【20世紀アメリカの作曲家インタビュー】第8回 ジョン・ケージ

2019/04/05
インタビュー

音楽をとらえる耳のあり方がケージと似ていたヘンリー・デイヴィッド・ソロー、「偶然性の音楽」の手法をケージよりずっと前に実行していたマルセル・デュシャン、学生時代のケージに「偶然性」についての真理を示して驚かせたシェーンベルク、作品をともに作り、人生のパートナーでもあった振付家・ダンサーのカニンガム。ケージの作品と深くかかわる重要な人物として、このインタビューには4人のアーティストが登場します。

インタビュアーは、シカゴのブロードキャスター、ブルース・ダフィー。クラシック音楽専門ラジオ局Classical 97で、1975年から2001年まで、1600人を超える音楽家のインタビューを行ない、1991年に米国作曲家作詞家出版者協会のディームズ・テイラー・ブロードキャスト賞を受賞しています。インタビューの日本語版は、ブルース・ダフィー本人の許可を得て翻訳したものです。

ジョン・ケージ

ジョン・ケージ(John Cage, 19121992年)について:アメリカの実験的音楽の作曲家、作家。父親は発明家。1940年代初頭から、マース・カニンガム(ダンサー、振付家)と仕事をするようになり、彼のダンスカンパニーの音楽アドヴァイザーを生涯にわたって務めた。ポモナ・カレッジで神学を専攻していた大学時代、成績は非常によかったが、自分の役に立たないとして2年目にやめ、ヨーロッパに行き18ヶ月過ごした。しかしそこで作った最初の楽曲は破棄している。アメリカに戻ってから、シェーンベルクなどに師事し、プリペアド・ピアノを考案するなど、その後につながる実験的な創作をはじめる。作曲家として常に独自の音楽理論を提示し、作品を通じて音楽の定義をひろげたと評価されている。

*このインタビューは1987年6月21日、電話により行われたものです。

 

聴衆の耳、音楽家の耳

ブルース・ダフィー(以下BD):最近のエレクトロニクスは作曲家に自由を与えてると思いますか? それを持つことは、彼らにとっていいことだと?

ジョン・ケージ(以下JC):われわれ作曲家は、それぞれすごく違った方向に進んでいるから、ある人にとっての自由が、他の人にとってもそうとは限らない。それぞれのやり方が必要とする器材が求められるだろうね。

BD:そこまで違う方向に音楽が進んでいることに、喜んでいます?

JC:あー、それはその通り、イエスだよ、とてもね。

BD:どのあたりで、人々の理解にあまるようになったんでしょう?

JC:理解の問題だとは思ってないよ。経験の問題だね、そして経験というのは、より多くの人にとって、どんどんん利用できるようになっている。言うなれば、人々の耳は以前よりずっと柔軟になってる。その大きな理由は、音楽がすごく多様になったからなんだ。今世紀初頭には、二つの曲の違い、たとえば中国の音楽のね、それを聞き分けることは難しかった。でも今は、みんなあらゆる音楽を聞いて知ってるよ。

BD:では聴衆自身が大きな進歩をしていると。

JC:レコード産業などのおかげで、耳は豊かになってると思うよ。アメリカの人たちは誰もがその富にあずかってる、現在の富、過去の富にね。すごいことだと思うよ! 何年か前に、コネチカットのウェズリアン大学では、コンサートホールを一つではなくて、六つから八つもつことが検討されていた。それぞれのホールで違う種類の音楽が演奏されるようにね。それがどこまで進んだか知らないけど、あそこは東洋音楽に関して重要な大学だった。

BD:世の中にある音はすべて音楽だ、と感じてるんでしょうか?

JC:そうだね。わたしは環境にある音を楽しむことを主張してきた。ちょっと前にとても美しい絵葉書をもらった、イギリスの画家リチャード・ハミルトンからのもので、彼はテレビを見ていたそうだ。ケルトの神話についての番組で、その中にこんな問いがあった。「世界でもっとも美しい音楽はなにか」とね。英雄たちが次々に答えていって、最後の者が「何かが起きたときの音が、世界でもっとも美しい」と言って、それが最高の答えだとみんな思ったというわけ。

BD:なんと深くて素朴な答えなんでしょう。

JC :そのとおり、わたしが経験したことだね。わたしはパーカッションの楽器をいくつか持っているけど、ピアノはないし、レコードは聞かない。環境の音を聞いてるんだ。家の中の家電の音とか、外からの車の音だとかね。

BD:そこから日々、新たな驚きを得てるんでしょうか?

JC:いつもそう、その通り。

BD:それは生活とは何かということなのか、そういう音を聞く機会をもつことが。

JC:生活というのは、起きたことに注意を向けることだと思うよ。目でそれを感じる人もいれば、耳で感じる人もいる。わたしの場合は、目と耳の両方をつかうことが楽しい。その結果、わたしの作品は演劇的な質(性格と言った方いいかな)を帯びているんだと思う。演劇というのは目と耳の両方をつかうからね。

 

音楽の生まれる場所

BD:基本的にあなたは自分の作品の演奏に満足してきました?

