亜麻色の髪の乙女」、「さくらんぼ」、「翼をください」、「それが大事」、「ヘビーローテーション」といったあまたのJ-POP作品、あるいはアニメソング、たとえば『ラブライブ! サンシャイン!! 』の挿入歌「想いよひとつになれ」などなど、これらの楽曲にはある共通点があります。それは「パッヘルベルのカノン(『3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノン』)」から派生したいわゆる「カノン進行」をベースに作曲されている、またはそのセクションが含まれている、ということ。今回は、この古くて新しい「カノン」にまつわるよもやま話をご紹介します。


 

クラシック音楽史上最古のカノン『夏は来たりぬ』

カノンとは、あるメロディーが順繰りに声部を変えながら登場して音楽を作ってゆく形式で、そのもっとも単純な例が『かえるの歌』のような輪唱形式。クラシック音楽史上もっとも古いカノンと言われているのが、13世紀に英国のレディング近辺で作られたとされる作者不明の古英語の歌『夏は来たりぬ Sumer is icumen in 』です。
この作品は技術的に言えば、ふたつの低音声部の上にメロディーラインが4つの上声部で展開される「6声の厳格カノン」と呼ばれるもの。後年イタリアでは、この歌のカノンをもとに、カッチャという世俗歌曲の形式が生まれたと言われています。
英国つながりでは、中世の聖歌隊用曲譜集『ウィンチェスター・トロープス(1000年ごろ)』や、美しい装飾の施された大型楽譜『イートン・クワイヤブック(1505年ごろ)』が有名。定説ではポリフォニー発祥の地はフランス北部あたりとされていますが、最古の実例が海を渡った先の英国にあるというのはおもしろいですね。

夏は来たりぬ

謎かけカノンで腕を競ったフランドル楽派

14世紀から15世紀のルネサンス音楽の時代、現在のフランス北部やベルギー、オランダ南部に当たるフランドル地方を中心に活躍した音楽家たちは、それ以前のギヨーム・ド・マショーらの「アルス・ノーヴァ」の模倣対位法を継承し、さらに複雑なカノン技巧を駆使した作品を書くようになります。
その代表格がたとえばヨハンネス・オケヘム(1410ごろ-1497)で、現代から見ても驚異的な『ミサ・プロラツィオーヌム(種々の比率のミサ曲)』という声楽作品や、36もの声部を持つ『主に感謝せよ』という教会音楽も残しています。
ミサ・プロラツィオーヌム』は2声で書かれていますが、おなじ旋律を異なるリズムで音程を拡げながら歌い、最後は8度のカノンに達します。バッハの『フーガの技法 BWV1080』を予感させるような作品、とも言えます。
フランドル楽派の音楽家たちはその技巧の冴えを誇示するように、解読作業が必要なカノンを即興で作り、仲間うちで披露しあっていたという話もあります。ことばを変えると、彼らの興じていた謎かけは「最古の音楽クイズ」と言えるかもしれません。

オケヘム『ミサ・プロラツィオーヌム』

器楽分野で花開くポリフォニー

ところでこの厳格カノンはその後、あまりの複雑さから急速に廃れ、代わって明快さを特徴とする新たなポリフォニー楽曲がイタリアで生まれます。楽器製造技術の発展も相まって、それまで教会の声楽中心だったポリフォニーは、弦楽器やチェンバロ、オルガンといった鍵盤楽器の独奏用として作曲されるようになります。
中世のオルガヌムから発展したカノンは、ここにきて現代に受け継がれているさまざまな形式の母体となります。鍵盤作品としてのポリフォニーはとくにイタリアとスペインで多く作られ、カンツォーナ、リチェルカーレ、そしてフーガへ発展してゆきます。
この分野の巨匠がジローラモ・フレスコバルディ(1583-1643)で、大バッハもフレスコバルディの代表作『音楽の花束(1635)』の筆写譜を所有していたことが知られています。バッハは先人たちの作品を生徒たちに教えることが好きだったようで、ブクステフーデやパッヘルベルといった同郷の偉大な先達の作品とともにフレスコバルディ作品も教授していたにちがいありませんし、もちろん自分自身の勉強用としても活用していたのでしょう。

 


 

フレスコバルディ『音楽の花束』から「クレド(ニカイア信経)の後の半音階的リチェルカーレ

バッハのあの肖像画の楽譜も超絶技巧の「謎かけカノン」!

