オスカー・ギリアは卓越した世界的な演奏家であると同時に、世界各地で精力的に後進の指導にあたってきました。アメリカで教えはじめた頃(1964年)は、クラシック専門のギター奏者を目指す学生は少なかったそうです。ギリアは1969年に、(演奏家の教育を目的とする)アスペン音楽祭でクラシック・ギター部門をスタートさせ、そのときのギリアの教え子の一人が、今もそこで教えています。ギリアは深く考える人間(deep thinker)であり、音楽や演奏、楽曲に対する発言には、目を見張らされるものがあります。

オスカー・ギリア

オスカー・ギリア(1938年〜)
トスカーナ生まれのギタリスト。父と祖父が画家だった影響もあり、子どもの頃は絵を描いていた。のちに音楽が自分の道と気づき、14歳のときローマで音楽を学びはじめ、その後セゴビアに師事する。1964年にセゴビアがカリフォルニア大学バークレー校でマスタークラスをもった際、アシスタントを務めた。その後、日本を含む世界ツアーを開始。コンサートツアーの一方で、世界各地で多くの学生を教えてきた。

  • インタヴューアーはシカゴのブロードキャスター、ブルース・ダフィー。クラシック音楽専門ラジオ局Classical 97で、1975年から2001年まで、1600人を超える音楽家のインタビューを行ない、1991年に米国作曲家作詞家出版者協会のディームズ・テイラー・ブロードキャスト賞を受賞しています。インタビューの日本語版は、ブルース・ダフィー本人の許可を得て翻訳したものです。

*1998年4月15日、エヴァンストン(シカゴ近郊)にて

マスタークラスとコンサートの共通点

ブルース・ダフィー(以下BD):ギターと音楽を友に、世界をめぐる生活はお好きでしょうか。

オスカー・ギリア(以下OG):すごく好きだね、今も好きだよ。人が経験することの中でも、一番刺激的なことじゃないかな。同時に、イギリス人の同僚のジョン・ウィリアムスが家にいる方が好きなのも理解できるよ。理由は彼はいろいろ持っているからだ、お金も含めてね。でもわたしはと言えば、世界中をまわる生活で、ここ(シカゴ)みたいに、長年の友だちがたくさんいるわけだ。

BD:じゃあ、行く先々で友だちを作っているわけですね。

OG:そのとおり。難しいのは才能を作る方だよ。そっちはなかなかできるもんじゃない。

BD:行く先々で、あなたはギターのために友だちを作るわけですか。

OG:ギターと共に、ギターを通して、ギターのために。多くはギター奏者だしね、まあ科学者の友だちもいるけど。でも音楽と何らかの関係がある人たちがほとんどだね。

BD:マスタークラスをやるときは、当然みんなギター奏者なわけで、楽器や音楽について学ぶために来てるわけですよね。一般の聴衆に向けてコンサートをするのと、どう違うんでしょう。

OG:そりゃずいぶん違うね。一番大きいのは、授業では演奏者が自分の目の前にいるってことで、それはすごく大きな違いだね。それ以外の点では共通点はたくさんあるよ。(クラスでは)演奏者の曲への理解力を最大限に引き出して示す必要がある。それはステージで演奏する時にすることと同じだね。どういう種類の聴衆かは関係ない。聴衆というのはみな聴衆だ。ある種の聴衆は少し特別ではないか、と信じていたことがあった。南米で演奏するときなどね。彼らはラテン音楽が好みだといつも感じてきたし、ドイツで演奏すれば、19世紀の音楽が好きなんだろう、とね。ある意味、真実ではあるけど、そればかりやってるわけにいかない。人は自分のできることをどこであれする、そして聴衆はそれに関わろうとしてくる。生徒と同じだ。好奇心を分け合うわけだ。価値を分け合い、どちらの場合もそこで何か起こそうとするわけだ。

 

オスカー・ギリア、セゴビアのマスタークラスで(1965年)

BD:音楽に関する何かを、それともなんであれ?

OG:音楽を通して表現されることで起きる何かであって、音楽行為そのものではない。わたしは音楽は科学の片割れとは思ってない、そこには音楽のみがある。科学でさえ哲学と関係あるときに、なぜ音楽が人生と関係ないと言えるのか。

BD:では音楽とは何です?

