チェロ奏者の冒険:アニャ・レヒナー、境界を超えて活動する演奏家

                                   
インタビュー
公開日時:2020/03/24
 
更新日時:2020/04/29
                       

(c) Nanni Schiffl Deiler

クラシックの演奏家たち、その卵たちは、21世紀を活動の場としていますが、そこに今どのような未来を見ているでしょうか。

楽器に関わる選択(楽器を扱う術など)に集中するあまり、音楽的な選択をあとまわしにしている状況もときに見受けられます。

 

一方で自分の求める音楽世界を探索、構築することを第一目標とする演奏家がいます。

音楽で何を実現したいのか、自分の楽器を通してどんな音楽世界を築き、他の演奏家や聴衆とそれを分かち合いたいのか、そういったことを活動の中心にしている人々です。

ここで紹介するアニャ・レヒナーは、そのような演奏家の一人です。

 

彼女のような活動をする演奏家は近年それなりに見られるようになってきましたが、彼らがなぜその道を選んだのか、どのような方法でキャリアを積んできたかについてはそれほど知られていません。

おそらく演奏家の数だけその道はあるかもしれず、個別に見ていくことが求められるでしょう。

 

本稿では、アニャ・レヒナーへのインタビューを交え、彼女がどのようにして現在の活動に行き着いたのかを紹介していきます。

 

西洋音楽の中心地で生まれたからこその冒険

レヒナーはドイツのカッセルに生まれ、9歳という演奏家としてはやや遅い年齢でチェロを始めました。

しかし12歳のときには、音楽家になりたいという明確な意志を持っていたといいます。

 

アニャ・レヒナー(以下AL):わたしは音楽に全力を注ぎたくて16歳のとき学校をやめて、ミュンヘンのリヒャルト・シュトラウス音楽学校でチェロを学びはじめました。そこでヤン・ポラシェクという、チェコ人の素晴らしい先生にチェロを教わりました。加えて、ドイツの作曲家でピアニストのピーター・ルートヴィヒといっしょに演奏活動をはじめたんです。

彼はわたしを即興演奏の世界に導いてくれた人。ルートヴィヒはデュオのためにたくさんの曲を書いてくれて、二人でわたしたち独自の“ドイツ流アルゼンチン・タンゴ”をつくりあげました。

もちろん、普通のクラシック音楽の学生がするように、あらゆるチェロのレパートリーを練習したし、マスタークラスも受け、コンクールにも参加して優勝も何度か経験したりと、、、やることはやりました。でも同時に、もっともっと音楽の世界を探索したかった。

チェロで誰も演奏したことのない曲とか、当時のジャズクラブとかバーとか小さなシアターに合う音楽をやりたかった。

 

その後レヒナーは、バーゼルでハインリヒ・シフに、アメリカでヤーノシュ・シュタルケルに、と一流の演奏家にチェロを師事しています。

 

AL:わたしはシフやシュタルケルといった素晴らしいチェリストに学ぶ、という幸運に恵まれました。

どちらの先生も、わたしがクラシックではない音楽に興味があることを喜んでくれて、つづけるよう励ましてくれたんです。

特にアメリカでは、多くのクラシックの演奏家がジャズやミュージカル、ロックやポップスをやっていました。

そこではヨーロッパでいるときみたいに、一人ぼっちではなかった。今ではヨーロッパもそうなってきましたけどね。

 

西洋音楽の中心地で音楽を学び、演奏活動をしていたレヒナーにとって、バッハやベートーヴェン、シューベルトは自分の音楽の基盤ではありましたが、一方ですでに語りつくされた音楽であるとも感じていました。

そのことがバンドネオン奏者を訪ねてアルゼンチンまで旅したり、アルメニアやウクライナの作曲家との間に深い信頼関係を築きあげたり、フランスのジャズピアニストとアルバムを作ったり、南米のギター奏者とシューベルトのデュオをやったりという活動につながっていったのかもしれません。

 

モンポウのピアノ曲「秘密」をレヒナーのチェロとフランソワ・クチュリエのピアノで

 

アニャ・レヒナーとフランソワ・クチュリエによる『モデラート・カンタービレ』PV(6:11)

