「音楽は世界語であり、翻訳の必要がない。そこにおいては魂が魂に話しかける」

これは巨匠ヨハン・ゼバスティアン・バッハの言葉です。さすがは音楽の父ですね、本質をズバリと突いていらっしゃる。
しかし、この世界語の聴こえ方、日本人と外国人とちょっと違うかもしれない。そこにはどうやら言語の違いが関係しているらしいというお話です。

チェロがしゃべる?

ニューヨークでピアノ科の学生をしていた頃、私はカーネギーホールの近くに住んでおりました。「チケットを取るにも近い」「コンサートに行くにも帰るにも近い」「チケット代は日本よりずいぶん安い」の三拍子揃えば「カーネギー通い」は当然のことです。「カーネギー通い」、なかでも最も思い出深いコンサートがヨーヨーマのバッハの無伴奏チェロ組曲全曲。一晩で全曲ですから、コンサートは長丁場です。休憩も大変長かったので、私は家に帰って晩御飯を食べ、またホールに戻ったほどでした。
このバッハの無伴奏チェロ組曲は20世紀の初頭に、チェロの巨人パブロ・カザルスによって発見されました。チェリストたちのバイブルと言われ、必ず学ばなければいけない作品です。組曲は全部で6曲、第1番から6番まで番号が増えるとともに難曲になっていきます。ヨーヨーマはチェロを始めた4歳の頃から、日々演奏してきたという大切な曲です。

指折り数えて迎えたその日、ホールに行くと、広い舞台の上には椅子がひとつポツンと置いてありました。チェロのソロだから当たり前のことなんですが、いつもはオーケストラ用にたくさんの椅子や楽譜台があったり、ピアノソロにしろコンサートグランドが舞台の真ん中に鎮座しているのが当たり前の風景だったので、なんだか「これから音楽会が始まる」という感じがしませんでした。
開演の時間になり、にこやかな微笑みのヨーヨーマがチェロを片手に現れました。そして舞台の上のその椅子に座り、演奏が始まったのです。その音の美しさ、繊細かつダイナミック、ほとばしる情熱、言葉では言い尽くせないくらいの素晴らしい演奏でした。しかも長時間、最後まで集中力を失わず、観客を魅了し続けるなんて超人的です。最後の音が終わったら、自然と観客の皆が立ち上がり、彼にものすごい拍手を送りました。
その時、私が彼の力量の凄さと共に強く感じたのは「チェロがしゃべってた!何語かわからないけど喋っていた」ということです。

チェロが人間の声の音域に一番近い楽器だからかな、とも思いました。しかし、それだけではないようにも思える・・・わからない・・・。
そしてある日、私は東京医科歯科大学の角田忠信教授の「日本語人の脳」(言叢社)に出逢いました。その中に「これが答えなのかもしれない」という説があったのです。

「日本語人の脳」

角田教授が、キューバの学会に招かれた時の話です。まだ鉄のカーテンが降ろされていた東西冷戦時代で、キューバに入国するにも大変な頃のことです。西側からの出席者は教授たったひとりで、他は東欧圏の学者さんばかりだったそうです。
ある夜、大きな庭園でパーティーが開かれ、ザアザア雨が降っているかのような音が聴こえる。教授は虫の音だと気づき、うるさく感じていた。しかし周囲の人は何も聴こえないと言う・・・。この現象、日本人の脳が特異な性質を持っているからだと教授は言います。
人間の脳は右脳と左脳に分れていて、それぞれ得意な分野があるということはよく知られています。右脳は感性や感覚を司り、音楽脳とも呼ばれ、音楽や機械音、雑音を処理します。左脳は言語中枢があり、理論的に思考するのが得意で言語脳と呼ばれています。このような基本的な脳の機能はどの人種も変わりがありません。

しかし動物の鳴き声や虫の音、そして小川のせせらぎなど自然界にある音、また尺八など邦楽器の音色を処理する脳の部位には、違いがあったそうです。西欧人はそれらを右脳で処理するのに対して、日本人は左脳で受け止めているという事が教授の実験で明らかになりました。つまり、日本人は虫の音も、意味のある言葉として受け取るということです。

このような特徴は世界で日本人とポリネシア人だけで、中国人も韓国人も西欧人型なのだそうです。脳の差異は人種とかDNAレベルのことではありません。日本語やポリネシア語の音の中に秘密がある。日本人でも西欧人でも、生後から9歳ぐらいまでの間、日本語を主体とした環境で育つと、脳が日本人型になるそうです。(「日本語人」と教授は呼んでいます。)言語が脳を変えてしまうんですね。

音を意味のある言葉のように認識する「日本語人の脳」

「このメロディはこんな言葉に聴こえる」なんていう「空耳クラッシック」というものがありますね。ショパンのソナタの2番第1楽章始めの右手のメロディーは「愛って何?愛って何?」と問いかけてるように聴こえるし、スケルツォ第2番の出だしの3連符も「ところてん ところてん」と聴こえます。(ショパンが聞いたら、怒りそうですが。)学生の頃、「一度そんな風に聴こえると知るとそれ以外には聴こえないね~」なんて友達と話題にしていたものです。
そう言えば他の言語で、「空耳クラッシック」のようなことをしているのは聞いたことがないですね。本当に不思議です、日本語人の脳は。
あの時、私はヨーヨーマの音をどちらの脳で聴いていたのだろうか。
チェロは西洋楽器だから右脳のはず?しかしある瞬間、ヨーヨーマの力量で自然界の音を限りなく近い音が奏でられた。その音に反応して、私の「日本語人脳」はいつものクセで音を言語化して聴いてしまっていたということもあると思います。

うーん、本当のところはどうかな・・・もう一度、あの時に戻りたい。カーネギーホールでヨーヨーマのバッハの無伴奏をもう一度聴いて確かめたいと思うのでした。