Berlin”

ロバート・ヘルプス(Robert Helps, 19282001年)について:アメリカのピアニスト、作曲家。ジュリアード音楽院時代に、ロジャー・セッションズに作曲を師事。しばしばセッションズの楽曲を演奏し、レコードにも残している。作曲家としてのヘルプスの作風は、現代音楽の様式と技術を語彙として使い、多様で自由なスタイルをとっていると評される。ニューイングランド音楽院、カリフォルニア大学バークレー校など多くの大学でピアノを教え、晩年まで教鞭をとっていた南フロリダ大学には、ヘルプスの特別コレクションが所蔵されている。

*ロジャー・セッションズ:アメリカの作曲家、音楽評論家、音楽教育者(1896〜1985年)

*このインタビューは1988年1月23日、電話により行われたものです。

 

ピアノ弾きであり、作曲家であること

ルース・ダフィー(以下BD):あなたは作曲家で、演奏家で、また教師でもあります。参考文献の記述では、この三つはどういう順番にすべきなんでしょう?

ロジャー・ヘルプス(以下RH):いつも悩まされる問題なんですよね。で、もうこれについてはあきらめました。大人になってから(これが何を指すかはおいて)は、多くの時間は作曲家とピアニストの半々ですよ、と言ってます。ただ最近は曲を書くより、演奏をたくさんやってますけどね。とはいえ、半々だと言ってますし、教えることは(そこから収入を得ているわけですが)付加的なものと思ってます。教えることはとても好きですよ。あまりに多くの時間が割かれない限りはね。こうなる理由として、鍵になるのは良くも悪くも、いつも同じことをやってるのが嫌だということ。頭がおかしくなっちゃうね。

BD:バラエティが欲しいんですね。

RH:そう、バラエティがね。同じ穴をずっと掘ってることができないんだな。

BD:教えてるのはピアノですか?

RH:主にピアノ、そのとおり。作曲を教えることからは離れていてね、それは大学で音楽理論を教えることの問題、そういったことに関わりたくないのが一つ。それをやりたい人がいれば、それは構わない。でもピアノを弾いて、作曲して、ピアノを教えてとやってて、それでもういっぱいですね。三つのやるべきことがあって、それだけあれば誰にとっても充分じゃないかな。それがわたしの論理ですね。

BD:あなたは演奏家でもあることで、より良い作曲家になれてると思います?

RH:わたしがより良いかどうかわからないですけど、違いはあるんじゃないかな。これについても、合ってるかどうかわからないけど。ただ、もし演奏してなかったら、やってたかもしれないことで、足を踏み入れなかったことは確かにあるよ。たとえば電子音楽とかね。わたしは自分が何年も何年も何年も何年も、演奏してきた楽器を弾いて、それを使って、、、とても幸せだった。わたしにとって、それを超えることはない、と言っていいね。それは良くも悪くもあるかもしれない。ピアノを弾くことで、そこから得られることで、鍵盤楽器に対する視点がもてたんじゃないか、と思う。

よその作曲家たちはよくこう言ってるんだ。「ピアノ曲を書くって、なんて大変なんだ。この楽器は恐怖だね。どうやって書いてるんだい?」 わたしにとっては全く、なんの問題もないんだ。こいつに、すごく慣れ親しんでいるからね。そういう意味で影響はあると思う。

BD:じゃあピアノ弾きたちは、あなたのピアノ曲のスタイルが、よりピアノ的で弾きやすいと誉めてるんじゃないですか?

RH:そうですね、あります。そういう誉め言葉をもらいますよ。

BD:ときどきですか?

RH:わたしはときに、いつもではないですけど、極端に難しい曲を書くこともあります。それはピアノをわたしがよく知ってるからなんですが。もちろんそういう曲を書いているときは、演奏するのに限界を超えているのではないか、空恐ろしいものを書きつけてるのでは、という不安におそわれます。しかし同時に、自分で楽器を演奏しているときに、弾けないものを書こうとはしないと思いますね。ときに演奏が非常に難しい曲を書こうとするかもしれないけど、まったく演奏不可能というものではない、とね。

 

聴衆を惹きつける二つの要素とは?