OG:音楽??? 音楽が何か、わからないね。それは言葉抜きで表せるものだからだよ。そこでは言葉は役に立たない。それについて語ろうとして、話しはじめたところで、言葉はいらないと気づく。聞きたいと願う人同士を結ぶものであり、音楽体験からにせよ、人生の体験からにせよ、一つの同じことを表している。人生の経験によって得た印象は、のちに言葉に変わり、あるいは音楽体験になる。それが唯一の音楽を価値あるものにする道なんだ。お金を作る手段ではない、マイケル・ジャクソンやその種の人たちを除けばね。そうじゃなくて、人生の表現なんだ。

BD:あなたの音楽はあらゆる人のためのものでしょうか。マイケル・ジャクソンの聴衆も含めた。

OG:ポップミュージックのコンサートに行ったり、ナイトクラブに行ったりする人たちは、クラシック音楽に対しても聞く耳をもってるんじゃないかと思ってるんだ。スタープレイヤーの演奏が凄いせいでそこにいるんじゃなくてもいいんだ。演奏をしなくたっていい。歌わなくたっていい。ただそこにいればいい。ある意味、それと同じことを我々もしようとしてる。そして結局は同じことをしてるとわかる。

演奏家が演奏しているとき、人々はその人を好きなる。やっていることが何であれ、彼らは好きになる。演奏後に今日はあまりいい出来じゃなかった、と言うことだってできる。あるいはしようとしていた演奏にならなかったと言ってもね。聴衆は何か好きになるものを必要としている。だから彼らがそれを良しとすれば、悪いことじゃないんだ。

BD:(ちょっとしたショックを受けつつ) 自分がよくない演奏した夜に、聴衆をかつぐんでしょうか。

OG:(ニッコリとして) ときにはね、でも悪いこととは思ってない。なぜかと言えば、聴いてる人たちが何を好むかは、わからないからだよ。芸術的な体験というのは、人々に自分自身を愛するチャンスを与えることなんだ。だから人々が自分自身を愛することになれば、彼らは称賛して拍手を送る。もしわたしがその要因であれば、あるいはそうなる助けをするのであれば、それはさらにいいことだね。でもわたし自身も、自分を愛さねばならない。できることもあれば、できないこともある。

 

「独自の見方」で演奏することはない

BD:作曲家が書いたものに対して、オスカーという演奏家はどれくらいの量、関わっているのでしょうか。

OG:オスカーという演奏家がそこにいるとは思わないね。

BD:(つつきながら) まったくですか???

OG:(笑) ないね、音楽がやってきて、わたしはそれを演奏する。わたしが自分のやり方で演奏しなければならなかったなら、音楽に対するわたしの表現方法、わたし独自の見方で演奏するとなると、ちょっと困ったことになる。わたしはそれとは違う地点に立とうとしてる。

BD:それこそが解釈であり演奏ではないですか? ある楽曲に対して、そのたびに違う感じ方をする、あるいは他のギター奏者とは違った見方をするといった。

OG:それはそうだね。違う見方があることは気にならない。質問の意味はわかるし、あなたが何を聞き出そうとしてるかはわかる。とても重要な問題だけど、わたしはある音楽の解釈や演奏が、作曲家が与えたものと違っている必要がある、とは思ってないんだ。学生たちに教えたり、曲の説明をしているとき、そう感じることがある。

それはわたしが聴いたことのない、まったく新しい曲だったりもする。その前の晩に、あるいは1週間前に作曲されたばかりの曲かもしれない。それをわたしの生徒が演奏する。その学生はその音楽を演奏し、ときにそれを作曲した友だちと連れ立ってやってくる。わたしはその人を知らない、で、どんな曲か見る。そして生徒が演奏したあとに、その曲をもう一度見て、彼が曲から取り出せなかったすべてのものを取り出してみせる。これによって演奏は変わる、そして作曲をしたその友達の顔に笑顔が広がるのを見るわけだ。それは彼がやりたかったことだから、だけど口にしたり、書いたりできなかったことなんだ。作品にあたる方法は他にない。別の言い方をすれば、それはある種のしるしであり兆しであり、その兆しを理解するということ。

演奏者は、ただスコアに書かれていることを演奏しているのではない。そうじゃなくて、そこにあるものの意味、しるしをね、ごく小さなものから大きなものまで音楽における身振りを理解するとき、それが何を意味しているのか、何を言わんとしてるのかを理解するわけだ。その音楽がストラヴィンスキーであろうとバッハであろうと、誰に書かれたものであっても、関係ない。意味はそこにある。

BD:音楽の中にある美しさの金塊を掘り出す鉱夫みたいに聞こえます。

OG:そのとおり。そこにある金塊を掘り出す、そして削り取る、そしてそれは様式以上のものだ。だけど何もない石にそれをするなら、うまくはいかない。

BD:あなたが探しているのはそれでしょうか、ただの石ではないものという。

OG:それ自身が持つものだろうね。いい見栄えの石はあるが、中身が素晴らしいものもある。

 

演奏家こそが楽器

BD:あなたの楽器について教えてください。

OG:わたしの楽器はフレタのスパニッシュ・ギターで、1989年から使っているものだ。わたしの楽器の中でも最高のもので、このような楽器をたくさん持っている。

BD:たくさんのギターをお持ちだと思うのですが、もっとも気持ちよく演奏できるものがあるのでは。

OG:フレタのギターは大きな満足感を与えてくれるものだが、弾くのも非常に難しい。わたしの手には小さ過ぎるし、天気がそぐわない時は、旅に連れていくのにも適さない。音や響きが失われるといったね。

BD:湿度が変わるせいでしょうか。

OG:湿度と気温だね。でもうまく弾ける時は、どの楽器より素晴らしい演奏になる。他のものは限界があるね、それによってそれ以上の演奏ができない。しかし練習するときには、この楽器を手にすることはないんだ。他のフィンガーボードがぴったり感じられるものを使う。音や響きの点でそれらのギターは申し分ないのだけど、驚くほどというわけじゃない。フレタを手にし、深く音を探るとき、そこには金の塊がある。他のギターではそれはない。

BD:深く探る必要がある、でもひとたび深く掘れば、そこに金塊がある?

