名曲喫茶の密かな愉しみ~名曲喫茶ライオン「選曲」の哲学~

2020/01/28
コラム(雑学)
[最終更新日]: 2020/01/24
                       

世はまさに、空前の「カフェ・喫茶店」ブーム。だけど……

「カフェ」と「喫茶店」は、似ているようで異なる。いわゆる「インスタ映え」するようなオシャレな飲み物と一緒にガールズトークに花を咲かせる、あるいはパンケーキなんかもあるとなおよし、雑誌を読んで友達と「あそこ行こう!」となるようなのが、いわゆる「カフェ」の極めてステレオタイプ的な理解である。カフェ巡りが趣味です、という人は男性・女性問わず非常に多いだろう。それに対して、「喫茶店」はどちらかというとコーヒーにこだわった店を指すことが多い。その他も軽食が取れたりして、カフェよりもレトロでノスタルジックなイメージが「喫茶店」にはある。喫煙可の店が多いのもその特徴だ。そして、カフェと喫茶店、それぞれ別の層の顧客を獲得し、雑誌やテレビに取り上げられることからも世はまさに「カフェ・喫茶店ブーム」と言って差し支えないだろう。飲み物をインスタにアップして「いいね」を稼ぐのも、世間では文字通り煙たがられる煙草を片手にコーヒーを飲むのも、大いに結構。全て正しいカフェ・喫茶店の楽しみ方だ。

しかし、である。世の中には、私語厳禁、撮影禁止を客に敷いている、特殊な「喫茶店」がある。各々の店で特注のスピーカーを用意し、座席はスピーカーに向かうように設置され、普段家では聴けないような音質と音量でクラシック音楽を聴かせる、今や時代錯誤とも取られかねないような営業形態の喫茶店、それが「名曲喫茶」だ。

「えっ?緑色でキラキラしたクリームソーダの写真をSNSにアップしたいのに……」
「カップルでお喋りしようと思って来たのに、音楽がうるさくて会話ができないよ……」

残念ながら、そのようなお客さんは、申し訳ないが名曲喫茶ではなく別のカフェなり喫茶店なりに入った方がいいだろう。名曲喫茶は、クラシック音楽をコーヒーや煙草と共に、長く居座って音楽に耳を傾ける、比喩的に言えば教会のような場所なのだ。もちろん、読書や昼寝をするのは構わない。しかし、スピーカーから流れてくる何世紀も前のフレッシュな音楽を、名曲喫茶にいるあなたはきっと耳にする。本から顔を上げて聴き入ってしまうかもしれない。昼寝をしていたら突如として美しいメロディが聴こえてきて起きることもあるだろう。多くの人は気づいていない、名曲喫茶の密かな愉しみを、現役名曲喫茶店員である筆者が、この記事を読んでいる人にだけ特別にお教えしよう。

 

名曲喫茶ライオン――都内最大級の名曲喫茶

紹介するのは、渋谷・円山町にある名曲喫茶ライオン。渋谷駅から道玄坂を上り、右手に見える鳥居をくぐって坂を上がると風俗店やラブホテルが立ち並ぶ妖しくエロティックな街並みの中に、突然現れる古風な洋風建築の喫茶店があったら、そこがライオンだ。座席数は1階と2階で相席も含めれば60席ほどと、都内の名曲喫茶では最大級のキャパシティを誇る。レコード・CDの数は5000枚以上にのぼり、バロックから現代音楽まで幅広いコレクションを蔵しているのもライオンの特色である。

本記事の肝でありライオンの特徴を先取りして言ってしまうと、店員ごとの選曲の個性が他の名曲喫茶と一線を画すところである。オーナーの石原圭子氏が従業員にホール(選曲)、厨房の業務を自由に任せることで、その日の選曲係がどのようにディスクジョッキーを行うのかが極めて重要になる。長時間(人によっては一日中いることも!)コーヒー一杯で粘り、次は何の曲が流れるのかを楽しみにしているお客さんこそ、名曲喫茶ライオンの愉しみを知る人であると言えるだろう。それは、全てがスピード化している現代社会において、極めて贅沢で、豊かな時間の過ごし方だ。そういった時間を、名曲喫茶は提供する。一杯のコーヒーが、無限の時間の在り方を示す空間なのだ。

ライオンのもう一つの特徴として、「定時コンサート」というものがある。月ごとにプログラムが決まっており、午後3時と午後7時はその曲を流す。カール・リヒターの「マタイ受難曲」や、大晦日のフルトヴェングラー/バイロイト祝祭管の第九など、人気の高い曲目のときは定時コンサート目当てにライオンを訪れる客も多い。特に大晦日は満席になり、外に列ができるほどの大盛況となる。ホームページで確認できるので、目当ての曲がかかる日は足を運んでみてもいいだろう。

 

選曲の問題――何を考えて選曲するか

さて、上にも挙げたライオンの特徴である選曲である。そもそも、クラシック音楽ファンの顧客が多い名曲喫茶で、何を流せば唸らせられるか、あるいはコーヒーを飲みに来たつもりだったのに思わず感動してカップを持つ手が止まってしまうような状態にさせられるか、というプレッシャーを選曲係は背負っている。当然、DJがうまくいかない日もある。うまくいかないというのはどういうことか。特大のスピーカーで鳴っているのだから、店の雰囲気は選曲に左右される。客がお喋りしだしたり、飲み物を飲んですぐ帰ってしまうような客がいたりしたとしたら、それは選曲係の責任である。逆に、誰も一言も喋らず、飲み終わったコーヒーのカップもそのままにじっくり曲を聴くような客が多い日は、DJが成功している証拠である。それほどまでに、選曲の問題は(従業員に一任されているが故に)非常に重要な仕事である。