2:45~グルジエフ「サイイドの歌」、4:37~クチュリエ「ヴォヤージュ」

 

バンドネオン奏者を訪ねて、アルゼンチンへ

サルーシとの練習風景

サルーシとの練習風景
© Juan Hitters

レヒナーが南米音楽のタンゴを知ったのは16歳のとき。そしてアルゼンチンの名バンドネオン奏者、ディノ・サルーシがミュンヘンでコンサートをしたとき、彼の音楽に出会います。レヒナーは言います。ディノの音楽を知って、音楽への理解が変わった、と。

 

AL:ディノ・サルーシと演奏するのがすごく好きなんです。わたしをコラボレーションに導いてくれるのは、いつも音楽だったり演奏家だったりします。2つの楽器が、互いの中で混ざり合っていくのがとても好きなんです。

他の楽器の音、あるいは歌い手の声は、わたし自身のサウンドにいつも素晴らしいインスピレーションを与えてくれます。

わたしは音色や響きをいつも探し求めています。チェロはチェロのように鳴るだけじゃない、生きている声として響かせることができるんです。

それはときに醜かったり、痛みをともなう声にもなります。演奏家は、自分の楽器でストーリーを語る必要があります。

ディノ・サルーシは、わたしにとって最高のストーリーテラーだと思います。彼からは多くのことを学びましたね。

 

サルーシはピアソラに続くアルゼンチンの天才的なバンドネオン奏者ですが、作曲家でもあり、彼もまた自分の音楽世界(タンゴやジャズの世界)だけにとどまる音楽家ではありませんでした。

『Navidad De Los Andes(アンデス生まれ)』アニャ・レヒナー、ディノ・サルーシ、フェリックス・サルーシ

 

サルーシは子どもの頃から、弟のフェリックス(サックス奏者)と一緒に曲を作り、演奏をしてきたといいます。

『アンデス生まれ』の多くの楽曲は、サルーシの手によるものですが、3者の演奏ぶりには豊かな即興性が感じられます。

 

チェロの息の長い朗々と伸びやかな旋律、バンドネオンの包み込まれるような温かな響き、サックスの悲しげで孤独な歌、この三つが交互に現れ表へ裏へと入れ替わるのを聞いていると、自分はこの地上のどこに立っているのだろう、という不思議な感覚にとらわれます。

チェロの響きはヨーロッパを、バンドネオンはタンゴの国を、サックスはジャズの語りを代表しているようでいて、それは一瞬のこと。

聞こえてくる音はそれぞれの楽器の背景を残しつつ、最終的には、どこにも存在しない未知の世界へと聴くものを導きます。

 

レヒナーが言うところの、自分とは違う文化背景の国々に行って、そこに暮らす人と音楽をやることの意味は、このようなところにあるのかもしれません。それぞれが自分というものを持ちながら、他者との出会いによって自分の限界を超えていく試み。

境界を超えることで世界を開いていくこと、これは音楽に限ったことではないかもしれません。

 

2012年にECMからリリースされたDVD『El Encuentro(出会い)』は、レヒナーがサルーシの生まれ故郷サルタ(アルゼンチン)を訪ね、彼の家族や友人たちとテーブルを囲み、話を交わし、タンゴを踊る場面を捉えたドキュメンタリーです。その中でレヒナーはこう話しています。

 

AL:自分の音楽への見方や演奏の方法は、旅をすることで変わります。

だからよその国に住む演奏家たちと一緒に仕事することは、とてもいい機会になります。様々な国の音楽家たちとリハーサルしたり、演奏したりすることで、音楽を違った風に感じたり理解することができるのです。

目の前に新しい世界が開けると言ってもいいですね。そう感じるのはわたしが常に、ある特定の種類の音楽(ヨーロッパのクラシック音楽)に囲まれているからなんです。

DVD『El Encuentro(出会い)』より(2:30)

 

東欧の作曲家たちと

アニャ・レヒナーの過去にリリースされたアルバムを見ていくと、一つの特徴に気づきます。

東欧の(中でも旧ソ連統治下にあった)国々とのゆかりが深く、何人かの作曲家と共同作業をしています。その中から3枚のアルバムを紹介したいと思います。

 

