【20世紀アメリカの作曲家インタビュー】第5回 ルイーズ・タルマ

2019/01/04
インタビュー

いまどき「女性初の快挙」などと強調すれば差別と受け取られかねませんが、1906年生まれのルイーズ・タルマが生きた時代は、女性に活躍の場は少なく、社会や家庭の環境、人々の意識も整っていなかったので、「女性初」の特記は意味あることでした。また後につづく人々に勇気を与えることだったかもしれません。タルマは89年の人生でたくさんの「女性初」を成した、アメリカ音楽界の草分け的存在です。

インタビュアーは、シカゴのブロードキャスター、ブルース・ダフィー。クラシック音楽専門ラジオ局Classical 97で、1975年から2001年まで、1600人を超える音楽家のインタビューを行ない、1991年に米国作曲家作詞家出版者協会のディームズ・テイラー・ブロードキャスト賞を受賞しています。インタビューの日本語版は、ブルース・ダフィー本人の許可を得て翻訳したものです。

ルイーズ・タルマ(Louise Talma, 1906 – 1996)について:音楽家であるアメリカ人両親のもと、フランスに生まれる。ニューヨーク市育ち。コロンビア大学で化学を、ジュリアード音楽院の前身Institute of Musical Artsでピアノと作曲を学ぶ。オペラ『The Alcestiad』は、ヨーロッパの主要歌劇場で上演された、アメリカ人女性作曲家初めての作品。またグッゲンハイム奨励金を2度受けた最初の女性作曲家でもある。

Talma for edy.png
From the book cover, Louise Talma: A Life in Composition
Published 2014 by Routledge

*出生についてはアメリカの音楽学者ケンドラ・プレストン・レナードが、2014年出版のタルマ研究書で、いくつかの疑問を投げかけている。上記の記述は一般的に公表されているものの一つ。

*このインタビューは1986年3月1日、電話で行われたものです。

 

コロニーは音楽家の楽園

ブルース・ダフィー(以下BD):まずはマクドーウェル・コロニーでの仕事について教えてください。

*タルマは1943年〜1995年までの43シーズンをマクドーウェル・コロニーで過ごした。

ルイーズ・タルマ(以下LT):わたしは人生の半分くらい、このコロニーと一緒にやってきたんです。実質的にプロの作曲家としての仕事は、ここの恩恵によるものでね。わたしは当時若いとは言えず、でもまったく世の中に知られてなかったし、一度も作品の検証を受けてない人間だった、で、マクドーウェルの人々が、わたしを受け入れてくれたんです。これがわたしとマクドーウェルの今日までつづく長い協働の始まりだったわけ。ここでたくさんの友人関係をつくったし、仕事上の結びつきはもちろん、その後のあらゆる活動を可能にした場所がここなの。だからマクドーウェル・コロニーにはとても愛情を感じていて、この夏にまた行くことになってます。二つの依頼作品があって、それをやることが大きな楽しみになってますね。

BD:マクドーウェル・コロニーの目的というのは何なんでしょうか?

LT:芸術の世界にいる人々に、具体的には作家やあらゆる種類のビジュアル・アーティスト、画家や彫刻家、作曲家、そして今は映像作家もね、そういう人々に、作品づくりに専念する場所を提供することよ、義務も見返りもなくね。1日に3度、素晴らしい食事が提供されて、自分のしたいこと以外何もしなくていいの。三つある居住棟のどこかに自分の部屋をもって、さらに互いに見えも聞こえもしない場所に、個々のスタジオがあるの。森と草原に囲まれた400エーカーの敷地で、最大32人を収容できるようになってる。冬は20人くらいかしらね。

BD:ではあなたはそこで、自然に囲まれて、完璧に人里離れている感じで?

LT:そのとおり。もちろん夜になれば、もしそうしたければ、仲間のアーティストたちと交流したり、ゲーム室でビリヤードをしたり(わたしはこれが大好き)、ピンポンでも何でもしたいことができる。楽しい会話もあれば、友だちづくりもできるしね。だからとても理想的な環境なの。なんの義務もないわけで、別にこういうことに参加しなくてもいいのよ。一日中でも、一晩中でもスタジオにこもっていたければ、それが可能なの。つまり楽園みたいなものね。

BD:人里離れて仕事することは、そんなに重要なんでしょうか? ニューヨークのスタジオで仕事するよりもずっと?

