クラシックを聴く人でも、クラシック・ギター音楽に疎い人が多いのはなぜ?

クラシック音楽のファンであっても、クラシック・ギターはあまり(あるいはまったく)聴かない方は少なくないでしょう。リスナーだけでなく、ミュージシャンを養成する音楽大学でも、クラシック・ギター科のある大学は多くありません。

なぜクラシック・ギターは、クラシック音楽の中でマイナーであり続けるのでしょうか。リュートにまでさかのぼれば長い歴史を持つ楽器ですが、弱音楽器であるためにアンサンブルに入ることが難しく、蓄積されたレパートリーが少ないことが一番の理由ではないでしょうか。結果、クラシック・ギターは独立したジャンルとなり、それは19世紀のギター曲はギタリスト自身が書いたものが圧倒的に多い事などに、形となってあらわれています。クラシック・ギターの名作曲家を見ると、フェルナンド・ソルやフランシスコ・タレガなど、ギター音楽以外では見かけない名前がずらりと並ぶのはそのためです。クラシックをかなり聴く人でも、ことギター音楽となると「禁じられた遊び」や「アルハンブラの思い出」あたりしか思いつかない事がありますが、それも無理からぬことではないでしょうか。

踏み込むと独特の魅力にあふれるジャンル!

ところが、聴かない人には耳にする機会すらない近現代のクラシック・ギターとなると、「アランフェス協奏曲」のような音楽とは様相を一変させていて、聴かずに済ますにはあまりに惜しい音楽の宝庫です。理由はいくつもあるのでしょうが、私が気づいたシンプルな理由をふたつだけ挙げてみたいと思います。

第1に、ギターが超絶的な演奏を感じ取りやすい事です。単純に「すごい」と感じてしまうのです。日本は比較的にクラシック・ギター熱の高い国ですが、その頂点にいるのが山下和仁と福田進一というふたりのギタリストで、どちらも超絶的な演奏を残しています。例えば、山下和仁はストラヴィンスキーの「火の鳥」をギター独奏用にアレンジして演奏したものがあります。「火の鳥」を独奏って、それだけでも聴いてみたくなりませんか?これがただ単にトランスクリプションしただけのものとは違い、音楽的な興奮を覚える驚異のアレンジと演奏なので、ぜひ一度聴いてみてほしいです。

作曲界とは少し違う位置にある独特な音楽

第2に、クラシック以外のジャンルと結びつきやすく、ほかのクラシックでは聞かれないような独特な音楽が形成されやすいことです。これは、ギターがクラシック界から若干離れていることも影響しているのかもしれません。例えば、ブラジルにエグベルト・ジスモンチというギタリスト作曲家がいますが、彼などはクラシック・ギターの演奏技法を用いてブラジル音楽を表現しているように感じます。こう書くと、後期ロマン派時代の国民楽派が連想されるかも知れませんが、国民学派の音楽の多くが、リズムやスケールの面からやクラシックの中に少しだけ民族的な匂いを織り込んであるように聞こえるのに対し、ジスモンチは両者を還元して両者のどちらでもないものを作り上げたように聞こえました。ブラジルという国がギター音楽の宝庫であり、社会的にジャンル問わずギター音楽を受け入れる土壌があるからかもしれません。

これは、日本におけるクラシックが、どこまで行ってもクラシックを聴く人たちだけの音楽であり、日本という社会文化とはあまり連関性を見出すことができない点とは大きく異なって見えます。そしてアルゼンチンやスペインも、ブラジルと同じことが言えます。これはギター音楽ならではの現象でしょう。

ロマン派の時代以降のギター音楽選 60~70年代

クラシック・ギターを、バッハ曲のトランスクリプションや、「アルハンブラの思い出」「禁じられた遊び」あたりまでしか聴いたことがない方のために、近現代の名曲をいくつか紹介してみよう思います。まずは、ギター音楽にとって重要なターニング・ポイントとなった1960~70年代です。

【ノクターナルNocturnal op.70】
1963 ベンジャミン・ブリテン Edward Benjamin Britten

ギタリストではなく、ブリテンのような作曲の専門家がギター曲を書いたことは、クラシック・ギターの大きな転換点となったでしょう。ブリテンによるこの曲は、いまも多くのギタリストがレパートリーに加えるほどです。保守的な作風のブリテンですが、面白いことにこの曲は現代曲といっても通ってしまうほどの風貌で、個人的にはブリテンの最高傑作であると思っています。

