オーケストラの世界では、たいていソリストはバイオリンとかピアノとかフルートにきまってる、ビオラやコントラバスーンの出番はめったにない、と自称「コントラバスーン活動家」のスーザン・二グロは言います。このインタビューシリーズでは、そういったマイナーな、クラシックの変わり種とも言える楽器を、人生をかけて演奏している人々を紹介していきます。

スーザン・二グロ
1951年、シカゴ生まれのシカゴ育ち。ソロ奏者として、リサイタルやレコーディングをする数少ないコントラバスーン奏者。アメリカ全土をはじめ、世界各地で演奏活動をし、これまでに多くの委嘱作品や未初演の楽曲を世に披露してきた。シカゴ交響楽団の助っ人としても長く活躍。

  • インタヴューアーはシカゴのブロードキャスター、ブルース・ダフィー。クラシック音楽専門ラジオ局Classical 97で、1975年から2001年まで、1600人を超える音楽家のインタビューを行ない、1991年に米国作曲家作詞家出版者協会のディームズ・テイラー・ブロードキャスト賞を受賞しています。インタビューの日本語版は、ブルース・ダフィー本人の許可を得て翻訳したものです。

*1997年3月24日、シカゴにて。

コントラバスーン奏者がヒマ人なわけ

ブルース・ダフィー(以下BD):あなたは自分のことを「信念のコントラバスーン奏者」と呼んでますけど、信念というのは何なんでしょう。

スーザン・ニグロ(以下SN):信念というのは、コントラバスーンをソロ楽器として、みんなに聞いてほしいということね。尊敬をもって聞いてほしいし、少なくとも聴く機会をもってほしいなって。コントラバスーンのことを、ある種、ロドニー・デンジャーフィールド*みたいに考えているわけ。誰からも尊敬を受けることなどないから、わたしのやり方で何とかしたいと思ってる。だってすごく美しい楽器なのよ。とてもいい音がするし、ぜひとも聞いてほしいの。

*ロドニー・デンジャーフィールド:アメリカのコメディアン、俳優、声優。1921~2004年。

BD:なんでみんなは聞かないんでしょう。

SN:そうね、まず、この楽器のために曲が書かれることが少なくて、ソロの曲については本当にそう。大きな問題だわね。あとは多くの場合、あまりうまく演奏されていないと思う。たいていコントラバスーンは、バスーン奏者によって演奏されることになってて、そのセクションの第4奏者*に割り当てられる。当然ながら、その人は憤慨するわけ。だってこの楽器についてよく知らないし、気にもしてなかったわけで。不運なことだけど、バスーン奏者にとって、これも役割の一つなの。

* 第4奏者:主要オーケストラでは通常バスーンは4人いて、首席奏者、第2、第3(兼首席補助)、第4とつづく。第4奏者はコントラバスーンを担当することも多く、またバスーンとコントラバスーンの両方を一つの楽曲の中で担当することもある。

BD:それであなたは、あの楽器に別の光を当てようとしていると?

SN:それがわたしが主にしてきたことね。コントラバスーンでリサイタルをやろうとしてきた
し、それによってこの楽器がソロ演奏という文脈の中で、オーケストラの一部じゃなくてね、聴くチャンスが生まれる。多くの場合、オーケストラの演奏では、コントラバスーンの音をみんなちゃんと聞いてはいない。オーケストラの中でみんながソロと呼んでいるのは、たとえばラヴェルの『マ・メール・ロワ*』とか『左手のためのピアノ協奏曲』のような曲だけど、あまりにちょっとだし。

*マ・メール・ロワ:マザーグースの詩による組曲で、コントラバスーンは『美女と野獣の対話』の野獣を表現している。

BD:もっと効果的につかえると。

SN:そう、そうなの。とても表現力豊かな楽器だと思う。すごくいい音が出せるし、みんなが気づいてない技術的な可能性もたくさんある。チューバみたいな無骨な楽器じゃないの、チューバを見下すつもりはないけど、あっちはバルブ(弁)があるとか。