LT:それは絶対にそう。ニューヨークでは、電話や郵便でしょっちゅう邪魔がはいるでしょ。毎日それは必ず起きるから、やろうと思ってたことがかなり中断されてしまうの。あと音もあるしね、近所の知り合いとの関係とか、自分がかかわることで邪魔されるの。だからこういうもの一切から離れられて、まわりを気にすることなく音を出したり、声をあげたりできるのは、ほんとうに素晴らしいことよ。わたしの作品の多くはあそこで書かれたわね。

BD:癒される場所という感じもしますね。あなたは静寂と孤立の中で最高の仕事ができると。

LT:わたしにとって欠くことのできないものよ。やらなくちゃならないときは、どこででもやるけど、でも圧迫感はあるわね、いろいろな邪魔が入って、特に電話よ。あ、この電話はのけてね、だってこれは約束の上だから。(両者、笑)

 

作曲家になったきっかけ

BD:あなたはナディア・ブーランジェ*のところで学びましたよね。どんなことを特別に学んだんでしょうか?

*ナディア・ブーランジェ:フランスの作曲家、指揮者、音楽教師(1887〜1979年)。20世紀の名だたる作曲家や音楽家を教え、育てたことでよく知られている。

LT:特筆すべきことはね、彼女は、わたしに作曲の才能があると認めてくれた最初の人だということ。そう彼女は言ったんだと理解したときは、面食らったわね。今わたしが立っている場所への道を、彼女が切り開いたわけで、それは大きなことよ。フォンテーヌブロー(フランス)で夏期講習に参加したの。戦争までの14年間、毎夏そこで過ごしたんですよ。その後は、時々だけど、彼女が亡くなる年まで通ってましたね。彼女の意見が聞きたくて、何であれ作った曲を見せに行きたかったの。彼女は絶対的に信頼できる耳の持ち主だったからね! それに彼女はね、わたしが自分でも気づいてる場所、直すべきところに正確に指をあててくるわけ。そして最後に作品を見せに行ったとき、それはミュージカル・ヘリテイジ・ソサイエティの録音のための1曲だったんだけど、曲の最後のところのテノールの部分を指してこう言ったの。「ちょっと簡単に終わらせ過ぎじゃないかしら?」 わたしにも、それはよくわかってた。最初に出てきたアイディアをそのまま使ってたの。そのあと何年もの間、あのとき彼女にはすぐわかったんだと思って、ずっと恥ずかしい思いをして過ごしたわね。

BD:これは作曲家みんなに必要なことなのか、つまり激励であるとか、作品に価値があると認められることとか。

LT:その人の性格によるんじゃないかしらね。ヴァン・ゴッホは生きてる間に、何の激励も得られなかったように見えるし、絵が売れもしなかったでしょ。ゴッホの弟だけが支援者だった。それだけ大変な人生だったのに、あれだけの素晴らしい作品を何百と生み出したのよね。もちろん、やっていることが認められなくて、しおれてしまう人たちもいるわけで。だから人となりによると思う。一般的に言って、友だちや仲間(特に仲間はね)が自分のやってることを信じてくれてるのは、とても大きなことよ。

 

超のつくスローワーカー

BD:あなたは自分をスロー・ワーカーだと言ってます。心の中で曲想が整うのに時間がかかるのか、それともそれに手を入れて、何度も書き直すことで時間がかかるのか。

LT:わたしの仕事の平均速度は、1日に4小節なの。すごく少ないでしょ、その理由は本当に欲しい音とリズムを手にするのに、時間をかけて探しまわるからよ。

BD:だけどその4小節は正しいものになります?

