「Ave Maria」――誰しもが知っている言葉でありながら、説明を求められると思わず口ごもってしまう方も多いのではないでしょうか?


 

そもそも、Ave Mariaって?

Ave Mariaって何?というところから話を始めましょう。
 
元来Ave Mariaとは、特にカトリックにおける聖母マリアへの祈祷のことを指します(“Ave Maria”から始まる祈りの言葉そのものに限定したい場合には、あえて「Ave Mariaの祈り」と呼び分けることもあります)。
 
“Ave”というのは「こんにちは」「ごきげんよう」のような意味合いを持つ呼びかけの挨拶(ラテン語)で、日本語へは「Ave Maria=めでたしマリア」と訳されるのが最も一般的であるようです。
 
祈祷のための音楽や祈祷文を歌詞として作曲された音楽作品が後世に数多く生み出されたこともあり、今では それらの作品群も含めて“Ave Maria”という言葉が使われるようになりました。
 
ちなみに、聖母マリアに関する作品が多作されたという意味においては絵画や彫刻も同様ですが、こちらにはAve Mariaというタイトルのものはほとんど見られません。
 
絵画や彫刻は“目に見える”という性質を持っており、マリアへ祈りを捧げる人々の理解、イメージの手助けになるものが題材とされてきました。
 
そのため、
・聖書の中の一場面(受胎告知・被昇天など)
・聖書に登場するエピソードやモチーフ(「葡萄の聖母」「ヒワの聖母」など)
といったように、より具体性のあるテーマが好んで選ばれる傾向にあったのです。
 

音楽界でポピュラーなAve Maria

さて、音楽に詳しくてもそうでなくても 、多くの日本人にとって“Ave Maria”というタイトルを聞いて思い浮かぶ曲はごく限られているように思われます。
 
まず、フランスの音楽家シャルル・フランソワ・グノー(Charles François Gounod)による声楽曲が挙げられるでしょう。
 
CMなどにも使用され、録音や演奏の機会も多いこのAve Mariaは、耳になじみやすくゆったりとしたメロディーが印象的です。
 
音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)による『平均律クラヴィーア曲集』の中の旋律が伴奏として用いられていることも特徴の1つです。
 
歌曲の王フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert)が晩年に作曲したAve Mariaもよく知られています。
 
女性を中心にとても人気の高い歌曲ですが、シューベルトが曲を付けた叙事詩の中の一場面(王に追放されて洞穴に身を隠す主人公が、聖母マリアへ救いを求めて祈る場面)で歌われた曲が有名になったもので、もともとは宗教的な意味合いで作られた作品ではありません。
 
Ave Mariaは通常であればラテン語から他の言語へ訳されることが多いのですが、この作品の場合はスコットランドの詩人による叙事詩がドイツの教育者によってドイツ語へと訳され、それを元にシューベルトが作曲するという段階を踏んでいます。
 
よって、この曲は「ドイツ語の詩を元にメロディーが作られる」という珍しい生い立ちのAve Mariaであると言えます。

こんな作曲家もAve Mariaを!

エルガー

キリスト教に根差した文化とともに歩んできた欧米諸国では、Ave Mariaの作曲を手掛けた音楽家は枚挙に暇がないほど存在します。
 
わたしたちになじみの深いところでその一例をご紹介すると、『愛の挨拶』や『威風堂々』が有名なエドワード・ウィリアム・エルガー(Edward William Elgar※)がいます。
 
彼の手によるAve Mariaは、4声の合唱とオルガンのために作られたもので、同じくマリアへの礼拝のために作曲された他の2曲(Ave Verum Corpus、Ave Maris Stella)と併せて1つの曲集に収められています。
 
