【期間限定の歌声】英国人はいまも昔もボーイソプラノがお好き?【デヴィッド・ボウイの感歎 】

英国(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)を構成する4つの地域のうち、とりわけイングランドは中世以来の「合唱大国」。なかでも教会聖歌隊のために書かれた楽曲のレパートリーの豊かさは群を抜いており、そんな彼らの来日公演で必ず見かけるのが大きなスコアブックを小脇に抱えて登場する愛くるしい姿の少年聖歌隊員。この少年歌手たちは「コリスター choristers」と呼ばれ、彼らなくしてイングランドの教会音楽は語れません。

イングランドの教会合唱音楽は、彼らの存在があってこそこんにちまで残ってきたようなもの。今回は、見かけは幼いがその音楽性は玄人はだし、ときには文字どおりの神童も輩出してきた少年聖歌隊員のよもやま話(こぼれ話?)をご紹介。

 

シェイクスピア劇にも影響を与えた? 「少年俳優一座」と、「公然誘拐」事件!

コリスターの語源はラテン語でquerista / choristaと表記されていたことばが英語化したものと言われ、それ以前はただたんに「子どもたち pueri」と呼ばれていました。中世のキリスト教会なので、当然女人禁制。少年聖歌隊員制度は、修道院で預かっていた身寄りのない少年たちに音楽教育を施したことがそもそものはじまり。美しいソプラノを出せる少年はとくに重宝され、聖母マリア信仰熱の高まりとともに聖母を讃える歌で最上声部(女声ソプラノに対し、こちらはトレブルと呼ばれます)を任されるようになり、やがて成人の聖歌隊に迎えられて成人隊員とともにグレゴリオ聖歌を斉唱するなど、修道士たちの日々の日課に欠かせない存在となってゆきます。

17世紀になると、教会での音楽活動のみだった彼らコリスターたちはまるで場違いと思われるところでも注目の的になったことがありました。それが少年聖歌隊員のみで構成された「ヴィオール合奏団」と「少年俳優一座」。少年隊員のなかから10名ほどが、この「課外活動」に駆り出されていたことが記録に残されています。

このふたつの活動になぜ子どもたちが駆り出されたのかは不明ですが、英国王室の余興として興行されたのが起源だったとも。当時のイングランドはシェイクスピアをはじめとする「エリザベス朝演劇」の興隆期でもあり、聖歌隊の活動資金集めという側面もあったようです。

 

この「少年俳優一座」として活動したのは首都ロンドンのセントポール大聖堂聖歌隊と、チャペルロイヤル[王室直属の聖歌隊の名称]に所属する少年歌手たち。彼らの興行は盛況だったようで、劇作家ジョン・リリーがこの一座の興行主だったとき、「少年が少女の格好をする」という衣装の着せ替えが盛り込まれ、のちにシェイクスピアがこの「男女間の衣装取り替え」アイディアを拝借したとさえ言われています。

また、ほぼ同時期に活動していた少年聖歌隊員のみの「ヴィオール合奏団」の存在もイングランド特有の現象で、ほかのヨーロッパ地域ではこのような実例は知られていません。もともとヴィオール音楽好きだった国民性が、彼らの活動を後押しした、とは言えるでしょう。いずれにせよ彼らは歌のほかにヴィオールを弾いたり俳優として演じたりと、まさに八面六臂の大活躍だったことはまちがいありません。

このようにイングランドの教会音楽で重要な役目を担ってきたコリスターたちですが、ときには人材不足に陥ることも。たとえばチャペルロイヤルは、よその聖歌隊から才能ある少年たちを「引き抜く」という荒業を行使したことがかつてありました。ヘッドハンティングというわけですが、じっさいにやったことと言えば、人さまの聖歌隊に所属する少年たちを無許可でさらっていくという正真正銘の「誘拐」。とくに王政復古期の1660年ごろは経験豊富な少年歌手が激減していたため、イングランド各地の大聖堂付属聖歌隊から少年たちを「徴用」の名のもとに連れ去っています。

チャペルロイヤルに連れてゆかれた優秀な少年たちのなかには、のちに音楽家として頭角を現した者も少なくありませんでした。そんなチャペルロイヤルの少年聖歌隊員出身者にはイングランド音楽史上にその名を刻む天才ヘンリー・パーセルに、彼を指導したペラム・ハンフリー、ジョン・ブロウなど錚々たる面々も含まれています。チャペルロイヤルのこの「引き抜き」は聖歌隊活動に限って公認されていたのに、じっさいには「少年俳優一座」の活動のために行った場合もあったりで、学校の帰り道に息子を「徴用」された両親が星室庁に訴えてわが子を取りもどす、なんてことまでありました。

ヘンリー・パーセル(1659−1695)『来たれ、 汝ら芸術の子、1694年4月30日メアリー女王誕生日のための頌歌 Z.323』から「トランペットを吹きならせ」
演奏:モスクワ少年合唱団

 