LT:そうね、そうであって欲しいわね。最終的に落ち着いたものは、わたしにとって正しいように見える。だけどびっくりするほど時間がかかって、とてももどかしくイラつくわね。だって作ってたら、あの音もこの音もダメってわけだから。どうしてそれがわかるか聞かないでね、でもわかるの! 探して探して探して、オクターブの中でいろんな音を試してみて、どの音もぜーんぶダメって!(笑) フレーズの中のリズムの要素によるものだってことがよくあるの。リズム的にある場所が間違ってて、それを直すとぴったりこなかった音が大丈夫になるの。わたしには何故なのかわからない。作曲を教えようとしない理由の一つはここにもあるわね。なぜそうするのか、なぜそう変えるのか説明ができないわけ。

BD:トランス状態になることはない?

LT:あー、それは絶対ない、ないですよ。「望んでるところに全ての要素を収めることは、なんて厳しい、大変な仕事なんだろう!」というのがまずある。作曲はすごく大変な作業だわね。さらには、最終的に書き上げて、清書して、印刷にまわして、パート譜にしてという、恐ろしい苦役がつづくわけ。わたしが事務的な作業と呼んでいるあらゆること、それが最悪なの! その中でも最悪なのは校正だわね。わたしはそれがすごく苦手、白状すればね。

BD:あなたは記憶によって校正をするのか、それとも草案から?

LT:いいえ、わたしは最初の草稿から、つまり鉛筆書きのラフ・スケッチからするの。これが耐え難い作業でね、いつも何か見落とすわけ。

オペラ『The Alcestiad』を検証するソーントン・ワイルダー(劇作家)とルイーズ・タルマ(1958年頃)
Photograph by Bernice Perry, Records of The MacDowell Colony, Courtesy of the MacDowell Colony.

 

ローマ歌劇場のデジタル時計

BD:ではいくつかの他の仕事についてお聞きします。オペラ作品についてなんですが。これまでに書いたのは『The  Alcestiad』だけですか?

LT:ええ、そのとおり! 制作も含めると7年間もかかったのよ。わたしにはこの先7年はないわね!

BD:それだけ長くかかったのには、どんな問題があったんでしょう。

LT:まずソーントン・ワイルダー*(劇作家)がいて、コロニーでわたしが出会った人の一人でした。出会って2週間のうちに、彼が気軽な調子で「オペラをやってみたいって思ったことはないの?」と聞いてきたの。で、わたしは「いいえ、なんであれないですよ。わたしの好みじゃまったくないから」と答えた。彼はがっかりした様子で「そう、もし心変わりするようなことがあったら、わたしには考えがあるから」と言うの。わたしは全く気にしてなかったわね。

*ソーントン・ワイルダー:アメリカの演劇史における代表的な劇作家(1897〜1975年)。小説(『サン・ルイ・レイの橋』。2004年に2度目の映画化)で1度、戯曲で2度のピューリッツァー賞を受賞している。

それから1年くらいたって、ある日彼が電話してきたの。「あなたに来てもらって、夕食をいっしょにしたいんだけど」と言って、共通の友人であるマージョリー・フィッシャーを連れてきた。「これからわたしのオペラのストーリーを話そうと思ってるんだ。それを聞いて、あなたがやりたいと思ってくれたらいいんだけど」 わたしは唖然としたわね。だってあらゆる作曲家が、国内でも国外でも、何年もの間、彼の戯曲をやりたがっていたんだから。なんでまたわたしを選ぶんだろうって。そのときは全くわからなかった。それを理解することはなかったわね。今日に至ってもよ。

というわけで、わたしたちは会うことになって、彼がオペラのストーリーを話したの。それは『The Alcestiad』ではなかった。全く違う題材だったの。興味がおありなら、その話は出たばかりのジャーナルに書かれているから。去年の12月(1985年)に出版されたんだけど、当時、彼が書いていたジャーナルで、最初のアイディアについて、かなりの長さを使って語ってる。で、思ったのは、彼がそこまでわたしに信頼を置いてくれるのなら、できないとは言えないってね。

それで合意したわけ。わたしは彼にこう言ったの。「わたしがつくった音楽の最初の10分を聞いて、はまらないと思ったら、この話はなしにしましょう」 彼は「いいでしょう」と答えた。それから少しして、エジンバラ・フェスティバルのために、彼は『The Alcestiad』の戯曲を書いていて、友人たちの前でそれを読むからわたしに来てくれって言ってきた。それを聞いたら、まさにわたしがやりたいものだって、わかったのよ!