ライオンの従業員は筆者がライターであるように、映画監督や楽器演奏者など、他にも多岐に亘って自らの表現活動に勤しむ人が多い。今回はその中でも従業員のリーダーであり、ライオンに勤務する傍ら写真家としても活動する櫻谷弦樹氏に、彼の選曲の哲学について簡単な文章を書いてもらった。適宜抜粋して紹介したい。

私たちが提案すべきものとして考えられるものは、主観により良いと判断されるもの、歴史的価値が認められるもの、その時間の店内状況に適したもの、そして客にとっておそらく知らないであろうもの、その四点である。当然ながら、選曲はどれか一つの選択基準に偏ってはならない。(中略)基本的にはジャンル、時代、曲調などを変化をつけ多様性をもたらせるよう選曲するのが理想であると考えられるが、店内状況がそこに介入するために様々な考慮が必要となる。

櫻谷氏の思想が、選曲がライオンの店内の雰囲気作りにいかに大きな影響をもたらしているかをはっきりと示している。筆者も彼の選曲に対する考え方に影響を受けているが、基本的にはこの考え方に則りつつそこからいかにずれていくかが選曲の個性であり、またヘビーユーザーの客が「昨日と今日で店内の雰囲気が少し違うな」と感じるかどうかはおのおののセンスと審美眼にかかっている。では、具体例を挙げて解説していこう。

 

選曲の具体例――飽きさせずにじっくり聴かせるためには

以下は筆者が選曲係だった日の「セットリスト」である。長くなるので開店から定時コンサート(この日はベートーヴェンの交響曲第3番と第8番だった)前までをお見せする。

ストラヴィンスキー:プルチネルラ組曲
(リクエスト)ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
メシアン:キリストの昇天
ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」
クセナキス:エリフソン(ピアノ協奏曲第2番)
バッハ:管弦楽組曲第2番
シューマン:ピアノ・ソナタ第2番
リヒャルト・シュトラウス:メタモルフォーゼン
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第15番より第3楽章

 重要なのは、リクエストのブラームスで意図していた流れが変化していることである。ストラヴィンスキーのプルチネルラ組曲で開店したばかりの朝の空気を爽やかにし、次をテレマンやラモーといったバロックですっきりさせてから徐々に定時コンサートのベートーヴェンに向けてテンションを高めていく、という段取りだったのだが、次に濃い味付けのブラームスのピアノ協奏曲が来てしまうと、客の耳が胃もたれする可能性がある。そういう訳で現代的で色彩的なメシアンを挟み、ハイドンの交響曲で休ませてから、クセナキスの暴力的な音響で一気に緊張感を出す(余談だが、クセナキスの「エリフソン」は客の受けが良く、会計時に「これはなんの曲ですか」と聞かれることもあるので、サービスの意味合いもある)。現代音楽の後はバッハで客の耳に調性感を取り戻させ、シューマン、R.シュトラウス、ベートーヴェンと時代は前後するがロマン派で固めて定時コンサートへの心の準備をさせる。

クラシック音楽に通じた賢い読者の方ならお分かりかと思うが、筆者は近現代――バロックに共通のフレッシュな感覚をもたらすと見なしており(ストラヴィンスキーの後にラモーやテレマンをかけようとしていたという点から看取できるだろう)、ロマン派と古典派は流れを作らないと耳なじみがいいだけにかけるタイミングによっては緊張感がなくなってしまうおそれがある。ハイドンをメシアンとクセナキスで挟んでいるのもそういった理由によるものである。また、クセナキス、バッハと時代は飛んでいるがオーケストラ曲が続いているのと現代音楽からバッハの流れは緊張感が出過ぎると踏んでシューマンのピアノ作品を流し、その後は弦楽作品で押すという器楽や編成ごとの工夫もある。基本的に、筆者は「時代」と「編成」の組み合わせで選曲をすることが多い。この日の客の動きは大変良く、長時間に亘ってスピーカーに耳を傾ける客もいた。特に、メシアン―ハイドン―クセナキス―バッハの流れには店内に心地いい緊張感が流れていた。手前味噌ではあるが、筆者はこのようなことを考えてDJをしている。

 

名曲喫茶に長時間居座る意味とは?

ここまで読めばもうお分かりだろう。コーヒー一杯で長居する客は、普通の喫茶店では喜ばれない。単純に儲からないからだ。しかし、名曲喫茶はそのような客をこそ歓迎する。従業員ごとのセンスが光る選曲に耳を傾け、どのような流れを作っているのかに思いを馳せながら、1時間経ってもコーヒーが少ししか減らない、そういった音楽に真摯な人こそ、名曲喫茶の愉しみを知る人なのだ。今回「選曲」に焦点を絞って名曲喫茶ライオンを紹介したが、好きな曲をリクエストして聴いたら帰る、というのはもったいない話なのだ。読書をしながら、ボーッとしながら、スピーカーに向かった席に座っていたら、思わぬ発見があるかもしれない。暇だけど行くところがない、そんなときはライオンで思い切って暇を持て余してみよう。いつの間にかあなたは、カフェ巡りや喫茶店巡りとは全く違う、名曲喫茶の「密かな愉しみ」を、見つけてしまうかもしれない。

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