常ならぬ調弦!19世紀の名曲に潜む『変則調弦』の魔力

2017/06/11
楽器

ヴァイオリンは4本の弦を持つ楽器です。この4本の弦は等しく完全5度の間隔で、低い方からG-D-A-Eと調弦されます。同属楽器であるヴィオラやチェロならC-G-D-A。しかし、敢えてこの原則を破り、特殊な調弦を施すことで通常とは異なる効果を求める技法が存在します。それが変則調弦です。

変則調弦によって得られる効果として、通常では弾くことが難しい、あるいは弾くことが不可能なものが演奏可能になること、また、弦の張力が変わることによって音色に変化が生じることなどが挙げられます。こうした効果を狙った曲は、特にバロック時代に多数残されていますが、バロック時代以降にも変則調弦を用いた曲が存在します。今回は19世紀の名曲の中から、変則調弦による効果が存分に発揮された実例を紹介しようと思います。

 

魔術のタネとしての変則調弦:パガニーニ作曲 ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調

ヴァイオリンの代表的ヴィルトゥオーソであるパガニーニの協奏曲 第1番は、変則調弦を効果的に活用した好例です。この曲は、パガニーニ自身が弾いたであろうヴァイオリンのソロ声部をニ長調で記譜していますが、他の楽器は半音高い変ホ長調で記譜されています。そのまま合奏するとメチャクチャな響きになるところを、実際にはヴァイオリンのソロ声部は4本の弦を半音高く調弦するよう指示されており、調性の差と調弦の差が打ち消し合って他の楽器とぴったり合うように計算されています。

このカラクリの効果はどのようなものでしょうか。
ヴァイオリン・ソロ奏者はニ長調で演奏することになりますが、ニ長調はヴァイオリンが得意する調性です。ヴァイオリンの4本の弦をみな開放弦で(左手の指で弦を押さえずに)使用できますし、主音であるDが下から2番目の弦にあるので、響きも華やかになります。またソロ・ヴァイオリンは、調弦を半音上げることにより弦の張力が上がって、ギラギラした響きを得られるのです。一方、原曲の変ホ長調で弾かねばならないオーケストラのヴァイオリン奏者は大変です。変ホ長調では、上の2本の弦にフラットが付くので開放弦が使えず、運指が難しい上に響きも鈍ぶってしまいます。

こうして、自分のヴァイオリンだけ派手に鳴りやすい状況を作るという「チート」を仕込んだ点にパガニーニの巧みな策略を見出すことができます。このような魔術のタネを用いた華やかなパフォーマンスは19世紀の名演奏家達のとっておきの手法でした。個人的には現代人にも貪欲に取り入れて欲しい思うのですが、残念ながら今日ではカラクリ抜きで、つまりオーケストラも全員ニ長調で「まじめに」演奏するのが一般的のようです。ただし、中にはパガニーニの見事な仕掛けをそのまま採用するマッシモ・クワルタ氏のソロによる演奏もあったりします。ケレン味溢れる表現も音楽の大切な魅力でしょうから、今後もこうした取り組みの広がりに期待したいところですね。


 

死を思わせる不協和な調弦:サン=サーンス作曲『死の舞踏』作品40

パガニーニの場合は、変則調弦といっても全ての弦を等しく半音上げるわけですから、通常調弦のヴァイオリンを一種の移調楽器とみなしているわけです。しかしサン=サーンスの交響詩『死の舞踏』では、ソロ・ヴァイオリンパートのみ、一番高い弦を半音下げてG-D-A-E♭という調弦で弾くことを指定しています。減5度という不協和音程を含む点で、より大胆な変則調弦といえるでしょう。
アンリ・カザリスの詩にイメージを得たこの交響詩は、ハープの奏でる12の鐘の音によって真夜中の訪れが告げられることによって始まります。その後に現れるソロ・ヴァイオリンは、高い方の2本の開放弦による減5度を響かせながら奇怪な旋律を奏でます(動画の1:09あたりから)。これは、カザリスの詩に出てくる”踊る骸骨”を表していると考えられます。開放弦は指で押さえない分、派手に鳴りますから、ここでは減5度が禍々しいほどビリビリと響き渡っています。