BD:コントラバスーン奏者っていうのは、いい人、いい仲間なんでしょうか。
SN:えー、そうよ、コントラバスーン奏者っていうのはみんな素晴らしい人たちよ。だいたいゆったりした、親しみやすい、ストレスのない人たちだわね。パーティの盛り立て役みたいに見えるところがあると思う。

BD:(クスクス笑い) バスーンは「オーケストラの道化者」と言われますけど、コントラバスーンは「大道化」なんでしょうか。

SN:そうかもね。ある意味、わたしの趣味でもある、音楽で冗談をやるのにいいかな。楽器自体がおかしいというわけじゃなくて、コントラバスーンを演奏する場合、始終吹いてるわけじゃない、たくさん暇な時間があるわけ。演奏のない時間がね。だから他のことをする時間ができる。冗談を考えたり、人とそれをやり取りしたり。それもこの楽器の一部なのよ。

BD:なるほど。じゃあ、あなたはコントラバスーン・ジョークの長い長いリストをつくってるわけですね。

SN:ジョークはコントラバスーンについてだけじゃない。音楽に関することなんでもだし、指揮者とかオーケストラとかいろいろよ。それは時間がいっぱいあるってことなの、ジョークを集めたり、それを人に話したり。コントラバスーン奏者っていうのは、生れながらの趣味人なの。わたしの知るコントラバスーン奏者はみんな、最低でも一つや二つの趣味をもってて、みんなすごく熱中してるわね。その理由はそれをする時間があるからよ。

 

大きなバスーン、というネーミング

BD:あなたの一番最初のレコードですけど、『大きなバスーン』というタイトルですね。そう呼ばれることに誇りをもってます?

SN:思うわね、でもわたしが名づけたんじゃない。このタイトルはクリスタルレコードを率いるピーター・クライストの提案だった。最初にこれを提案されたとき、実のところ、わたしはどうかな、と返した。わたしはタイトルに「コントラバスーン」と入ってることを望んでいたからね。でも彼が言うことには、2、3年前にバストロンボーン奏者のレコードを出したとき、『大きなトロンボーン』ってタイトルにしたら、非常に売り上げもよく、話題にもなったんだって説明してきた。ジャケットに大きな楽器を抱えた奏者の写真をつかったらしいんだけど、ピーターはそれが売れたポイントだって言っていた。
だから『大きなバスーン』っていうタイトルは、さらに興味を惹くんじゃないかって。もし「コントラバスーン」っていうタイトルだと、それを見たり聞いたりした人は、それ以上の興味はもたないってね。「大きなバスーン? 何なの?」 人の興味をかきたてるってこと。だからタイトルを見て通り過ぎてしまうことなく、「普通のバスーンなの? コントラバスーンなの? いったい何?」ってなって、手にとってみることになる。
BD:冗談かなにかなのか、それとも本当にそういう楽器があるのかといった?

SN:そうそう、そういうこと。まさにね。で、2枚目のCDが出るときに、わたしたちはちょっと大げさに言うことにした。タイトルは『大きなバスーンのための小さな調べ』にした。それはどれも短い曲ばかりで、もちろんこの大きなバスーンで演奏したわけで、前のタイトルを使い倒したってこと。で、それは効果的だった。

BD:ところであなたの使っている楽器は、ベル*の部分が折りたたまれているから、フランス型のように上に突き出していないわけで、その方がいい?

*ベル:管楽器の音の出てくる口の部分。

SN:そうね、この大きくて長い楽器を演奏してると、後ろの席にいる奏者から文句がくるからね。わたしはこのデカイ楽器を演奏してきたわけだけど、バランスを取るのが難しいの。頭でっかちだし、簡単にひっくり返りそうなわけよ。ただ支えるだけで、左腕にすごい負荷がかかるの。その上、後ろの席からは文句がくるしね。「おっと、もっと左に寄せてくれないかなぁ」とか「右に寄って欲しいんだけど、指揮者が見えないんだよね」みたいにね。うっとうしい楽器になるわけ。「オペラ型」と言われる短く折れているものがあって、オペラピットで使われてるからなんだけど、そっちは他の人をイラつかせないという意味で、便利なものよ。バランスを取る点でも、重さの点でも演奏しやすいわね。