BD:一般論として、あるいはあなたの音楽にとって、芸術的な成果と娯楽的な価値のどの辺りにバランスがあると思うのか。

RH:自分としては、それをあまり考えることはないね。子ども時代のことを考えると、6歳、7歳、8歳、9、10、11歳くらいの年には、何よりも演奏者としての見方が強かった。聴衆のことを考えて演奏し、おそらくそれがある意味エンターテインメントになっていたんじゃないかな。意識的に自分にこう問うことはなかったと思う。「人を楽しませるための音楽を書こうとしてるのか、それとも学問としての音楽を書こうとしてるのか」といったね。わたしにとっては、どれも音楽だったわけで。そんな風だね。人々を楽しませることもあれば、全くそうじゃないときもある。またあるときは、少数の人たちを楽しませるけれど、他の人は全く楽しませていないというようにね。でもそういうもんじゃないかな。

BD:では非常に哲学的な質問をさせてください。社会にとって音楽の目的とは何なのか。

RH:難しい質問だね。ガートルード・スタイン*の話を借りると、作曲家が何年もの間、曲作りを精力的にやり、演奏を何年も続けていると、その人は知らず知らずのうちに嗅覚が芽生え、何が人々を動かすのか、何が人の心を捉えるのかを感じるようになるんじゃないだろうか。音楽にとって重要なことが二つあるとすれば、それは歩調と気分。この二つがうまくいけば、聴衆の心に届くだろうし、聴衆を感動させるだろうね。それは気分が聴衆を動かすからだ。

*ガートルード:スタイン:アメリカの作家、詩人(1874〜1946年)。ピカソやマチスなどの美術コレクターとしても知られる。

歩調というのは、一種の型だけど、創造的な形でもあり、人を捉え、引きつけ、今聴いている音に縛りつけるのではなく、曲のさらなる先を予感させることなんだ。別の言葉で言えば、真に素晴らしい音楽を聴いているときは、人は常にこう思う。「この先どうなるんだろう」 好ましい音の響きを耳にしているとき、聴いてる人はその場にとどまってはいないんだ。これはシェーンベルクの真実であり、ショパンの真実でもある。人はこう言うだろうね。「あー、とてもきれいだなあ。でもこの先の角を曲がったら何が起きるんだろう」 両方で人を捉えるわけだ。現在で人を捉え、さらにその先の未来で人を捉える。非常に音楽的な人というのは(これが何を意味するにしても)、全身全霊でこういうことを求めていると思う。

BD:音楽に偉大さをもたらすものについて、わたしたちは話しているんですよね。

RH:そう思うね。ある曲がそうなっているとき、曲の気分が人々を捉えるとき、それがドラマチックであれ、繊細なものであれ、芝居がかったものであれ、人はそれに導かれていって、興味をなくすことはない、決して興味を失わない。次に何が来るか待ちかねている。面白くない曲にはならない。そういうことを言ってるんでしょ?

BD:まさに。そうです、その通りです。

 

『クァルテット』の伝説、ピアノを4分割?

BD:デストから出ているレコード『Music of Robert Helps』についてお聞きします。デイヴィッド・デル・トレディチによる『Three Etudes』、ロバート・マッセロスが弾く『Recollections』、そしてあなた自身の演奏で『Quartet』が入ってます。聞くところによると、あなたは『Quartet』ではピアノを4分割して、22鍵ずつの曲にしたとか。

RH:困ったもんですよ、これについては。たとえそれをやったとしてもだけど、音楽誌でそのことを読んだときは、まったく身に覚えがなくてね。あの曲を注意して見返してみましたよ。自分に「そんな手の込んだやり口を、無意識のうちにやってのけるなんてことがあり得るだろうか?」と聞いてみたね。自分ではどうにもわからなかった。四つの異なる質感で進んでいく場所があるのはわかるし、もちろん、鍵盤上でパートが分かれていることもある。でも4分割したままで曲が進むなんてことは、考えられないよ。

BD:では実際のところ、その発言は根拠のない仮説にすぎないと。

RH:わたしの考え得るところでは、そうだね。それを言った人が、わたしに立証しないうちはね。わたしには全くわからないよ、その人は楽曲を、わたしには理解できない、全く違う見方をしてるってことなのか。それを書いた人間はすごい人で、リチャード・スウィフト*っていうんだけどね。
*リチャード・スウィフト:アメリカの作曲、音楽学者。

BD:その人に連絡をとったことはあるんで?

