10年ぶりに全国大会出場を果たした唯一の「オーケストラ部」。極度の緊張で全身が震えていた指揮者の伊藤巧真先生だが、本番の演奏を引っ張っていたのは実は演奏する高校生たちのほうだった……。

見事金賞を受賞した幕張総合高校シンフォニックオーケストラ部の伊藤先生に、いまだから言える全国大会の裏側を語っていただいた。

取材・文

  • オザワ部長世界でただひとりの吹奏楽作家。神奈川県立横須賀高等学校を経て、早稲田大学第一文学部文芸専修卒。在学中は芥川賞作家・三田誠広に師事。 現役時代はサックスを担当。現在はソプラノサックス「ヤマ和(やまお)」(元SKE48の古畑奈和が命名)とアルトサックス「セル夫」を所有。好きな吹奏楽曲は《吹奏楽のためのインヴェンション第1番》(内藤淳一)。

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「失神」状態の先生と躍動する高校生たち。幕総オケ部の飛翔!

千葉県立幕張総合高校シンフォニックオーケストラ部
©オザワ部長

一瞬、ヴァイオリンやヴィオラ、チェロといった弦楽器の音が聞こえた気がした。

全日本吹奏楽コンクール・高等学校の部。後半の10番目にステージで演奏していたのは千葉県立幕張総合高校シンフォニックオーケストラ部(通称・幕総オケ部)だった。「吹奏楽コンクール」の全国大会に登場した唯一の「オーケストラ部」だ。

といっても、弦楽器は入っておらず、一般的な吹奏楽編成だ。幕総オケ部は全部員で254人というマンモス部活。その中から55人のメンバーを選抜し、大会に挑んでいる。

演奏曲は、課題曲《行進曲「煌めきの朝」》と自由曲《バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲より 夜明け、全員の踊り》(モーリス・ラヴェル)。いわゆる《ダフクロ》は原曲は言うまでもなくオーケストラ版だが、それを顧問の伊藤巧真先生が編曲し、吹奏楽版として演奏した。

オーケストラ部だからというバイアスを抜きにしても、時折「オケを聴いているのではないか」と思う瞬間があった。そして、奏者一人ひとりが内側から溢れ出る音楽を奏で、それが渾然一体となって豊かなサウンドをつくり出していた。

テーマは「生徒の自発性で音楽をつくる」

千葉県立幕張総合高校シンフォニックオーケストラ部
©オザワ部長

幕総に赴任して9年目になる伊藤先生は、全国大会を経験するのは今回が初めてだった。

オケ部は過去に元顧問の佐藤博先生の指揮で2回全国大会に出場しており、いずれも金賞を受賞している。伊藤先生にとってはそれもプレッシャーだが、市立柏・習志野・常総学院の「東関東の御三家」を筆頭に、強豪がひしめき合う東関東支部をなかなか突破することができなかった。

伊藤先生は今年、革新的なテーマを掲げてコンクールに挑んだ。それは「生徒の自発性で音楽をつくる」ということだ。

伊藤先生
「これまで、どうしても自分の指揮で音楽をつくる、演奏をまとめ上げる、ということをやってきました。でも、今年は違うアプローチをしてみよう、生徒一人ひとりがいきいきと演奏できる音楽、自発性と主体性のある演奏を目指してみよう、と考えて指導してきました」