BD:こんな管楽器奏者のジョークがありますよね。「もうちょっと寄ってもらえます。指揮者から見えちゃってるんで」

SN:(クスクス笑い) そうそう、それもあるね。

BD:(いっしょに笑う)

 

マーラーはコントラのことが、わかってた作曲家よ

BD:あなたはコントラバスーンのためのソロ曲を書くよう、働きかけてます。オーケストラの曲でも、コントラバスーンの素晴らしいパートを書くことを勧めてますか。

SN:それができる立場だったらそうするでしょうね。今はそこまで大きな影響力はないですよ。何人かの作曲家と、コントラのソロ曲を書くことはしてきた。もし彼らがオーケストラ曲を書くことがあったら、コントラのパートを入れてもらえるよう最大限の努力をするし、それがいい状態で入ってるか確かめるでしょうね。チェロに重ねたりとか、チューバに重ねたりで、全然聞こえないような「使い捨て」パートではないかね。それじゃ意味がないから。

ブラームスは交響曲で正しい使い方をしていたと、いつも思ってるの。彼はコントラバスーンかチューバか、いずれかを使った。コントラバスーンは交響曲1、3、4番で、チューバは交響曲2番で使われてる。コントラとチューバが混じることはないの。『大学祝典序曲』でブラームスは両方の楽器を使ってるけど、それぞれ独立した使い方なの。両者は同じ音やメロディーを吹くことがほとんどない、だからこれに関して、彼はすごく賢明なんだと思う。マーラーも同じような考えをもっていた。わたしの好きなマーラーの交響曲は第4番で、その理由はチューバが入ってないから。室内楽より大きな作品だし、コントラはちゃんと聞きとれる。だけどもっと大きな楽曲でコントラとチューバの両方がある場合も、マーラーはそれぞれを独立して使おうとしてる。だから響きの違いが聞きとれるの。それに彼はこの両者を違う機能として使ってるわね。

BD:それでマーラーは心から共感できる作曲家だと。

SN:そうね、そう思う。コントラのパートを書く多くの作曲家っていうのは、どれだけパートのことを考えていたとしても、他の楽器といっしょに投げ込むだけで、誰かがやっているパートに重ねさせるわね。それじゃいい結果は生まれない。

BD:バスのラインでがっしりとした音を鳴らすことにはならない?

SN:彼らはそうなると思ってる。わたしにはわからない。最大のフォルテのところで金管楽器がそろって吹き鳴らしたら、コントラバスーンの音はたぶん全く聞こえないと思う。聞こえるとはとても思えないわね。全体の響きの中で、コントラの影響があったとしても、ぜんぜん音が聞こえないと思う。

BD:でももしコントラを取り去ったら、音響的に軽くならないですか?

SN:たぶんね、たぶん。だけど席にすわって2倍、3倍のフォルテで吹いてても、自分のまわりの人の音にかき消されてしまうって、もどかしいことだわね。そういうのは報いがほんとないわけ。

BD:それでソロ曲を書いてもらうよう努力してる?

SN:コントラのために曲を書いてもらおうとするのは、オーケストラ曲に書かれる場合も、たいていの場合、音が埋もれてしまってイライラするからね。ドヴォルザークの『管楽セレナード』みたいな室内交響曲でないかぎり。あれはすごくいいわね、コントラバスーンの音が聞こえるから。あるいはモーツァルトの『13の木管楽器のためのセレナード*』なら、もしコントラバスーンのところをコントラバスに置き換えることをしなければね。多くの人がそうしてるけど。この曲もとてもいい、それはコントラに独立したパートがあって、同じ音域で他の楽器と競う必要がないからよ。わたしが協調性のない人間ということじゃなく、人と何かを分かち合いたくないっていうんでもない。誰にも聞こえないものが書かれるってどうなのかってこと。

*13の木管楽器のためのセレナード:低音部のパートをコントラバスーンでやるかコントラバスでやるか、両者の間で論争があるらしい。ポイントは「後半部にピッツィカートの指示があるのだから弦楽器のはず」という意見と、「タイトルに『木管楽器のための』とあるじゃないか。ピッツィカートは単なる演奏法へのヒント」という意見があるそうだ。