『夜のヒエログリフ』with シルヴェストロフ(2017年、ECM)

ウクライナの作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフ(1937年~)によるチェロのための作品集です。

アニャ・レヒナーによるソロ曲を中心に、フランスのチェリスト、アニエス・ヴェスターマンとの(2台のチェロによる)デュオで構成されています。

シルヴェストロフとレヒナーは長く共同作業をつづけてきた音楽仲間であり、2001年にはアルバム『レッジェーロ、ペザンテ(軽い、重い)』がグラミー賞にノミネートされました。

2台のチェロで

2台のチェロで
© Baptiste Lignel

『Hieroglyphen der Nacht(夜のヒエログリフ)』

 

『モデラート・カンタービレ』with グルジエフ、コミタス他(2014年、ECM)

音楽史の境界線上にいる3人のアウトサイダー(グルジエフ、コミタス、モンポウ)の作品を、作曲家でジャズ・ピアニストのフランソワ・クチュリエ(1950年~)とレヒナーがアレンジし演奏した、ユニークなアルバムです。

 

グルジエフとコミタスはアルメニア出身の、モンポウはカタルーニャの作曲家、それにクチュリエ自身の楽曲が加わります。第9曲ではグルジエフの東洋的な「No.11」とモンポウの軽快なリズムで始まる「遠い祭り」がシームレスに提示されています。

また最後のモンポウのピアノ曲「秘密」は、クチュリエとレヒナーによるデュオ即興の真骨頂です。

 

AL:わたしはいつも音色を探しています。たくさんの選択肢の中から、一つの可能性を引き出すんです。音域を変えてみたり、ダイナミクスや表現を変えたり、と弾くたびに違うことをしようとしてますね。

即興演奏というのは、自由になることです。過去から、自分の先入観から、そして様々な分類からもね。

『Moderato cantabile(モデラート・カンタービレ)』

フランソワ・クチュリエのジャズ仲間と

フランソワ・クチュリエのジャズ仲間と
© Paolo Soriani

『ミラー~コルヴィッツ作品集』with トヌ・コルヴィッツ(2016年、ECM)

トヌ・コルヴィッツ(1969年~)は、「期待の新星」と言われてきたエストニアの作曲家。このアルバムでレヒナーは、タリン室内管弦楽団、エストニア・フィルハーモニー室内合唱団、ヴォーカルのカドリ・ヴーランと共演しています。

チェロと合唱という組み合わせはとても新鮮です。レヒナーはコルヴィッツの曲は、即興的に演奏する自由を与えてくれる、と語っています。

『Mirror(ミラー)』

 

ここに上げた3枚のアルバム以外にも、レヒナーは東欧の作曲家の作品を数多く演奏しています。アルメニアの作曲家、ティグラン・マンスリアン(1937年~)とは身近で深い交流があり、ロザムンデ四重奏団時代(レヒナーはここで1992~2009年まで演奏していた)には『String Quartets(弦楽四重奏)』(2005年)を、ヴァイオリンのパトリシア・コパチンスカヤとの共演では『Quasi Parlando(話すように歌う)』(2014年)をリリースしています。

 

ギターとチェロでシューベルト

レヒナーにとって、ハイドンの『7つの最後の言葉』(2001年、ECM)以来の純クラシック音楽、とライナー・ノートに記されたのが、アルゼンチンのギター奏者パブロ・マルケスとのデュオ・アルバム『シューベルト:夜』(2018年、ECM)です。

シューベルトの「アルペジオーネ・ソナタ」をはじめ、歌曲などをチェロとギター用に演奏者が編曲したもので、サウンド、楽曲ともに心温まる素晴らしいコレクションになっています。

それに加えて、このアルバムにはブルグミュラーの「三つの夜想曲」が選曲されています。これがなかなかいい曲で、第1番はアルバムの最初と最後で繰り返されています。そのあたりの意図をレヒナーに聞いてみました。

 