【フォリオス】1974 武満徹

ギター音楽にとって重要な作曲家の十指に入る武満徹も、ブリテンと同じようにギター音楽を大きく変えたひとりです。ギターという小宇宙の中で、【ノーヴェンバー・ステップス】や【オリオン】と並ぶほどのサウンドを出してしまったことに驚きました。

ギター音楽選 80~90年代

【コユンババ Koyunbaba op.19】
カルロ・ドメニコーニCarlo Domeniconi

ジャズやロックのギター音楽に慣れ親しんだ人にとって、ベースと和声のメロディをひとりで表現してしまうクラシック・ギターは驚愕の演奏に感じると思います。口で言うと当たり前のように聞こえるかもしれませんが、実際に耳で聞くと、それがどれほど感動させられる事なのかと思わされたのがこの曲でした。
ドメニコーニはギタリスト作曲家ですが、こうした曲はプレイヤー作曲家でないとなかなか書くことができないのかもしれません。作曲の専門家の書く書法と、ギターという特殊な構造の楽器を踏まえて書かれたプレイヤー作曲家の曲の間で進化していったのが、現代のギター音楽であると感じます。

【アメリカ前奏曲Preludios Americanos】
アベル・カルレバーロ Abel Carlevaro

カルレバーロもギタリスト作曲家です。彼は優れた教育者でもあり、彼の書いたギター教則本は、複雑で高度なテクニックを要求する現代のクラシック・ギターのシーン全体を大きく引き上げました。『ギター演奏法の原理』や『Tecnica De la Mano Derecha』第2巻などは、プロのクラシック・ギタリストなら誰もが通過する重要な教本となっています。
この曲は5曲から構成されていて、そうした現代的なギター奏法と、現代的な和声という、演奏と作曲両面からの現代化を進めた見事な曲集です。彼によって現代のギター音楽が大きく飛躍したことを実感できます。

【鐘の鳴るキューバの風景 Paisaje Cubano con Campanas】
1987 レオ・ブローウェル Leo Brouwer

キューバを代表する作曲家ブローウェルは、自身が優れたギタリストでもあり、自作自演集といった録音も残しています。彼は時代によって作風を変えていきましたが、自作自演していたころの作品は、それが前衛の時代であれハイパーロマン派の時代であれ、ギター音楽でしか聴くことができない魅力にあふれています。鐘を表現しているのか、この曲はハーモニクスをはじめとした特殊奏法が多用されていますが、それが効果音ではなくきちんとメロディを構成し、構造を作りだしている様に驚かされます。ギターでしか素晴らしさを表現できない曲なのです。
ギター音楽には、ドイツ系、スペイン系、ラテン系の3つの大きな支柱がありますが、ブローウェルはラテン世界のギター音楽を代表する作曲家でもあります。

ギター音楽選 2000年代以降

【スパークス】2011 藤倉大

現代に近づくほど作品の評価がまだ定着していないので、どうしても個人選になってしまいがちになるのですが、傾向としてはプレイヤー作曲家の書く曲は機能和声法の範疇にあるものに回帰しがちで、作曲家の専門家の書く芸術音楽はギターでしか出すことのできない音や特殊奏法を使うなり、現代の作曲界の課題局面に挑戦したものが多くなる傾向にあるように感じます。後者には個人的にとても刺激を受けた、ギター曲ならではのすぐれた作品が数多くあるのですが、その中のひとつとして藤倉大の書いた唯一のギター曲を挙げておこうと思います。右手でのハーモニクスを自在に扱えないと演奏不可能な曲なので、一聴するとアヴァンギャルドにも感じられますが、実際にはハーモニクスパートと和声パートの対比された構成で、同時代作品ならではの魅力にあふれた曲と感じます。

ギター音楽を聴く方には当たり前すぎる選曲になって申し訳ありませんでしたが、このあたりのギター音楽に触れたことのない方は、このあたりから聞き始めると、ギター音楽独特の音楽性と魅力に病みつきになるかもしれません。ぜひ一度、ご堪能あれ!