JC:他の人たち以上にわたしが楽しんでいるとは思わないね。モーツァルトを例にとれば、いい演奏も悪い演奏も、わたしたちは聞き慣れている。いい演奏は、演奏家が注意を払ったときに生まれ、悪い演奏は注意を怠ったときに生まれる。

BD:では演奏者の能力とは関係ない?

JC:注意を払っているかどうかと関係してる、と思うね。能力の低い人が、注意を傾けた話はたくさんあるよね。アテネの政治家デモステネスは、口に石を入れることで、話す能力を減じた。その障害を乗り越えることで、彼は美しく語ることを学ぶことができた。

BD:ではあらゆる音楽家が、自分のやっていることに集中したら、、、

JC:(これに勢いを得て)音符を読んでばかりじゃなくてね! 多くの人が音符を読むことに夢中だね、それはリハーサルは高くつくからさ。まずやらねばならないのは、音符を集合させることであって、音楽と言われてるものには注意を向けてない。

BD:ちょっと前に戻って、わたしたちの周りにある音について、あなたが言ったことなんですけど。もし音楽がどこにでもあって、この世界の音のすべてが音楽であるなら、生活から切り離されたコンサートに行って聞く演奏と、それ以外の毎日の暮らしとか仕事というものの違いは何なんでしょう。

JC:場所が違いを生むんじゃないだろうか。つまり道に立っている代わりに、コンサートホールにいる、といった。だけどソロー*はすでに、コンサートホールでもその外でも、音を楽しむ経験を持っていたんだ。

*ヘンリー・デイヴィッド・ソロー:アメリカのエッセイスト、哲学者、ナチュラリスト。1817〜1862年。自給自足の生活で知られ、代表作に『ウォールデン 森の生活』がある。

 

偶然性と不確定性

BD:あなたの音楽で使われている、偶然性と不確定性は違うものなんでしょうか?

JC:ああ違うね。「チャンス・オペレーション(偶然性の音楽)」という言葉は、曲を書いていて、中国の『易経』*から引き出された数字を活用するときに使うもので、何年もの間それをやってきた。1950年代初頭に書いた『Music of Changes』のような曲を生み出すことができる。これは確定的なものだ。固定されたもので、他の作曲家の書いたものと同じように、いつも同じように読むことができる。

不確定性の曲というのは、カメラで撮るように書かれるものだ。カメラによってあなたは写真が撮れる、しかしカメラはあなたがどんな写真を撮るかはあずかり知らない。つまり不確定性の音楽というのは、カメラのようなものなんだ。人々にいろいろな写真を撮る可能性を提供する。しかしチャンス・オペレーションというのは、出来上がった写真、出来上がった音楽を生み出す。

チャンス・オペレーションは、不確定的なものを作るときにも使える。だけどこの二つは違ったものなんだ。両方の共通点は何かといえば、それをやる人の側は、意図を持たないこと。多くの人は、何かやるとき、心の中に何かあってそれをやる。わたしは常に、心の中に何もない状態でやるんだ。
*易経:中国古代の書物。儒教の基本書籍である五経の筆頭にあげられる経典。

BD:あなたは心に何も持たずに曲を始めると言いました。自分が正しい路線を進んでいるか、どうやって知るんでしょうか。

JC:路線はたくさんあって、どれも正しい。『易経』を見てみよう。わたしはこれを勧めるね、地上で最も古い本だ。紀元前4000年くらいの昔のもので、六十四卦が含まれている。この本は知恵の宝庫だ。問いを発すれば、チャンス・オペレーションによって答えが得られる。古くは三つの硬貨を6回投げて六十四卦を得る。または筮竹(ぜいちく)を使う。わたしはこの方法ではやらなかったね、時間がかかりすぎるからだ。筮竹をさばくのに30分かかる。

いまはコンピューターで素早くできて、問いに対する答えが得られる。もしチャンス・オペレーションをつかって、ある特定の答えを目的に問いがなされるとしたら、問いを発し、答えを得ようとすることはバカバカしいことになる。それは不条理だ。だからチャンス・オペレーションは潜在的に、あらゆる答えはあらゆる問いに答えることと言える。非常に興味深いよね。

不思議なことだけど、何年も前にシェーンベルクに学んでいたとき、それがわかったんだ。でも学んだとは気づいてなかった。彼は対位法について問題をだして、生徒全員を黒板のところに行って解かせた。和声学の授業だったんだけどね。シェーンベルクはこう言った。「問題の答えを得たら、こっちを向いてわたしにそれを見せなさい」とね。わたしは振り向いて彼を見た。すると「合ってるよ。じゃあ同じ問題に対する別の答えを見せて」と彼が言った。で、わたしがそれをした。わたしが振り返ったらこう言った。「それも合ってる、では別の答えを」と言われた。それが8回か9回続いた。そして彼がさらに別の答えをと言ったとき、わたしは困ってこう答えた。「もうありません」ってね。すると彼は「それも正しい」と言ってからさらに、「すべての問いの下にある基本的な問題は何か」と聞いてきた。

