皆さんは日本にはオーケストラがいくつあるか、ご存知でしょうか。バリバリと演奏活動を本職にするプロの楽団から、趣味で音楽を愛好する仲間が集まる社会人・アマチュアオーケストラ、学生オーケストラまで。目的は違えど、国内には700〜800ものオーケストラ団体が存在しているといわれています。
オーケストラの数だけ、様々なカラーがあるわけですが、どのような特色が団体のカラーを決めるのでしょうか。演奏もその一つであることは間違いありませんが、それだけではありません。その答えを探っていくために、今回フィーチャーしたいオーケストラがあります。
オーケストラ・アンサンブル金沢。プロの室内オーケストラ楽団です。一般的に、プロのオーケストラの要となる行事は、年間約10回ほど催される定期演奏会です。フランチャイズを結んだホールや、本拠地となるホールにおいて定期的に行われる演奏会のことで、それが楽団のお披露目の場であり、また「顔」になります。そのコンサートで奏でる楽団の音色の特色や、音楽の目指す指針がオーケストラそのものの特色になるわけです。

このオーケストラ・アンサンブル金沢は、いわゆる地方オーケストラ。ただし、地方にあるというだけでなく、彼らと地域の密接な結びつきがこの楽団の特色でありカラーであり、魅力なのです。今回は、オーケストラ・アンサンブル金沢のオーケストラ担当副部長の床坊剛さんへの取材のもと、この楽団の魅力に迫っていきたいと思います。

地域とオーケストラ

近年「地方創生」「地域おこし」という言葉を耳にすることが増えたように思います。大都市以外の街に目を向けよう、といった流れができているということ。その潮流に乗り、わが街の特色を打ち出して地元を盛り上げていこう、といった地元の人たちの動きも多くみられます。
そういった地元の活動を自楽団に取り入れ、それを独自のカラーにしている楽団が「オーケストラ・アンサンブル金沢」です。日本で最初のプロの室内オーケストラ。こんな肩書だけでも気になるところですが、この楽団にとってさらに重要なのが「金沢」という要素。

金沢と聞いて思い浮かぶのは、歴史の風情溢れる街並みと文化。兼六園、武家屋敷跡、伝統工芸、能楽…古の街さながら、日本を感じさせられます。比較的小さくてコンパクトな街でありながらも、魅力溢れる街。オーケストラ・アンサンブル金沢は、まさに和(金沢)と洋(西洋音楽)が融合したオーケストラともいえます。

オーケストラ・アンサンブル金沢

オーケストラ・アンサンブル金沢、通称OEKが産声を上げたのは1988年のこと。石川県と金沢市により創設されました。そこで尽力したのが、世界的指揮者である岩城宏之氏。「当時NHK交響楽団の指揮者であった岩城氏は日本各地にプロのオーケストラを創りたいと、名古屋フィル、札幌交響楽団の設立にも携わり、次の候補地として金沢を選びました。日本海側にはプロのオーケストラがなかったこと、戦時中疎開先であった金沢というのも縁があったかもしれませんが、やはり文化的な街である金沢にオーケストラを創ればきっと成功するという自信があったのでしすね。」と話す床坊さん。岩城氏にとって縁が深い街であること、同時に地元におけるオーケストラを求める声が高まっていたことも機運が良かったのかもしれません。
そんな金沢という文化都市にオーケストラが存在する意義について、床坊さんは「伝統文化が盛んな街金沢は、きっと新しい文化であるオーケストラも受け入れてくれる、そして現代美術館である金沢21世紀美術館も受け入れられているということも、昔から県民市民が自然と文化を育み楽しむ土壌があるからではないでしょうか。」と語ります。
OEKが本拠地で行う定期公演は実に様々なプログラムが用意されています。主にクラシック音楽作品を取り上げる「フィルハーモニー・シリーズ」映画音楽などの比較的ポピュラーな作品を取り上げる「ファンタジー・シリーズ」、そしてシーズンごとにテーマが設けられている「マイスター・シリーズ」(今シーズンは主にドイツ音楽)の3種類の定期公演があります。幅広い定期公演と、そのほか県内や周辺地域における音楽鑑賞会など、地域の音楽界をリードする存在としての役割を果たしています。

石川県立音楽堂

地元でも大活躍のOEKですが、その上で欠かせないのが石川県立音楽堂の存在。この音楽堂とOEK、両者の関わりはどのようなものなのでしょうか。「この石川県立音楽堂音楽堂は、オーケストラを運営する当事業団が運営しています。これは日本では珍しいことです。」
1988年に創立されたOEKは、当初本拠地のホールをもたずに活動をしているという状況でした。岩城氏が石川県へと働きかけた結果、2001年に待望の石川県立音楽堂が完成。運営母体が同じ、つまりOEKのためのホールが誕生したということ。現在はOEKと音楽堂が一体となってOEKを起用した事業を展開しているそうです。
この音楽堂はオーケストラのサウンド創りにおいて重要な役割を担っています。「OEKはリハーサルをコンサートホールで行うという恵まれた環境で、OEKサウンドを創っています。」と語る床坊さん。つまり、音楽堂そのものがオーケストラの音楽創造に携わるということです。
そして音楽堂で力を蓄えたOEKは、国内外でも多くの演奏会を開催しています。石川県民でなくても、国内には沢山のOEKのファンがいます。床坊さんは、「今では本拠地である石川県立音楽堂でOEKを聴きたいという音楽ファンもいらっしゃいます。」と語ります。県外から、OEKを目当てに金沢に人々が集います。次はOEKが石川と音楽堂を育てる、そんな相互に存在を高め合う構造がオーケストラと音楽堂の間には在ります。
さらに、この音楽堂には邦楽専用ホールが置かれていることも見逃せないポイントの一つ。何せ金沢は、伝統的に能楽が栄えた街。土地柄を映しているのでしょう。石川県の音楽文化発展を見据えたハコ作り、という点から考えると邦楽ホールは欠かせないものであるといえます。