『メサイア』自筆譜に記されたナゾの少年

バッハとおなじ1685年生まれのゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル。生涯、ドイツを離れることのなかったバッハとは正反対でグローバルに活躍したヘンデルですが、ヘンデルと言うと『調子のよい鍛冶屋』……ではなくて、断然『メサイア』。日本でもクリスマスシーズンになるとあちこちで全曲演奏会が開かれたりしますが、いまだに解決されていないナゾもあったりします。それは、「わたしは知る、わたしの贖い主は生きておられることを…」で開始される第3部冒頭のソプラノアリアを含む3つの独唱曲に関するもので、オックスフォード大学ボドリーアン図書館に保管されている自筆譜(MSS 346, 347)の該当部分に”The Boy”と薄く鉛筆で注記され、のちに赤字で抹消されていることです。

『メサイア』初演は慈善事業の一環として1742年4月13日、英国領だったアイルランドの首都ダブリンで行われ、その後何度かロンドンでも演奏されましたが、歌手の変更などでその都度、ヘンデルは加筆訂正を行っています。つまりこのオラトリオは「ダブリン初演版」とか「ロンドン孤児院版」とか、いろいろな版で伝えられている、ということです。

この作品のダブリン初演でじっさいにソロを歌ったのは女声ソプラノ歌手であり、ロンドンで演奏されたときもべつの女声ソプラノ歌手が歌っていることから、直筆譜に書かれた「あの少年」とはいったいだれなのか、なぜここにそう書きこまれたのかはいまもって不明。(「1751年版」と呼ばれている版はボーイソプラノを起用しているという例外はあります)。ヘンデル自身は少年歌手に歌わせたかったのだと主張する根拠の薄い説もあったりはしますが、とにかくダブリンでの初演のさいは、現地の聖パトリック大聖堂とクライストチャーチ大聖堂の聖歌隊から男性16名、ボーイソプラノの少年16名が有名な「ハレルヤコーラス」を歌い上げたのでした。

G.F. ヘンデル(1685−1759)オラトリオ『メサイア HWV56』からアリア「わたしは知る、わたしの贖い主は生きておられる」
演奏:オックスフォード・ニューカレッジ聖歌隊

 

英国人はボーイソプラノ好き? アイドルになった少年たち

19世紀末、それまで生演奏でしか聴くほかなかった時間芸術の音楽を保存可能にするレコードという画期的新技術が開発されます。そんなレコード草創期に、早くもコリスターたちに自分の歌声を残すチャンスが巡ってきます。最初のボーイソプラノの録音とされるのが1898年8月、HMVの前身となる会社がジョン・バフェリーというコリスターの歌声を亜鉛円盤レコードに約2分、記録した音源。その28年後、ロンドンのテンプル教会聖歌隊員だった当時14歳のアーネスト・ラフの歌うメンデルスゾーンの『鳩のように飛べたなら』のレコードが発売されたときは、なんとわずか半年で65万枚(!)も売り上げたとか。これが世界最初のミリオンセラーだったと言われています。ちなみにラフ少年の指導者だったのが、高名なオルガン奏者で作曲家のサー・ジョージ・ソールベン=ボールでした。

そんなイングランドに20世紀後半に出現したコリスターのスーパースターが、アレッド・ジョーンズ(ウェールズのバンゴア大聖堂聖歌隊出身)。「100年にひとりの天才ボーイソプラノ」と言われ、その才能はあのデヴィッド・ボウイをして、「ボーイソプラノの時期は短い。アレッドの歌声を残すには急がなくてはならない」と言わしめたほど。その後、日本人プロデューサーによって結成されたBoys Air Choirの初代リーダーを務めたセントポール大聖堂聖歌隊出身のコナー・バロウズ、彼とセントポールの同期でテレビドラマに主演したことがきっかけで大ブレイクしたアンソニー・ウェイも、アイドル並みの人気を博すことになります。

また現代英国を代表する作曲家やオルガン奏者も、少年聖歌隊員出身者がひじょうに多い、というのもさすが合唱大国ならでは。『ミスター・ビーン』の音楽を担当したことでも知られるハワード・グッドール、おなじく作曲家のボブ・チルコット、ケンブリッジ大学キングズカレッジ礼拝堂聖歌隊を長年指導しているスティーヴン・クレオベリー[2019年に退任予定]、カウンターテナー歌手のジェイムズ・ボウマン、オルガンの名演奏家としてたびたび来日もしているサイモン・プレストンなどなど。イングランドの聖歌隊からは、これからも才能をもった少年たちがその翼を大きく広げて飛び立っていくことでしょう。

ボーイソプラノの魅力は、期間限定の歌声であること。どこまでも天高く舞い上がっていくようなピュアそのものの歌声は、いずれはかなく消えてしまうものだけにいっそう強く聴く者の心をつかんではなさない、という天使ならぬ悪魔的な魅力があるように思われます。ひょっとしたら英国人は、そんなボーイソプラノのもつ「魔力」をだれよりもよく知る国民なのかもしれません。

フェリックス・メンデルスゾーン(1809−1847)賛歌『わが祈りを聞きたまえ Op-』から「鳩のように飛べたなら」
演奏:アーネスト・ラフ、テンプル教会聖歌隊

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