で、わたしはそのことを彼に知らせて、そこからかなりの時間がたって(その間、連絡がずっとなかった)、やっと彼からいけそうだ、という返事が来たの。彼は戯曲の刈り込みをやっていたの。少なくとも彼自身は、必要とされる刈り込みができたと思ったわけ。(両者、笑) わたしたちが作業をはじめると、すぐにまだ刈り込みが充分じゃないとわかって、彼は相当驚いていたようだったわね。「自分は舞台人で、どれくらい時間がかかるか、わかってるはずなんだが」と言っていた。

わたしたちは、すごく面白いやり方を見つけたの。その頃に、わたしにはローマへ行くフルブライト*があった。シニア・フルブライトの素晴らしいことの一つは、非常にたくさんの必要経費が与えられることなの。それで毎週日曜日には、オペラを予約できた。ローマ歌劇場の素晴らしいことの一つはね、プロセニアム・アーチ(舞台の幕前にあるアーチ型の額縁)の一番上にデジタル時計があることなの。つまりオペラの進行の間ずっと、時間が計れるわけ。このシーンは何分かかってるか、このアリアはどれくらいの長さか、ってね。

*フルブライト:アメリカの学者、大学院生、専門家などを対象とした国際文化交換プログラム、および奨学金制度。アメリカとその他の国々の間で、人や知識のやりとりをすることで、異文化交流することを目的としている。

BD:劇場に時計があるなんて、興ざめじゃないでしょうか?

LT:そうね。多くの人はそこに時計があることすら気づいてないと思うけど、わたしには最高だったの。それで書きはじめると(最初の10分間をね)、ローマでソーントン・ワイルダーと会って、それを弾いてみせた。すべてのオペラに当てはまるかどうか知らないけれど、わたし流の書き方だと、音楽に乗せると、普通に読んだときの2倍の時間かかったの。それで彼は基準測定値が得られたわけ。この時間の制御については、音楽にとっても、戯曲の言葉にとっても、とても重要なの。それで歌う場合は2倍の時間がかかるというのを知った上で、各幕をどれくらいの長さにしたいかを決めていった。外部からの要素はいっさい入ってなくて、その時点では、神のみぞ知るよ、上演や制作物について誰にもわからない状態だったからね。わたしたちは第一幕に約1時間を当てた。50分、55分になるかもしれなかったけど。

BD:っていうことは、これを読んだ場合、30分で読めるということになります?

LT:そのとおり。で、彼はまさにそれをやったの。それからは全く問題なしよ。彼は各幕をどのように扱ったらいいか、正確に理解したわけ。

BD:ではあなたは何も決まってない状態で、憶測で作曲に時間をつかったわけで?

LT:そうよ、そのとおり! 彼はこう言ったの、「グランド・オペラを書こう。制限なしでね! たくさんのソリストに大きな合唱隊、大きなオーケストラ、ダンサー、いろんな装置!」 これがアメリカではあまり上演されない理由の一つよ。(笑) とくに最近の経済の状態だとね

***

BD:作曲家でいることを幸せに感じてますか?

LT:とても! もちろんよ! 何もないところから、何かを生み出すというのはすごくそそられることよ。だって、文字どおり、何にもないところからだからね。音楽は、目に見える物体が何もない。空中でただ音が跳ねているだけなのよ。

BD:電話であなたと話して、素晴らしい時間がもてました。

LT:ええ、いつかお会いしたいものだわね。

BD:今晩のコンサート*が、そしてこの先のプログラムも、素晴らしい成功が得られることを願ってますよ。そして数ヶ月後には、幸せに満ちた80歳の誕生日が迎えられますよう!

*今晩のコンサート:タルマは、演奏集団コンティニュアムの20周年コンサートのための曲を依頼され、この日の夜、NYのアリス・タリー・ホールで演奏されることになっていた。

LT:ありがとう!

 

ディスコグラフィー

 

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