喜びやお祝いのシーンで流れる「ハレルヤ・コーラス」のメロディーは曲名を知らなくても誰もが一度は聴いたことがあるでしょう。

この曲はヘンデルの最高傑作のひとつであり、約280年前に作曲されました。

何世代にも及び世界中で愛される作品を書いたヘンデルとはどのような人物なのか?今回はその生涯について掘り下げていきます。

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案内人

  • 林和香東京都出身。某楽譜出版社で働く編集者。
    3歳からクラシックピアノ、15歳から声楽を始める。国立音楽大学(歌曲ソリストコース)卒業、二期会オペラ研修所本科修了、桐朋学園大学大学院(歌曲)修了。

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音楽の母と呼ばれたヘンデルの人生とは

©Wikimedia Commons

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685〜1759)は、バロック時代の作曲家です。国際的な活動で最先端の音楽を吸収しながら傑作を生み出しました。

ヘンデルの作品といえば「ハレルヤ・コーラス」は特に有名で、日常で耳にすることや学校で習った方も多いでしょう。「音楽の母」の異名をもつ彼の人生とはどのようなものだったのでしょうか。

ヘンデルの生涯

ヘンデルは幼少期に才能を開花させ、音楽の道を志します。1727年にグレートブリテン王国(現在のイギリス)に帰化しました。

さてまずは幼少期からイギリスで大成功するまでを辿っていきましょう。

幼少期からハンブルク時代

1685年に神聖ローマ帝国の町ハレでヘンデルは生まれました。音楽とは無縁の家でしたが、8歳頃からオルガンや作曲を学びます。父は息子を法律家にと考えていたため音楽の道に進むことに反対しますが、領主のヴァイセンフェルス公爵がヘンデルの音楽の才能を認めたことで音楽教育を受け続けることができたようです。

大学では法学を学びながら音楽にも力を注ぎ、ハレの大聖堂でオルガン奏者となります。18歳でハンブルグに渡り良質の音楽教育を受け、オペラ「アルミーラ」を上演し、成功を収めました。

イタリア時代からロンドン帰化まで

ハンブルグでの成功後にイタリアへ向かいます。イタリアといえばオペラの本場です。劇場も多く建設され、各地からの音楽家が集う中心地でした。スカルラッティやコレッリなど話題の音楽家たちとの交流を通して影響を受け、作曲に一層磨きをかけていくのです。オペラ「アグリッピーナ」や「ロドリゴ」を上演し、イタリアオペラ作曲家として認められていきます。

当時、イタリアオペラはヨーロッパ各地で人気でした。1711年にオペラ「リナルド」を成功させるとロンドンを本拠としていきます。最終的には1727年に帰化し、「ジョージ・フレデリック・ハンデル」と改名します。1740年頃を境にオペラからオラトリオの作曲へと転換し、1741年にはオラトリオ「メサイア」が完成しました。

晩年

数々の成功を収めてきたヘンデルですが、健康面では脳疾患や視力の低下に悩まされ、晩年は視力を失います。74歳で死去し、ウェストミンスター寺院に眠っています。

ヘンデルとバッハの関係

J.S.バッハとヘンデルは1685年のドイツ生まれです。没年はバッハが1750年、ヘンデルが1759年で、音楽史的区分ではバッハの没年をバロック音楽の終わりと考えるため、ちょうど古典派音楽への転換期といえます。

日本では、バッハは「音楽の父」、ヘンデルは「音楽の母」という異名でも有名です。このように呼ばれる理由は、ふたりの功績がその後の音楽の発展の源であり、現代にも確実に受け継がれていると考えられているからです。対照的なキャラクターも「父」「母」と呼ばれる所以かもしれません。

例えば、ヘンデルは劇場用の世俗曲を多く残しているのに対し、バッハは主に教会や宮廷で演奏されるために書いた作品が多いのです。ヘンデルが積極的に国外で活動したのに対し、バッハは国内に留まりひたむきに腕を磨いていたりと、性格の違いも興味深いですね。

ヘンデルに関する逸話

出典:Wikipedia

ここからは、人物像と代表曲のエピソードをご紹介します。

マルチリンガルな国際的作曲家

ヘンデルは特に声楽作品を多く作曲しました。声楽作品と切り離せない関係にあるのが「言葉」で、ヘンデルは語学や言葉の扱いに堪能でした。ドイツ、イタリア、イギリスで活躍したため複数の外国語を日常会話として使う経験をしています。