わたしはびっくりしたね。彼をいつも崇拝していたけど、その瞬間さらに高く登りつめた。その答えを得るのに30年くらいかかったよ。多分、彼はそれを受け入れてくれたと思う。すべての答えに潜む基本的なことは、自分の問いにあるんだ。つまり自分に発しているんだ、答えのすべては、あらゆる質問に答えることなんだ。これを理解するのは難しいし、我々は『易経』が示すところまで到達してない、それはそこはどこにもない場所だからなんだ。いま多くの人々はわたしの作品や考えはバカげていると思っていて、こんな発言に対して、バカげてると思ってる人はたくさんいる。でも、そうじゃない。

BD:わたしはバカげてるとは思いませんよ。何かとてつもなく大きいことに見えますけど。

JC:それはよかった。グラッツェ。

 

デュシャンとの出会い

BD:あなたの75歳の誕生日が近づいてますけど、この50年、60年の間に気づいたことで、一番驚かされた進歩や発展は何でしょう。音楽でも、それ以外でもいいですが。

JC:あー、こういった質問には数えきれないくらいの答えがあるよ。わたしは常に生き残ろうとしてきたけど、全体として見て、わたしに起きたことでいちばん驚かされ、すごいと思ったのは、マルセル・デュシャン*との出会いだね。彼は音楽に興味がない人間として知られていた。音楽は「猫の内臓をひっかく芸術」とのたまった。(両者、笑)

だけど彼は死んだ、で、わたしは音楽と美術について何か書くよう頼まれた。依頼主は、シュトゥットガルトで「見ることと聞くことの関係」についての展覧会を持とうとしていた。わたしはエリック・サティと、あまり知られていないけどイタリア人のアルベルト・サヴィニオの作品の中に、音楽と美術の関係性を見つけたんだ。彼の名前を知ってる?
*マルセル・デュシャン:フランス出身のアメリカの美術家、作家、チェスプレイヤー。1887〜1968年。男性用小便器の既製品をつかった作品『泉』が有名。

BD:いえ、知らないですね。

JC:彼はあの有名なジョルジョ・デ・キリコの弟なんだけど、キリコの姓をつかわなかった。アンドレア・デ・キリコとして生まれたけど、アルベルト・サヴィニオに改名した。サティとサヴィニオは両者とも絵と音楽に関係しているとわたしは見ているんだけど、そこにデュシャンを加えた。デュシャンは音楽を好きじゃなかったように見えるけど、非常に重要な音楽作品を四つ書いていたことにわたしは気づいた。音楽を新しい方向に導いていく種のようなもの、という意味でね。最初の作品は、わたしが生まれた年に制作していた。彼はチャンス・オペレーションをつかって音楽を作ろうとしていたんだ。信じられるかい?

BD:1912年にですか?

JC:そうだ。わたしは彼にこう言ったよ。「あなたはわたしが生まれた年に、今わたしがやろうとしていることをやってましたね」 すると彼は「50年先に生まれるべきだったよ」って。彼はわたしがやったやり方でやったわけじゃないけど、チャンス・オペレーションをつかっていた。

デュシャンは帽子を手にとって、音符を一つ書いた紙切れをいくつも作ってその中に全部入れた。そして帽子の中の紙切れを1枚取り出しては音符を一つ書き、連なるメロディーとした。そうやって自分と妹たちが歌うための三つのメロディーに仕立てた。たった2、3週間前に、生まれて初めてこの歌を聞いたけど、美しく歌われていたよ。すごいことじゃないかな? それが一つ。

次はわたしの『A Collection of Rocks』という曲のことだ。これはマルセルの音楽彫刻という考えから来ている。彼はそれを「持続する音が、違うところから放たれて音楽彫刻を型づくる」と表していた。別の言葉でいえば、わたしの作品は彼の仕事の具現化であり、わたしのいる状況、空間やそこにいる人の数といったね、それによって少し変えている。マルセルは貨物列車をつくって、それぞれの車両をオクターブに見たてた。そして煙突の下にそれを通して、石炭の代わりに音符を置いた。素敵じゃないかな? それによって同じところに音が留まるのではなく、あるオクターブから別のオクターブへと移り変わり、全音域が使われる。ある人物が歴史の中のある時点で、そんなオリジナルなアイディアを持ち得たということは素晴らしいことだね。

そして最後は、フィラデルフィア美術館にある大作『遺作』で、デュシャンは分厚い本を書いて、それをバラバラにする方法と寄せ集める方法について記した。それをするには、もちろん音を生むことなしには実行できない。それでわたしは、作曲の本質とは、誰かが何かをするために、方向性を与え、書きとめることだと考えたんだ。

BD:あなたが提供してくれた世界観のすべてに、深くお礼を言いたいです。とてつもなく新しい景色を見せてくれたし、その地平を広げてくれました。

JC:どうもありがとう、Mr.ダフィー。

インタビューの記事をもっと読む
関連タグ
関連記事