女声合唱の音楽パフォーマンスグループ「つむぎね」を始め、「声」の響きそのものを全身で体験することの出来る楽曲、ワークショップで注目を浴びる作曲家・宮内康乃。ニューヨークでの半年間の滞在制作を終え、トーキョーワンダーサイトでの新作公演を間近に控えた彼女に3時間に及ぶロング・インタビューを行いました。五線に書いた音符を演奏家が演奏するという従来の作曲イメージを飛び出し、経験、年齢、性差、国籍を超えた人々と「響き合うこと」の本質的な力に気づいて行く創作活動。第一回記事となる今回はそのルーツに迫ります!

宮内康乃(みやうち・やすの)
作曲家/つむぎね主宰。東京学芸大学G類音楽科作曲専攻卒業、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)メディア表現研究科修了。
大学にて作曲を、大学院にて電子音楽やメディアアートを学ぶ。
修士制作として作曲した女声のための合唱曲「breath strati」が、2008年オーストリア・リンツでの「Prix Ars Electronica」 Honorary Mentionを受賞。その作曲法をもとに、2008年より音楽パフォーマンスグループ「つむぎね」を立ち上げ活動を開始。トーキョーワンダーサイト主催「Experimental sound and art festival 2008」にて最優秀賞を受賞。
2011年には鍵盤ハーモニカのための作品「mimesis」にて日本作曲家協議会主催「第6回JFC作曲賞」を受賞。2016年7月よりAsian Cultural Councilの助成により半年間ニューヨークへ滞在し、ワークショップや作品制作を実施。音楽の根源的な意味や役割、音楽がコミュニケーション手段そのものとなる可能性の研究、実践を行う。
現在もつむぎねの活動を中心に独自の作曲法による作品を発表している。また正倉院復元楽器や仏教声楽「聲明」、三味線など日本の伝統音楽への作曲や、「つむぎねメソッド」によるワークショップ活動「わ・つむぎプロジェクト」の実践を国内外で数多く行う。

―早速ですが、宮内さんは作曲家というスタンスでよろしいんですよね?

そうですね。そこだけはブレないようにしたいと思っていて。自分がやっている事の独自性とか新しさはやっぱり音楽の文脈でこそ重要だと思っています。
ただアカデミックな世界でやっていくことの難しさはすごく感じていて、既存の作曲の概念と大分違うということで演奏家とのやりとりが大変だったり…「こんなのは作曲じゃない」というような反応もあって。もう少しうまく言語化する必要があるなと感じています。でも「パフォーマンスです」といってしまうと自分が一体何者なのかとか、何がやっていることの新しさなのかがあいまいになってしまうし、私はやっぱり音楽を作っていると思っているので、あくまで作曲家だと思っています。


女声合唱曲「breath strati」で用いられる指示書の中の1ページ。この他に楽曲のコンセプト紹介や、人間の発声メカニズムと声の音色に関する資料など系6ページからなり、英語版も用意されている。

賛美歌が原体験

―音楽に入っていくきっかけや作曲家を目指すきっかけはなんだったのでしょうか?

元々音楽は身近にあって。母が好きだったというのもあるし、ミッション系の幼稚園だったので、賛美歌とかを歌っていたのが原体験です。オルガンを聴きながらお祈りする時間もあって。家に帰るとそれをまねしてピアノを弾いて「お祈りの時間ですよ」とやっていたり、習った歌を覚えて翌日弾いたりしてたみたいです。耳コピは得意だったみたい。

―楽器を習ったりもしていたんですか?

ピアノは4歳ぐらいから習っていて、先生がオルガンを弾いているとさささっと寄って行って弾きたそうにしてるので弾かせてくれたりとか。母は先生に「この子はすごい耳がいいですよ」と言われていたそうです。そのころから自然と絶対音感もあったそうで、物心ついた時から(音楽をやりたいというのは)あったみたいです。

「実際に音になったのを聴いた瞬間の鳥肌が立つような感動がものすごくて。」

―作曲の勉強はどのように?