サン=サーンス作曲『死の舞踏』F.-X. ロト指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

この時、ソロ・ヴァイオリン奏者の見る楽譜には、単にAとEの完全5度が書かれています。ところがそれを弾くと、変則調弦のおかげで実際にはAとE♭の減5度が響きます。楽譜からイメージされる音とは異なる響きが鳴り出すことになり、思い通りにならないぎこちなさや、意図に反して操られているおぞましさのようなものを感じるでしょう。しかも、減5度は五度圏における対極となる関係です。つまり、調性音楽において一番かけ離れた関係になります。それが、完全5度の協和音程となるはずの隣り合った弦から聞こえてくるというのは、ヴァイオリン奏者にとって気味の悪いことです。そうしたぎこちなさやおぞましさ、不気味さこそ、骸骨の踊る死の舞踏にふさわしいもので、サン=サーンスのアイディアは実に巧みです。

ただし、サン=サーンスのこの曲ではむしろソロの出番は少なく、特に最高弦は効果音的にのみ使われました。変則調弦をもっと大胆に活かし、ソロ・ヴァイオリンをえげつないまでに派手に用いて欲しかったとも思いますが、そうしたこれ見よがしな態度はサン=サーンスの許すところではなかったのかもしれません。

 

音域と音色への貪欲な探求:シューマン作曲 ピアノ四重奏曲 変ホ長調 作品47

一方、シューマンのピアノ四重奏曲 作品47の第3楽章では、チェロ奏者に罰ゲームのような変則調弦が課せられます。甘美な旋律が歌い交わされるこの緩徐楽章では(動画の13:30あたりから)、中間部が終わって主題に帰ってくるとチェロに16小節ほどの休止が与えられます(動画の17:30あたりから)。その間に、チェロの最低弦を通常のCから1全音下げてB♭にするよう指定されているのです。

シューマン作曲 ピアノ四重奏曲 変ホ長調 第3楽章 ATOS Trio & Isabel Charisius

この時代の曲で、楽章の途中で調弦の変更をするのは極めて珍しいことです。しかもヴィオラが美しいく歌っている脇で、チェロ奏者は音の確認も満足にできない中、限られた時間の中でコソコソと変則的な調弦をしなくてはなりません。にもかかわらず、チェロが演奏に復帰した後も、この変則調弦によって得られた新たな最低音のB♭の出番は、ごくわずか(動画の19:26あたりから)。楽章の最後で、このB♭と隣の弦で押さえられるB♭とがオクターブの持続低音を奏でるだけなのです。

この持続低音のオクターブ下側を弾くだけのB♭こそ、シューマンがどうしても手に入れたかったものだったのでしょう。少しでも音のパレットを拡大したいという貪欲で痛切な欲求が感じられ、そのためにチェロに無茶振りをするあたり、シューマンの現実離れした精神のなすところかもしれません。実際、この動画のチェロ奏者は変則調弦がうまくいかず、最低弦のB♭が鳴りだしてから慌てて音の高さを調整する羽目になっています(笑)

この無茶な変則調弦は第4楽章とのつながりにも問題を起こしています。第3楽章の最後でチェロがB♭のオクターブで持続低音を弾いている間、上では他の楽器が1つの動機をキャッチボールします。この動機は、実は第4楽章の冒頭動機で、言うなれば次楽章の予告をしているわけです。であれば、第3楽章が終わったら間を置かずに第4楽章に移って楽章間のつながりを明確にしたいところですが、チェロ奏者は第4楽章が始まる前に調弦を戻さねばならず、音楽が途切れてしまっています(動画の19:55あたりから)。

しかし、次の動画では、これらの危険や問題を回避する方法をチェロ奏者が巧みに実践しています。シューマンの指示に反し、第3楽章の開始前に変則調弦を済ませてしまうという「裏技」(動画の13:55あたりから)です。この楽章は最低弦の出番が少なく、最初からB♭に下げておいてもどうにか演奏をこなせます。そして、第3楽章が終わったらすぐに第4楽章に移り、冒頭で他の楽器が主題の模倣を繰り広げている間に調弦を元に戻しています(動画の21:10あたりから)。

 

シューマン作曲 ピアノ四重奏曲 変ホ長調 第3楽章 Opus One Piano Quartet

こうした「裏技」は、演奏家が曲を実演する際には非常に有効なものでしょう。しかし、個人的には作曲家の無茶振りを目の当りにすると、シューマンという人物の現実離れした作為にただ驚嘆してしまいます。気分の問題と言ってしまえばそれまでですが、これほどの危険と非効率の上に得られたB♭の深い味わいも、どこか歪な魅力を持つシューマンの音楽ならではのものかもしれません。

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