さてそのバッハ。バッハと言えば、ライプツィヒ市参事会付きの画家ハウスマンによるあのズラ(失礼)をかぶったバッハの肖像画を思い浮かべる向きがほとんどだと思いますが、その右手にあるちいさな譜面に注目する人はあまりいないのではないでしょうか。
じつはこの楽譜、れっきとしたカノン形式の作品で、『6声の三重カノン BWV1076』と呼ばれるもの。
ところがこれ、見ればわかるようにそのままでは演奏不能。バッハが意図したであろう作品として演奏するにはまず「解読」しなければなりません。つまり、フランドル楽派の「カノンクイズ」が、バッハによって甦っているわけです。
 
具体的には8音の低音主題(『ゴルトベルク BWV988』アリアの低音主題出だしの8音)を含む3つのパートすべてを上下反転させたうえで1小節ずらしてカノンにする、というなんとも手の込んだもの。バッハは友人のローレンツ・ミツラーから彼が設立した「音楽学術協会」入会を勧められたものの、会員ナンバーがB-A-C-Hを表す数字14になるよう入会を先延ばしして、自身の数象徴14を盛り込んだこの謎かけカノンを名刺代わりとして描かせたんだそうです。このとき入会審査として提出されたのも『高き天よりわれは来たれり BWV769』という、有名なクリスマスコラールにもとづく「カノン風変奏曲」でした。
晩年のバッハは幾何学的とも言えるカノン作品をいくつも書いています。その白眉と言えるのが『音楽の捧げもの BWV1079』で、かにのように逆行する「逆行カノン」、主題の音符を上下反転させた反行形と組み合わせて演奏可能な「反行カノン」、反行形の音符の長さが倍に拡大されて先行声部を追いかける「反行の拡大カノン」、主題が主調のハ短調からニ短調、ホ短調…とあたかも階段を上がっていくように転調する「螺旋カノン」などが収められています。

『6声の三重カノン BWV1076』

十二音技法や無調音楽にも息づくカノン

20世紀前半に登場した十二音音楽や無調音楽にも、じつは古い時代のカノン形式が隠れていたりします。たとえばアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)の連作歌曲『月に憑かれたピエロ(1912)』には随所に厳格対位法によるカノンをはじめ、フーガ、パッサカリアなどのバッハ時代に盛んだった形式が「再利用」されています。またアルバン・ベルク(1885-1935)の歌劇『ヴォツェック(1917-22)』第2幕第2場にも、「3つの主題によるファンタジーとフーガ」として無調性のフーガが顔を出しています。
バルトーク・ベーラ(1881-1945)の『弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽(1936)』冒頭楽章では、弱音器をつけたヴィオラから奏される主題の12の主要音が、音程を拡大して展開する無調フーガとして書かれています。
十二音技法には対位法的手法が多く取り入れられているとも言われていますが、この技法で作品を多く書いたアントン・ヴェーベルン(1883-1945)はとくにバッハ時代の様式の研究にも熱心で、『音楽の捧げもの』の「6声のリチェルカーレ」を管弦楽曲として編曲した『リチェルカータ(1935)』を書いています。この編曲でヴェーベルンは、それぞれ異なる楽器に主題の各音符を割り振るという、音による点描画とでも呼べるユニークな方法を試みています。

バッハ/ヴェーベルン編曲『リチェルカータ』

カノンは規則だらけに見えて、じつはかぎりなく自由

カノン canonという語で英和辞書を引くと「教会法」や「正典」、「芸術などの規範・規則」といったおカタい定義がずらっと出てきます。一定の自由さが認められているフーガとちがい、一音一音厳密に対応する対位法の典型カノンはもっとも自由度の低い形式のように見られがち。しかしながら対位法の大家バッハの一連のカノン作品、とくに本文中にも例を挙げた『高き天よりわれは来たれり』にもとづくカノン風変奏曲は、楽譜の見た目の数学的な冷たさからは想像もできないほど自然で、その流麗さに驚かされます。これはまるで、規則だらけでがんじがらめと思われている形式の中にこそ真の自由あり、とバッハが雄弁に語りかけているかのようです。[付記:バッハはこのカノン風変奏曲の最終変奏終結部に、自身の名前B-A-C-H音型をこっそり入れて「署名」までしています]

『クリスマスコラール「高き天よりわれは来たれり」によるカノン風変奏曲 BWV769』