フランス語、スペイン語、ラテン語の作品も書き、ジャンルとしてはオペラ、オラトリオ、独唱曲、合唱曲、カンタータ、受難曲、重唱曲と多岐に渡ります。

起立して聴く「ハレルヤ・コーラス」

オラトリオ「メサイア」の「ハレルヤ・コーラス」には、演奏時に聴衆が起立するという伝統(習慣)があることをご存知でしょうか。

きっかけは「ロンドン初演の際に国王が立ち上がったため周りも揃えざるを得なかったから」と言われています。立ち上がった理由は「感動のあまり」「神への賛美」「帰ろうとした」など諸説あるようです。真実は闇の中ですが、この伝統は受け継がれ今でも起立することがあります。

ヘンデルの作曲技法

ヘンデルが得意としたジャンルを挙げてみましょう。

オペラセリアとカストラート

1740年頃まではオペラに精力的に取り組みました。オペラセリアに共通する特徴として、ドラマティックな演奏効果、不協和音の効果的な使用、観客を引き込む技巧などが挙げられますが、ヘンデルはこれらの特徴を美しい音楽の中で十二分に発揮させました。

オペラ「リナルド」のアリア「私を泣かせてください」や、オペラ「セルセ」のアリア「オンブラ・マイ・フ」は特に有名で、テレビ番組の挿入歌やBGMでも使用されるほど現代の生活にも深く溶け込んでいます。

ヘンデルのオペラに欠かせない存在がカストラートです。彼は、去勢された男性歌手で美しい高音域を得意とし、ストーリーの中で重要な役割を担っていました。深く知りたい方は1994年の映画「カストラート」をぜひご覧ください。

オラトリオ作曲家への転向と確立

オラトリオはバロック音楽の代表的なジャンルで、宗教的な題材を声楽とオーケストラで表現します。複数の曲から構成される大規模作品であることが多く、オペラと類似点もありますが、衣装・小道具類・演技がないという点で異なります。

若い頃から取り組んでいましたが、1730年代からは特に力を注ぎました。現在までに22作品が確認されています。「メサイア」(1742年)が演奏機会も多く最も有名で、「サウル」(1739年)、「テオドーラ」(1749年)、「イェフタ」(1752年)も人気があります。

祝祭のための音楽

器楽曲は管弦楽曲、協奏曲などを残しています。有名どころは組曲「水上の音楽」や組曲「王宮の花火の音楽」で、オペラやオラトリオのような大きなスケール感があります。華やかさのなかに勇ましさや品格も感じられるのがヘンデルの作風です。
「水上の音楽」はその名の通り水上での演奏のための作品です。ロンドンのテムズ川で国王のために演奏されたのですが、船に50人ほどのオーケストラを乗せて夜通し演奏するという大変豪華な計画でした。

ヘンデル作品の特徴

彼の美しい音楽にはどのような特徴があるのでしょうか。

合唱のパワー

ヘンデルのオペラやオラトリオは、馴染み深い題材を華やかで美しい音楽で表現しているのが特徴です。これらをさまざまな言語で世に出し続けたヘンデルはエンターテイナーと言えるでしょう。聴衆も演奏側もどちらも気持ちよくなれるそのエンタメ性は、現代にも脈々と受け継がれています。

テンポの変化が生み出す感動の効果

ヘンデルは緩急の効果で聴衆を音楽へ惹き込みます。

オペラ「ジュリオ・チェーザレ」のアリア「この胸に息ある限り」では、クレオパトラの悲しみがABAの三部形式で歌われます。シンプルな伴奏とため息のような長いフレーズが特徴のAに続き、Bでは突然速いテンポで細かなパッセージが繰りひろげられます。音楽はふたたびAに戻りますが、その対比で旋律はさらに美しく切なく聴こえてくるのです。

ヘンデル作品をより楽しむコツ

新たな魅力を発見できるおすすめ情報をご紹介します。

古楽器で聴いてみる

おすすめしたいのが、古楽器(ピリオド楽器)での演奏を聴いてみることです。古楽器は現代楽器(モダン楽器)と比べて安定感が弱いため独特の趣があります。音量が柔らかい分、例えば声楽作品では全体の響きのなかで声が浮き立ち、絶妙なバランスが現れてくるのです。

神話や聖書のストーリーを知ろう

作品の多くが宗教的な題材に密接に結びついています。旧約聖書、新約聖書、ギリシャ神話、ローマ神話などです。

例えば「メサイア」(ヘブライ語の「メシア」の英語読み)は「救世主」と訳され、イエス・キリストの物語を意味します。

聴くだけでも感動できるのがヘンデルの作品の素晴らしさですが、日本語訳を読みながら場面を理解したり宗教的題材の絵画や彫刻を知ると、より深く楽しむことができます。

シバの女王の乗船©Wikimedia Commons

まとめ

ヘンデルは国際的に活躍しながら人気作品を世に出し続けました。現代でも重要なレパートリーとして世界中で愛され続けています。

聴いて、観て、知って深く楽しめるオペラやオラトリオの醍醐味を味わいましょう。