クラシックとくると、みなさんはどんな楽器を思い浮かべますか? ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロといった弦楽器、あるいはトランペット、ホルン、トロンボーンなどの金管やオーボエ、フルート、ファゴットといった木管、はたまた鉄琴、ティンパニ、トライアングルなどの打楽器でしょうか?

クラシック音楽に使われてきた楽器の歴史は、文字どおり「栄枯盛衰」の歴史そのもの。ここでは一世を風靡しながら、後世、ほとんど顧みられなくなった「残念な楽器たち」の話をご紹介。

1. チェンバロとオルガンのイイトコどり ?! 「クラヴィオルガン」

クラヴィオルガン(Claviorgan)は『ニューグローヴ世界音楽大事典』によると、16世紀にはすでに存在していたそうです。その名のとおりこの楽器はチェンバロとオルガンを合体させたハイブリッドで、近年、歴史資料にもとづき復元されたレプリカの写真を見ると2段手鍵盤チェンバロがオルガンのパイプを収納したケースの上にそっくり乗っています。最下段、3番目の鍵盤としてオルガンパイプを鳴らす手鍵盤が突き出ており、さらにその下にはオルガンの足鍵盤も備わっています。

一見、なんともけったいな楽器ですが、あのヘンデルがこの楽器のための作品を書いているとか。どんな楽曲かは特定されていませんが、ほかにもフランス古典期のオルガン奏者で作曲家だったクロード・バルバートルもクラヴィオルガン用の作品を書いたと伝えられています。

現在、クラヴィオルガンのレプリカを駆使する鬼才と言われるのが、イタリア人鍵盤楽器奏者のクラウディオ・ブリツィ。筆者もブリツィによるクラヴィオルガンのアルバム[Camerata CMCD-28012]を持っていますが、ライナー裏表紙写真で、当時まだ赤ん坊の息子さんを膝にのせてクラヴィオルガンを弾くブリツィの姿が印象的な1枚です。

クラヴィオルガンはチェンバロとオルガンをくっつけるという斬新なアイディアでしたが、その後ふたつの楽器がフォルテピアノに主役の座を奪われると、このハイブリッド楽器も急速に忘れ去られてゆきました。

[パッヘルベル『シャコンヌ ニ短調』]

2. 大バッハがこよなく愛した楽器、ラウテンヴェルク

ラウテンヴェルク(Lautenwerck / lautenklavier)、別名リュートチェンバロは「金属弦の代わりにガット弦を張ったチェンバロ」のこと。そもそもチェンバロは「鍵盤で弾けるようにしたリュート」という発想で発明された楽器なので、ラウテンヴェルクはいわばその原点回帰といったところ。ラウテンヴェルクもクラヴィオルガンとおなじく16世紀以降、ヨーロッパ各地に広く存在していたという記録がありますが、バロック時代にこの楽器が競って制作されたのは、ドイツでした。

オルガンやチェンバロの巨匠であり、家庭ではクラヴィコードを愛奏していたバッハですが、リュートの響きもたいへん気に入っていたと伝えられています。そんなお気に入りの楽器リュートの音を出すラウテンヴェルクがバッハのお眼鏡にかなったのもうなづけるお話。そんなバッハのラウテンヴェルクへの肩入れはそうとうなもので、みずから設計したラウテンヴェルクを楽器製作家に作らせたほど。バッハの遺産目録にもこのとき作らせたとおぼしきラウテンヴェルクが2台、記載されている事実を見てもこの楽器に対するバッハの並々ならぬ愛着がうかがえます。

リュートチェンバロの別名のとおり、その音色は繊細で柔らかなリュートそのもの。識者の間でラウテンヴェルクのために書かれたことが確実視されているのは『組曲 ホ短調 BWV 996』と『前奏曲、フーガとアレグロ 変ホ長調 BWV 998』だと言われています

[バッハ『組曲 ホ短調 BWV 996』]

3. ハイドンを魅了した「リラ・オルガニザータ」

さて、「パパ・ハイドン」の愛称で知られるヨーゼフ・ハイドンは「リラ・オルガニザータ(Lira organizzata)」なる楽器にぞっこん惚れこんでいたそうで、この楽器のために5つの協奏曲を残しています。

ハイドンはこの一連の協奏曲を1786年から87年にかけて、奇行王としても知られるナポリ王フェルディナンド4世の依頼で作曲したと言われています。

リラ・オルガニザータは、ひとことで表現すれば「オルガンパイプ付きのハーディ・ガーディ」。ハーディ・ガーディはハンドルで木製の回転板を回すとその回転板が弓とおなじように弦を擦って音を出す擦弦楽器で、大正琴のような鍵盤付きの旋律弦やドローン(持続音)を出す弦もそなえ、中世によく使用されていた機械式弦楽器の一種でした。こちらもまた「鍵盤付きリュート」とよく似た発想の楽器ですが、リラ・オルガニザータはこのハーディ・ガーディにさらにオルガンパイプまで合体させたという超変わり種。

『2つのリラ・オルガニザータのための協奏曲 ハ長調 Hob. VIIh:1』も、このときハイドンがナポリ王に献呈した作品のひとつ。その音色はなんとも形容しがたい独特な響きではありますが、どこか懐かしさも感じさせます。

[ハイドン『2つのリラ・オルガニザータのための協奏曲 ハ長調 Hob. VIIh:1』から第1楽章]

4. モーツァルトの知られざる名曲『自動オルガンのための幻想曲 ヘ短調 K. 608 』

さてハイドンが「リラ・オルガニザータ」に入れこんでいたころ、同郷の若き天才モーツァルトも、じつは当時流行していたという自動演奏楽器のための作品を残しています。それは「音楽時計」と呼ばれていた機械仕掛けのオルガンでした。

1790年10月、困窮していた最晩年のモーツァルトは、さる蝋人形館の支配人の依頼を受けてこの音楽時計のために3つの作品の作曲を開始。おカネに困っていたモーツァルト、さぞやこの依頼に大喜びで飛びついたかと思いきや、モーツァルト自身はまるで乗り気でなかったようで、妻コンスタンツェ宛てにこんなボヤキたらたらの手紙まで書き送るしまつ。

「 … 毎日書いているけれど、いつも退屈して、途中でやめてしまう。とても大事な理由でやっているのでなかったら、きっとそのままにしていただろう。それが大きな時計で、オルガンのように響くものだったら、ぼくもいくらかはうれしいのだけれど。じっさいは小さなパイプだけでできていて、子どもっぽい、高い音にしか聴こえないのだ」

ところがこのとき作曲した3作品、イヤイヤ(?)作曲していたなんて話がウソみたいなとんでもない傑作ぞろい。その証拠に、ベートーヴェンがそのうちのひとつ『自動オルガンのための幻想曲 ヘ短調』を筆写しているくらいなのです。ちなみにこの作品、現在でもオルガンリサイタルでときおり演奏されたりします。

[モーツァルト『自動オルガンのための幻想曲 ヘ短調 K. 608 』]

以上、かつて時代の寵児だった(かもしれない)4つの「残念な楽器」をご紹介しましたが、これらはいずれもとうの昔に消滅したとはいえ、バッハ、ハイドン、そしてモーツァルトが不朽の名曲を残してくれたおかげで、その名前だけはかろうじて音楽史に刻まれた、ということは言えるかと思います。

【楽器と名曲の物語】失われた古楽器『アルペジョーネ』とシューベルト