コントラとわたしは離れられない仲

BD:あなたは楽器の一部なのか、それとも楽器があなたの一部になるのか。

SN:(深いため息) コントラとわたしは離れられない仲なわけ。あまりに楽器と深く関わりすぎることに対して、人は警告を発してくる。楽器と自分を同一視するのは、よくないってね。だけどわたしはそういうところまで行ってる。もし誰かがコントラバスーンのことを悪く言ったら、自分が言われたみたいに感じてしまう。ある意味、健全じゃないかもしれないけど、わたしはこの楽器にそこまで深く関わってるから、自分の一部みたいになってる。自分のことをコントラ抜きで語ることは、不可能に思える。

BD:そうは言っても、脇に置くことはあるだろうし、夜にはケースに入れてふたを閉じるでしょう。

SN:あー、それはもちろん。そうだわね。映画に行くだろうし、どこかに出かけて何かしたり、楽しいことをしたりする。でもいつも心にコントラはいるし、いつもわたしの一部なの。そうである必要があったのね。多くの音楽家は、あるところまで行くと、そんな風になるんじゃないかしら。多分、わたしほどの度合いではないかもしれない。それはコントラが普通の楽器じゃないからよ。それに多くの人はこの楽器についてあまり良く言わないから、自分はかなり防衛的になってるって思う。

コントラバスーンはオーケストラの中でも、一番知られてない楽器でしょ。どんな音がするか、誰も知らない、それは聞く機会がないからよ。絵を描けと言われて、描ける人は少ないんじゃない。人にほとんど知られていないってことね。オーケストラの普通の楽器の人に対して、コントラバスーン奏者は一種、壁の花なの。

BD:楽器の一部になるというところですけど、あなたが吹いているとき、楽器をとても特別な親密さで抱きかかえているように見えます。

SN:そうね! 楽器を包みこむみたいな、そんな風だわね。演奏のためにすわるとき、片足を床の釘の後ろに置くと滑らないでしょ。もう片方の足は楽器の前に置く、楽器を支えるようにね。だから楽器をからだで揺らすような感じになる。そして片腕で楽器を抱えて、もう一つの腕でそれを支える。そんな感じで楽器を抱きかかえるのね。

BD:半分アスリートで、半分軽業師ですね。

SN:もしすごく太っていたら、ちょっと困るかもしれない。楽器を充分に抱きかかえられないからね。もし敏捷性があまりなかったら、それも問題になるかも。それに加えて、楽器をあっちへこっちへと持ち運ぶ問題がある。大きくて重いでしょ、7キロ近くあるからね。それはケースの重さ抜きでね、ケースも7キロ近くあるから。つまり適正な肉体が必要ってこと、ブツを持って階段を登ったり降りたりできなくちゃ。

BD:ボーリングのボールが7キロくらいですね。

SN:ほんと?

BD:ええ。だからあなたはボーリングのボールを二つ抱えてあちこちへと。

SN:そうね、たいしたエクササイズだわね。いっしゅ循環作用ね。からだを保つためにそれをするのはいいことであり、それをやってるからからだが保たれるという。肺にとってもいいわね。コントラは相当量の空気がいるから、演奏するのに息のコントロールは大切でしょ。セラピーみたいなもので、吹けば吹くほど、肺活量が増えるという。バスーンを吹こうとすると、息つぎしないで長いこと吹いていられるってわかったの。すごいなって!! なんでもないことなの。 自画自賛しようっていうんじゃないのよ、コントラをいっぱい吹いてると、相当量の空気を扱うのに慣れるっていうこと。息継ぎでは毎回、めいっぱい空気を入れ込むから、その結果として、小さな楽器を吹こうとすれば、それほど空気を吸わなくて間に合うの。まだまだ大丈夫、まだまだいけるって。

BD:今日のこの会話をありがとう。とても感謝しています。

SN:こちらこそ!

記事提供元:Web Press 葉っぱの坑夫