OG:そうだ、そこにある。非常に幸せな体験だ。人と同じなんだ、この楽器は。

BD:今でもギターは構造において、改良がなされているのでしょうか。

OG:そうだね、それはあるね。ギター製造者の中には直感的なものがある人はいる。それは良い楽器はどのように作られるのかが、未だ本当には理解されていないからだ。考え方の流派はいろいろあっても、今は非常にいい楽器をつくる製造者がいるし、アメリカ、ドイツ、イギリスの製造者によって良い楽器が常に作られている。

BD:ヴァイオリンについては、演奏家はいつも古い楽器を求めてますね。ストラディバリウスとかアマティとか。ギターにも現代のものより優れたものがあるのか、それとも昔と比べて、質の高いギターを現在は作っているのか。

OG:作ってるよ。アマティの時代のギターは、今のものとサイズが違うからね。現代のものより小さいし、弦の数も少ない。今のものとは違った。違う楽器と言ってもいい。バロック時代の楽器だね。バロック・ギターは、バロックのヴァイオリンと同様、まったく違う楽器だ。当時作られたものと、今日のものは同じではない。今の時代、当然ながら、誰もアマティやストラディバリウスのようなヴァイオリンを作らないけど、それが問題ではないんだ。問題は、ヴァイオリン奏者はこういった楽器を魔法のように扱えること。演奏家の中には、自分がどんな楽器を演奏しているか知らなくて、現代の楽器と同じように演奏してしまう人もいるけどね。

フランコ・グッリという非常に名の知れたヴァイオリン奏者を知ってる。彼はブルーミントンで教えていて、演奏旅行にはいつもストラディバリウスを持っていく、でもそれで演奏することはないんだ! 別の楽器を演奏することを好んでいる。そっちの方が気持ちよく弾けるから、とわたしに言っていたね。わたしたち自身が楽器でもあり、問題は自分をどう調律するか、響きの世界にどう応えるかということなんだ。自分たちが演奏する楽器以上に、我々演奏家自身がより重要な楽器なんだ。

BD:つまり音楽性や楽器の良さを、より多く取り出すことがあなたの責任ではあるけれど、あなたこそが重要であると。

OG:そのとおり、自分自身、それがあなたの楽器だね。演奏家は楽器としての自分を演奏している。自分が反響し、自分が起きていることに反応している。この音がわかるか、わかる。この音は、わからない。非常に素晴らしい楽器だったとしても、演奏家は自分の指で、自分のやり方で応えている。そこには関係性がある。ある女性と結婚して、その人があることであなたに不満をぶつけ続けるとき、最終的にはそれを受け入れて終わりにするだろ。(爆笑) 素晴らしい楽器にも同じようなところがある。最終的には、それがあなた自身の個性になるわけだ。それはあなたの個性の一部だね。受容され続けることで、同化する。スパニッシュ・ギターを演奏していて少したつと、楽器自身が倍音を響かせるようになり、同時に演奏家もスペイン流の倍音を身につけるようになる。

BD:一つの楽器と結婚しているように感じるのでしょうか?

OG:演奏家は一つの楽器と結婚している。

BD:(軽くつついて) それとも、もっと多くの楽器と結婚してる?

OG:たぶん一夫多妻制かもしれないけど、大きな出しものをやる場合は、いつも手にする楽器を選ぶね。

BD:音楽と結婚していると感じるんでしょうか?

OG:わからないね。ある芸術と結婚するということが可能とは、思えない。人とは違うように作用するんじゃないかな。一つは、やきもちを焼くことはないからね。何かと結婚する場合、それが他のものとも結婚していたら、やきもちを焼くだろう。そういう風にはならない。一般論として、たぶん我々はみんな芸術と結婚している、だから我々誰もがそれを受け入れ、それを必要とし、崇拝し、それを楽しむ、そういったことかな。でも我々は一緒にいなければならないという契約があるわけじゃないし、それを強制されることもない。いつかわたしが演奏をやめるときが来たら、関係は終わる、で、違うことを始めるだろうね。

BD:ノースウェスタン大学にまた戻ってきてくれて、そしてわたしと話す時間を取ってくれて、感謝しています。

OG:どうもありがとう。楽しかったよ。

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記事提供元:Web Press 葉っぱの坑夫