クラッシック音楽の好きな両親に育てられた私は、幼い頃からサントリーホールやオーチャードホールなどで、一流の音楽に触れる機会に恵まれました。チャイコフスキーのバイオリン協奏曲やベートーベンの交響曲に鳥肌がたつほど感動した瞬間をよく覚えています。日本で育った私は、3歳から音楽教室に通い、5歳になる頃にはプライベートでピアノのレッスンを受けてきました。

日本では、幼少の頃から楽器のレッスンを受けるのは一般的かと思います。音楽に合わせて体を動かしたり歌ったりするグループレッスンやプログラムがたくさんありますね。ある程度大きくなると、マンツーマンでレッスンを受け始め、指導法が合う合わない、また好き嫌いが少しずつ見えてくるようになります。先生はこわいし、練習曲ばかりでつまらない、練習したくない、と子供が言っているのを耳にしたことがありますか?私もまさにそうでした。

そんな私が、アメリカへ音大留学し、演奏することを楽しみ、今となってはピアノを教えるこにも喜びを感じるほど、自分が変わったことに周囲は驚いています。そんな私が感じるアジアとアメリカのレッスンスタイルの違いを、この記事を通してシェアできたらと思います。

重くのしかかる緊張感、ピアノレッスンにプレッシャーは必要か

「また水曜日がきてしまった」と、毎週水曜日の朝になるとため息をついてる小学生の自分を思い出します。理由はひとつ。ピアノのレッスンに行きたくなかったのです。幼いながらも、どうしたらレッスンを休めるかいつも頭をひねって考えていました。言われたことをただひたすらこなし、褒められた記憶はほとんどありません。アジアでは定番のハノンやツェルニーも頑張りました。練習をしないでレッスンにいくことは、まずありえないことでした。爪を切り忘れると、その場で爪切りを渡され、先生と二人きりの空間で爪を切る音だけが聞こえる、なんとも異様な緊張感とプレッシャーの中でレッスンは続きます。私の中で自分がピアノを習っていることと、音楽からくる感動とは全く別ものでした。ピアノのレッスンは単なる習い事のひとつにすぎなかったのです。

可愛らしい「花の歌」から音と光が消えた瞬間を振り返る

厳しいレッスンが普通だと思っていた私は、毎週のレッスンをなんとか耐え抜きます。その経過の中で、今でも忘れられないひとつの出来事がありました。曲らしい曲、ロマン派の曲を初めて課題曲としてもらった時のことです。練習曲ばかりでうんざりしていた私は、もう嬉しくて嬉しくてその曲だけを毎日ひたすら練習したのを覚えています。いつも以上にたくさん練習したから、先生にも是非聴いてもらいたいと、その時ばかりは興奮してレッスンに行きました。グスタフ・ランゲ作曲の「花の歌」。悲劇はその後です。テクニックの練習をしなかったという理由で、その曲をその日のうちに取り上げられてしまいました。まるで音と光が消えてしまったかのように、完全に自分の心を閉ざしてしまった瞬間でした。楽しく弾いて何が悪い、と心の中で言い放ち、それ以来この曲を弾こうと思ったことはありません。

私の音楽人生を大きく変えた新しい出会い

月日が流れ、新しい先生たちとの出会いと共に、ピアノライフに新鮮な風が吹くようになります。中学高校になると、先生たちとの会話もだいぶ楽しめるようになってきました。先生たちの留学体験談や、演奏活動を楽しんでいる先生たちのお話は、とても興味をそそるものでした。そんな中、アメリカ帰りのある1人の先生との出会いがあり、その出会いが私の音楽人生を大きく変えることになります。この出会いについては、また別の記事で取り上げることにしますが、この巡り合いをきっかけに私はアメリカ留学を決意します。

アメリカへ留学 – 和やかでリラックスしたレッスン

2001年の春、言葉の壁や文化の違いへの不安はあったものの、たくさんの期待をもって渡米しました。初めてのアメリカ人の先生からのレッスンは本当に衝撃的だったことをよく覚えています。今までのような、ピリピリ張りつめた緊張感は全くなく、笑いとユーモアのあるリラックスしたレッスンでした。何よりも驚いたのは、とにかく褒められたことです。そんなはずはない、と自分でも疑うほどでした。大して褒められたことのない日本人が突然褒められると混乱が起きます。この先生はなぜこんなことを言うのだろうと、逆に疑念を感じてしまうのです。それでも先生のおかげで新しいレッスン様式にも次第に慣れ、レッスンを楽しむことができるようになっていきました。

アメリカには「褒める」文化があります。相手の良いところをまず見つけて褒める、明るくポジティブにその場に楽しい雰囲気を創りだす、という美しい文化に根付いた行動や傾向が日常的によく見られます。これは音楽の世界だけではなく、家族、友人、同僚、初めて会った人の間など、様々な場面でみられます。ですから、ピアノのレッスン中に先生が生徒のことを褒めることは、決して驚くことではありません。