だが、指導者に引っ張ってもらうことに慣れていた部員たちは、なかなか自発的に、自分の中から音楽を紡ぎ出すことができなかった。

伊藤先生
「生徒たちはなかなか殻を破るのが苦しそうでした。全国大会出場をかけた東関東大会の前日まではかなり迷っていましたね」

千葉県立幕張総合高校シンフォニックオーケストラ部
©オザワ部長

伊藤先生も迷った。大切な大会だ。前年までのやり方を踏襲し、自分のタクトで音楽を引っ張ることもできる。東関東大会の前夜まで、先生は悩みに悩んだ。

伊藤先生
「でも、最終的に『今年は生徒に委ねよう、生徒を信じよう』と決心しました。いま思うと、あの瞬間がターニングポイントでしたし、あの決断は正解でした」

東関東大会では、ようやく殻を破った部員たちが目の覚めるような演奏を繰り広げ、幕総としては10年ぶりとなる全国大会出場を決めた。

淀工の伝説的指導者にリスペクトした《ダフクロ》

©オザワ部長

そして、迎えた全国大会。誰よりも緊張していたのは伊藤先生だった。

伊藤先生
「東関東大会のときも手が震えていましたが、全国大会では足の先まで震えて(笑)。課題曲の出だしで、指揮を振り始めようと思っても腕が上がらないんです。無理に上げようとしたら震えが増大して、自分の目からもそれが見えるわけです。どうにか振り始めましたが、それと同時に“失神”しました(笑)」

もちろん「失神」はたとえで、極度の緊張によって自身を客観的に見ることができなくなっていた、ということだ。先生は震えながらもしっかり指揮をしていた。

伊藤先生
「“失神”から帰ってきたのは、課題曲の中間部のフルートソロのところからです。『ソロも、みんなも、すごく良い音で演奏してくれてるな』と生徒たちに尊敬の念を抱きながら指揮を続けました」

伊藤先生が育ててきた部員たちの自発性が炸裂したのは、自由曲《ダフクロ》だった。

伊藤先生
「特に、後半の《全員の踊り》の部分では生徒たちがそれぞれに躍動しすぎていて、とにかく僕は拍(テンポ)をしっかり出そうと必死でした。生徒たちの熱量がものすごいことになっているのは感じていたので、それを崩さないように心がけました。『あぁ、自分たちの翼で飛んでいるんだな』と感じましたね」

そして、先生自身も指揮に力を込めた。
実は、事前に研究してきた指揮者がいた。大阪府立淀川工科高校吹奏楽部(淀工)の伝説の顧問、故・丸谷明夫先生だ。

コンクールで《ダフクロ》といえば淀工のイメージが強く、いくつもの名演を残してきている。伊藤先生は淀工の演奏と丸谷先生の指揮を何度も映像で見て研究した。特に、《全員の踊り》で音が小さくなるところでは、丸谷先生と同じように指揮台の上で体を小さくかがめて指揮をした。

金賞を手にした3年生たちは次の夢へ

幕総オケ部の演奏が終わると、爆発的な喝采が巻き起こった。部員たちは満足げな表情を浮かべながらステージを出ていったが、伊藤先生だけは違っていた。

伊藤先生
「あぁ、うまく振れなかった、という思いが強かったですね。生徒たちに対して『ごめん、やるだけのことはやったけど、まだ自分にはこの場所は早かった』と謝りたい気持ちでした。正直言えば、銀賞か銅賞だろうと思っていました」

しかし、表彰式で発表された評価は、金賞。伊藤先生は初めての全国大会で最高の結果を残すことができた。

伊藤先生
「『やったー!』というよりは『あぁ、ありがとう。生徒たちにとらせてもらった。生徒たちはすごいな』という思いでしたね。以前は自分が生徒たちを引っ張っているつもりでしたが、今年は気がつけば生徒たちが引っ張っていました」

先生がテーマにしていた「生徒の自発性で音楽を作る」が全国大会という舞台で最高の形で実現したのだ。

伊藤先生
「あれから何週間か経ち、3年生はいまは進路に向けてものすごく頑張っています。春に、このまま部活を続けてコンクールに出るか、受験勉強に専念するかで迷っていた子もいましたが、ひとつの大きな夢を叶えて、充実した気持ちで次の夢に向かって努力しています。後輩たちのほうは来年度に向けてプレッシャーを感じていると思いますが、試行錯誤しながら『2023年の全国大会金賞はまぐれとは言わせないぞ』という気持ちで頑張ってくれると思います」

自分たちの翼で飛ぶことを覚えた幕総オケ部の今後のさらなる飛躍が楽しみだ。

※2023年度吹奏楽コンクールの結果はこちら▼