AL:パブロ・マルケスとわたしは、いつもこのブルグミュラーの「三つの夜想曲」を楽しんで演奏してきました。

これは数少ない、チェロとギターのために書かれた楽曲なんです。

演奏者に想像力と自由をたくさん与えてくれる作品だと思います。

それにフランツ・シューベルトの音楽にとてもフィットします。第1番を最初に置いて、違うテイクを最後にもう一度置いたのは、プロデューサーのマンフレート・アイヒャーのアイディアでした。

 

なるほど、そうだったんですね。ブルグミュラーの「夜想曲第1番」は簡素な曲ですが、心に残るいい作品で、アルバムのイントロとして、シューベルトをぐっと引き立てています。

名曲「アルペジオーネ・ソナタ」は通常ピアノとの共演ですが、ここではギターとチェロで演奏されています。どのような違いがあるのでしょう。

 

AL:シューベルトをギターと演奏するということは、ギターの繊細でやわらかな音に合わせることなんです。

ピアノと合わせるよりずっと難しいしリスキーでもあります。ピアノとのように相手に寄りかかることができないですから。

でも最終的に「アルペジオーネ・ソナタ」の演奏では、ギターの音ととても親密な関係になりました。

デュオではギター奏者に対して、完璧な信頼を置くことが求められます。わたしはパブロ・マルケスにそうしています。

もう15年以上、いっしょに演奏してきました。互いに信頼しあっていますし、シューベルトへの愛を、あるいは他のたくさんの作曲家に対する愛を分かち合っているんです。

マルケスとのデュオ

(c) Caterina Di Perri.jpg

マルケスとのデュオ

© Caterina Di Perri

 

『シューベルト:夜』より:アニャ・レヒナーとパブロ・マルケスのデュオ(4:35)

 

ヨーロッパの中心から外れた、それとは違う文化背景をもつ音楽をたくさん演奏してきたレヒナーが、長い旅の末にまたクラシック音楽にもどってきたとき、バッハやベートーヴェンをどんな風に感じるのかとても興味がありました。

 

AL:ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、いつも、わたしといっしょでした。バッハの音楽は、行き着くことのできない音楽、彼の音楽は終わりのない旅のようなもの。

ここまでやってきた即興演奏の経験、そして現代音楽の作曲家の新作を、あるいは即興演奏家のスコアを苦労して解釈すること、そういったことがわたしに教えてくれたのは、一つの楽曲を演奏する方法はたくさんあるということでした。

バッハやベートーヴェンを演奏するとき、こういったことのすべてが、わたしに自由を与えてくれるんです。

 

『Die Nacht(シューベルト:夜)』

まとめ:Never think about your career

いかがでしたでしょうか。演奏家の一つのモデルとして、アニャ・レヒナーの歩いてきた道を紹介しました。

 

レヒナーがやってきたことは、クラシックの演奏家にとって勇気のいる冒険です。他の人があまりやっていないだけにリスクもあるでしょう。

でも演奏家とは何か、なぜ音楽をやるのか、聴衆と何を分け合いたいのか、と原初のところに戻って考えたとき、これ以上の生き方はないように見えます。

 

最後に、若い演奏家に対するアドバイスとして、どのように自分の道を選び、キャリアを積んでいけばいいのか聞いてみました。

 

AL:キャリアについては考えないこと。それは音楽とは関係のないことだから。

だけれども、自分の楽器を精一杯練習すること、音楽を大事にすること、自分にとって一番いい先生を見つけること、自分自身の音を探すこと、自分のゆくべき道を歩いていき、「自分自身の音楽」を見つけること。

そして好奇心をもち、疑問を放ち、室内楽で他の人と演奏し、即興演奏をし、心をひらいて、他の人の音をよく聞き、自分の音をよく聞き、コンサートや映画や展覧会に行き、本を読んで、耳も目もひらくこと。そうすれば他のことはひとりでにやってくる。

同時に、やっかいなことだけれど、(いろんな人に働きかけたり、ことを進めるために)メールをたくさん書くことにもなるでしょうね、きっと。(笑)

*アニャ・レヒナーへのインタビューは、2020年2月後半から3月初めにかけて、2度のメールによって行なわれました。

*アニャ・レヒナーのコンサートやアルバム情報は、ECMレコードのアーティストページでご覧ください。

https://www.ecmrecords.com/search-advanced/anja%20lechner

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