自分を表現することが鍵

アメリカ人の先生と一緒に、ルービンシュタインの演奏をビデオで見て意見交換をする時間はとても魅力的なものでした。レッスンでは、”私が何を感じているか、何を考えてるいるか、きちんと理解しているか、どうしたいか”を常に聞かれます。自分が感じていることを言葉で表現しないと、この国でのレッスンはうまく成り立ちません。言われたことだけをこなしてきた私にとって、最初はとまどいを隠せなかったものの、曲について詳しく話し合い、表現や音の質にこだわるレッスンは私の音楽人生にとって本当に貴重な時間でした。ピアノと音楽と真剣に向き合う環境に心から感謝できる、私にとって一生忘れることのできない時代となりました。

文化の違いをどう受け入れるか

大学院を卒業する頃になると、現地のミュージックスクールで子供たちを教えることになります。これまでに何百人もの生徒さんとそのご家族に接する機会がありました。ニューヨークという場所柄、アメリカ人だけでなく、アジアやヨーロッパから移って来られたご家族もたくさんおられます。様々なバックグラウンドゆえに考え方や方針などが異なるので、十分なコミュニケーションが必要になってきます。そのような環境のなか、気にかかり見過ごすことをできないのが、アメリカへきたばかりの日本人生徒たちです。自分の思っていることや感じていることをほとんど口に出すことができず、褒められることにとまどっている子供たちが少なくありません。同じ経験を持つものとしてシンパシーを感じ、助けたいと思うべく全力を尽くしている自分によく気づきます。

何年も前にこんな出来事がありました。生徒の発表会のあと「とっても良かった、頑張ったね。ここの部分が特に良かった…」とある生徒を褒めていたら「何が良かったのですか!」と日本人のお母様に怒鳴られ、その時ハッと気づかされました。文化と考え方の違いを肯定的に受け入れるか、相容れないものとして拒絶するか、またその是非の判断は人それぞれだということ、他文化を安易に推奨することの危うさも改めて思い知りました。

先ほど触れたように、アメリカには「褒める」文化があります。日本はどうですか?「けなす」文化があると以前に表現された方がいるのを思い出しますが、それは少し言い過ぎで、日本では一般的に「謙虚である」ようにという文化がありますね。人前で褒められたら、そんなことないです、というセリフが自然にでてきます。親は自分の子供のことを、うちの子できないから、と言っているのを耳にすることもあります。これは自分を相手より劣っているものとして振る舞い、相手から学ぶ意思をみせる、知的な文化だと私は考えます。では、楽器のレッスンを受けるならどちらの文化で学んだ方が良いのでしょうか。

褒めるには目的がある

今回私がここで一番お伝えしたい事のひとつに、アメリカ人はただがむしゃらに褒めているわけではなく、目的を持って褒めているという点です。特に教育の場においては、「褒める」ことは生徒のモチベーションを高めたり、自信を持たせるためにとても大きな効能を発揮します。先生たちは、生徒ひとりひとりの課題や性格を考慮した上でアドバイスを与え、褒めます。どんなにわずかな進歩や努力にも目ざとくあって、それを言葉で表現し生徒に伝えるのです。コンクールに入賞したとか、オーディションに受かったなど、目に見える結果を残した時だけではありません。日頃の進歩に気づいて、それを実際に口に出して褒めることが、さらなる進歩に導く助けになると私は信じています。ピアノレッスンは、ある意味チームワークです。相手のポテンシャルを引き出すことで、さらにお互いのコミュニケーションが円滑になってゆきます。日本を含めたアジアから新しい生徒がくるたびに、文化の違いを認めつつも、「あなたには褒められる理由がある」というメッセージを相手に伝えるようにしています。

バランスの取れたレッスンを

アジア独特の厳しいレッスン、アメリカならではのリラックスした笑顔のあるレッスン、どちらにもそれぞれのベネフィットがあります。厳しいレッスンからは、音楽のスキルだけでなく、つらい練習を乗り越えた達成感や忍耐力を得られるでしょう。一方、たくさん褒められて笑顔のあるリラックスしたレッスンからは、表現力や想像力をさらに展開させることができます。ただ、行き過ぎには注意が必要です。加減なく褒め続けると、逆に褒めないと何もやらなくなってしまう子たちがでてきます。そして、褒められるからピアノを弾いてるのか、ピアノを弾きたくて弾いてるのか、目的があやふやになってくることもあります。厳しすぎるレッスンとなると、自尊心をなくしてしまったりやる気をなくしてしまう原因にもなりかねませんね。どちらのスタイルを選ぶかは生徒さんとご家族次第ですが、私は日米それぞれの経験から、両者のいいとこ取りをしてバランスの良いレッスンスタイルを創ろうと日々心がけています。何事もバランスですね。