叔母が実は作曲家なんです。大澤和子という…。それこそ中田喜直とか團伊玖磨とかと一緒にやっていたくらいの世代の人で。芸大の作曲科を出た人で。子供のころから作曲家っていう職業があることは意識の中にありました。

ピアノを弾いていても楽譜通り弾くよりは自分で作りたいというか、音楽は誰でも作れるものなんだ、自分で作れるものなんだと幼少期から思っていたので、曲が作れないと思ったことがなかった。それが元になっていますね。

小学校2年生の時、習っていたピアノの先生の都合で1ヶ月だけ別の先生に預けられたことがあって、そのとき預けられたのが芸大の楽理科の大学院生の先生だったんです。その先生が凄い好きでどうしてもその先生に習いたいって言って。ソルフェージュで私が楽譜上ずっとドの音を歌っている時に、先生の伴奏の和音がどんどん変わって行くとただ「ド」だけで音楽になったっていうのにすごく感動しました。和声や曲の構造に興味があったのかも知れないなと今は思います。

高校受験の時に、「都立芸術高校を受けろ」ってピアノの先生に言われて。ベートーベンのピアノソナタを「バーン」と出して「これを今日からやります」みたいな(笑)。でも私は演奏する方じゃなくて作る方がやりたいから、作曲科の受験ができないかとその当時から言っていました。和声とかの勉強が間にあわないからピアノ科で受けなさいと言われたんですが、どうしても嫌で私は(笑)。ただ高校くらい普通の学校で色んな人がいて色んな活動が出来た方がいいかなと思って、結局3年生の夏でピアノ科の受験勉強はやめて普通の高校を受けることに切り換えました。

3学期にクラスでグループを好きに作って、好きな曲学校にある楽器で合奏しなさいっていう課題があって、その当時流行っていたB’zの曲をやりたいとなったんですが、楽譜がないので「じゃあ私作るよ」と言って学校にある楽器に編曲したんです。それがものすごい楽しくて!自分の頭のなかで「ここで木琴がこうなって、ここでピアノがこう入って」と想像して、それが実際に音になったのを聴いた瞬間の鳥肌が立つような感動がものすごくて、「私はやっぱり作るのがやりたい」と。

でも高校に入ってもすぐに和声とか、作曲科の受験勉強をする気にはならず、山岳部に入ったり、写真部に入って現像したり、新しいことに興味も出てきて…。結局浪人してから、国立音大の作曲科出身だった高校の音楽の先生に電話をして。「私やっぱり作曲家受けたいんですけど…、でも今から作曲の勉強始めてって無謀ですよね。」って言ったら、芸大和声の赤、黄色、青の3冊の本を普通は3年ぐらいかけてやるけど、1年でがんばってワッとやれば受験する事は出来なくないよって言ってくれたので「じゃあやります!」って。

翌日ヤマハで3冊買ってきてやり始めたらパズルがぱっちりハマったような感じがして、作曲を学ぶ自分にすごく納得したというか。スイッチが入ったら「ガーッ」といく方なので、結局1年で3巻までやって学芸大のA類(初等教育教員養成課程)に合格し、そこからG類(芸術文化課程)に転科しました。

「何を私はやりたくてこの楽器を選んで、何を作りたいのか。それが確かに一番大事じゃないか。」

大学の学部ではペーター・ガーンさんというドイツ人の作曲家の人にドイツ語を習いに行ってたんです。その人のところで曲も見てもらったりしていました。

彼は電子音やガムランの楽器、ダンスと一緒にやったり、能のシテ方の津村禮次郎さん等と一緒に邦楽器とのイベントをやるなど面白い活動をしていて、リハーサルなども見学させてもらっていたんです。

学校だと技術的なことは言われるんだけど、ペーターに曲を見せると、あなたはこれで何を表現したいのかって聞かれるんですよね。何を私はやりたくてこの楽器を選んで、何を作りたいのか。それが確かに一番大事じゃないかということに気づいて。ペーターに習って色んなものを見たのがすごく大きかったです。

-学生の時に映画の音楽も手がけていたんですね

そうですね。それはけっこう沢山作って。学生時代相当作ったかな…。

-同じ大学の美術科の方と一緒に?

映画研究会っていうサークルに入っていたんですけど、色んな科の人がいました。意外と美術科じゃない人たち、社会学とか、理系の人とかの方が面白い視点で作品を作ったりして。音楽科から来る人はまず稀なので、私は変人でした。美術の人は綺麗につくるっていう、映像とかの美しさの方に行くけども、社会学とかそういう学科の人はもうちょっと違う視点でしたね。

特撮映画みたいなんだけどすごいポリティカルな要素が入っているものとか、いろいろ面白い作品がありました。作家によって思想も違うし、自分はその中でどういう表現をするか話し合って作るのがすごい面白かった。決められた尺に合わせてつくるのも面白くて。