RH:いいや、それを読んだ後には、会ってないね。

BD:一体全体、何を言ってるのか、聞いた方がいいのでは。

RH:(笑)電話をして、「リチャード、あの発言はいったいどういう意味なんだい?」と、聞いてみようと思ったことは何度もある。でもあの発言については、かなりいろんな人たちの口から聞くんだ。それは『ニューグローヴアメリカ音楽大事典』の中にあるからなんだ。だからみんな、同じことを言うわけで、わたしに関しての解釈になってるんだな。いろんな人が顔を見れば、「どうやってあんなすごいアイディアを思いついたんだい?」と聞いてくるよ。そういうときは即座にこう答えることにしてる。「いやあ、どっかに落ちてたんだろう、ぼくのじゃない」(笑)

BD:もし『Quartet(四重奏)』が22音の4つのグループから出来ていないなら、タイトルの意味は何なんでしょうか?

RH:タイトルの意味はかなり漠然としているね。もう少しで『Sonata』とつけるところだったし、いろんな意味で、そうしなかったことを悔やんでるよ。作ったときはどうしたわけか『Quartet』というタイトルが浮かんでね、それはとても単純なことから来ていて、あれは4つの曲で構成されていて、またたくさんの4声の部分からできているからなんだ。わたしの他の曲に4声のものが少ないというわけではなくて、単に二つの事実、あの曲が4つの部分から成っていて、4声で書かれたところが多い、その二つの要素からあのタイトルは来てるんだ。それとわたしはちょっとひねくれ者なんだな。「クァルテット」という言葉を聞けば、たいていの人は四つの楽器による曲だと思うだろう(でも実際はピアノのソロの曲)。タイトルを変えてもいいかもとも思うけど、でもそうはしないだろうね。

 

セッションズから学んだこと

BD:あなたは自分が、作曲家たちの系列の一部に属していると感じてますか?

RH:そういうことについて、あまり考えたことがないね。セッションズから受けた教えと1940年代、50年代のセッションズのグループとの関係はとても強いと思う。また、彼の音楽に対する考えに、わたしは強い忠義を置いているとも思う。時がたつにつれ、わたしの音楽が彼のものに似ているとは思わなくなったけど、わたしの発言には、作曲に関しては、セッションズとの関係がかなりあると思う。

作曲についてわたしが語るとき、彼の考えとまったく違うということはないと思う、どうであれね。彼が偉大だったことの一つは、長年に渡って、この国有数の音楽教師だったということ。なぜ彼が教師として素晴らしかったかの理由は、自分の生徒に、音楽の様式を押しつけることがなかったからなんだ。セッションズはいつも、生徒がそのとき手がけている曲を熟考して、音楽にとってその始まりが正しいかどうか指摘してるように見えたね。セッションズは自分にとっての正否には関心がなかった。彼が興味を惹かれたのは、その音楽が、書いている人間にとってどんな意味があるか、ということだけだったんだ。

BD:偉大な教師とはそういうものなのでしょうか?

RH:そう思うね、作曲について言えば。偉大な教師が生まれないとしたら、それは生徒にある様式を押しつける場合だと思う。それはためにならない。シェーンベルクがかつて言った言葉がとても好きなんだ。大切なことは、生徒が学ぶ必要のあることを教えるのであって、教師が知ることを教えるのではない、とね。

BD:あー、なるほど。でもそれを知っている人はあまりいないでしょう。

RH:なかなか得られない能力だからね。特に、教師が生徒の曲の様式が好きでなかった場合にね。そういうことはよく起きるし、セッションズの場合にも、それはあったと思うけど、それでも彼は生徒の曲を熱心に見ていた。決してこうは言わなかったよ。様式のせいで、「これはダメだな」というようにはね。

BD:今日の午後をこうしてわたしとの時間に割いてくれて、お礼を言いたいです。

RH:ありがとう。あなたと話すのはとても面白かったですよ。質問に刺激を受けたし、じっくり考えたり、普段あまり気を向けないことを聞かれてね。


 

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