日本の音楽界への貢献の姿勢

1988年にOEKが創立されると同時に、楽団に座付きの作曲家を迎える「コンポーザー・イン・レジデンス」という制度が設けられました(現在は「コンポーザー・オブ・ザ・イヤー」に名称変更)。この制度を通じてOEKと契約した作曲家は、楽団委嘱のための作品を書きます。歴代の作曲家は武満徹、一柳慧、加古隆…名だたる大物ばかりが名を連ねます。
この制度は日本の音楽界の発展を促すものでもあります。「岩城氏がOEK設立にあたって掲げたこの制度において、モーツァルトやベートーヴェンといった古典のみならず、OEKのために生み出された音楽を演奏することによって、室内オーケストラとしてのレパートリーの拡大を図ることも目的の一つです。現代のオーケストラにとって新しい作品を生み出すことは使命であるとも岩城氏は語っています。世界のクラシック界において、邦人作曲家による作品、邦楽器を含む作品は、日本のオーケストラが自信をもって演奏することができるものです。」
しかし、日本人にとって現代の音楽は馴染みの少ないもの。苦手意識を感じてしまう人が少なくないのが実情で、実際に演奏会の券売機も影響を及ぼしてしまうこともあるそうです。そんな中でも床坊さんは、「しかしOEKはオーケストラとしての使命感を持ち、現代音楽への取り組みは続けていかなければならないと考えています。」と語ります。「以前、世界初演となる4曲の作品のみの定期公演を開催したことがあります。岩城氏は演奏前、お客様に向かって『良い作品だと思ったら大きな拍手を、良くない作品だと思ったら拍手はいりません』と話してコンサートを行いました。その結果、拍手の少ない作品もあったのが面白かった。金沢のお客様は、このようなコンサートを体験しています。」
比較的取り扱いづらいジャンルではあるもののそれを積極的に演奏し、我が国の音楽文化を率いていくと同時に、地元の聴衆の耳を育てる。岩城氏の強い意志を受け継いだOEKの使命がそこにはあります。

金沢から世界へ

金沢を中心に、地域の魅力を生かした特色ある活動を行っているOEK。しかし金沢ないしは石川県は規模の小さな一地方です。知名度の上昇に限界が生じてしまいます。
そこでOEKは、金沢だけでなく国内のあらゆる都市、さらには海外における公演も積極的に行なっています。「岩城氏のヴィジョンの一つに海外で演奏を行うことがあります。世界中の演奏家が集まるクラシックの本場、ヨーロッパで演奏することは、厳しい耳を持つ聴衆との勝負です。そのようなアウェイの環境で演奏することは、オーケストラのレベル向上に大きく影響を与えると岩城氏は考えていました。海外のみならず、東京、大阪、名古屋といった大都市で定期的に演奏を行うことも、OEKの知名度をあげ、石川県や金沢をPRするとともに、オーケストラを大きく育てるための手立てのひとつです。」
こうして、「地域のオーケストラ」だからとその地域に腰を据えるだけで留まらず、街の枠組みを超えてインターナショナルな活動を行なっているのも、OEKの魅力。広範囲で活動を行うことは、金沢というブランドを国内外のあらゆる地にアピールしていくということになります。
そして、他にも増してOEKが重要視すること、それが地元への還元です。「もちろん石川県の税金を使って運営されているOEKですから、地元への還元が必須です。一流アーティストとともに行う定期公演のほか、他の街であまり行うことのない、アウトリーチやファミリー向けのコンサートなど普及活動も地元石川では盛んにおこなっています。」さらに床坊さんは、オーケストラと街の繋がりについて、こう語ります。「OEKが設立されて以来、石川県におけるクラシック音楽のコンサートは飛躍的に増え、29年目を迎えるOEKの定期会員も2000人あまり。こうして地域の音楽文化に寄与してきました。今ではツアーから金沢に戻り演奏すると、あたたかく迎えてくれる聴衆の皆様に感謝の気持ちを抱きます。金沢という「街」もさることながら、「金沢に住む人々」からオーケストラは影響を受け、ともに成長してきたと感じます。」

まとめ

OEKは音楽を通じて「地域におけるコミュニティ形成」と「広範囲におけるネットワーク作り」の両面からアプローチしています。どれだけ広範囲にネットワークを延ばしても、「金沢」が根底にある。そして地元を愛するオーケストラが、自分たちの街の魅力を外に発信していく、というOEKの活動に繋がっているのではないでしょうか。

【平和の街のプロオーケストラ】広島交響楽団の魅力と歴史