学生だし予算もないし、音楽棟のホールを借りて機材持ち込んで自分で録音したり、音楽科の友達に声をかけて「ちょっとバイオリン弾いて」とか言って収録したりして。
美術科のグラフィック研究室の子と仲良くなって、音と映像でコラボレーション作品を作ったりしていて、だから大学の卒業制作ではそういうのをせっかくだから全部融合させたいなと。

金属系打楽器が好きで、アンティークシンバルとか、そういう音の「間(ま)」というか音の余韻の方を聞くっていうコンセプトで「波紋」という作品を作りました。譜面がその当時はあるんですけどほとんど全音符にスラーをつけてそのあと何もないみたいな。
先生には「のっぺらぼうの譜面だね」といわれたけど(笑)。金属系打楽器の他には、クラリネットが2本で半音ずれとかで唸りを聴かせるような…、あと電子音でミュージックコンクレートというか色んな音を加工したものを流しつつ、映像も含むっていう、今思うとちょっと欲張りすぎなんだけど(笑)。

-生演奏で発表したんですか?

映像はその美術科の子が作って、演奏は生演奏でした。打楽器奏者の人が3人で金属系打楽器を沢山。アンティークシンバル、スティールパン、ゴングとかトライアングルとか、レインスティックなどとクラリネット2本で奏者は5人で、スピーカーから電子音も再生されてという形で卒業演奏会で発表しました。

実は、この作品は後日2010年に実施された、トーキョーワンダーサイトとN響とのコラボレーション企画コンサートでN 響メンバーによって再演されるという運命をたどりました!当時の自分は想像もつかなかったことですが(笑)、ただ、改めてこの時に改定も加えたりして見直して、やりたいことの根源は変わっていないなあと感じる部分と、まだそれがはっきり表現できてない未熟さも実感しました。

今まで知っていた現代音楽とは全く違う響き

大学院に進もうと思った時にクラシックの技術的なことだけの世界があんまり面白くなくて。新しい分野の友達を増やしたりコラボレーションしたいなと思って何かいい学校ないかなという時にペーターがIAMAS(情報科学芸術大学院大学)を教えてくれたんですね。

芸大の先端芸術表現科の院ができたくらいの頃で芸大と迷ったんですが、IAMASだったら三輪さんに会いに行けって言われて、アポを取って夏に岐阜のIAMASのオープンハウスに行きました。音響のテクノロジーのことも楽譜を扱うことも三輪さんだったら分かるからと。そこで三輪さんはドイツ仕込みのロジカルな人だから、コンセプトとして何がやりたいのかっていうのを突きつけられたんです。

-三輪さんは昨年宮内さんが委嘱を受けた「Just Composed 2016 in Yokohama」のコーディネートをされていた方ですよね?

はい、そうです。私の師匠の三輪眞弘先生。その時会いに行って話して、私はまだまだ全然考えてないなっていうこと突きつけられて、しょぼんとして帰ってきたんだけど(笑)。
その時に「今年僕は芥川作曲賞にノミネートされてるから良かったら聴きに来てください」と言われてチラシをいただいて、サントリーのサマーフェスティバルの演奏を聴きにいったのですけど、それで衝撃を受けました。

三輪さんの曲はなんだかわけがわからなくて、とにかく魔力に取り込まれていくような不思議な力があって、今まで知っていた現代音楽とは全く違う響きがしたんです。『村松ギヤ・エンジンによるボレロ』というオーケストラの曲だったんですけど「逆シュミレーション音楽」と三輪さんが呼んでいるコンセプトで、コンピュータのアルゴリズムを使った技法で作曲されたものでした。

その時私はアルゴリズミックコンポジションも何も知らずただ聴いた印象が衝撃的だったんですが、でも満場一致でその時三輪さんが(芥川作曲賞を)受賞されたんですね。それで、この人のところで学んだら新しい可能性が見えるかもしれないと思ってIAMASを選んだんです。

〜「響き」の本来の力へ。楽譜を手放した作曲家・宮内康乃インタビュー ②へ続く〜


宮内康乃が主催する音楽グループ「つむぎね」新作公演!

つむぎね「○」

-OPEN SITE 2016-2017 Project A <推奨プログラム>

会 期:2017年03月25日(土) – 2017年03月26日(日)
入場料:
2,500円
主 催:
公益財団法人東京都歴史文化財団トーキョーワンダーサイト
会 場:
トーキョーワンダーサイト本郷
アーティスト:
宮内康乃、浦畠晶子、大島菜央、筒井キリイ、横手ありさ、ワークショップ生10名

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