曲の前半では、合唱とオルガンが対話をするようにマリアとその子イエスへの祝福が歌われます。
 
変ロ長調の曲調は童謡や賛美歌を思わせる明朗さで、8分の6拍子に乗せた易しいメロディーは老若男女誰もが親しみを覚えるのではないでしょうか。
 
後半に差しかかり、「聖なるマリア、神の御母」とマリアへ呼びかける部分を迎えると日差しがふと陰ったような短調が現れ、「今も、わたしたちの死の時も」という歌詞の箇所には遅く・ごく弱くという指示が書かれています。
 
「罪人であるわたしたちのために祈ってください」という言葉は伝統的な祈祷のように平坦な旋律で歌われ、静かに包み込まれるような2度のアーメンによって曲が終わります。

経済的には困窮しながらも楽器奏者として、指揮者として、そして作曲家として様々なことを吸収しながら成長を遂げていたエルガー。
 
30歳の年に書かれたこのAve Mariaは、彼が父の後を継いでオルガニストを務めた教会のレパートリーとして、今日まで大切に歌われ続けているということです。
 
※のちにナイトおよび準男爵の称号を得てSir Edward William Elgarとなる

ホルスト

近年、いろいろなアーティストによるカヴァー演奏のヒットで組曲『惑星』の中の“木星(Jupiter)”が広く知られるようになったイギリスのグスターヴ・ホルスト(Gustav Holst)もAve Mariaを作曲しています。
 
移民の家系に生まれたホルストは、59歳でその人生を閉じるまでの間に編成や規模・ジャンルに富んだ多数の作品を遺し、音楽の世界ではそれなりの地位と成功も手にすることができました。
 
しかし、プライベートや健康面においては恵まれていたとは言えません。
 
ホルストがAve Mariaを作曲したのは、神経障害と対峙していた20代半ばの頃でした。
 
楽譜の冒頭には“In memory of my mother”という文字が見て取れます。ホルストの母親は、彼がまだたった8才の頃に天へと召されているのです。
 
4声部×2群という女声のみのコーラスは穏やかにAve Mariaの歌詞を歌い進めているかのようですが、声部同士・コーラス同士は時折こすれ合い、ぶつかり合います。そこから生まれる不協和音や、上昇しながらハーモニーを抜け出でてはっと耳をとらえる高声部の旋律は、やがて弔いの鐘の音や慟哭に姿を変えて私たちの内奥に響きます。
 
とても優美ではあるけれどどこか脆弱で痛みすら伴うようなその旋律は、聖母マリアが「子に先立たれたひとりの母」という側面を持っていることを聴き手にそっと思い出させてくれるようです。
 
ホルストがわずかな母の記憶を集めて織り上げたのは、「神の母」「天の女王」とも呼ばれる栄光のマドンナへの賛歌というよりは、愛を注いだ我が子の亡骸を抱いて静かに悲しむ聖母への哀歌だったのかもしれません。

伴奏も付けられておらず、演奏時間にすると5分にも満たない小品ではありますが、亡き母への追憶に満ちた非常に美しいAve Mariaです。

日本の作曲家によるAve Maria

そして、日本人の作曲家たちによるAve Mariaを耳にすることもできます。
 
自らもクリスチャンだった高田三郎、各種合唱コンクールで特に人気の高い鈴木輝明、日本古来の芸術や文学を西洋の音楽と融合させた千原英明、作曲・指揮の双方に熱心な支持者を持つ松下耕など、意外にもその数は少なくありません。原曲を同じくした複数のヴァージョン(声部・編成などのアレンジ違い)なども含めると、作品数もそれなりの数に上ります。
 
宗教的バックグラウンドの有無や作曲の動機などを異にしながら、各作曲家が独自のアプローチでマリアの姿を現代の日本へと浮かび上がらせています。

まとめ

今回ご紹介したのは“Ave Maria”についてのほんの一部分にすぎませんが、古今東西様々な作曲家のAve Mariaを聴き比べてみたり、ご贔屓の作曲家のAve Mariaを探してみたりするのも一興かも知れません。
 
ぜひお気に入りの一曲を見つけてみてください。